063話:英国三人娘
夕暮れで黄昏色に染まる校舎はほとんど明かりが灯っていない。部活動をやっている生徒たちももう帰った後だった。そんな中、ただ、明かりが灯っているのが職員室であった。
職員室では、焔藤雪枝が一人、むなしく机に向かって書類仕事をしていた。先ほどまでは、部活動の顧問をしている教師も幾人か残っていたが、ほとんどの生徒が帰ったことを確認すると、帰宅していった。残念なことに、雪枝は帰ろうにも仕事が終わらず帰れなかったのだ。いくら姉のためとはいえ、これほどまでに仕事を溜めこんでしまったことを雪枝は痛烈に後悔していた。ふだんは、どちらかというと仕事をためることがないため、雪枝はあまりない経験に、心底焦りながら、必死にサインとハンコ、時折ノートパソコンと日誌に目を向け続ける。
もはや泣きたい気分の雪枝の耳に、ありないノックの音が聞こえてきた。部活動も終わり、学校には誰もいないはずの今、誰かが職員室のドアをノックするはずが、と考えて気づく。
「あ、普通に警備員さんですよね」
一人だ、という先入観が強すぎたなぁと思いながら、目の前の書類を置いて、「はぁい」と返事をしようとして気づく。自分がいま置いた書類は何の書類だったか。もう一度、神に目を戻す。「費用削減のため休日警備員廃止のお知らせ」。書類は上に積み重ねられていく。つまり、今まで処理していたのは最近のものとなる。そして、このお知らせがあったのは、少し前。つまり、もう休日警備員廃止は実施されて、本日見回っている警備員などいないのである。
雪枝の冷や汗が止まらない。今、扉の前にいるのは誰なのか、それが分からず、思わず震える。ドアについた曇りガラスの向こうに何がいるのか、雪枝は恐る恐るドアへと近づいていく。そして、雪枝がドアを開けようとした瞬間、
――ガラガラ
とドアが開かれて、それと同時に声が聞こえてきた。雪枝の心臓は止まりそうになる。
「あれ、鍵も開いてる。いないはずないんだが……」
ドアを開けた青年と及び腰でおっかなびっくりとドアに手をかけようとしたまま固まった雪枝の視線が交差する。
「何をやってるんですか、雪枝先生」
変な体勢で固まっている雪枝を見て、青年、というか煉夜は、変なものを見た、といわんばかりの顔で雪枝に言う。
「れ、煉夜君?!な、なんでここにいるんですか?!」
まるで、いるはずの無いものを見た、といわんばかりに抗議する雪枝に煉夜はため息を吐きたくなる。
「ただの人探しの手伝いをしていたんですよ。ほら、リズ、この人が雪枝先生だ」
煉夜の後ろに隠れるようにいたリズに、雪枝は気づいていなかった。だから、現れた金髪の少女を見て、驚いて呼吸が止まりそうになった。それほどまでに可愛らしい外見だった。
「えっと、日本語は苦手なのですが、通じているでしょうか。貴方の姉の友人のリズと申します。ユキファナに会いたくて来日したのですが、彼女がどこにいるか分かりますか?」
日本語で話すリズ。煉夜とリズは基本的に英語で会話していたのだが、正確には、リズのみが英語で会話していた。
「えっと、お姉ちゃんの友人……そっか」
雪枝がとても悲しそうな顔をした。煉夜は負傷した姉のことを思い出したからだ、と思ったが、雪枝の言葉でそんな感想は吹っ飛ぶ。
「お姉ちゃん、いくら友達ができないからって、こんな幼い子を友人にしなくても」
ユキファナは見た目こそ若いが、それこそ、雪枝の姉なのだからリズとの年の差は約20歳。親子ほどの年の差だろう。
「ユキファナは学友ですよ。彼女、大学生ですから」
ユキファナ・エンドはリズと同じくMTRSに通う扱い状は大学生だ。それもリズの研究室に所属している。リズが学位を取る前からの友人であり、アーサーよりも長い付き合いになる。
「え、お姉ちゃんが大学生?!」
既に日本の大学を出ているユキファナがさらに英国に行ってまで大学に通うとは思っていなかった雪枝は目を丸くしていた。
雪枝が驚愕の表情をして、固まっている、そんなとき、煉夜の知覚域に感じた覚えのある魔力の何かがやってきた。すぐに煉夜は、自分が躑躅ヶ崎館で戦っているときに京都で戦っていた気配だと悟る。
「でも、なんで大学なんか……、お姉ちゃんがあれ以上勉強することなんてほとんどないと思うんだけどなぁ」
ほとんど独り言の状態でつぶやく雪枝に対して、煉夜は、完全に気配を消して窓から入ってきた当人を見ながら言う。
「そんなに理由が気になるのなら、当人に聞けばいいじゃないですか?」
その言葉に雪枝は「ふぇ」と間抜けそうな声を漏らす。リズですら、彼女の存在に気づいていない。
「あら、流石は獣狩りのレンヤ、気配には敏感なのね」
雪枝が振り返り、リズも声の方を見た。燃えるような赤い髪に褐色の肌の女性。姉妹という事前情報がなければ雪枝の家族には見えないだろう。
「なんだ、こっちの情報は既に持っているのか、ユキファナ・エンド。確か、イガネアの死神とかいったか?」
