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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 31. それは恋だった
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宮瀬が徐々に顔を上げて、宮瀬の頭に乗せていた手が宮瀬の後頭部を伝ってゆっくりと下りていく。肩に止まった手はそのままで、こっちを見上げてくる宮瀬と目を合わせた。宮瀬の目は、やっぱり、涙で濡れていた。



「ずっと、ずっと、古賀さんに頼ってきたのに。いつだって欲しい言葉をくれたのは、古賀さんなのに。いつだって安心させてくれたのは、古賀さんなのに。古賀さんがいるだけで、大丈夫だって思えてたのに。なのに……、」



宮瀬は一瞬だけ目をつむって、俺から視線を外す。それから、何かを決心したように息をついて、また俺に視線を戻した。その目は、未だに濡れている。



「それとは別のところに、永井さんがいる。古賀さんとは違う場所に永井さんがいて、心にいるのは、永井さんなの」



宮瀬の目から頬に掛けて、涙が伝わった。



「永井さんがどこかに行くと思うと、どうしたらいいか分かんなくなって、行かないでほしいって……っ」



また俯いて、言葉を切る宮瀬。肩を震わす宮瀬の頭にまた手を乗せて、ぽんぽんと何度か軽く叩く。



「どこにも行かないよ。永井さんは」

「でも、」

「大丈夫。あの人は、お前を悲しませたりなんかしないから。いつだって、お前のことしか考えてないから」



それでも、宮瀬は首を横に振る。また、何かあったんだろう。それを言わないのは、宮瀬なりの優しさなのか。

言わなくたって、俺には分かってしまうのに。宮瀬に、何かあったことくらい。些細な表情か言動の一つだけで、それが分かってしまうほど、俺たちは近くにいたんだから。

頭に置いていた手を宮瀬の頬に滑らせて、もう片方の手でも反対の頬に触れて、宮瀬の顔をぐいっと上げさせる。驚く宮瀬に、小さく笑いかけた。



「俺を信じろ。永井さんのことも。あの人は、お前から離れたりなんかしない」



真っ直ぐに見据えて伝えた言葉に、宮瀬はようやく頷いた。

触れていた手を離すべきなのに、それができない。宮瀬は何も言わずに、俺を見上げている。一瞬だけ目を閉じて、目の前にあった涙を溜める宮瀬の顔を真っ暗にして隠す。一つ息をついて、もう一度目を開けた。今度は目を閉じず、こつんと宮瀬と俺の額同士を合わせる。



「俺は、宮瀬が好きだったよ。やる気なさそうにする宮瀬も、愚痴言う宮瀬も、笑った宮瀬も、全部が好きだった」



頬に流れる涙を気にすることなく、俺と宮瀬は今までにない近さで目を合わせ続ける。



「心配しないで、永井さんのところに行け。永井さんと宮瀬がそうなっても、俺は、変わらないから。俺と宮瀬は、変わらない」

「そんなの、」

「未練とか、お前が心配だからとかじゃない。俺がそうしたい。友達として、信頼できる人間として、宮瀬以上に俺に近い人なんていないんだ」



震える声で否定しようとした宮瀬の言葉を、途中で止めさせる。

やせ我慢なんかじゃない。もし、俺がどん底に落ちてしまったら、頼る人は、きっと宮瀬だ。



「お前はあんだけ俺を頼ってたくせに、俺がやばい時は助けてくれないのか?」

「そんなことないよ。でも、」



わざと皮肉を持ちかけても、宮瀬の泣き顔は変わらない。首を横に振ったものの、何かをせき止めていた。



「でも、じゃない。それでいいんだ。俺とお前は、友達だ。一番、近い、友達。何があっても、俺は宮瀬の味方だ」



宮瀬がぎゅっと目をつむって、涙を溢れさせた。



「でも、少しだけ、時間くれ。これからも、お前の味方でいる。だから、そうなるための、時間をくれ」



目をつむったまま、宮瀬が頷いてくれた。同時に、気が抜けて、息が漏れる。それに気付いた宮瀬が目を開けて、逸らさないままでいた俺と、再び目が合った。俺と宮瀬はまだ額をくっつけたままでいて、二人の距離は今まで一番の近さだった。

横の道路を通る、車の音がする。たまに吹く風が、宮瀬の髪を揺らす。

二人の距離が近付いて、ゆっくりと唇を合わせた。

触れ合うだけのそれに、涙が出そうになる。これくらい、永井さんも許してくれるだろう。このキスは、始まりじゃない。このキスに、先の続きはない。このキスは、今までを終わらすキスだ。明日からは、また、新しい俺と宮瀬でいる。



「……帰るか」



二人の距離が離れて、俺は宮瀬の頬から手を離して、また元の距離に戻った。宮瀬の涙は、止まっていた。俺も、泣いてはいない。

頷いた宮瀬が、止めてあった原付まで歩いていく。鍵を差して、中からヘルメットを取り出して、俺の方を見た。俺は、自転車に鍵も差してなければ、自転車の隣にも立っていない。



「お前が事故らないか見とくから」



笑って言えば、宮瀬も「何それ」と笑った。

俺がその場を動こうとしないのが分かったのか、宮瀬はおかしそうに笑ったまま、ヘルメットをかぶってスターターを押した。エンジンが始動して、もう一度宮瀬がこっちを見る。



「じゃあな」



手を上げて言えば、宮瀬も手を上げる。軽く手を振り合って、宮瀬が俺の目の前を通り過ぎていった。

道路沿いに顔を出して、宮瀬の原付が走っていくのを見る。宮瀬の原付はどんどん遠ざかって、ついには俺の目で判別できない距離まで走っていった。

さっきまで座っていたベンチに戻り、深く息をはく。涙は出ない。泣くかと思ったけど、自分でも驚くくらい、すっきりしていた。悲しいといえば、悲しい。それを癒すために、時間が必要なだけだ。

宮瀬も、俺を必要としていた。宮瀬が、自分で決めた。誰が必要かを。それがはっきりしただけで、俺の心は救われる。

永井さんに、電話なんかしてやらない。自分の気持ちを伝えたあの電話が、最後の優しさだ。宮瀬を引きとめたいなら、永井さんがしないと意味がない。



「好き、だったよ」



恋だった。あの時、宮瀬と過ごしていたあの時が、俺の恋だった。

呟いた声は夜の空気に消えていって、見上げた空に浮かぶ月は不格好な形だったけど、雲が掛かることなく、きれいだった。







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