066話:英国の行末
ぐちゃぐちゃになった職員室とグラウンドや校門付近で倒れている敵をどうするか、という話になったが、煉夜がすぐに木連に連絡したことで、一応は解決した。間に合うようなら職員室は修繕され、間に合わなければ、事故か何かとして処理されるだろう。MTTの構成員に関しては一応国籍などの問題もあり、逮捕や起訴は難しいが、捕縛程度ならば、司中八家の権力でどうとでもできた。
「と、いうわけで、だ。雪枝先生とその姉のユキファナはまあ、いいとして、リズとアーサーは急遽こっちに来ることになったんだよな。宿とか大丈夫なのか?」
本来、今日は東京で一泊する予定だったリズとアーサーが宿など準備しているはずもなかった。
「残念ながら。それにしても日本のホテルはどうしてあんなにも常に満室なのですか?」
アーサーがそんな風に文句を言う。日本、というより、東京のホテルは近年、ほぼフル稼働状態であり常に満室状態に近い。また、京都もシーズン的にずれているとはいえ、観光客も多く、ホテルはかなりの割合で埋まっている。
「セキュリティなどから安心できる楽盛館というホテルに泊まる予定だったのですが、流石に今から宿泊は……」
楽盛館は、ホテルとしては高級な部類になり、しかも、そのサービスの質から人気が絶えない。急に行って泊まれる確率はほぼゼロだ。
「じゃあ、うちに来るか。部屋の空きもある。これでも京都の名家だからな、日本国内でもかなりの権力を持っているうちに仕掛けてくるとは考えにくいし、結界や式の類での警戒もしている。比較的に安全だろう」
「そもそも、あんたがいる時点で、あんたの家は超安全じゃないの。そこらの刺客が侵入した程度、屁でもないでしょうに」
ユキファナがそんな風に言う。煉夜は肩を竦めるだけだった。確かにこの世界の戦力ならばおそらく煉夜に敵はいない。ただ、煉夜も全てを把握したわけではない。日本の強いと言われている人間、司中八家や英国の敵であるMTTの実力は分かったが、その他を知らない。煉夜以上の力を持つ敵が大量にいる国がないとは言いきれない。
「しかし、御言葉に甘えるにしても煉夜様は京都の家の出、詳しくは知りませんが、わたくしの日本人の友人が言うには、京都の家……特に陰陽師一族はよそ者を嫌うのでは?」
リズのいるMTRSには日本人も少なからず通っている。留学生という形で、ごく少数だが、確かな力を持つ者たちである。その中にはリズの友人となったものもいた。
「まあ、確かに」
会った時の水姫の態度を思い出して、煉夜は頷いた。しかし、木連や美夏はそこまで他国やよそ者を嫌わないし、水姫の司中八家や陰陽師としての過剰すぎる意識がそうしているだけに過ぎない。他の司中八家でもそこまで排他的な家は少なくなってきている。日本自体が変遷している中で、司中八家も入れ替わりを繰り返したことで、少なからず変化しているのだろう。
「まあ、美鳥の話は大げさな部分もだいぶあるけれどね。まあ、彼女の家も、どちらかというと、日本古来の神社出身だから、身をもって体験していたことなのかもしれないけれど」
そんな風に言ってから、ユキファナは思い出したように手を叩いた。そして、話題転換の様に、話し出す。
「そう言えば、美鳥も多言語理解の魔法かかってたわよね。知り合いとか?」
ユキファナの言葉に動揺する煉夜。この世界において、多言語理解がかけられている人間が他にいるとはそうそう思えなかった。あの沙友里すら多言語理解の魔法はかけられていない。あちらの世界で拾われた時に、教えてもらったのだ。そう、向こうの世界とて、そうやすやすとかけられるものではない。聖女や魔女、それ以下でも国家の根幹を担う魔導師か魔法使い、賢者の中の一握りだろう。もう1つ可能性が無いわけでもないが、ほとんどない可能性であり、煉夜は思いついた可能性を放棄する。
「知らないな。何者だ、そいつは」
煉夜の興味を引いた話題だったが、ユキファナとて、そんなに詳しく知っているわけではないし、だからこそ、煉夜に聞いたのだ。
「う~ん、美鳥は……唄涙鷲美鳥っていう日本人よ。なんだっけ、神格付与術式を使うけど、よくわからないのよね。付与術式って、魔法とは別系統っぽいし、陰陽術系統かと思ったら、違うみたいだし」
「よくある付与術式だと呪符とか使いそうなイメージだがな」
煉夜はそんなことをいいながらも唄涙鷲美鳥のことを考えるが、やはり心当たりはなかった。そんなふうなやりとりをする煉夜を見つめる雪枝。
「煉夜君……」
雪枝は、心配な顔で、煉夜を見ていた。浅海から煉夜の無茶は聞いていたが、浅海が多少大げさに言っているだけで所詮は生徒のすることだ、と内心どこかで思っていた。だが、京の様に、飛び降りたり、戦ったりというのを見ていると、どうにも煉夜が無茶をするのではないかと不安にならざるを得なかった。
「やっぱり心配なの、雪枝?」
