062話:英国の少女
青年はリズを抱えたまま、しばらく京都の街を走った。どのくらい走ったのかはリズでも曖昧だったが、そう長くない時間だ。そして、青年は追手が来ないと判断して、足を止めた。その額には汗一つかいていない。これだけの距離を少女とはいえ、抱えて走ったのだ。汗一つかかずに走るなどおかしい。だが、青年は平然とやってのけた。
「さて、ここまで来れば大丈夫だろう」
何度聞いても聞きなれた言語で耳に入ってくる青年の言葉。英語圏の生まれの様には見えないのに、そのネイティブさが不思議だった。
「助けていただきありがとうございました。わたくしはエ……いえ、リズ。リズとお呼びください」
リズはあえて本名ではなく愛称で名乗った。ここで本名を出して、要らぬ騒ぎを起こしたくなかったのである。
「俺は、煉夜。雪白煉夜だ。それで、リズ、聞いてもいいか?」
青年、雪白煉夜はリズに質問をしていいかと問いかける。リズは首肯し、どのような質問が来るのかを待った。概ね、質問に関しては予想がついていたが、リズは煉夜の言葉をあえて待つ。
「……案内は必要か?」
リズの予想とは全く違う質問に、思わず固まった。リズは「さっきの奴らはなんだ」や「お前は何者だ」といった質問が来ると思っていた。しかし、質問の内容は「案内は必要か否か」である。リズはいま、アーサーとはぐれ、一人になってしまった。案内してもらえるのならそれに越したことはないだろう。しかしながら、リズには疑問が浮かぶ。
「なぜ、わたくしに案内が必要だと?」
そう、何者かに襲われていただけならば、道に迷っているわけでもないので、案内に関する質問にはつながらないはずである。では、煉夜は何から案内について導き出したのか。
「見たところ、そこそこの身分ではありそうだし、そんな恰好だ。襲われたまま、新幹線で京都まで、というところだろう。案内役がいたとしてもはぐれているか、片方が半分ほど引き付けたか。とにかく、人探しのようだしな、案内役か手数は多い方がいいだろう」
考えてみればリズはネグリジェに近いほぼ寝巻姿。それでも高貴で気品ある風格があるのは、煉夜の言う通り身分と血筋だろう。そして、案内役というか日本での活動をサポートするはずのアーサーと分断されてしまっている以上、確かに案内役が欲しい。案内役にならないにしても、一緒に探してくれる人ではほしい。しかしながら、リズは一言も人を探しているなどとは口にしていないし、見た目から分かるものでもない。なぜ、人探しなのか。
「ん、人探しじゃなかったか?俺はてっきり、誰かを探しているんだと思ったんだが」
さも当然というような煉夜に、リズはしばらく言葉も出なかった。鋭いや勘がいいという次元の話ではない。この雪白煉夜というのは何者なのか、リズの中で疑問は膨れ上がる。
「観光なら、わざわざ襲われるリスクを冒してまで、今来る理由がない。かといって物や何かが目的だとしても、狙われている本人が来る必要がない。そりゃ、用心で自分の目で見たいと考えることもあるだろうけど、それだったら信頼できる鑑定士とかの方がよっぽど当てになる。なら、実際に来ないといけないもの、そりゃあ、相手が人の場合だろう、と思ってな。まあ、人にしたって誰かが連れてくりゃいいわけだが、友人なんかだと、実際に目で見て無事を確認したいと思うのが人間の心情だろうし。根拠のない推測だが、どうだ?」
例えば、ボールペンが必要な時に、コンビニに行く友人についでに買ってきてもらうことがあるだろう。しかし、友人と遊びに行くのに、偶然別の友人が近くを通るからついでに遊びに行くのを頼まないだろう。
「当たっていますよ。わたくしたちの目的はこの人物を探すことです」
そういってリズが取り出したのは1枚の写真だった。念のためにと肌身離さず持っていたことが幸いして、この状況においてもリズはその写真を持っていた。
「……なるほど」
煉夜は写真を見て、頷いた。見知った顔だったために、少し脳が壊れたのではないかと、写真から目を離した。そして、再びその写真を見る。
「……どうやら疲れているようだ。俺の目には、雪枝先生にしか見えんな」
目をこすろうと、どうしようと、その写真に写っているのは焔藤雪枝だった。目の前の外国人少女と雪枝の関連性が見いだせず、先ほどまでずば抜けて鋭い勘で見抜いていたはずの煉夜はですら意味不明となった。
「ええ、そのユキエという人物に会いたいのです。わたくしたちの友人であるユキファナ・エンドの姉である彼女に」
ユキファナ・エンド。煉夜はその名前に眉根を寄せた。そう、流石の煉夜も、あの日、山梨県にいっている間に京都で起こった衝突の結果を小柴から聞いていた。あの日に戦いの後、入院した女性は英国籍のユキファナ・エンドという女性。風塵家は跡形もなく消滅し、風塵楓和菜の姿は見当たらなくなっていた。
その程度の情報しか煉夜には流れてこなかったが、よもや、そのユキファナが雪枝の姉だとは思っていなかった。
「しかし、雪枝先生かぁ……。確か、最近仕事が溜まってるとか言っていたから、まだ職員室にいるはずだな。よし、案内しよう」
