082話:英国王室秘宝盗難事件其ノ陸
ギブンが目を開けた時、そこはいつもの洞窟ではなくなっていた。風薫る草原だった。傍らには舗装されていない道。こんな場所が近くにあったか、と思い見渡すが、ウェールズにしては地形の起伏が無さ過ぎた。そして、肌が感じる気候が英国のものではなかった。
――何かがおかしい、ギブンがそう思った時、自分の背後には、今まで集めてきた宝の山があった。傷一つなく、きちんと置いてある。ホッとして息を吐いて周囲を見回して、思わずむせた。
宝だ。宝。財。財宝。ギブンのものの比ではない宝の山がそこに現れたのだ。どれほど盗めばこれだけの宝が手に入るのか、ギブンは思わず息が出来なくなった。そして、ふらふらと、つい、手を伸ばしてしまいそうになる。
「さて、これが俺の宝だ」
宝の山の横に煉夜が立っていた。ギブンは山に目が奪われて気づかなかっただけで、山が現れたときにはそこに居た。
「何が俺の宝や、正確にはうちの財宝やん」
そして、宝の山の上に座る一人の少女。多少汚れのあるものの普通の服を着た、飾り気のない少女だった。
「お前が、この財宝で俺を買ったんだから俺のものだろうよ」
少女と軽口をたたく煉夜。久しく見せていない屈託のない笑顔だった。だが、すぐにいつもの顔に戻り、煉夜は聖剣アストルティに手をかけた。
「さて、と。じゃあ、決闘と行こうか。そう言う賭けだからな」
宝に魅せられ、呆けっていたギブンもそれで意識が戻った。そう、受けると言ってしまったのだ。しかし、ギブンは、自分の腕に自信があった。そこらの魔法使いには負けない程度の力もあった。だから、構える。
「ああ、だが、場所は移すぞ。宝を巻き込みたくはねぇからなぁ」
少し逸れた場所に移動する2人を少女が楽しそうに見ていた。少女の目には曇りなど無く、笑顔にも曇りは無かった。煉夜が負けることなど微塵も想定していないのだ。
「それじゃあ、好きに仕掛けてきていい。決闘とはいえ、俺は騎士道がどうとか、不意を突かれたからどうとか、そんな文句は言わない。魔法だろうが何だろうが、好きに使ってくれて構わない。さあ、来いよ」
煉夜は確かに騎士の剣術を学んだこともある。しかし、あくまで煉夜は騎士ではない。騎士道などという大層なものは持ち合わせていない。そして、自身も奇襲や奇策は獣相手とはいえ、よく使っていた。だから卑怯だと喚く気などないのである。
「ハッ、言ってくれる。――影よ、罪よ、幻よ!」
得意とする幻覚魔法を使うギブン。瞬間、ギブンが八人に増える。無論、幻覚であり、実際に増えたわけではない。だが、煉夜には効かない。つまり、煉夜にとっては、今、ギブンが何もしていないのと変わらない状態なのである。
「――悪よ、悪よ、悪よ!」
空間を黒く塗りつぶす。視界を遮る魔法の様だった。正直な話、この2つの魔法を重ねる時点でギブンは冷静ではなかったのだろう。幻覚で相手の視覚に訴えておきながら、その視界を奪うのだから。もっとも、前者は煉夜には効果が無いので、結果的にはよかったのだろう。
「こんなもんか……。悪いが、こいつは聖剣でな……、魔力を込めれば」
煉夜が聖剣アストルティに魔力を込める。瞬間、黄金の光が塗りつぶした黒を吹き飛ばす。聖なる光という表現がふさわしいのだろうか。
「――闇は晴れる。それじゃあ、こっちの番と行こうか」
魔力のこもったアストルティが、光の刃を伸ばす。そして、煉夜は、一瞬で、一歩も動くことなく、ギブンを吹き飛ばした。
「さて、と。賭けは俺の勝ちってことでいいよな」
アストルティを鞘に納めながら煉夜はそう言った。ギブンの中には色々な思いが飽和して、逆に何も考えられなくなるほどだった。
(ああ、クソがッ、いつもそうだ。あんときも、今回も、肝心なところでヘマしやがる。クソ、クソッ、やっぱ、俺は才能とか運とか、全部ありゃしねぇのかよ)
地面にあおむけで倒れたギブンを見ながら煉夜は言う。いや、語る。それは勝手な語りで、ギブンに語り聞かせるというよりはギブンに言い聞かせるかのようだった。
「あの財宝は、リタが……あいつが、生涯を賭して稼いだもんだ。それも商人としてまっとうにな。何度もくじけたし、何度も失敗した。それでもあいつは十数年という短い生涯の全部をかけてあれだけの金を集めた。余命が決まっていたから必死だったとか、そんなことはない。てか、あいつの寿命が短いのは、ある意味、稼いだことが原因だからな。そりゃ、妬まれ恨まれ、そんなこともあるが、あいつの死因は病死だな。
――金持ち病。そんな風に呼ばれる病気だよ。まあ、有害な金属から少しずつ接種して、気が付いたときにはもう遅いって病気だ。リタの首飾りがその有害な金属でな。まあ、金持ちぐらいしか買えないから、病気になるのはほとんどが金持ちで、だから金持ち病って言われてるんだけどさ。