龍太郎や鳳奈が言っていた言葉を借りる形でだが、煉夜はユキファナに言う。一方的に情報を握られているわけではないというアピールをしておかないと、まず対等な関係にならないため、下に見られる。煉夜はそれを避けたかった。
「ええ。それにしても雪枝に会いに来たら、君に会うとは……。君とはあまり縁を持ちたくないんだけれどね。それから、リズ。あんたが英国の外に出るのはまずいでしょうが。アーサーはどうしたのよ」
その辺の席の椅子を適当に引いて、座るユキファナ。まだ万全ではないのか顔色が悪いようにも見える。
「アーサーは、まだ、東京か、それともはやくて新幹線の中、でしょうか」
リズは考えながら言う。リズの乗った新幹線の次の新幹線に乗れるほど敵が早く片付くとは思えないし、それ以降なら、まだ京都にはついていないはずだ。
「いえいえ、いますよ、ここに」
かなり傷を負いながらも、その腰に輝く聖剣《C.E.X.》の輝きは失われていない。しかしながら、アーサーが京都にいることはあり得ない。
「アーサー、どうやってここまで来たのですか?」
リズの問いかけに、アーサーは苦笑しながら、先ほどあった出来事を語る。それがどことなく呆れているようにも感じられるのはどうしてだろうか。
「先代の友人が偶然にも東京に来ていたらしく、この聖剣を見て身内と判断してくれて、銀朱の光と共にオレをここに運んでくれました」
アーサーは「先代の友人は規格外ばかりです」と苦笑した。そんなことを言うアーサーに対して、煉夜は訝し気に眉根を寄せる。
「アーサー、というと、あのアーサー王伝説のアーサー王か?」
煉夜が聖剣とアーサーから連想したのは、そのアーサー王だった。煉夜がプレイするアドベンチャーゲームにも時折、その設定が出ることから詳しくはないが知っている。
「ええ、といっても、名を継いでいるだけですが。先代は本物のアーサー王と戦ったことがあると言っていましたが嘘か誠か」
流石のアーサーも、この時世に本物のアーサー王と戦ったことがあるなどという世田話を信じられなかった。
「先代のアーサーというと、あの《チーム三鷹丘》のアーサーのことよね。あんたの剣の師っていう。会ったことはないけれど、そのアーサーならcode:dremerに昇った一人でしょうし、あながち嘘じゃないと思うわよ」
ユキファナがそんな風に言うが、煉夜、アーサー、リズ、雪枝の全員が分からない単語が多すぎて理解できていなかった。
「お、お姉ちゃんがおかしなことを言うようになってるぅ……、もしかして、その年にして大学に入ったのも、変なことを言うのも幼児退行の一種?行き過ぎた年齢を取り戻すために精神だけを必死に幼く?」
雪枝が姉の言動を心配に思いそんなことを言い出した。しかし無理もないだろう。いくら不思議な力を遺伝する一族とはいえ、訳の分からない単語をつらつらと並べて訳知り顔でドヤ顔していたら、そう思うはずだ。
「雪枝は知らなくていいことよ。雪枝は決してこちら側に来るべきではないんだから」
と、ユキファナが雪枝のことを思い言った言葉も、雪枝には言動のイタい中学生が言ったカッコいいセリフにしか聞こえなかった。
「自己紹介が遅れましたね。オレはアーサー・ペンドラゴン。英国教会の《聖王教会》リーダーで、円卓の騎士のリーダーでもあります」
英国教会こと、聖王教会。聖王教会のリーダーはある時期より、アーサー・ペンドラゴンの名を継ぐようになった。そも、アーサー王はペンドラゴンと名乗ったことはなく、ペンドラゴンは、父ユーサーが貰った称号である。しかしながら、リーダーがアーサー・ペンドラゴンと名乗っている伝統は消えていない。
また、聖王教会には、円卓の騎士、ナイツ・オブ・ラウンズと呼ばれる聖剣使いたちがいるが、実際の円卓の騎士よりも数が少なく、また、ほとんどの聖剣が現在は使い手のいない状態のため、ほとんど空席である。他にも神遣者や馬係などがいる。
「ああ、雪白煉夜だ。えっと、見たところ、そう年が変わらないくらいだと思うが、言葉遣いはこのままで構わないか?」
煉夜はアーサーに応え、自己紹介を返した。アーサーに最も聞きなれた言語で聞こえるそれは、ネイティブな英語で聞こえた。
「ええ、構いませんよ。それにしても随分と綺麗な英語ですね。見たところ日本人のようですが、よほど語学が堪能なのですね」
アーサーの発言に、リズ、雪枝が「ん?」と首をかしげる。リズには仲間内の適当な英語、つまりとてもきれいとは言い難い英語に聞こえ、雪枝には普通に日本語に聞こえていた。
「待ってください、煉夜君は、今、普通に日本語で話していましたよね?」
雪枝の発言に、アーサーとリズが首を傾げた。どうにもかみ合っていない、と互いに見合う三人を他所に、ユキファナは、職員室に備え付けられている冷蔵庫を開けて、中の無糖の紅茶(雪枝の私物)のペットボトルを勝手に開封しながらいう。
「そりゃ、多言語理解の魔法かかってるから当然じゃない?」




