1
『宮瀬ちゃんさ、永井さんって人と、付き合ってるんだって?』
『え? ……ああ、まあ』
『ふーん。永井さんさ、離婚したの?』
『……まだ、ですけど』
『なのに、付き合ってるんだ。変じゃない? それって』
『そう、ですね』
『宮瀬ちゃんはさ、勝手だよ。他の人のことも、もっと考えてよ』
何で、あんなこと言ってしまったんだ。あんなこと言うなんて、まったくもって、俺らしくない。きっと、古賀だってそう思ってるだろう。その古賀からは、あの後何度も携帯に電話が掛かってきていた。それを全部無視して、ぽいっとベッドの上に放ったのをちゃんと覚えている。次の日の日曜日、またステージを見にこいという松木のメールも無視して、俺はずっと部屋のベッドでごろごろとしていた。そんな時でも、土曜日のことが思い出されて、それと同時に宮瀬ちゃんの自分を責めるような笑みも思い出して、少しだけの罪悪感と古賀からの追求を考えていた。いきなりあんなこと言ったことに対しての罪悪感はあったけど、後悔なんてものはまったくと言っていいほどなかった。宮瀬ちゃんや、あの日の
古賀を見ていると、『先輩』のことが思い出されて、どうしようもなくなっていたんだ。
***
『月曜の2時間目、テニスコートな』
指定された学校のテニスコートのベンチに座り、昨日送られてきたメールを読み返して溜め息をついた。
昨日の夜、電話の代わりに古賀からメールが送られてきた。それは、もしかしなくても、土曜日のことを聞きたがっているからだ。
月曜日、俺は松木と一緒に1時間目の授業を受けている。古賀は、3時間目からだ。その間にある時間を、古賀は指定してきた。俺は1時間目の授業には出ず、時間より早めにテニスコートに来ていた。どうせ、松木と一緒に授業を受けていたら、2時間目にあいつを一人残すことは無理だったろうし。
カチカチとヒマつぶしに携帯をいじっていると、すぐ横からテニスコートの金網の開く音がした。携帯を手にしたまま、そっちに顔を向ける。
「よ。早いな」
来たのは、もちろん、古賀だ。俺の明るい口調とは反対に、古賀は厳しい顔つきでこっちを見ている。携帯には松木からのメールが来ていたが、それは無視して携帯を仕舞った。
「何考えてんだよ」
俺が質問するより早く、古賀が顔と同じ厳しい口調で聞いてきた。
「なにって、なに?」
分かっているのにわざと俺が聞き返したことで、古賀はさらに厳しい顔をした。
「何で、宮瀬にあんなこと言った」
「何で古賀がそんなこと気にすんの? ただのバイトの友達っしょ? 気にする必要ないじゃん」
「ふざけんな」
質問に質問で返し、どんどん畳みかけるように言葉を続けると、古賀がそれを途中で止めた。腹を立てていることがありありと分かる顔つきで、古賀は俺のことをじっと睨んでいる。そういう古賀に、今は苛立ってしまう。何だって、ただのバイト仲間にそこまでするんだ。たとえ古賀が宮瀬ちゃんをバイト仲間以上に思ってたとしても、今のお前はそういうことする立場じゃないだろう。
「お前が宮瀬と永井さんのことで、何か言う理由なんてないだろ。不必要に、宮瀬を混乱させるな」
古賀は、いつだって宮瀬ちゃんの味方だ。こんな時でさえも。相手が、俺でさえも。宮瀬ちゃんが、どんなことをしていても。
それが、頭にくる。
「だから、何でお前がそんなこと言うんだよ。俺が宮瀬ちゃんのことどう思おうと勝手だし、そもそも、お前と宮瀬ちゃんは何の関係もないだろ」
珍しく俺が声を荒げたというのに、古賀は身体をぴくりともびくつかせない。代わりに、身体全体で怒りを表しているようだ。きつい視線が俺に飛んでくる。
「ああ。俺と宮瀬は何の関係もないよ。でも、俺が宮瀬と関係ないんだったら、お前は俺以上に宮瀬と関係なんてない」
