060話:英国の風
朝霧に濡れる街を一人の少女が駆けていた。目に入れば思わず目で追ってしまうような美しい金髪。その少女は髪が濡れるのもいとわずに走る。石畳の上を駆け抜ける様は、いたずらに飛び回る妖精のようである。彼女がいるのは霧の都・ロンドン。英国の首都にして大きな町であった。古き良き街並み、という日本で使われる言葉があるが、イギリスなどでは、当たり前である。石造りでかつ、地震や豪雨などが少ないこの地域では建物の耐久年数が高く、いつまでも変わらない街並みを受け継いでいくのだ。
そんなロンドンで有名な、ウェストミンスター宮殿に付属する時計塔が見える場所を彼女は目指していた。時計塔、日本人になじみのある通称であればビッグ・ベンだろう。正式にはエリザベスタワーと呼ばれるが、その前はクロックタワーであった。エリザベスタワーはエリザベス二世の在位60周年を記念して、改称したものだ。この時代からは幾分前のこととなる。
「リズ!こっちです!」
走る少女に手を振り合図を送るのは金髪の女性。名をアーサー・ペンドラゴン。英国教会である聖王教会のリーダーを務める女性だ。彼女は極めて遺憾ながら、先代のアーサー・ペンドラゴンよりその地位を継いだのである。
「アーサー!」
リズと呼ばれた少女は、アーサーの胸に飛び込むように抱き付いた。齢10くらいの少女とアーサー、見るものが見れば姉妹や親子の様である。しかし、彼女らはあくまで対等な友人関係であるという。それはもはや親友といってもいいほどに、仲がいいのだ。
「アーサー、こうして連絡をくれたってことはユキファナの行方が分かったんですね?」
リズはアーサーに問う。そう、ユキファナもまたリズとは友人である。それも同じ学び舎で育った学友。むしろアーサーとユキファナよりもリズとユキファナの方が長い関係であるのだ。
「ええ、もちろん。日本へ行ったことだけは分かっていたので、かなり簡単でしたよ。どうやら、今はどこかで入院中ということで、詳しい場所までは流石にまだですが、妹さんが面倒を見ているということですから、妹さんと接触するのが一番だとオレは思います」
ユキファナ・エンドが行方不明になってからしばらくの時間が過ぎていた。あの時、英国において、彼女が日本に行ったのを知っていたのはアーサーだけだったので、アーサーが調査を始め、ようやく見つけるに至ったのである。
「ユキファナほどの子が帰ってこれないんだからそれなりに事情はあるとは思っていましたが、まさか入院していたとは思いませんでしたね」
リズは唸った。まだ見ぬ日本という国がどんなに恐ろしい場所なのか、と想像するも、何もわからなかったのである。
「リズでも日本は分からないんですか?」
アーサーがそう問う。リズは日本についてほとんど知らないのである。無論、情勢などは把握しているが、一々、その国の特色などまでは把握できていなかった。あくまで、アジアの一国程度の認識だ。
「残念ながら国とかそういう知識はあまりないので」
肩を竦めながらリズが答えると、アーサーが意外だ、という顔でリズを見ていた。アーサーの中ではリズは何でも知っている人間という評価だったのである。
「リズでも知らないことがあるんですね。でも、まあ、実際のところ、オレも日本は全然知りませんからね」
それでもアーサーは全く知らないというわけではなかった。むしろ日本に関するいらない知識なら山ほどある。
「先代のアーサー曰く、日本とは普通の国ではないらしいですけど。とにかく、異常な人間が一定の割合いるらしく、アーサーでは手も足も出ないほどの人間がいたこともあるとか」
流石に誇張や脚色がはいっているでしょうけど、とアーサーは苦笑する。しかし、それは紛れもない事実として存在することであった。
「日本……そこに何かが」
リズが呟いた時、右手の甲に明かりが灯る。それは黄金の光だった。まるで、今思い浮かべた日本にある何かに共鳴するかのようでもあった。
「……これは、聖剣!」
リズには本能的にそれが何と共鳴しているのかがよくわかっていた。それは間違いなくスファムルドラの聖剣と呼ばれるものだった。リズの胸が不思議と高鳴る。
「そうと決まれば日本に行く準備をしましょう、アーサー」
踵を返し、一刻も早く日本へ、という態度を示すリズに対して、アーサーは焦った顔を見せる。まさか、リズも行くとは思っていなかったのだ。
「リズ、行く気ですか?ダメに決まってますよ。わざわざこんな人通りの多い時間に指定したのも、貴方が狙われないようにとオレが最大限に配慮した結果なんですよ。それが国外なんてなれば、間違いなくMTTが仕掛けてきますって!」
