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「宮瀬ちゃんは、卑怯だ」
「おい」
「自分のこと話して、周りを味方につける」
「それ以上言うな」
古賀さんの声が、さらに低くなった。思わずびくついた身体を、ぎゅっと古賀さんが押さえてくれる。それと同時に、頭のどこかで『ああ』と自嘲した。
犬居さんが言っているのは、私が留学のことを話して、周りを味方につけてるということなんだと思う。実際、間違ってはない。そのことを話した人たちは、みんな一様にして、私に情をもってくれた。古賀さんにしかり、永井さんにしかり。だけど、それは、私がそういう人たちを選んで話してるからにすぎない。私だって、ばかじゃない。みんながみんな、自分の意見に同意してくれるわけではないということくらい、分かっている。だから、ある程度仲が良くならないと、そんな話はしない。むしろ、仲が良いくらいでは、そんなこと話さない。友達付き合いの少ない私にだって、大学に何人かの友達はいる。それでも、その中で私の留学の件を知っているのは、いつも一緒にいる友達と、偶然知られてしまった男友達だけだ。
それでも、味方になってくれそうな人にだけ話すという時点で、ひきょうには変わりないのかもしれない。
古賀さんの後ろに隠れて犬居さんの言葉に変に納得していると、腕に触れていた古賀さんの手が下りてきて、ぎゅっと私の手を掴んだ。何かを察知したのか、古賀さんは私を安心させるように、繋ぐ手に力を込める。
「宮瀬の苦しみに、お前が何か言う権利なんてない。お前の事情に、宮瀬を巻き込むことだってだ。理由も言わないで宮瀬を責めるお前だって、卑怯だろ」
強い言い方をする古賀さんに、犬居さんは何も言わない。
古賀さんは、いつだって優しい。私自身が私を卑下しても、古賀さんは私の味方でいてくれる。古賀さんの言葉に、救われる。
「……お前も、大概だ」
冷たく、強く言い切った言葉を最後に、犬居さんが歩いていく音がする。とんとんとん、という犬居さんが階段を上がっていく音を古賀さんの後ろで聞きながら、私は疲れたように古賀さんの背中に寄りかかっていた。
「大丈夫か?」
さっきとはまったく違う、いつも通りの古賀さんの声音に、伏せていた顔を上げる。心配そうな目をした古賀さんが、繋いでいた手を放し、私と向き合うように身体を反転させる。
「ん。大丈夫だよ。ちょっと、いらってしたけど」
小さく渇いた笑いで、冗談にすませようとする。古賀さんはそれに気付いたのか、納得いかないというように顔をしかめた。
「大丈夫だって。心配性だなあ」
ぽんぽん、と笑いながら古賀さんの腕を叩いても、古賀さんはその顔を崩すことはない。どうしたらいいか分からなくなって、自然と笑みも曖昧なものになっていく。古賀さんは相変わらず顔をしかめたままだけど、その目はどんどんと切なげに揺れていく。
「ね。ほんとに、大丈夫だから」
そんな古賀さんが逆に心配になって、安心させるために言うも、自分でもその言葉はひどく混乱しているように聞こえた。こんな古賀さんは、知らない。どうしたらいいのか、分からない。
「無理すんなよ」
「え?」
表情を変えないまま言われて、思わず聞き返す。そして、気がついた。古賀さんはしかめっ面をしているんじゃなくて、辛そうな顔を隠そうとしてるんだと。
「聞いたから。永井さんから。先週のことも、犬居に会ったことも、……話し合うってことも」
「あ……」
言葉を繋ぎきれずに、「そっか」とだけ言ってまとめる。
永井さんも古賀さんから教えられたって言ってたんだ。その逆があっても、別におかしくない。
そう考えて、いつものようにへらっと笑ってみせた。
「聞いたんなら、話早いや。色々立て続けにあって、ちょっとしんどかったんだ。また、愚痴でも聞いてよ」
笑って言ったはずなのに、古賀さんはまったく笑っていなくて、どうしようもなく辛そうな顔をしただけだった。
「ね、」
「何かあったら言えって、言ってるだろ。しんどいなら、しんどいって言えよ。腹立つなら、腹立つって言えよ。我慢すんな。むかついたんなら、言い返せばいい」
「な、んで、古賀さんが辛そうなの……」
「お前が、我慢するからだろ。お前が言わなきゃ、俺は何もしてやれない。お前が何言ったって、変わらないから。言えよ。頼むから、一人で泣くな」
私の代わりのようにして辛そうに顔を歪める古賀さんに、笑っていた顔が崩れる気がした。笑うことが難しくなって、下を向いてしまう。泣きそうになるのを堪えるのに、古賀さんがひどく優しい声で私の名前を呼んで、すっと髪に指を通された。
「っ……」
我慢できずに、目に溜まった涙が零れ落ちる。それを急いで手で拭おうとすれば、古賀さんにその手を強く引かれた。
「こ、が、さん?」
気付けば私は古賀さんの腕の中にいて、背中に回された古賀さんの腕が強く私を抱きしめていて、零れた涙を拭うことすらできずにいた。
「つらいなら、つらいって言えよ。一人でなんか、泣くな」
そう言った古賀さんの方が、泣きそうな声をしていた。




