064話:英国の襲撃
雪白煉夜という人間は、この世におけるあらゆる言語を理解し、また、最適の伝え方をできる魔法がかけられている。かつて、異世界という知らない場所に放り出された煉夜の前には、導き手が誰も、いや何もいなかった。ただの草原に放りだされた彼は、その世界の言語が分からない。しかし、彼が幸運だったのは、偶然出会った相手が魔女だったこと、そして、魔女に恐怖や畏怖ではなく憧れを抱いたことだった。世界から疎まれ、排される魔女は、自身を必要とする人間に出会い、彼に言語を理解できるように魔法をかけた。
それゆえに、雪白煉夜は、理解しようとしなくてもその言語が分かるし、伝えようと思わずとも、口から出た言葉は相手の聞きなれた言葉に変換される。無論、多少の理解がある言語であれば、意図的にその言語で話すことも可能なので、授業で英文を読まされても、それは英語に聞こえるようになっている。
前に、火邑が電子辞書を借りに来たときに、電子辞書を持っていなかったのもこのためである。煉夜には電子辞書など必要ない。
「多言語理解はかなり難しい魔法でしたよね。精霊の加護等と同等なので、それこそ常人には使えないですし、今の魔法技術では不可能ですよ」
リズがそう言う。この中においてこの世界の魔法について最も把握しているのはリズであり、そのリズが不可能というのだから、不可能なのだろうとアーサーは思った。
「まあ、今の魔法技術では不可能でしょうね。でも、彼の場合は事情が違うもの。まあ、だからこそ、関わりを持ちたくないんだけれど。どの世界ともいえない曖昧な存在の魂はどこの世界にも送るのが難しいから、死神としてはお断りよ」
本来、魂は、生まれた世界の中で循環していくものである。しかし、その循環を外れてしまったものは、生まれた世界が曖昧になる。回帰できない魂の大半は消滅するが、稀に、転生という奇跡も起こすだろう。無論、生まれた世界がはっきりしていても転生する可能性もある。例えば魔女たちの様に、その世界の中で幾度となく転生を繰り返すものもいるだろう。もっとも、【緑園の魔女】の様に、異世界と強くかかわりを持ったために魂が変質し、別の世界に転生してしまう例もある。
「それで、不可能とされる魔法をかけられている煉夜様は、一体何者なんですか?」
リズは、スファムルドラの聖剣、アストルティの担い手になっている時点でただものではないし、魔法の体系がリズと同じことからも煉夜がただの日本の魔法使いとは考えていなかった。
「煉夜様て、リズ、貴方が人を様付けするの初めて聞いたけどそれって立場的にどうなのよ」
ユキファナは唖然としたように目を見開いていた。アーサーも心情としては似たようなものだろう。
「誤魔化さないでください。ユキファナ、貴方が何かを知っているのは分かっているんですよ。煉夜様は聞いても教えてくれないでしょうし」
チラリとわざとらしく煉夜を見るリズ。煉夜は知らん顔をしていた。ユキファナはそのようすを見てため息を吐く。雪白煉夜が何者であるか、それをユキファナが明確に示すことは不可能だろう。ユキファナが知っているのは、あくまで魂的な情報まででしかない。それ以上は知らないのである。
「そうは言っても、知っているのは彼の上辺だけ。その経歴なんか知らないし、なんていうのか、年表を見た、みたいなもんなのよね。だから何者か、と聞かれても獣狩りとか魔女の眷属とかそういったことだけよ」
ユキファナは上辺と表現したが、実際、彼女が知っているのは真逆で上辺を知らず本質を知っているに近い。なぜなら、魂というのはその人間の本質を如実に示しているのだから。その魂の来歴を知っているということは、本質を直接目で見ているようなものだ。
「あの煉夜君?さっきから姉さんたちは少し頭のネジが外れた様な発言をしていますけど、煉夜君は無理に合わせなくていいですからね?」
話についていけていない雪枝は、ユキファナを憐れむような目で見て、煉夜にそう言った。雪枝はあくまで常人なのだ。家のことは知っているし、死神のことも知っている。だが、あくまで、彼女は常人で、常識的なのだ。
「ユキファナの妹だというのに、何も知らされていないのですか?それとも……」
アーサーは、先ほどのユキファナの発言を思い返して、雪枝がここまで話についてこられない理由に至る。
「ええ、そういうことよ。だから余計なことはしないでね、アーサー」
ユキファナは苦笑する。だが、本心では笑いなど無く、真剣だった。雪枝を戦いに巻き込まない。それが、ユキファナの戦う理由となっているのだから。
「……ん」
煉夜が僅かに声を漏らす。知覚域に知らない魔力反応を感じたからである。それがリズ達を追ってきた敵であるのは想像に難くない。煉夜はすぐに、感知レベルを引き上げる。流石に、この学校にリズ達がいるというのが敵に察知されるにしては早すぎる。つまり、敵がリズ達の位置を知る何かがあるのではないか、と判断したのだ。
「これか……」
