089話:MTTの野望其ノ参・ミストルティの目醒
光を飲み込むほどの巨大な闇の魔力。それを見た瞬間に、リズの頭に痛みが走る。どこかで見たことがあるような既視感が襲う。リズは知っている、あれ以上の闇を。リズは知っている、あれ以上の光を。記憶の蓋が、魂の錠前が、崩れ落ちる。
「目覚めなさい、スファムルドラの聖杖ミストルティ!」
リズの胸元の宝石をそのまま大きくしたような宝石のついた巨大な杖が現れる。その持ち手には■■■■と刻まれていた。
フィンガースナップすら無しで、ガドリアドの周囲に巨大な光の玉が無数に湧き上がる。それがリズの魔法だと認識するのに、ミガンドには数瞬要した。あまりにも規模が違い過ぎた。それこそ、ミガンドに放った雷とは使っている魔力の桁が違うほどだ。それに対抗して闇を広げている魔剣グラジャールも凄いが、まるで魔法使いには悪夢のような空間だ。これほどの魔力を口上も儀式も必要とせずに放っているのだから。
もっとも、リズや煉夜のフィンガースナップも癖の様なもので儀式にもなっていないのだが。
「リズの限界魔力を越えている……!なんでリズは魔力切れを起こしていないんですか!」
アーサーが驚嘆の声を挙げた。いつもならとっくに魔力切れを起こしている量の魔力を使っているが、文字通り、魂の枷が外れた彼女は、無意識に封印していた魔力を解放したために、上限はそこはかとなく上がっている。
「クソッ、グラジャール、もっとだ!もっと力を上げろッ!」
ガドリアドがそう叫ぶ。すると、周囲のグラジャールの輝きの構成員から魔力を吸い取り始めるグラジャール。流石は魔剣といったところか、意思とは関係なしに魔力を吸い上げていた。
「スファムルドラの魔法は基本的に詠唱を必要としません。しかし、新暦以前から存在する我がスファムルドラ帝国には、クライスクラ暦時代の超大な魔法がいくつも残っています」
リズが、スファムルドラの聖杖ミストルティを握る手を強める。そして、莫大な魔力を吸って巨大な漆黒の魔力を巡らせるグラジャールの周囲に眩い魔法陣が展開される。
「――暁天より堕ちし精霊よ、
――果無き水平線の彼方へと沈む月天よ、
――輝き、光り、広がり、照らす天の神、
――十四条の光柱が夜天を裂く、
――泡沫の栄華、十詩の英雄、
――五方より来る天麟、一方へと帰す、
――千雷を統べ、万炎を統べ、億光を統べる我が帝国よ、
――無限の光を持ちて、闇を無に帰せ、
【煌輝のスファムルドラ】」
眩い光がハイドパークを満たす。魔剣グラジャールなど比ではない。結界がなければ世界中にでも広がっていくのではないかと思ってしまうほど、強大で目もくらむ光。
「そう、わたくしは、メア」
リズの口が、静まり返った空間に言葉を漏らす。「メア」と名乗るその言葉、普通に考えれば意味不明であるが、ユキファナだけが直感した。
「メア・エリアナ・スファムルドラ。スファムルドラ帝国が姫です」
リズの口上。ユキファナは先ほど、リズの魂を覗きみた時に知った魂の欠片を思い出す。それは普通の魂の欠片とでもいうほど僅かな、それでも転生と言える魂の移りだった。
「グラジャールッ!グラジャールゥウ!!」
ガドリアドは決死にグラジャールを呼ぶ。文字通り、決死で、そして、命がけであった。魔剣グラジャールは、そのガドリアドの魂を、命を魔力に変える。それにいち早く気づいたのもユキファナであった。魂の専門家とも言える死神はそれが如何に無謀な行為かがすぐに分かる。
「剣に魂を喰らわせるだなんて、持って数分の命になるわよ」
みるみるうちに魂を魔力へと変換していくグラジャール。伊達に魔剣と呼ばれているわけではないのだ。気が付けば、ガドリアドはほぼ死人と変わらなくなっていた。
――魂の無い器を魔剣グラジャールが動かしているようなものだった。
「おいおい、なんだ、こりゃ、来てみりゃ、何かだいぶ片付いてるけど、厄介な状態になってるな」
黄金の剣を片手に、一人の青年が現れる。複数の魂と聖剣を持つ彼と、魂を失い魔剣を持つガドリアド。対称的な二人が向かい合う。
「レンヤ様、相手はもはや死体も同然。むしろ、本体は魔剣の方です。どこぞの誰が打ったものかは知りませんが、魔剣と呼ばれるだけあって、その脅威は本物です。お気を付けくださいませ」
リズの声、しかし、口調が、言い方が、僅かにリズと違い、そこに煉夜は違和感を覚えたが、そんなことに集中している時間を、目の前の相手は与えてくれなかった。
「ぐぅぉおおおおおおおお!」
もはや言葉ですらない。ただの声を出すだけの人形も同然だった。だが、それに乗っている魔力は凶暴で、荒々しく、禍々しい、危険なものだった。それを煉夜は聖剣アストルティで受け流す。
