表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白雪の陰陽師  作者: 桃姫
魂魄騒動編
94/370

094話:美少女霊能探偵九十九其ノ参・人食い壁の怪談

 夏も終わり、まだ残暑が残る頃、九十九は中庭の木陰で休んでいた。最近の九十九の日課となっていた。そこに2人の女生徒がやってくる。真鈴と孝佳だ。2人は、九十九に懐き、いろいろと話すような間柄になっていたのだ。


「それで、稲荷先輩、今度はまた怪談なんですけど、聞いてくれますか?」


 怪談、と真鈴が言ったことで、九十九は反応する。あの六月以来、定期的に会っていたが、怪談を持ってきたのはあの時以来である。


「夏も過ぎたこの時期に怪談とは時期外れな気もするけど、興味あるよ。教えて」


 前回の怪談は、ある意味では本当に怪談だった。そういうことがそうそうあるわけではないと分かっていても、九十九は聞かざるを得なかった。


「はい、稲荷先輩、やっぱりこの手の話には食いつきがいいですね。では、」


 そう言って、真鈴が語り出す。孝佳はそれにやいのやいのと補足をしていた。どうにも2人で聞いた話らしいのだ。



 夜、東校舎の一階を通ると、獣の声とともに、壁が人を食おうと襲ってくる。そして、実際に一人食われて、東校舎の一階は血の海になった。




 という話である。真鈴と孝佳で食い違いがいくつかあったが、聞いている途中で分岐したのだろう。噂とは得てしてそういうものである。

 階段の次は壁。壁というのも怪談になりやすい。ゲーム用語に「壁役」などとあるように時には人を守るためにある。


 しかしながら、時には行き止まりという大きな壁になる。通れないというのは、大きな障害で、逃げられないことを意味する。


 ぬりかべと呼ばれる妖怪がその代表である。ぬりかべは夜道で人の通行を阻む、目に見えない妖怪である。つまり行き止まり。入り組んだ長屋多い江戸時代では、灯りも提灯くらいでほとんど周りが見えない。つまり、壁が見えないのである。だからこそ、生まれた妖怪で、今の様に、夜も一定の明るさが有り、また、地図アプリの様な便利なものがあるこのご時世では生まれることのない妖怪だろう。


 また、壁というのは身近なものでもある。多くの建物に、壁は存在している。だからこそ、それが襲うというのは恐怖である。家、部屋、……人間が建物の中に居る限り、その壁という存在は付きまとう。その常に周囲にあるものが危険になったら、恐ろしいと感じるのは当然だろう。


 壁、と一口に言っても様々な壁があるのは分かる。しかし、学校という場において、壁は比較的分かりやすい。防災の面などから学校建築ではおおむね鉄筋コンクリート(RC)造で建てられる。稀に木造などもあるが、多くは古い学校になる。


 構造にもいろいろあるが、おおむねラーメン(※1)構造だろう。壁式構造だと梁や柱がないというメリットがあるもの、逆に柱でグリッド状に区切ったり、耐力壁の計算だったりと学校建築には向かない部分がある。ラーメン構造なら、梁や柱が空間にせり出していてもさほど問題はない。


 この場合、概ね、壁の厚さは外壁で300ミリメートル程度、内壁は最低120ミリメートル、だいたい180~200ミリメートル程度だと考えられる。


 人が壁に食べられる。比喩表現的に考えると、壁に人が呑み込まれるということであるが、血の海に染まるというからには、取り込まれるのではなく潰されるとか砕かれるという表現なのだろう。1立方メートルあたりの鉄筋コンクリートの重さは約2.4トン。教室の壁の最も長い部分の壁だとしても単純計算なら1トンと少し(※2)の重さがあることになる。


 潰されれば重傷だろう。しかし、ただ潰されただけでは、血の海にはならない。噛み砕かれるようにしなければ、倒れこんだ壁の下敷きになった程度では血の海とは言えないだろう。それに壁に挟まれたのなら、それは食べられるではなく潰されるだのなんだのとあるはずである。