煉夜が感知したのは、ごくごく微量な魔力を放つ小さな何か。流石に微量過ぎて、普通の知覚では気が付かなかったのだ。
「おい、リズ、少しいいか?」
そういって煉夜はリズの返事を聞く前に、そのネグリジェの様な服をめくり上げる。その瞬間、皆の表情が固まった。雪枝が声を大にして叫ぶ。
「な、なな、何をやっているんですかぁ!」
そんな雪枝を全く気にせず、煉夜は、服に裏についていた発信機の様な物を撮む。ごくわずかな魔力を放つそれは電池で動いているようで、現代技術と魔法の融合とも言えるものだった。煉夜のいた場所にはなかった技術なので、煉夜も気づけなかったのである。
「アーサー、ユキファナ、これだ」
リズの服から手を離して、煉夜は、アーサーとユキファナにそれを見せる。ユキファナはこういう技術には疎いが、ごく微量な魔力を感知できた。アーサーは仕事柄、こういったものを見かけることもあるので、それが何かがよくわかる。
「発信機、いつの間に!MTTの常套手段だというのに忘れていました」
アーサーの発言に、これがやはり発信機の類だと理解した煉夜はそれを握りつぶした。そして、知覚域にいる12人をどうするかと考える。ユキファナ、リズ、アーサー共に未だに接敵には気づいていないようで、発信機についてあれこれ話している。
「魔力の使用反応……、なるほど、一気にこっちに跳んでこようってわけか」
煉夜は、引き上げた知覚域内での魔力行使を感知し、戦闘態勢に入る。雪枝が近くにいる上に、式神で見張られている状態で、魔法などをおいそれとは使えないのだが、木連たちは煉夜の魔法を陰陽術と勘違いしている節があるので、軽いものならば大丈夫だと考えている。雪枝に関しては、姉が常識外の存在ならば最悪どうにかなる、と判断した。そして、一応、手には式札を握る。
「あれ、煉夜君何を……」
先ほどのリズの服をめくり上げて以来、叫んで固まっていた雪枝が、煉夜が動いたことで、動き始めた。雪枝の言葉につられて他の3人も煉夜の方を見る。
――その瞬間、高速で接近する魔力反応がようやくユキファナの知覚域に入った。ユキファナが対処しようにもほぼ間に合わない。
「死風天」
とっさに、風の障壁を張るのが精いっぱいで、しかも、動き出していた煉夜をその障壁内に収めるのは無理だった。ユキファナはとっさに煉夜に声をかけようとしたが、敵が、職員室の窓や壁を壊しながら、飛び込んでくるのには間に合わなかった。間に合わない、どうしようもない、とアーサーとユキファナは思う。
魔法には詠唱や儀式、作法といった発動するために必要なものがある。リズの魔法こそ、それら無しで大変な威力を発揮するが、それはリズのみに使えるものだ、と2人は信じていた。そう、魂が見えるユキファナでも魔法の体系などは分からないのである。
だが、破壊音や衝突音の中でもはっきりと聞こえるフィンガースナップの音と共に、全てが流転する。襲い来る風を纏った男を、突風と轟雷が弾き返した。それは無詠唱で、かつフィンガースナップ一つで出すのは到底できないものだ。そして、ユキファナにはしっかりと分かっていた。あの魔法体系は、リズの魔法体系と同一のものである、と。
「リズの魔法。どうしてあれを使えるのよ!」
ユキファナの言葉は暴風と轟雷で掻き消される。煉夜の手に持っていた式札が風で舞い上がった。念のためにこれを持っていたのは、監視に一応陰陽術を使っているように見せるためである。
「チッ……、一人倒したが、あとはどうするか」
流石に、あの規模の魔法を陰陽術と言い張って連発するわけにもいかないので、どうしたものかと考える。幻想武装を使うわけにはいかないので、そうなると聖剣アストルティを使いたいところではあるが、家に置いてきてしまっている。そもそも、日常で出かける上で剣を持ち歩くはずもない。
そんなとき、ふと、アーサーの聖剣が目に入る。アーサーは正直に言って戦えるような状態ではなかった。敵を引き付けて戦ったせいで、かなりのダメージが残ってしまっている。こんな状況でまともに剣を振るえるわけもない。
「おいアーサー、その剣を貸せ」
敵の気配を察知しながら、煉夜はアーサーに言う。呆けていたアーサーは急に呼びかけられて、思わず聖剣を煉夜に渡すべく放り投げた。
「あっ!」
投げてからアーサーは気づく。そう、アーサーの持つ聖剣は、一般的な聖剣、例えばアストルティなどとは違うものだ。ユキファナはかつてそれを人工的な聖剣と称した。
その剣は特別なものだ。担い手になるには条件がある。それこそ、選ばれた者だけが持つことが出来るのだ。かつては《古具》と呼ばれたものを持つものと《聖剣》を持つことが出来るものは完全に分かたれ、ごく一部の例外を除いて、《古具》持ちがその剣に触れたら痛みが全身を蝕むほどだ。今の世には《古具》が無いため、煉夜が苦しむことはないだろうが、選ばれた者でないならば、この聖剣はただの鉄くずと同じ。
つまり、この敵に鉄パイプで挑めと言っているようなものであると気づいたのだった。




