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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 13. どうしたって変われない
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『帰ってきたら、話したいことがある』



万里子にそう伝えて、今朝は家を出てきた。

土日に行われる学会には、金曜の今日から現地入りするつもりだった。彼女の通う大学で授業を終えて、その足で学会が開かれる県に向かう。先週から、彼女には連絡を入れていない。自分の考えも、彼女にどうしてほしいかも、あの時に伝えた。だから、それ以降に何かを彼女に伝える気はなかった。決めるのは、彼女だ。

万里子が、今朝の言葉を理解しているかどうかは知らない。正直、彼女に会ってからだって、今までと変わりなく生活してきた。指輪も、家ではしている。家を出てから、市役所に行って、必要な書類――離婚届を貰ってきた。

明日、彼女が来ようが来まいが、学会から帰れば、万里子にそれを伝えるつもりだ。原因は、彼女じゃない。それをはっきりさせておきたくて、先に示唆した。起因になったのは、彼女との付き合いかもしれない。ただ、それは本当にきっかけにしか過ぎなかった。

最近になって、学会等の研究会に呼ばれることが多くなった。教授のツテという部分も少しはあったが、それよりも純粋に研究が評価されていることの方が多い。以前に書いた論文が、学術誌にも載っていた。研究者の身とすれば、それは嬉しいことだった。それなりの評価が与えられれば、自身の研究を深めようとも思う。実際、今はそうなっている状態だ。俺はそれが楽しくもあり、嬉しくもあった。ただ、万里子はそうでもない。俺が休みの度に書斎にこもるのを嫌がるし、長期や遠出の学会に出ることも嫌がっている。明日のような、たった二日の学会であったとしても。

別に書斎にこもらなくても、リビングでやったって構わないが、そうすると万里子があからさまにつまらなさそうにするので、それを見たときからリビングでやるのを止めた。遠出の学会も、年に一、二回しか行かないようにしている。だが、今はそれも難しくなってきていた。呼ばれることが増えれば、長期休暇に短期研究員としてどこかに行く可能性も出てくる。そうすることで、自分の研究を深めることもできるのだ。今の自分はそれが楽しいし、研究員となればそれなりに給与も出る。

結局、彼女が現れなくても、どのみちこうなっていたのだろう。この先も万里子と生活していくことが、考えられなかった。自分の出来ることを精一杯やっている彼女を見て、その考えが強くなっただけに過ぎない。要は、自分のやっていることを快しとしていない万里子と、これからも暮らしていくことが無理なのだ。きっと、俺はこれからもっと研究にのめり込んでいく。そうなれば、万里子との間に何らかの溝が出来るのは目に見えている。それなら、そうなる前に、適当な措置を取りたい。


現地に着いたのは、5時過ぎだった。それから市内を少し走って、予約してあるホテルに向かった。

予約したホテルは、市内のほとんど中心部にある。別に会場から近い駅前のビジネスホテルや会場となるホテルでも良かったんだが、そこだと他の教授たちとかぶりそうで止めた。ここから車で会場に行っても、そんなに時間は掛からない。それに、と思う。もし、彼女が来たときに、他の教授と鉢合わせすることは避けたかった。



「すみません。予約した永井ですけど」



ホテルに着いて車を駐車場に入れ、ロビーのフロント係に名前を告げる。フロントは顔に笑みを浮かべていたが、俺の名前を聞きカウンター内のパソコンを操作した時に、その顔が申し訳なさそうなものに変わる。何だと思って話を聞けば、どうも予約しておいたシングルの部屋が現在使えない状態になっているらしい。週末ということもあり、シングルは他に空きがないというので、ダブルの部屋でも良いかと聞かれた。こちらとしては、何も問題ない。シングルの料金で、広い部屋とベッドが与えられるのだ。俺がそれで構わないと言うと、フロントはもう一度俺に頭を下げ、部屋のカードキーを差し出した。