 人を食うという表現には何かしらの意味がある。九十九はそう思った。これが本物にせよ、偽物にせよ、噂が広まった表現には何かしらの意味がある。十八階段の時の「引きずり込まれる」という表現に意味があったように。


 しかし、考えていても何ら思いつきもしなかった九十九は現場に行ってみることにした。東校舎一階。普通科の昇降口と職員室、トイレ、その他施設があるフロア。普通に考えて、ここでそんな事件が起こっていれば、何らかの痕跡が残っているはずである。


 しかし、九十九が見る限り、そのような痕跡はどこにもなかった。壁が外れるような跡はない。が、九十九の目があるものを捉えた。


 窓に付いた赤い小さな付着物だ。血ではない。血ならばもっと透き通っているし、黒い。どちらかというと絵具の赤という感じの色。それが飛沫状に小さくついていた。

 誰かが絵具をばらまいて怪談を作ったとでもいうのだろうか。しかし、九十九は違うような気がしていた。


「獣の声……」


 獣の声と共に、という噂の部分。学校に壁の怪異と共に動物の妖怪が居たということか。そこであることに気付いた。


 獣の声、というのは得てしてうるさいものである。赤くてうるさい、そんなものが学校にはあるということに。


 そう非常用のサイレンである。けたたましい音と赤い光で危険を知らせるものだ。そこまでくれば人を食らう壁の正体も見える。


 非常用のサイレンが鳴るのは火災の発生時。そうなれば、当然スプリンクラーと防火扉が降りる。防火扉は上から下に降りてくるものだ。つまり挟まれている様子は食べられているともとれる。


 残る謎は、血の海という部分だ。一階の廊下で非常用サイレンが鳴っている中で、誰かが防火シャッターに挟まれたまま血が出るということはあり得ない。一般的なものが180キログラムだとしても、長時間ならまだしも、誰かしらが、助けに通る環境下で、人ひとりが通れる幅を確保するのにそう時間がかかるとは思えない。


 つまり血の海とは別の何かなのである。そこで先ほどの窓への付着物である。これはつくもの見立てではペンキである。赤いペンキの付着していた窓は職員室前の廊下である。個々で九十九の導き出した仮設は、こういうものだ。


 夏休み中、作業員が作業に使うペンキを持ってきた。学校内での作業には当然学校側の許可がいるが、夏休み中ともなると、許可を出すのは職員室にいる職員ということになる。


 ペンキをいったん職員室の外の廊下に他の道具などと一緒に置いた。ペンキの一斗缶というのは四角い形をしているため、何かの上とかに置くよりは何かの下に置いて土台にする方が安定するだろう。そうなると必然的に、荷物の下の方に置かれることになる。


 そして、許可をもらった作業員たちは、作業のために荷物を作業する方へと運んでいく。その際に誤って警報機を鳴らしてしまい、逃げ遅れた作業員がペンキの缶と共に挟まれる。缶の高さは約36センチメートル。人間が横になれば、よほどの巨漢でもないかぎり挟まれないだろう。しかし、180キログラムの荷重が徐々に缶に負荷をかけていく。四角柱ということは、力が角に集中する。その結果、缶から噴き出すようにペンキが出る。それが水性のペンキならならおさらだが、スプリンクラーの水でペンキは拡散する。すぐに誤報だということが分かり止めるが、部活で来ていた生徒は音が気になり校舎に寄ってくる。その結果、壁に挟まれた人と赤い血の海、そしてその前まで聞こえていた獣の声の様なサイレンということになる。


 ここまでたどり着けば、後は、夏休み中に業者が来ていたか調べてしまえば済む話である。業者でなくともそれに類するペンキを持ってくるような人が来ていれば九十九の仮設は証明できる。逆にそうでなかったときの方が問題だ。また別の結論を見出さねばならないのだから。


