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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 18. きたないハート
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***



「好きだから焼きもちやくのも分かるけど、行き過ぎってよくないよね。そう思うでしょ、先生も」

「え、あ、うん」

「もー、ちゃんと話聞いてよー」



目の前に座る生徒に、ちょっとストップと手をかざしてしまう。反対の手でこめかみを押さえ、じんわりと残る頭の痛さに耐える。昨日のアルコールが、まだ抜けきっていない。



「ストップじゃなくて、先生もそう思うでしょ!」

「はいはい、そうですね」



毎度のことのように、今日の授業でもこの女子生徒の恋の相談に付き合わされていて、流すようにして聞いてぱらぱらと教材を捲った。



「あ、でも、先生ってすごい冷めてそうだから、嫉妬とかしないタイプだろうね」



私の心を読んだかのように言われて、思わず顔が引きつってしまう。生徒がそれを見て、「当たりだー」と喜んだ。



「どうせ嫉妬なんかしない人間ですよーだ。そんなこと言うヒマがあるんだったら、次はここやろうかな」



生徒が苦手としている範囲の発展問題のページを開いてやり、軽い仕返しをしてやる。「やめてー」と叫ぶ生徒は無視して、椅子から立ち上がった。いつものように壁に寄りかかって辺りを見回すと、ちょうど向かい側の席で授業をしていた古賀さんと目が合った。今の会話を聞いていたのか、にやにやと笑ってこちらを見ている。何だと目で問うと、何でもないというように肩をすくめて返され、生徒に呼ばれたらしくひょいっとパーテーションの影に隠れてしまった。

問題を解く生徒を見ながら、確かに自分は嫉妬するタイプではないと再確認した。そう思ってはいるけど、それに似た感情を持つことはある。永井さんが他の人に誘われそうになったと聞かされたときは普通に嫌だと思ったし、それとは少し違うけど、古賀さんに彼女ができそうと思ったときも、何となく嫌な感じはした。ただ、それは嫉妬というか、安心に繋がる人がいなくなってしまうという恐れからくるものなんだと思う。自分でも意味不明だなと思うけど、どうしても古賀さんがいなくなることだけは嫌だった。


いつものようにバイトを終えると、私と古賀さんだけが駐輪場に残った。他のみんなはご飯を食べるといって、バイトが終わるとさっさとどこかに行く。これもいつも通りのことで、私と古賀さんは定位置に着いてあれこれと話をしていた。



「あー、やっと頭痛いのなくなった」



原付に座りながらぐーっと腕を伸ばして言うと、ペットボトルのお茶を飲んでいた古賀さんは何のことだと顔をこちらに向けた。それに気がついて、へらっと笑みを返した。



「昨日、ちょっと飲みすぎた」

「珍しいな。お前が飲み会以外で飲むなんて」



本当にそう思っているような口調に、「まあね」と苦笑いで返す。古賀さんの言う通り、アルコールがそこまで好きじゃない私が飲み会以外でそれを飲むのは珍しいことだ。



「ほんとは一杯だけにしようと思ってたんだけど、相手につられて」

「誰と飲んだんだよ」



古賀さんがおかしそうに笑う。私もそれに合わせて笑いつつ、どうしようかと考える。はたして昨日飲んだ相手が村瀬健吾だと言って、それを信じてもらえるだろうか。しかも、その人が永井さんの友達だなんて。

悩む私を見て、古賀さんがどうしたという風に私を見てきた。少し悩んだけど、言っても支障ないだろうと結論付けた。



「村瀬健吾だよ」

「なにが?」

「昨日一緒に飲んだ相手」



古賀さんが何度も瞬きをする。一生懸命私が言ったことを理解しようと頑張ってるのが目に見えて、その様子が面白い。



「……え?」



やっと出てきた言葉も、私の言葉を聞き返すもので、それが余計に古賀さんの動揺を表していておかしかった。



「嘘じゃないよ。なんか、永井さんの友達なんだって」

「……まじ?」

「まじまじ」



何度も頷いて答えると、古賀さんもその言葉を本当だと受け取ったみたいで、何とか私の言葉を飲み込んだようだった。古賀さんは感心したように息をついて、持っていたお茶をもう一口飲んだ。