こんなに冷たい声を、今まで古賀の口から聞いたことなんてない。それくらい、古賀が怒っていた。
前に思ったことがある。古賀は、頭が良い分、キレたら手が出る代わりに口で対抗するんだろうなって。自分の考えと正論叩きつけて、相手をへこませるんだろうって。本当に、その通りだ。
俺と宮瀬ちゃんの関係なんて、当たり前に、古賀以下で。古賀以上に宮瀬ちゃんと関わりのなり俺に、宮瀬ちゃんのことをどうこう言う理由なんてない。それは、俺が古賀に言ったことだ。ただ、それを分かっていても、今の俺はそれで納得なんてできなかった。
「そうだな。関係なんてないよ。けど、何か言われて仕方ないことしてるのは、宮瀬ちゃんだろ」
「お前は、何も知らないだろ。宮瀬のことも、永井さんのことも」
「知らねーよ。意味分かんねー。何で、そこまで宮瀬ちゃんばっか庇うんだよ。お前は、美香ちゃんの彼氏じゃないのかよ!」
古賀が、今の言葉に少しだけ反応した。
息を吸い込んで、さらに先を続ける。
「美香ちゃんがいるのに、よそ見なんかすんなよ。宮瀬ちゃんばっかに構うなよ。宮瀬ちゃんも、お前も、何も分かってない。お前らが変なことしてるせいで、悲しんでる人だっているのに、その人たちのこと、何も考えてない」
一気に続けて、息を軽く整える。古賀は、意味が分からないという顔をしていた。
何で分からないんだ。宮瀬ちゃんや永井さんが勝手なことしてる陰で、永井さんの奥さんは絶対に悲しい思いをしてる。古賀が宮瀬ちゃんばっかを見てるせいで、美香ちゃんが悲しい思いをしてる。
学園祭の日、古賀が倒れそうになる宮瀬ちゃんを抱きとめて、美香ちゃんの顔がかげった。宮瀬ちゃんを抱きしめたまま松木を咎める古賀を見て、美香ちゃんはそれから顔を逸らした。古賀は、そんなことに何一つ気が付いていない。挙句の果てに、美香ちゃんを置いて、宮瀬ちゃんのところまで来たりして。
「美香ちゃんのこと放ってまで、宮瀬ちゃんのところ来る必要あったのかよ」
ベンチに座ったまま、斜め前に立つ古賀を睨みつけて言う。古賀の目が、一瞬だけ細まった。
「あの時、宮瀬が変に足庇ってたから、様子見にいっただけだ。聞いたら、あいつ、少し捻ったって」
さっきよりは怒りの調子を落として、古賀がその時のことを説明する。
何だよ、それ。俺は、古賀が来る直前まで宮瀬ちゃんといたのに、そんなことまるで気が付かなかったっていうのに。俺だけじゃない。あの時あそこにいた全員が、そんなことに気付いていなかっただろう。それでも、古賀は気が付いた。あいつの目は、いつだって宮瀬ちゃんを追ってる。
そんなことまで知ってしまって、渇いた笑いをこぼしていたら、古賀がさらに先を続け出した。
「やっぱり、お前は、何にも知らない。宮瀬のことも、永井さんのことも。先に欲しがったのは、永井さんだ。離婚する理由だって、宮瀬のことが原因じゃない。もっと前から、それは考えられてた」
「誰が、そんなこと信じるっていうんだよ」
「信じないだろうな。お前は」
さっきのような、冷たい声が古賀から発せられる。二人ともがお互いを睨みつけて、その場から一歩も動かない。しばらくの沈黙の後、古賀がそれを破った。
「宮瀬のこと、どう考えようが、お前の勝手だよ。好きに考えればいい。けど、それを宮瀬に伝える必要なんかない。関係ないなんて分かってるなら、余計にだ。宮瀬を、混乱させるな」
それだけ言うと、古賀は俺の言葉なんか聞こうともせず、くるりと背中を向けてしまった。視線の先で、金網の扉がガシャンと音をたてて閉まる。
「だから、何でそこまでするんだよ」
誰もいないテニスコートで、苛立たしげに言葉を吐き出した。




