099話:美少女霊能探偵九十九其ノ捌・狐の幽霊の怪談
ある時から、とある噂が立っていた。2つの噂である。1つ目は、狐の幽霊の噂だ。学校に通いたかった狐が、夜な夜な少女に化けて学校に通っていたが、宿直の教師に殺されて、化けて出るようになった、という噂である。
しかし、それを否定する噂が、ある時期を境に流れるようになった。それが2つ目の噂。夜な夜な駆け回っているのは、正義の狐少女で悪い七不思議の妖怪たちを退治して回っているというものだ。
七不思議の七つ目、狐の幽霊の怪談の元になった話である。
夏休み明け、九十九は、様々な噂が流れていることを知った。トイレの花子さんならぬ、トイレのアクト様。音楽室の不協和音。体育館のフライングダイナソー。プールの河童大王。
軽くこれだけの噂が流れていれば、七不思議を超過している。もちろん、大半がくだらない話ではある。
トイレのアクト様は、女子トイレの奥から三番目の個室を四回ノックして「アクト様ァ!」と叫ぶと、イケメン(死語)のアクト様が出てきて、願い事を叶えてくれるというものである。
トイレという場所は昔からこういった怪談の舞台としてなりやすい。その昔は、トイレは家とは別に離してあった。そのため、暗い上に、家……人のいる場と隔離された空間であるのだ。有名なものでいえば加牟波理入道だろうか。それからトイレの花子さん。しかしながら、そこを遡って行けば、たどり着くのは「トイレの神様」である。
トイレの神様というのは近年の創作などではなく、古代の中国まで遡る。紫姑神という厠の神が居たのだ。
そう言ったことに始まり、やはりトイレという場所はどうしてもそう言った怪談が生まれやすいのだ。もっとも、このトイレのアクト様は単なる創作であったが。
次の音楽室の不協和音は、深夜に音楽室からピアノの音が流れてくる。綺麗な音色で奏でられているピアノで、聞こえた時点で逃げ出せば何の問題もないが、最後まで聞いていると、最後の最後でピアノは不協和音を奏でてしまい、それを聞いたものは死ぬという噂である。
音に類する呪いの類はそれなりに存在している。呪いの歌などがその例だろう。また呪いのビデオの様に最後まで見ると呪われるというのも一定数存在するものだ。何かの動作をきっかけに呪うというのはある意味「儀式」や「呪術」に関連するものではある。そういった意味では不幸の手紙なども、書いて回さないと呪うというこれに類するものになるのだろう。
まあ、この音楽室の不協和音という怪談もやはりガセであり、結局、深夜に音楽室から音楽が流れることなど無い。もとより、普段深夜、真鈴を探して校内を歩き回っている九十九が聞いていないのに、深夜にピアノの音が流れているはずもないのである。
体育館のフライングダイナソーは、体育館に空を飛ぶ恐竜が現れるという噂であり、怪談でもなんでもない。無論、そんな恐竜が存在するはずもない。しかし、これには色々あり、九十九は、人食い壁の怪談と同じ類であることを暴いた。
夏休み中に学校は、体育館の天井に挟まったボールの回収を業者に依頼していた。そのため、体育館は全面閉鎖状態にあった。私立九白井高校の体育館は、高窓であり、キャットウォークのところに大きな窓があるくらいで、後は、下の大きな扉を開けない限り中を見ることはできない。唯一見られるとしたら、足元にある小さな窓であるが、そこから覗く人はほとんどいない。
鉄骨造の体育館の天井はとても高く、普通は機材でも使わない限り、天井のボールを取ることはできないだろう。いわゆるはしご車のようなものだ。それを使うことで、高い位置にあるボールを取ることが出来る。
通常、クレーンやはしご車のように伸びるものを見て、思い浮かべる動物は麒麟だろう。しかし、消防車などと同色の赤色のはしご車やクレーンの赤白色や黄色などと違い、こういった機材には緑色などがある。
その緑色のはしご車に近い機材をキャットウォークのところにある窓から見たら、まるでブラキオサウルスの様な恐竜に見えただろう。
そして、機材は、ある場所を中心にボールを取り終えたら、一度首を縮めて移動する。理由は明白だ。首の長い状態で移動するとバランスが悪く、そのまま倒れてしまうからだ。
つまり、首が伸びたり縮んだりする様子は飛んでいるようにも見えただろう。丸い何かが次々落ちてくるのも謎に拍車をかける。
そうして生まれたのが体育館のフライングダイナソーという怪談だったのだ。
プールの河童大王という怪談は、夜、プールに入っていると足を掴まれ、水中に引きずり込まれ、引きずり込んだ相手を見ると、なんと河童だったという話で、徐々に河童の数は増え、夜になると、プールが河童まみれになり、最初の一匹は河童の大王だったのでは、という噂である。