まあ、何が言いたいかっつーと、お前も諦めずにやれば、どうにかなるんじゃないのかってことだよ。世界や環境が違うとはいえ、あの年であれだけ稼げるんだ。お前の魔法と、そして、盗みに対するリスクを考える危機管理能力、緻密な計画性、実行するだけの行動力。これだけの物をもってるんだからさ、……一からやってみろよ」
そんな煉夜の言葉を聞きながら、ギブンの意識は薄れていく。ギブンは、意識を手放した代わりに、覚悟を……その火種を確かに受け取っていた。
「まさか死んでからも宝が増えるなんて思うてへんかったわ」
「だろうな……。ん、そろそろ、[黄金財宝]も切れるころか」
煉夜は、ギブンの宝の山から聖杖ミストルティだけを取り、そして、リタの頭を撫でる。
「なんや、もう、そういうんは、あんまり好かへんねんけど、まぁ、今回は特別やで」
子ども扱いされているようで嫌だと、前々から言っているリタ。だが、それでも撫でたくなってしまったのだった。
「それにしても……レンヤも随分……、ううん、なんでもないわ。それよか、あの、……なんやけ、リズっちゅー子、あん子は、たぶん、……いや、それもうちが口出しすることちゃうよな。まあ、あんたもせいぜい長生きしぃや。うちらの分までな。だれもあんたと一緒になって後悔なんてしとるんはおらんのやから」
リタはそう言いながら、黄金の光に呑まれるように煉夜の中に戻る。そこは、もう、ギブンのアジトだった。
「ふぅん、それが幻想武装ってやつ?普通のとは違って複数持ってるみたいだけど、石の大きさしだいってところかしらね」
アジトの入口のところの壁に裕華が寄りかかっていた。実は少し前から裕華は来ていたのだが、煉夜の様子を見ていたのだ。
「いたのか……。てか、幻想武装のことを知ってるのか?」
幻想武装とは煉夜の……向こうの世界の力であり、この世界においてその力を知っているのは、沙友里と【緑園の魔女】こと初芝小柴だけのはずだ。
「まあ、父さんに聞いてたからね。六人の魔女のいる世界だっけ?それと八人の聖女。昔は勇者とか魔王とかもいたらしいって話とかもね」
煉夜がかつてクラリスとの別れを体験した後、身を寄せていた一方にある魔王城も、かつて魔王がいた城であり、魔王のいる城ではなくなっていた。腐敗した王国もかつては有望な勇者を輩出した偉大な王国である。煉夜が眷属となっていた【創生の魔女】や小柴のような【緑園の魔女】などの六人の魔女、そして、それを封印したと伝えられている八方を守護する聖女。一般的なファンタジーが、ほとんど過去のものとなっている世界。それが煉夜のいた世界である。もっとも、結局のところ、科学技術の発展などは全くしていないため生活水準も現代日本ほど高くはない。
「……お前の父親は何者だよ」
ボソリと呟く煉夜に対して、裕華は苦笑する。昔から……物心ついたときには死んだことになっていた父親ではあるが、それでも紹介されたのはかなり前である。そして、その頃から、不思議な父であり、それが普通だと思い込んでいた。
「まあ、……あのアプリの主人公みたいな人だよ。いろんな世界でいろんなことをしてるみたい。よくわからないけど、いろんな過去を持ってるみたいだし。鍛治屋だったり騎士だったりね」
煉夜と裕華がやっているゲームの主人公の様だ、と苦笑する。煉夜は普通ではない自覚があった。だが、それ以上だと感じた。煉夜はこの世界ともう一つの世界しか知らないが、裕華の口ぶりだと、それ以上の数多の世界を経験しているように聞こえる。上には上がいるものだ、と煉夜は心底感心した。
「それだけ簡単に異世界に行けるなら、俺が向こうに帰るのもできるといいんだがな……」
煉夜は向こうに「帰る」と表現した。そうなるのも当然か、煉夜にとっては向こうにいた時間の方が長いのだから。煉夜の感覚では、向こうの世界が煉夜の世界となっていた。やり残したこともあった。
「まあ、簡単にできるわけじゃないみたいよ。いろいろと面倒事も付きまとうらしいし。そのうちの一つは、……まあ、煉夜には関係なくなってるけど」
煉夜をまじまじと見ながら裕華はそう言ったが、ピンと来ない煉夜は、何のことかと内心で首を傾げた。
「見た目よ。世界ごとに流れる時間が異なるからね。生来、人の時間は生まれた世界に従うものなんだけれど、異世界に長時間身を置いたり、時空の狭間に干渉されたり、まあ、いろいろと生来の世界とは違う場所に身を置くと、どうにも見た目がさほど変わらなくなってしまうのよ。父さんなんて、今でも20代、下手したら10代で通用するもの」
ため息を吐く裕華。父親の見た目が若々しいのは、どうにも年頃の娘には悩ましいものがあるようだった。
「……っと、無駄話が過ぎたようね。そいつは……捕まえる気はないんでしょうし、行くなら行きましょう。あんまり依頼人を待たすのは主義じゃないから」
裕華は直前の話題を断ち切るように話を変えて、肩を竦める。どうにもあまり話したくないらしい、と判断した煉夜は、手の中に聖杖ミストルティがあるのを確認すると、裕華と共にアジトを後にするのだった。




