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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 21. 彩られる明日
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夕飯が終わると、渋る彼女に先に風呂に行かせ、こっちは食器を洗った。あらかた片付いたところで、寝室のクローゼットから彼女が着れそうな服を探し、彼女に一声掛けて脱衣所に置いておく。そこからリビングに戻ると、対面キッチンのテーブルに置きっぱなしになっていた鞄から携帯の振動音が聞こえてきていた。鞄から携帯を探し当て、画面を見てから通話ボタンを押す。



「何だ、村瀬」

『何だじゃねーよ。何回も掛けたんだぞ』



電話に出るなり、村瀬にぎゃあぎゃあと騒がれた。眉間にしわを寄せ、通話口を少し耳から離す。



「悪い。鞄の中に入れっぱなしだったから、気付かなかった」

『ほんっと、お前ってそういうの無頓着だよな』



不満げな村瀬の言葉は適当に流し、先を促しながらソファへと移動する。



『お前さ、今日ヒマ?』

「暇じゃない」



村瀬の誘いともいえる質問に即答で否定してやる。途端に、村瀬がまたむっとなった。



『何だよ。忙しいのか?』

「忙しくはないけど、暇でもない」

『何だよ、それ』



またしても村瀬がぎゃあぎゃあと騒ぎだす。



「わめくな。彼女が来てるんだ。暇なわけないだろ」

『え? 春希ちゃん、来てんの?』

「ああ」



村瀬の声音が一転した。声だけで、電話の向こうできょとんとしている村瀬が浮かんだ。



『あれ? でも、お前、春希ちゃんに教えてないんじゃなかった?』

「まあ、いろいろあってね」

『何だよ。教えろよ』



村瀬は俺が家を出たことは知っていて、さらに俺がそのことを彼女に教えていないことも知っていた。たぶん村瀬の頭にはたくさんの疑問符があるんだろうが、今それに答えてやる気はない。



「また今度な」

『まーたそうやって逃げる。じゃあ、明日な! 明日!』

「勝手に決めるなよ。彼女に聞いてもないのに」

『じゃあ、春希ちゃんにも聞け!』



勝手に話を進める村瀬に溜め息をついてしまう。彼女が俺の隣にいると思っている村瀬が通話口から『早く!』と急かしてくる。彼女がいる浴室の方向に目をやって、もう一度溜め息をついた。



「後で聞いておくよ。覚えてたらな」

『ちゃんと聞けよ!』

「はいはい」



息まく村瀬の言葉には適当に返事をして、電話を切った。小さく息をついて携帯をテーブルに置き、ソファに深く座った。

浴室の方からドアの開く音がして、少ししてから彼女がリビングのドアを開けて中に入ってきた。



「お風呂、ありがと」

「うん。やっぱり大きかったね」



俺の服を着てこちらに歩いてくる彼女を見て言えば、彼女も自分の格好を見直して、「そりゃあね」と苦笑いを浮かべた。彼女の着ているスウェットジャージの上はそうでもないが、下のスウェットズボンはさすがに大きかったようだ。明らかにぶかぶかだし、裾の部分は折り曲げてある。見れば、腰ひもも目一杯縛ってあるみたいだった。



「何か飲みたかったら、適当に冷蔵庫から取っていいから」

「うん。ありがと」



すぐそばまで来た彼女と入れ替わりにソファから立ち上がり、頭を一撫でしてから自分も浴室に向かう。村瀬の電話のことは、都合良く忘れることにした。

風呂からあがった後は、リビングでいつかのように交代で髪を乾かし合い、一休みしてからベッドに入った。



「なんか、久々に永井さんとゆっくりしたなあ」



ベッドで横になって、仰向けのまま顔だけをこちらに向けて、彼女が頬を緩めながら言った。俺は完全に横にはならず、肘を枕につけて彼女を見下ろした。撫でるように髪に触れると、彼女は気持ちよさそうに目を細める。



「毎週会ってたのに、変だね」



少しだけ自嘲の笑みを浮かべて続けた彼女に、「そんなことないよ」と返す。問い掛けの視線を投げかけられて、小さく笑みを浮かべた。



「俺も、久しぶりにゆっくりできたなと思ったし。会えるのは嬉しかったし、それで十分だと思ってたけど、やっぱり足りなかったなって思った。会うだけじゃ、駄目だったんだな」