「中々重いなっ!まるで、幻獣の攻撃を受け流すときみたいだ」
煉夜は、自分よりも超大な獣たちとやりあってきたのだ。この程度の力を受け流す程度なら造作もなかった。しかし、それはあくまで受け流すならである。相手が大きいのなら、ここで魔法の一つでも適当に撃てば当たる。しかし、このように的が小さいと、中々に受け流した後の攻撃が当たらないのである。
「魔が相手、つまり、闇、か」
煉夜は、胸に提げた宝石の重みを感じる。ここで使うか使わないか、それを悩む幻想武装があった。
「レンヤ様、今はまだ、その時ではありません。光の幻想武装はまたいつぞやにピンチになったときにお使いください。今のレンヤ様の御心持ちでは、もう一面が表層に出て呑まれます」
リズの言葉。煉夜は息を呑んだ。「光の幻想武装」、そうリズは言った。煉夜はそれに驚きが隠せなかったのだ。だが、今はその言葉に従った方がいい方は明白だった。なぜなら、リズの言う通りだったからである。
「生じよ、[結晶氷龍]!」
透き通る刀身を持つ剣と、美しい鎧に身を包む煉夜。煉夜が戦いにおいて多用する[結晶氷龍]は、煉夜の持つ幻想武装の中で比較的戦いに向いているのだ。[炎々赤館]や[黄金財宝]が戦闘に向かないこともあるが、戦闘面において安定しているのが[結晶氷龍]なのである。
もっとも、多用すると言っても、獣狩りとして活動していた時期でさえ、両手の指で足りるほどしか使っていない。それでも他の幻想武装に比べれば多い方で、ほとんどの幻想武装は、片手の指の数も使っていないのが現状であった。
枷や誓約というのもあるが、それ以前に、煉夜が向こうの世界において、自分の剣と魔法でどうにかならないことがまずほとんどなかったのだ。それでも何度か危険なことがあったが、【創生の魔女】も居たので、切り抜けられないはずもなかった。
「ぶぉおおらぁあああ!」
言語もへったくれもない声をまき散らしながら、ガドリアドだったものが煉夜へと迫る。もはや寒いなどということすらも感じないのだろう。極寒の冷気を放つ煉夜に向かって、脚を緩めることなく突っ込む。
「ふむ、まあ、こんなものだろうな」
切り結んだ瞬間に、ガドリアドは氷漬けになった。そして、煉夜はそのまま、魔剣グラジャールを氷ごと叩き折る。するとグラジャールから瘴気のような薄暗い靄がでる。
「なるほど、あれが本体か」
魔剣と呼ばれる剣にも様々な種類がある。聖剣、魔剣の区別が曖昧な場合もあれば、ただ魔力を宿しているから、魔法で作った剣だから、魔法剣だから、魔物の剣だから、悪魔の剣だから、など様々だ。
この魔剣グラジャールは、悪魔を宿した剣だから魔剣と呼ばれていたようである。
「ニンゲンがッ!ニンゲン風情がよくもッ!この悪魔グラジャールをよくも!」
実体のない靄となって吹きだす悪魔。実際の靄や霧の様な水分ならともかく、ただの悪魔が霧状になったものでは、どれほどの冷気とてすり抜ける。
「クールヴェスタの悪魔とは比べ物にならないくらいの格下だな、本当に悪魔か、コイツ?」
かつて相対した悪魔と比べても、ごみとしか思えないほどの弱さに、煉夜は眉根を寄せた。悪魔が得意とする降霊で、剣に自分を移しているだけで、本体は別にいるのではないか、と煉夜は勘ぐった。
「ぐっ……、これが、グラジャール……、この悪魔こそが、この輝きこそが、我々」
魔力を吸い取られ、もはや、立つのもやっとというミガンドが、そんな風に呟いた。その慄きと畏怖に気を良くしたのか悪魔は笑う。
「くっはは、もっと敬え、もっと畏れろ。この俺様を見れたことをニンゲンたちはもっと感謝すべきだなぁ!」
ケタケタと笑う悪魔の言葉に、煉夜じゃ、これが本体なのだと理解した。あまりにも粗末な悪魔に煉夜は思わずため息を吐く。
「どうした、怖れを為したか、ニンゲンッ!」
煉夜のため息をどうとらえればそうなるのか、悪魔は煉夜が恐れをなしたと取ったようだ。そんな悪魔を呆れた目で見て、そして、――
「消えろ、悪魔」
一薙ぎ。実体を持たないはずのそれを切り裂いた。そもそも、神獣や魔獣の中には、とても硬いものだけではなく、霧化するものや軟化するもの、消えるもの、と様々な種類が居るのだ。それらを狩ってきた煉夜にとって、霧状だからと言って、全く問題はなかった。
「馬鹿な、この悪魔を斬る、だと……。そんな馬鹿なことがァ!!」
相手にとって不足がありすぎた悪魔は粉みじんとなって消えた。獣狩りのレンヤではあるが、悪魔でも煉夜の前では無力であった。
「ったく、悪魔風情が」
煉夜は、幻想武装を解除する。氷の鎧が粒子となって消えた。MTTことグラジャールの輝きは壊滅したのである。




