071話:死神の覚醒
夜明けの雲を朝日が散らす。紗のかかったような空がしだいに赤みを増し、紫がかったような瑠璃色の空が、黒一色の世界を塗りつぶすように世界に明るさを与える。星々の世界は終わりを告げ、燦爛たる太陽の世界が訪れようとしていた。星々と太陽の境界、そのどちらともいえない世界で、戦いは始まる。
敵の数は、不明。ただし、短期間に、多くの人員を英国から日本へと動員させることが出来ないので、多くとも100人足らず。少ない場合は数十人といったところだろう。ただ、山に散らばっているために捕捉が難しく、奇襲に備えなくてはならないだろう。5対数十の戦い。数の暴力、数こそが力であり、多少の力量差ならば数でひっくり返る。
そう、あくまで多少の力量差ならば、である。一騎当千の猛者。一騎で千の敵を討ち取る猛者が集まれば話は変わる。一騎当千の猛者が5人、単純計算で五千の敵を屠ることができる。
そして、それは、結果となって現れる。戦いが始まってすぐに、煉夜とリズが突っ込んだ。それに合わせてアーサーも動く。ユキファナは雪枝を守る形で、炎を敵に浴びせていた。
煉夜達の優勢。力の差が歴然過ぎたのだ。力を分散させていたのが仇になったのか、MTTは劣勢となる。
そこに挟撃がやってきた。挟撃は煉夜の予想した通りであった。しかし、煉夜に一つ誤算があったとするならば、それは挟撃の規模である。挟撃はあくまで襲撃であり、相手の隙を月、両側から挟むように攻撃をするのだ。それこそ、囮を使っていたならともかく、挟撃隊が本隊よりも多いことはない。伏兵や偽兵などで脅す場合もあるが、その場合ならばもっと少ないだろう。
しかし、この挟撃においては異なる。煉夜達は完全に誘い出されたのだった。煉夜ならば始末もつけられるだろうが、いかんせん距離がある。流石に雪枝を抱えたユキファナが一人で相手をする限界を超えていた。あの風塵楓和菜と拮抗できる腕前を持っているユキファナであれど、ユキファナの炎は周囲を巻き込む。この状況ならば雪枝も無事では済まなくなる。では、雪枝を雪白家に置いてくるべきだったかというと、そうでもないことを煉夜は知っていた。雪白家にも何人か刺客が向かっているらしく、木連と水姫が戦闘中であることは、美夏から送られてきた文字付きの式で分かっていた。雪白家の面々が雪枝を守り切れるかどうかは、かなり危ういだろう。火邑が既に足手まといとなっているので火邑と雪枝を、少ないとはいえ、それなりの刺客から守り切れるかどうか。
そして、この状況でユキファナができるのは雪枝に被害が出ない程度に敵を退けること。別に倒さなくてもよいのだ。しかし、それを実行するだけの力がユキファナにはない。ユキファナも煉夜と同じく力が強すぎるのだ。強すぎるがゆえに、実行することが出来ない。一騎当千の弱みとも言えた。
そして、接敵の時、ユキファナが死神の大鎌を構えたそのとき、雪枝が目を瞑ったそのとき、煉夜がどうにか救おうと思考を巡らせているそのとき、リズが敵にかかり切りで焦っているそのとき、アーサーがユキファナたちのもとへ駆け寄ろうと走りはじめたそのとき、――一筋の流星が挟撃隊へと墜ちる。
一瞬の轟音とともに砂塵が舞い、視界が奪われる。そんな中、雪枝は確かに聞いたのだ。語るような歌声を。謳うような歌声を。爪弾くような音と共にその歌声を。
雪枝は停止する。全ての時が止まったかのように錯覚しそうなほどの静寂の中、雪枝は見る。迫る刃を煉夜がその身に受ける瞬間を。迫る弾丸を煉夜がその身に受ける瞬間を。迫る魔法を煉夜がその身に受ける瞬間を。煉夜が、煉夜が煉夜が煉夜煉夜煉夜。目を瞑ろうとも見える、雪枝の中でひたすらに繰り返される煉夜が死ぬ瞬間。それも雪枝を庇って、である。幾百、幾千と繰り返される光景に雪枝は思わず叫んだ。
「もうやめて!」
その叫びは果たしてどういう意味か。この果てしない繰り返し見せられる光景に対するものか、それとも、庇う煉夜に対するものか、それは雪枝自身も分かっていない。
ただ、胸の中にわだかまるような感覚。張り裂けそうな思いが、雪枝の中に湧き上がる。そして、まるで殻を破るように、さなぎが羽化するように、彼女は目を覚ます。心優しい最弱の死神が覚醒した瞬間だった。静寂と砂塵が衝撃によりはじけ飛ぶ。