「お前、サインとか貰ってないの?」

「忘れてた」

「忘れんなよー」



自分だって村瀬健吾のことは『そこまでだった』とか言っていたくせに、私が会ったとなると何かしら見せてほしくなったらしい。

昨日のことを思い出すと、自然と村瀬健吾が言った言葉も思い出された。



『万里ちゃんいないんだから。どうせ、家帰っても一人だろ』



それを聞いて申し訳ないような、嬉しいような気持ちになって、それに気がついて、そう思った自分に呆れた。私は、そんなことを思える立場ではない。そんな考えが何度も繰り返されて、何度も自分に呆れて。その度に、永井さんに気持ちが向いてるのだと実感させられた。そんな変な気持ちが、小さな黒い塊となって、私の中に居座っている。



「何かあったのか?」



原付に座ってぼーっと地面を見ていると、向かいから古賀さんの声が聞こえた。顔を上げると、さっきの表情とはまったく違う、真剣な目でこちらを見ている古賀さん。すぐに『何でもないよ』と答えそうになって、やめた。古賀さんに言わなくて自分の首を絞めたことは、今までに何度もある。古賀さんも、言わないより言ってくれた方がいいと言ってくれた。



「……永井さんの奥さん、家から出てっちゃったんだって。離婚の話したその日に」



古賀さんは何も言わない。それを良いことに、私は話を続けた。



「昨日それ聞かされて、何かいろんな考えがぐちゃぐちゃになって。申し訳なくなったり、ちょっと嬉しくなったり、それで、自分に呆れたり。永井さんは気にしないでって言ってくれたけど、それも完全には無理だった」



一気に話したいことだけ言ってしまって、ふーっと一つ息をついた。古賀さんから返ってくるのがどんな言葉でも、言えただけでも少し楽になった。今は自分でも言葉に表せないくらいごちゃごちゃとしていて、それが少しでも外に出た分軽くなった気がする。



「いいんじゃない? 永井さんの言った通りにすれば」

「言った通りって?」



全部言い終わったのを待って、古賀さんが言った。その言葉の意味が分からず、首を傾けて古賀さんのことを見た。古賀さんは肩をすくめて、お茶を飲む。



「気にしないでいいんじゃないかってこと」

「できたらいいんだけどね」

「まあ、だろうな」



苦笑いを漏らす私に、古賀さんが当たり前のようにして返してきた。



「今ん所は、お前と永井さんの結婚してる人との間に何の接点もないんだから、変に気にすることないんだよ。それでも何か頭の中ごちゃごちゃするなら、そうなった時にまた言え」

「え?」



最初の部分は分かったけど、最後の部分の意味が分からなくて聞き返してしまう。こちらを向いた古賀さんは、何でもない顔をしてるけど。



「言えば少しは楽になるだろ。納得できないこと考えてるなら、それを外に出した方が楽じゃないか?」

「あ、うん」

「じゃあ、そういうことで」



びっくりするくらい簡単に言われて、流れで頷いてしまった。私が今の流れにぽかんとしていると、古賀さんが呆れたような顔をしてきた。



「どんな顔してんだよ」

「え、だって、」



そんな簡単に解決されるなんて思ってなかった。そう思っていても、それを口には出せないでいて、ぽかんとしたまま古賀さんを見る。古賀さんは立ち上がって自転車に近付く。



「納得できないことも言い続けたら、少しはどうでもよくなるだろ」



そう言われて、夏休みが終わった頃のことを思い出した。今もだけど、留学とか彼氏のことでもっと古賀さんに愚痴っていたのは、その頃だった。あの時は、正直これ以上怒れることはできないというくらい彼氏のことに腹を立てていて、何度も同じような愚痴を古賀さんに言っていた。それでも、今はその時ほど腹を立てることもない。もうだいぶ諦めがついたというのもあるんだろうけど、やっぱりあの時に古賀さんに愚痴を聞いてもらっていたというのが大きい。

それと同じことを、古賀さんは言っている。



「おい、帰るぞ」



すでに自転車の鍵を開けている古賀さんが、何も準備をしてない私に声をかけてきた。



「あ、うん」



私も慌てて原付のキーを取り出して、鍵穴に差し込んだ。二人ともの準備ができて、それぞれ自転車と原付に乗る。



「じゃあな」

「うん。ありがと」



自転車を漕ぎ出す前にそう言えば、古賀さんはどういたしましての代わりに片手を上げて、自転車を漕ぎ出した。古賀さんがいなくなっても、私はしばらく原付に乗ったままでいて、古賀さんの言葉を思い出していた。簡単にああいうことを言ってくれる古賀さんはやっぱり優しくて、古賀さんがいるから何かあっても大丈夫だと思えるんだろう。嫉妬とは違うけど、古賀さんがいなくなることは、やっぱり考えたくない。こんな変な考えを誰かに言えるわけもなく、自分の中だけに仕舞って、私も原付を出発させた。







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