 九十九は職員室に尋ねる。稲荷家の権力を使えば、それを調べるのは楽だろうが、今は一学生である身として解決すべきと判断したのだ。


「すみません、橋津木(はしつぎ)先生はいらっしゃいますか?」


 九十九が呼んだのは、橋津木という教員だ。呼んだ理由は簡単で、九十九が面識のある中で、最も話しやすいからである。


「ん、稲荷君か、どうかしたのかね。今日は授業の質問というわけではないのだろう?」


 理数科も無論、普通科と同じように一般的な科目の授業を受ける。割合が違うだけである。だからこそ、普通科の職員室にも知っている教員がいるのだ。


「はい、少し気になることがありまして。こんな噂があるのを聞いたのですが」


 そう言って九十九は、人食い壁の怪談について橋津木に話した。しばらく聞き入っていた橋津木だが、九十九の言いたいことは理解したようだ。


「ああ、普通科で流行っている怪談だな。わたしも聞いたことがあるよ。それで、稲荷君は何を聞きたい?」


 そういう橋津木に対して、九十九は自分の推論をかいつまんで話した。状況証拠の赤いペンキの飛沫がすぐ近くにあるのも幸いして、説明は楽だった。


「と、考えたわけです。ああ、もちろん、これを証明してどうしようとか考えているわけでありません」


 九十九の家の稲荷家の力をもってすれば、業者を問題で訴えてこのクビにすることも可能だろうが、別にそんなことをするために暴いているわけではないので、正直業者には興味がなかった。


「なるほど、概ね稲荷君の推論の通りだ。これだけの情報から導き出すとは恐れ入る。まあ、警報機が鳴らしたのは業者の所為ではなく栗山先生が、な」


 栗山先生、と橋津木が呼んだ教員に九十九は覚えがあった。おそらく担当ではないため、授業を受け持った記憶はないが、「生徒に手を出してクビ」という噂があった教員だ。


「なるほど、初犯ということもあり執行猶予付きで出たはいいものの、クビですから当然荷物の回収などをしなくてはならないので、来ていたということですか。事件とはいえ、殺人等ではありませんから警察が荷物を押収していたわけでもないでしょうし」


「そういうことだ。まあ、稲荷君だから話すが、栗山先生も自身の罪を認めている。だからこそ、こんなに早い判決と、結果になったのだがな。まあ、そう言うわけだ、怪談は少々生徒間で流布していくだろうが、栗原先生が釈放されているという事実をセクハラされた子たちが知って心の傷が深くなるよりはマシだろう。彼も彼で生徒に心の傷を負わせてしまったことと、それを深くしないために、直接会うのは今は避けている」


「しかし、そうなると、やはり、男性教員排斥が強まるんでしょうかね。前々から一部ではずっと女子校なのに男性が教員なのはおかしいと言われいていましたし」


「はは、肩身が狭くなるよ」


 そんな会話と共に、この人食い壁の怪談は解決したのであった。





~(出番はないのに)姫毬の建築メモ~

 ※1 ラーメンとはドイツ語で枠。柱、梁で支える枠式構法のことをラーメン構法という。


 ※2 一般的な教室の大きさが、縦7メートル、横9メートルの高さが2.5メートル(※3)程度とする。すると一番長い壁でも体積は9メートルと2.5メートル、壁厚190ミリメートル(平均値)を掛け合わせたものになり、0.4275立方メートル。これに1立方メートルあたりの重さを掛けると、1.026トン。ただし、本来は、窓やその他の関係上、教室の仕切り壁、特に廊下側の壁は鉄筋コンクリートではない場合が多く、もっと薄く軽い。


 ※3 平成17年以前は面積が50平方メートルを超える教室は鷹さ3メートル以上と決まっていたが平成17年の改定以後は居室等と同じで2.1メートル以上あれば問題ないので、以後の学校建築では一般的には2.5~2.6メートルを用いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