ベルボーイに案内され、部屋へと向かう。一通り部屋の説明を受けて、荷物をクローゼットの中に仕舞った。部屋には広めのダブルベッドと、テーブルとセットになった椅子、窓に近い方には長ソファがあった。これでシングル料金なら得した気分だ。コートやマフラーもクローゼットに仕舞い、ソファに座って携帯で電話を掛ける。しばらくコール音が続いた後に、留守番サービスの音声案内に繋がった。それを聞いて苦笑いを漏らし、携帯を切る。どうやら、彼女は電話に出てくれはしないようだ。代わりに、ホテルの場所と部屋番号をメールする。

メールを送ると、今度は鞄からパソコンを取り出し、部屋に設置されているLANケーブルと繋いだ。発表用の資料は作ってあるが、もう少し詰めようと思って持ってきたものだ。何か追加があれば、明日会場でプリントアウトすればいい。それからは、夕食までそうやってパソコンと向かい合っていた。


夕食は、ホテル内のレストランで済ませた。レストランから部屋に戻る途中、万里子から携帯に電話が入って、「着いたなら連絡して」と少し怒った口調で言われた。ホテルに来てからパソコンとしか向かい合っていなくて、そのことを忘れていたと伝えると、怒りにプラスして拗ねられる。とりあえず謝っておいて、携帯を切った。

部屋に戻ると、また携帯が鳴る。面倒だと思いながら、画面の表示も見ずに出ると、掛けてきたのは村瀬だった。



『お前、どこのホテルにいんの?』

「なんだよ、いきなり」



電話の向こうからは、村瀬の声の他に何やら騒がしい音もする。理由も言わない村瀬に、面倒だと思いつつも、ホテルの名前と部屋を教える。それを聞いた村瀬は『わかった』とだけ言って、携帯を切ってしまった。



「何なんだ」



勝手に切られた携帯を見ながら呟く。これからどうしようかなと考えながら、テレビの電源をつける。どうせ何もやることがないので、そのままテレビを見ることにした。


それから一時間ほどして、部屋がノックされた。怪訝に思いながらドアを開けると、そこには村瀬が立っていた。コンビニの袋に入れられた大量のビールと共に。こいつ、このままホテル入ってきたのか。



「何やってんだ。こんなところで」

「何やってんだじゃないよ。何やってんだじゃ」



ドアノブに手を掛けたまま尋ねれば、村瀬が呆れともとれる声音でそう返してきた。意味が分からず顔をしかめる。



「お前が何やってんだよ。お、ま、え、が」



一語一語切るようにして、若干大きめな声で言われる。廊下で騒がれても面倒なので、部屋に入れることにした。



「何なんだよ、ほんとにもう」



部屋に入った途端、いきなり怒ったように言いだす村瀬。『何なんだ』はこっちのセリフなんだが。

村瀬はビールの入った袋をテーブルに置き、ソファにどすんと座った。俺は村瀬の後ろを歩いていき、テーブルとセットの椅子に座る。



「だから、何しに来たんだよ」



袋からビールを一本取り出して、ふたを開けながらもう一度尋ねる。



「こんなメール見たら、来るの当たり前だろ」



そう言って、俺に自分の携帯を投げてよこす。それをキャッチしてメール画面を開き、自分の名前が書いてあるメールを開いた。



「ああ」



ついこの間送ったメールを読んで、状況を何となく理解する。



「ああ、じゃないよ」



村瀬もソファから手を伸ばし、ビールを取る。



「何やってんだよ、ほんとに」



ビールを開けながら、村瀬が情けない声を出す。俺はそれに肩をすくめるだけで返し、ビールを缶のまま一口飲む。

村瀬の言っているメールは、俺がこの間送ったものだった。



「『何かしでかした』って、何やったんだよ。お前」



ビールは開けたものの、それを飲まずに村瀬は聞いてくる。

このメールは、二週間前に送ったものだ。彼女に車の中で口づけた日。あの後、家に帰る道すがら、このメールを村瀬に送っていた。すぐに電話が掛かってきたが、それは取らずに、後に送られてきた何通かのメールも無視していた。



