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これは恋なんだけど  作者: 空谷陸夢
Story 4. 抵抗しない何よりの理由
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***



「ふーん。それはまあ、いろいろあるねえ」



彼女の学校から二駅先にあるカフェで彼女のこれまでの経緯を大まかに聞かせてもらって出た言葉がこれだ。

事のきっかけとなったのは、学校で行われている交換留学だという。彼女は長い間夢にみていた留学を叶えようと、試験を受験した。そして、彼女を追いかけるように彼氏も時を同じく試験を受験。結果、彼女は合格ラインを超えることができ、留学試験に合格。彼氏の方はぎりぎりラインには届いてないものの、一応面接の段階まで進んだらしい。そこまでなら良かった。

彼女は面接も合格し、さあいよいよ準備だ、というところで、経済面での問題が浮上。どうにもこうにもいかないお金の問題により、彼女は留学を辞退。その一方で、学力的にいまいちだった彼氏の方は学校側の助力で留学。そして、元から友達の少ない彼女は、そのごたごたの事情を知る人間も少なく、遠慮なしに彼氏との進行具合を聞かれている。彼女のバイトの仲間は彼女の境遇を知って、何かと気を使ってくれているが、かえってそれが事情を知らない知り合いたちから非難されるらしい。

それでもって、彼女が目標にしていた留学を、さも自分の目標にしていたかのように話す彼氏に彼女は腹をたてていて。しかし、残念ながらこの事情を知る人間も少なく、周りの人間からは彼女が彼氏を追いかけていると思われている。

この彼女をいらだたせる原因の二つが、今日はいっぺんに起こってしまって、いらだたしさを抑えきれなかったのだと、今目の前に座っている彼女は言った。



「いろいろあるんですよ」



俺の言葉を聞いた彼女は、そう返してきて、テーブルに置いてある紅茶のカップに手を伸ばした。

『ここのカフェの紅茶は最高だ』と、彼女に言われ、普段はコーヒー派な俺も紅茶を頼んだ。確かに、ここの紅茶は他のどの紅茶よりも美味しい気がする。まあ、今まで飲んだことのあるものがティーパックだけだというのもあるんだろうが。

どこかに行こうと提案したものの、授業のために毎週一時間半かけて車でここに来ている俺には、話をするための適当な場所が思い当たらず、代わりに彼女がここを提案した。最近のお気に入りらしい。彼女の大学圏からは二駅分離れているが、彼女はよく一人でもここまで原付で来ているようだ。

原付で学校まで通う彼女とは、大学の近くの商業施設で待ち合わせた。教えてくれれば家まで迎えに行くと言ったのに、彼女は『説明するのが面倒』と言って、そこでの合流を指定した。



「うーん。まあ、他人の俺にはあんまり突っ込んだこと言えないけど、君はずいぶん我慢してるね」

「ん?」



彼女は飲んでいた紅茶のカップから口を離さず、視線を俺の方に向ける。



「だって、俺だったらあんな無遠慮なこと言われて、愛想笑いして交わすなんて無理だし。普通にキレちゃいそう」



そう言うと、彼女はおかしそうにははっと、声をあげて笑った。そしてカップを一旦テーブルに置き、学校でのように肩をすくめる。



「いちいちキレてたら面倒でしょ? 何回も言われてたらさ」



そうやって、何でもない風にして、彼女は言った。そんな言い方こそ、彼女が毎回キレそうになってるのを示してると思うんだけど。



「そんなにストレス溜まることあるんだったら、誰かに言わないと。そのうち頭の血管切れるよ」



俺の冗談を聞いて、彼女はますますおかしそうに笑った。



「大丈夫だよ。ちゃんと相談相手はいるから」



ひとしきり笑った後に、両手をぶらんと伸ばした足の上に乗せて言う彼女。



「そう? ならいいけど」

「うん」



彼女の答えを聞いて、少し安心する。あんなことがしょっちゅう起きていたら、ストレスなんて溜まる一方だろう。

まあ、はけ口があるなら良かった、と思って、俺も目の前に置かれている紅茶に口をつける。コーヒーとは違った柔らかい苦味がのどを通っていって、紅茶もいいな、なんて思う。そしたら、前から「ほんとにね」という声が聞こえて、ふいっと顔を上げる。