言い終わると、彼女が嬉しそうにして笑った。

彼女の言葉と、同じ気持ちを持ったのは本当だ。会うだけでは、駄目だったのだ。一日のうち数時間しか一緒にいられず、いつも夕刻には別れていた。付き合っているくせに、その辺の高校生よりも行儀の良い付き合い方だ。それでも、どちらからもそれを破ることはしなかった。それは、両方ともお互いのことに、少なからず引っ掛かりを持っていたから。彼女は自分の立場と俺の立場を。俺は、彼女のことを。

彼女は、俺が自分よりも二人のことを考えていると言った。それは、合っているようで、違ってもいた。正確には、俺は彼女のことしか考えていない。彼女のことを考えるから、その他のことも自然と考えられていくだけだ。



「盲目的だな」

「え?」



以前に話をしたことのある院生の言葉を思い出して、無意識にそれが口をついて出る。言葉と同時に、先ほどの彼女のように自嘲の笑みが漏れた。彼女がそれに反応して「なに?」と問い掛けてきて、その笑みのまま首を横に振る。



「やっぱり、こうやってしたかったんだなって思って。会うだけじゃ、もう足りないよ」



嬉しそうに笑みを浮かべたまま、彼女が身体をこちらに寄せた。髪を撫でていた手を彼女の向こう側に置いて、そのまま覆いかぶさるようにして唇を重ねた。



翌朝、先に目が覚めたのはやっぱり俺だった。彼女はまだ気持ち良さそうに隣で寝息をたてている。彼女を起こさないようにベッドから抜け出てリビングへと向かい、朝ごはんを用意する。朝が弱いと言っていた彼女は、それからしばらくして「おはよう」と目をこすりながらリビングにやってきた。

用意した朝ごはんを食べ終え、いつ頃彼女の家に向かうかと相談していた時、リビングのテーブルに置いてあった俺の携帯が振動した。俺が携帯を取って画面を確認している間に、彼女は立ち上がって着替えを持って寝室へと戻っていった。振動音は電話着信で、その相手は院生の木田だった。



「もしもし?」

『せんせい! どうしよう!』



電話に出るなり、通話口から木田の泣きそうな声が聞こえてきて、何事かと思う。よく聞けば、木田の後ろからも他の院生の焦った声がしていた。



「どうした?」

『研究室のパソコンがいきなり止まって、データが出てこない! っていうか、画面が映んない!』

「は?」



木田はどうしよう、と泣きそうな声で繰り返す。

研究室には院生が使えるパソコンが一台あり、研究室の資料を使いながら作った資料やレポートをそこに保存している。俺は自分のパソコンがあるからデータの心配はいらないが、普段からバックアップをとっていない木田のような院生には死活問題だ。



「学生部の方には連絡したのか?」

『したけど、何の対応もしてくれない!』



管理部門というところは、いっこの研究室の一台のパソコン程度では、どうもなかなか腰を上げてくれないらしい。

木田の答えに小さく溜め息をついて、ソファから立ち上がった。ちょうど着替えた彼女が寝室から戻ってきて、何だというように首を傾げた。俺も寝室の方に移動しながら、木田と会話を続ける。



「今から行くから、もうあんまり触るなよ」

『早く来てくださいよ!』



携帯を切って、未だ首を傾げている彼女の前に立った。



「ごめん。研究室の方で、何かパソコンが止まったらしいんだ」

「え、大丈夫なの?」

「直らなかったら、一部の院生は一から作り直しだな」

「うわ……」



顔を引きつらせる彼女に苦笑いを返し、俺は寝室に入っていく。

クローゼットから服を取り出して着替え、デスクの引き出しから鍵を一つ取って、鞄と一緒に寝室を出た。彼女の方も、出掛ける準備が済んでいる。



「これ」



差し出した鍵を見て、彼女が首を傾げる。



「部屋の合鍵。俺が遅かったら、入れないでしょ」

「あ、そういうことか」



今気がついたという顔で納得して鍵を受け取る彼女に呆れてしまう。



「まさか帰るつもりだったわけじゃないよね?」

「え。いや、何か大変っぽいから、帰ってた方がいいのかなと思って」

「学生部をせっついてくるだけだから、そんなには遅くならないよ」



へらっと笑う彼女に呆れた口調で返し、彼女と一緒に部屋を出る。

彼女を駅まで送り、俺は大学へと向かった。






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