「特には何も」

「嘘つけ」



やっとビールを飲み始めた村瀬がそう言って、こちらを睨んできた。ビールを何口か流し込み、村瀬の方を見る。



「キスだけ」

「はあ?」

「でかい声出すな」



大きな声で間の抜けた声を出す村瀬に顔をしかめる。村瀬はビールを飲んでいた手を止めて、目を開いてこちらを見ていた。そんな村瀬は気にせずに、ビールを飲む。



「え、え? 何やってんの、お前」

「今言ったよ」



来てから何回目か分からない質問をする村瀬。その問いかけに、素っ気なく答える。



「どうすんの?」



缶を手にしたまま、ぼけっとした顔で村瀬が言った。村瀬が言っているのは、たぶん、万里子のことだろう。



「別れるよ。書類も貰ってきた。ただ、彼女が原因じゃない」



それを聞いて、村瀬が複雑な表情を浮かべる。そんな村瀬を見て、小さく息をつく。それから、指輪をしていない俺に気がついたようで、呆然として俺を見てきた。



「どっちにしろ、限界が近かったんだ。最近、研究が認められてきて、学会なんかも増えてきた。このまま続けても、どこかで破綻してたよ」



携帯を村瀬に投げ返しながらそう言う。携帯は上手いこと村瀬の隣に着地して、村瀬はそれを手に取ることなく、俺のことをぼけっとした目で見ていた。そして、少しして溜め息をつく。



「結局、お前って変わってないのな」

「何が?」



村瀬の言葉の意味が分からず、ビールの缶を傾けながら聞き返す。村瀬も勢いよくビールを一口飲んで、口を開いた。



「女より、自分のこと優先だろ。今も、大学の時も」

「ああ……。優先ね……」

「まあ、ちょっとニュアンスが違うけど」



そう言って、村瀬はまたビールを飲む。村瀬の言う、大学の時のことを思い出して、自然と口の端が上がった。

大学の最終学年の時に、付き合っていた人がいた。2回生の時から付き合っていて、周りからも認知されていたほどだ。このまま何となく続くだろうなって思っていた最終学年。彼女は就職へ。俺は、大学院に進むことにしていた。そこで、亀裂が生じたのだ。俺は自分が大学院に進むことを彼女に言っていなくて、それが発覚した時に『どうやって二人で暮らすのか』と責められたことがあった。彼女の中では、なぜか卒業後は二人で暮らすことになっていて、院に行くのは止めろと強要された。院に行って勉強を続けたかった俺は、そこで別れを切りだした。最終学年ということもあり、散々揉めたが、結局は別れた。



「自分のすることを認めてない人間とは、続かないだろ」

「まあねえ」



暗に今の万里子とのことを言うと、村瀬はもう何とも思っていないような口調で返してくる。そこで、俺ももうそのことは口にせず、いつものように村瀬と飲んで、喋ることにした。



日付が変わろうとする頃に、村瀬がソファで横になりだした。



「おい、寝るなよ。俺、明日朝早いんだ」

「大丈夫。俺もお前と同じ時に出るから」



それを聞いて、溜め息をつく。



「明日も暇なのか?」



寝転がりながら、村瀬が聞いてくる。



「……分からない」

「今の間はなんだ。今の間は」



閉じかけていた目を開けて、ぐいっと顔をこちらに向けてくる。その視線に、もう一度溜め息をつく。



「彼女が来るかもしれないんだ」

「……え? 彼女って、春希ちゃん?」



頷いて答えれば、村瀬が何とも言えないような顔をする。



「まだ分からないけどね。泊まってるところ教えただけだから、来るかは彼女次第だ」

「来たらどうすんの?」

「さあね」



村瀬の質問には曖昧に答えておいて、最後の一本のビールを飲み干す。空になった缶をテーブルの上に置き、テーブルから離れた。



「おい、」



後ろから村瀬が声をかけてきたが、それには後手を振って、バスルームへと向かった。






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