そして、この噂の厄介なところは、本当の怪異だったことであった。水場というのは昔から怪異妖怪の出現する場所としては有名である。昔から、海や川で溺れて死ぬ人や行方不明になる人が多かったことから、死を呼ぶ何かがいると信じられたり、また、子供が近寄らないようにするために話を作ったり、ということで水場の怪異譚は増えたのである。同じような意味で、山や谷、崖などに関連するものも多い。
水場の妖怪と言えば、河童の他にも有名なものは多くいるだろう。小豆洗いも水辺に出没する妖怪の一種である。また、水神や白蛇なども水に関連することが多い。水神は龍や蛇として描かれ、それは川の形をモチーフにしているという説もある。
しかし、プールというのは、いわば人工の水場であり、プールでの死亡事故などもそれなりの数が報告されるが、妖怪が出現するようなものではない。
河童と言えば、人間を自分たちの棲みかに連れて行き、相撲で勝負して、勝ったら尻子玉を奪うという言い伝えがメジャーな妖怪である。女子校のプールに出没するような存在ではない。
九十九は夜、プールにやってきていた。すると、そこには本当に河童が居たのである。昨今、出没することすら珍しいと、陰陽師のあいだで言われている妖怪がうようよと浮いていた。その光景は、異常過ぎて、思わず声を漏らしそうになった。
「あの、河童さん、何しているの?」
九十九は恐る恐る声をかける。すると河童の一匹が、丸々とした目を九十九に向ける。
「ぎょばっ?!」
そしてそんな奇声を上げたのだった。九十九はキュウリでも持ってくるべきだったか、と迷いながらも、河童を見る。
「これはこれは、この土地の管理者ですぎょ?」
その語尾は適切なのだろうか、と九十九は場違いなことを考える。確かに頭には皿ではなく魚のかぶりものを乗っけていそうだ。
「ええ、そうだけれど、何をしているのかしら。あまり人目に付かれると処理が大変なんだけど」
河童は九十九の言葉に、困ったように瞳を潤ませた。マスコット的な可愛さを持つものの不気味さが打ち勝つ河童。
「実は、ここに河童の里の入口があったぎょ。今から数百年前になるっぎょ。それでどうにか入ろうとがんばってるっぎょ」
山奥にある私立九白井高校は山を切り崩しているので、山という場所には、思いのほか水場などもあり、開発の際にはそれらを埋め立ててしまうことがある。本来は、生態系への影響を考えて、そうそうそんなことは起こらないのだが、数百年ともなれば、その間に水辺そのものが、攪乱で消え去ったのかもしれない。
攪乱という言葉について、かき乱すという意味があることは知っているだろう。しかしこの場合は、洪水や台風などによりその地域の動物や生物が別の場所へと流されるようなことである。この現象は何も悪いことだけでなく、今ある外来種がいた生態系が押し流されて元の生態系が復活するケースもある。
また、生態系の保全と言う意味では、この京都は果てしなく微妙である。正確には大阪であるが。古くは日本の中心として発展した京都・大阪は、昔から都市開発がされていた。今の様なビル群でなくとも、記録に残る埋め立ての記録で言えば大阪はかなりの昔に埋め立てが行われているのだ。
それはすなわち、昔から生態系を壊しているということでもある。もはや、古来よりそこでどのような生態系が築かれていたのかを知るのは難しいほどに。
つまり、元々、この私立九白井高校が建つ前まで山だった場所ですら、いろいろと人の手が加わっていたとしてもおかしくはない。
自然にしろ、人にしろ、何かが河童の里への入口をふさいでしまったのだ。しかして、河童の里の入口を開くことが出来ないか、といわれたら否だろう。
元来、水の底等と言われる河童の里の入口はいわば霊力で開かれた扉なのだ。そういう意味ではイーブラ=イブライエとも近い様なものである。
「う~ん、プールに開かれると引きずり込まれる人が出るかもしれないから、近くにいい水場は無いかしら」
九十九の呟きに、河童が答える。相変わらず見た目でキモ可愛いというかキモキモしいので若干引いた。
「そうだぎょ、この近くにいい沼地があるぎょ。そこがいいぎょ」
そして、九十九は、その沼地に稲荷一休が残した方法を用いて、河童の里の門を開いて解決したのだった。
こうした活躍の数々が、七不思議として広まった結果生まれたのが、狐少女の幽霊の怪談だった。
狐少女の怪談は続く。行方不明の彼女が見つかるその日まで。