雪枝の周囲に赤い殻のようなものが生まれ、そして崩れ落ちたときには雪枝の姿が変わっていた。長く、地獄の炎のように赤い守、薄く褐色に染まる肌。それはユキファナに似た姿だ。背も伸び、普段の子供の様な見た目とはうってかわって大人びた女性の姿。ただ一つ、ユキファナと異なるところを上げるなら、瞳の色だ。ユキファナの瞳は銀色だったが、彼女の瞳は虹の様な七色をしていた。
晴れた砂塵の中心に居た彼女に、自然と全員の目が引き寄せられた。そして、一番近くに居たユキファナは、その瞳の色に気付く。だからこそ思わず声を漏らした。
「勝利の、魔眼……、そんな……馬鹿なこと」
七色の瞳は、勝利の眼であるとされていた。そして、その眼を持つ存在をユキファナは一人しか知らない。だからこそ、ありえなかった。彼女が持っているはずの無い目だったからだ。
(魔法少女独立保守機構のリーダー、マナカ・I・シューティスター。彼女以外に、勝利の魔眼を持つなんてそんなことが……)
ユキファナの知る唯一の人物、マナカ・I・シューティスター。かつては魔法少女独立保守機構のCEOを自称していたが、最近では名実ともにリーダーとなった。
(……この瞳は、この身体の……焔藤雪枝の「彼」のためにも勝たなくてはならないという強い意思が目覚めさせたもの、でしょうかね。それとも……ステラの仕業なのか)
彼女は……枝の死神はそんなことを考えながら、死神の鎌を出現させる。焔藤雪枝であり焔藤雪枝でない存在、枝の死神であり焔藤雪枝である存在、焔藤雪枝であり枝の死神とも言える存在、その意識は非常に中途半端な状態であった。いうなればどちらでもない、そんな微妙な状態。曖昧と言い換えてもいいかもしれない。そして、その状態は、死神としては半分にも満たない覚醒状態である。つまり、力もほとんど出せない。けれど、
「神極魔装……」
小さく彼女が呟くと、鎌の形状が変質する。それは、もはや鎌と呼ぶよりも別の何かであった。槍とも鎌とも剣とも言えるような不思議な武器。中途半端ながらも、死神としての力を一部引き出したのだ。
神々の黄昏の意味を持つ終極神装と対になる黄昏と呼ばれる神極魔装。終極神装が天使と至るものならば、神極魔装は死神と至るものである。あくまで焔藤雪枝は死神ではない。だからこそ使える技とも言えるのだが。
「死者祝福、魂輪廻祈」
そう唱えた。それだけで、周囲の敵たちが倒れていく。流星の衝撃とこの一撃で、挟撃隊はほぼ全滅したのだった。
「……はぁ、いつの時代もやはり変わらないんですね。お姉ちゃんは、また、戦ってるし。言ったよね、そういうのはよくないって」
あくまでも姉には砕けた口調で話す、その態度、そういった部分は雪枝に似ていた。今の雪枝と雪花ならば、どう見ても姉妹といえよう。
「戦いは無くならないわ。それは分かっていたことでしょう」
八姉妹の中でも、枝の死神だけはずっと戦うことの放棄を言っていた。しかし、他の七人の姉妹は誰一人として、戦いがなくなることはないから放棄はしないと言っていた。もとより、戦闘狂のきらいがある五女や八女、戦闘云々というよりも狂気がにじみ出ていた七女、現実主義者の長女、四女、戦いに生きる価値を見出していた次女なのだ、戦いをするなといっても聞くとは思えない。
そもそも、サンガネルの砂漠を始めとして、彼女達の行く世界は戦争を行っている世界であった。戦争の世界において、戦いを辞めてなどいられない。バイルスドレアのような例外もあったが、結局、あの世界も戦争になってしまったのだ。
戦いは世界からなくならない。それが八姉妹の総意。正確には七姉妹の総意で、一人だけ反論し続けたが、それが真実だと枝の死神にも分かってはいた。
自身の戦いの無い世界など、夢物語か、幻想か、それこそ、吟遊詩人が歌う誇張した物語の中にしかないのだと。だからこそ、枝の死神は、出会っていたのだろう。世界をまたにかけ語り歌う精霊と。
「……分かってるんだけどね」
そう呟くと同時に、彼女の身体は光に包まれた。そして、元の雪枝の身体に変わる。本来なら、ユキファナの様に、戻ることはない。しかし、今回の彼女の羽化はイレギュラーであり、曖昧な状態であった。それゆえに、戻ることが出来たのだろう。
挟撃隊は壊滅し、残るは山側の敵のみとなった。しかしながら、油断はできない、とリズは思っていた。「悲槍」のライドがまだ出てきていないのだ。
そして、落ちた流星はというと、姿を消していた。だが、まだ見ているのだろう。この戦いを。そして、きっと、これからも……