「何がほんとに?」

「え?」



彼女はまさか俺に聞こえているとは思ってなかったようで、驚いた顔をして俺の方を見返した。俺はカップをソーサーに置いて、彼女を見る。



「今『ほんとにね』って言ったでしょ?」

「え? ああ、うん」



聞かれるなんて思ってなかったのか、彼女は歯切れの悪い返事をする。別に責めてるわけじゃなくて、単にどういう意味か聞きたかっただけなんだけど。

彼女が落ち着きなく目を泳がせてるのを見ながら、俺はテーブルに肘をついて顎を手に乗せる。

午後の三時過ぎだけど、平日だからか、客足はまばらだ。近くの席には人もいないし、俺が彼女をじっと見ていたって不審に思う人もいないだろう。彼女が口を開くまでずっと見ていようと勝手に決めて、手持ちぶさたな左手で紅茶を一口飲む。



「……たぶん聞いても面白くないよ」



少しして、彼女も俺が視線を外さないことに気がついたのか、俺を見て困ったようにそう言った。



「別にいいよ。聞きたいと思ったのはこっちなんだから」



今度は俺が肩をすくめて答える。

彼女は俺の答えを聞いて諦めた様子を見せ、話す前に自分も一口紅茶を飲む。



「相談相手っていうのが、すごく良い人なんだ。私が何回も同じような愚痴言ってるのに、いつだってちゃんと聞いてくれるし。あっちとの電話でむかついて、いらいらしたの全部吐き出しても、ちゃんと聞いてくれる。……いつも、味方になってくれるんだよ」



彼女はそこで言葉を切って、もう一度紅茶を飲んだ。

最後の言葉には、少しだけ罪悪感があるように聞こえた。その相談相手を味方につけてしまって申し訳ないと思っているんだろうか。というか、『味方にしかできない状況にして』かな。

彼女と話していて、いくつか気付いたことがある。

彼女は彼氏のことを『彼氏』とはあまり言わない。『あっち』とか『あの人』という言葉を使う。それは、彼女が彼氏を遠ざけていることを示しているんだろうと思う。

彼女は、たぶん、今現在では彼氏と連絡を取り合いたいとは思っていない。できるなら、なるだけ遠ざけときたいって感じだ。けど、それを彼氏が分かってくれることもないだろうなあ、とも思う。勝手に留学しといて『さみしい』とか言うくらいだからな。

そして、彼女は、その相談相手のことをかなり信頼している。じゃないと、罪悪感なんて出てこない。

俺は、一旦テーブルから肘を離し、彼女と同じように手を足の上に放りだす。



「もし、その相談相手に話すのがはばかられるんなら、いつでも聞くよ」

「……え?」

「さっきのこと以外にも、あるんじゃないの? キレそうになったこと」



そう言うと、彼女は気まずそうに視線をそらした。



「別に最近のことじゃないし」

「うん、いいよ」

「ていうか、もう相談相手に話した」

「うん、いいよ。まだ収まってないんでしょ?」



彼女は視線を俺に戻し、少しむっとした様子で俺を見てきた。



「君があれくらいのことでキレたってことは、元から溜まってたものがあったんじゃないの。それくらいは、何となく分かるよ。君の名前覚えてたくらいなんだから」



そう言えば、彼女は拗ねたように下唇をほんの少し突き出した。

厄介なことに、大勢の学生の中で特定の学生を覚えると、自然とその学生を目で追ってしまう。そうして、何となくその学生の様子をうかがってしまう。『今日はまだ来てないな』とか『ああ、今日はいつにもまして眠そうだ』とか『今日はいらついてるな』とか。

だから、普段なら皮肉の一つか二つでやり過ごせる場面を、あんな風にキレたってことは、そうとう何かが溜まってたんだろうなとは想像がついた。

彼女はまだ拗ねた表情で俺を見ている。そういえば、授業でもたまにこんな顔してたな。友達がかまってくれなくて暇な時に。



「先生は変だよ」

「そう?」

「うん」



拗ねた顔を止めて、一つ溜め息をついて彼女が言った。それから紅茶を飲む。



「君を覚えてたのはたまたまだよ。それに学者なんて変な人ばっかりだ」

「ふーん」

「ほら、言いたいことあるならどうぞ」



『変』の意味が本当はどういう意味なのかは分からなかったが、とりあえずの話を繕う。彼女に先を促せば、少し物足りなそうな顔をされたものの、彼女はそれまでの『溜まりもの』について話しだした。

どうやら、それを話すまでには信頼してくれてるらしい。






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