ユキファナは、煉夜とリズたちが再び宿泊の話を始めたのを見計らって、雪枝に話しかけた。
「そりゃ、もちろん。教え子がこんな危ないことをしているなんて知って、心配にならないはずないでしょ」
そう返す雪枝だが、ユキファナはそれが本心なのか決めあぐねていた。いや、本心ではあるのだろうけど、本当にそれだけなのか、ということである。
「まあ、危ないことをしてるといえばしているんでしょうけど、この程度は彼にとっては危ないに入るのかしらね」
ユキファナの呟き。煉夜の向こうでの日々を正確に知っているわけではないが、ユキファナは上辺だけでも知っている。それは十分に過酷と言える日々。命がいくつあってもたりない大冒険。大切なものをいくつも失った悲劇の体験。
「危ないと思っていなくても、危ないものは危ないよ。特に煉夜君は子供なんだから」
雪枝の言葉に「どっちが子供なのか分からなくなるわね」とユキファナは呟いてから気づく。煉夜の方が年上であるという事実。
「子供かどうかは置いておいて、彼の方が年上なんだけれどね」
と雪枝に言う。しかし、雪枝は、ユキファナを全く信用していない目で見ていた。正直、今の雪枝は、姉の言う言葉の大半を信じていない状態にある。
「煉夜君は、……煉夜君はいろいろと大変な思いをしていたっていうのはなんとなく分かってるの。空白の3ヶ月に何かがあった。そして、ここからはただの勘だけど、煉夜君はそれを忘れてなんかいない。でも、言えもしない。そんな状況なんじゃないかな」
雪枝は、煉夜に出会って数か月の間にずっと考えていた。最初は思い出せないことからくる不安と、周囲と隔たれた3ヶ月という時間が、彼を苦しめているのかと思っていたが、どうにも違うようだったのである。
思い出せないこと、おぼえていないことに不安を抱えるのは、だれしも大なり小なり経験したことはあるだろう。ベイカーベイカーパラドックスしかり、人は覚えていないことに不安を覚える。しかし、それは解決する。むろん、正解を聞いて解決するのも一つであり、そして、何より時間が解決するのである。
規模は違えど、金曜日の夜に寝て、起きたら日曜日の朝だったとしよう。そうなれば、周囲の話についていけない不安や土曜日を無駄にしたくやしさなどが湧き上がる。しかし、時間が立てば、そんなことは忘れている。3ヶ月、という膨大な時間は規模が違うが、それでも、約2年、少なくとも1年以上が経過している。その間に煉夜は友人を作り様々な活動をしていたことは浅海から聞いていた。それだけの思いでと時間を経てもまだ僅かたりとも癒えない傷があるか。あるかもしれないが、煉夜を見ていて、どうもそうではないと気づいたのだ。雪白煉夜が抱えているものはもっと大きなものではないか、そんな思いが雪枝に芽生え、そして先ほどの結論にいたった。
「雪枝は時々鋭いわよね。しっかし、雪白煉夜、ねぇ。まさかとは思うけど……」
ユキファナはその魂の変遷を見る。ここまで圧倒的な強さを持つ者の中には、転生者という存在も多い。しかし、それを知るのは難しく、そうそう確かめられるものではないので、試さないが、ユキファナは、煉夜の魂を覗いて確かめてみることにした。
その魂の奥底には6人の魂が沈み込んでいる。しかし、いずれも転生とは無関係。つまり、雪白煉夜が転生者であるという可能性は僅かたりともなくなったのである。逆に言えば、ただの人として生まれたにも関わらずそれだけの力を持っているということでもあるのだが。
「やっぱり、運命は壊れ始めているのかしらね。それとも……」
ユキファナは、ふと夜空を見上げる。流星が空を駆ける。不吉な予感がした。流れ星を吉兆、願いをかなえてくれるものと認識する傾向がある日本ではともかく、かつては、中国などで凶兆の象徴とされた流れ星。受け取り方次第ではあるものの、ユキファナは凶兆と受け取った。
「今回の戦い、何か起こるのかもしれないわね。それも普通じゃない何かが」
そんなふうに呟くユキファナは気づくことがなかった。彼女たちを……主に雪枝を見る存在に。月の光を反射して輝く金色の髪に、目元を覆う銀色の流麗な細工が為された仮面。どこかの民族衣装の様な、不思議な雰囲気の服を身にまとう存在に。
「あれが……、あれが枝の死神を宿したものか……。それにその隣の彼……。彼の魂は興味深い。聖の様な状態、というわけでもないし、魂に直接魂を取り込んでいるのか。でもそんなことをすれば魂量数値が……」
そんなことを言いながら、屋根から飛び降りた。舞い上がる髪がまるで流星の尾のように広がった。
――雪白煉夜とリズ。彼らの前にMTTなど敵ではない。そして、普通ならば、その戦いは順当に終わるはずだった。そこにこの予想外が重なった時、……運命は「激動」する。
これは、煉夜とリズの英国との戦いの序章であり、そして、魂の「慟哭」の物語。