仕事が溜まっているのは別に雪枝が不真面目だから、というわけではなく、最近では、平日も遅くまで残らずに、ユキファナに面会するために病院に言っていて、仕事が滞っていただけである。
「よろしくお願いします、レンヤ様」
にっこりと笑い、そう言うリズの姿が、一瞬、知り合いにダブって見えて、煉夜は目眩がしたような気がした。
「なんだ、その『レンヤ様』ってのは」
むず痒く、そして、どこか心にくるその呼び方をするリズに、頬を掻きながら目を逸らして聞く煉夜。
「そうですね。わたくしも普段は人を様付けで呼んだりはしないのですが、何故か、レンヤ様はレンヤ様とお呼びしたくなるのですよね」
リズはどちらかというと人を呼び捨てにするタイプの人間である。それは、態度が横柄だとかそういう話ではなく、親しみを込めているからだ。
「大変光栄なことだが、できればやめてほしいな」
煉夜は思い出したくないことまで思い出しそうだ、とリズに言う。しかし、リズはその呼び方をやめるつもりはないようだ。
「わたくしはわたくしの直感を貫きます。レンヤ様と呼ぶのはやめませんよ」
リズの言葉に参ったような煉夜は、仕方ない、とため息を吐く。どうにも煉夜はリズに弱いようだ。
「分かった分かった。ったく……どうして、俺はこの手の女には弱いのか」
相手が少女であるか否かではなく、相手の性格がどうにも煉夜にとって苦手な部類であるようだ。
「では行きましょうか、レンヤ様」
にっこりと笑いながら、煉夜の腕に自分の腕を絡めるリズ。火邑が子供時はこんな感じだっただろうか、と思い出そうとして、随分前のこと過ぎて思い出せなかった。
「時にレンヤ様。レンヤ様は、剣を嗜まれますよね?」
唐突な問いに、煉夜は迷うが、少しの迷いの後に頷いた。ほぼ我流だが、確かに煉夜は剣を使う。
「ああ、まあ。ほぼ我流だけどな。そういうリズも剣を使うんだろう?所作の端々に騎士のそれが見える」
互いに剣と魔法を用いる。しかし、煉夜は獣狩りのレンヤとして名を馳せたように、剣を主な武器として、リズはMTRSに通うように、魔法を主な武器としていた。似ているようで違う2人。
「はい。いつか手合わせ願いたいものです」
得物を持ってきていない状態で煉夜と打ち合おうとは思えないのか、リズは「いつか」といった。煉夜は苦笑いしながら思う。
(稽古じゃなく手合わせ、か。よほど自身があるんだろうな。まあ、実力はあるだろう。だが、それよりも魔力だ)
そう、煉夜がリズから感じるのは果てしない魔力の器。現在はほとんど使える量が残っていないようだが、その魔力はかなりのものだった。
(なぜか封印状態にある魔力があるようだが、無意識下で押さえているのか?)
リズが本来持っている器に対して、現在、彼女が発揮できるのは半分以下というところだろう。魔力を消費しているからではない。消費している分を加味しての正統な評価だった。
「ああ、いつか手合わせをしよう」
その言葉にどこか重みを感じたのはリズの気のせいではないのだろう。リズは、その煉夜の表情が異様に心に残る。
「レンヤ様は剣を振るうのがお嫌いですか?」
リズの問いかけに、煉夜は、既視感を覚える。昔、同じ問いかけをされたことがあった。その頃の煉夜は、今ほど達観していない未熟な煉夜だった。だから
「嫌いだ」
と答えた。しかし、今の煉夜の答えは違うだろう。それからかなりの時間を剣士として過ごした煉夜は、
「そう思っていた時期もある。だが、今となっては嫌いだった、だな。剣ってのは俺自身だ。別に好き嫌いで語るようなもんでもねぇし、振るうには振るうだけの理由と覚悟がいる。昔の俺はそれを知らなかっただけさ」
かつての煉夜は、覚悟も理由もなく闇雲に剣を振るい、そして――。だからこそ、煉夜は剣を振るうのが嫌いだった。だが、数百年と重ねた剣は、いつしか理由と覚悟を煉夜に自覚させる。斬る理由と斬る覚悟。どんなにしっかりとした理由があろうと、覚悟無くては意味がない。どんなにゆるぎない覚悟を抱こうと、理由がなければ意味がない。
「随分と達観した考えをお持ちなのですね、レンヤ様は。理由と覚悟、ですか。確かに、剣には理由と覚悟がいるのでしょうね。そして、わたくしは理由がないから剣が鈍いのでしょうか。剣を振るうなら魔法を使った方が早いですからね。剣を振るう理由が欠けています」
煉夜もまた、剣よりも魔法の方が早かった。しかし、煉夜が相手にしてきたのは、魔獣たちだった。中でも超獣以上になると、魔法をレジストするようになるものも出てくることがある。それゆえに、煉夜は、魔法ではなく剣を使うようになる。
「まあ、理由など、その時々によって出てくるものさ。リズも魔法が使えない状況で戦うことを強いられた剣を振るう理由ができるだろう?」
そこから平時も剣を使うか、平時は魔法を使うかは本人しだいである。そうして、リズは思い出す。生まれつき魔力を持たず、それゆえに魔法が使えない、だが、剣の道を昇った友人のことを。ディナイアス・フォートラスという騎士のことを。
「だから、ですか。彼女には理由があった。覚悟もあった。だからあれほどまでに強い剣を振るうことが出来たのですね」