魔法犯罪組織と呼ばれるMTT。リズはそこに狙われている。そのほかの様々な組織も隙があれば彼女に手を出そうとするだろう。だからこそ、アーサーは聖王教会の神遣者を派遣するつもりだった。しかしながらリズが行く気満々であり、こうなったら行くまで駄々をこねることも必死だろう。
「分かりました、けど、注意してくださいよ。オレが付いていても、守りは万全ではな――」
アーサーが言いかけた瞬間、リズは敵の魔力を瞬時に察知して、咄嗟に対抗魔法を放つ。その独特な魔法は、英国が確認する限り、世界に一人だけの特殊な魔法体系である。その独自性は誰にも真似できないという。
――パァン
軽い音と共に、敵の魔法は消滅する。これは通常あり得ないことである。リズよりも先に放った相手の魔法を、後に放ったリズが届く前に相殺するなどという真似はあり得ない。つまり、その不可能を可能にするだけの特異性がリズの魔法体系にはあるのだ。
「相変わらずな御手前で。流石は6人しかいない『薔薇』の授与者の中で、最年少にして最優の方です」
アーサーは素直に驚いていた。アーサーが先代のアーサーから聞いた魔法使いの弱点は、行使までの時間と威力が比例することである。つまり、タメが長い魔法程、威力は大きくなる。タメが短ければ威力は小さい。そのタメという行為が「詠唱」であったり、「刻印」であったり、「儀式」であったり、と何であるにせよ、時間がかかるなら、そのタメの間に剣で切りに行けばいい、と先代が言っていた。しかしながら、アーサーは今まで、リズとやった模擬戦において、一度も勝てたことが無い。無論、先代に比べてアーサーの腕が悪いのも理由だろうが、それだけではない。確実に、リズの魔法体系は奇跡の域にあるのだ、とアーサーは思った。
そんなアーサーに対して、かつてユキファナは、魔法というのは既にあるだけで奇跡だと笑っていた。この3人は、近接戦闘のアーサーに、近接と魔のどちらも使えるユキファナ、魔法で支援も攻撃もできるリズと、バランスのいいトリオである。
「まあ、最年少と言っても、特別な理由もありますけれどね」
リズは苦笑する。そう、リズがこの特殊な魔法体系を持っているのには理由があった。リズは生まれつきこの魔法体系を持っていた。
言葉だけで言われると訳の分からない話であるが、それは間違えようのない事実。彼女は生まれつき、この魔法体系を自在に操ることが出来た。普通ではないことであるが、彼女の両親はそれをあっさりと受け入れた。また、リズの特異な部分は他にもアーサーが知る限りいくつかあるのだが、それに対して、彼女が詳細を話したことはなかった。
「それで、アーサー。ユキファナの妹さんはどちらにいるんですか?」
リズはアーサーに問いかける。アーサーは資料を確認しながら、一枚の写真をリズへと見せた。
「彼女が焔藤雪枝、ユキファナの妹さんで、現在は京都にいますね」
「KYO・U・TO!」
リズは目を輝かせた。日本の特色に疎いリズでも京都については聞いたことがあったようで、テンションが上がる。
「ジャパニーズMA・I・KOやジャパニーズGE・I・SHAが出没するという魅惑の地ですね。おいしいTENPURAやFUJIYAMAが食べられるとか」
「リズ、富士山は山なので食べ物ではありませんよ?」
妙に偏った日本の知識で、アーサーは苦笑いをする。だがリズはほとんどアーサーの話を聞いていない。
「NINJAやSAMURAIも居て、MATSURIを担ぐんですよね?」
「忍者や侍はいるかもしれませんけど、祭りは担ぐものじゃないとオレは思いますよ。たしか櫓?神輿?屋台?よくわからないですけど」
ツッコミが知識不足で機能していない。アーサーは、本当にリズを連れて行って大丈夫なのかそこはかとなく不安になって来たので、あまり考えないことにした。
「さて、どうやって王室を説得すればいいのやら」
アーサーはこれから待ち受ける面倒事に溜息を吐く。先代のアーサーを恨めしく思うのだった。いつか帰ってきたら復讐してやろう、と心に固く誓うも、返り討ちに合う未来しか見えなかった。
「ほら、何してるんですか、アーサー!早くKYO・U・TO!に行きますよ」
袖を引っ張るリズに仕方なく足を動かすことにした。アーサーの心の中で叫ぶ。
(もうなるようになればいいんですよ!)
英国から日本へと吹く、この風が京都にどんな波乱を巻き起こすのか、それはまだ誰も知らなかった。
次章予告
休日に出かけていた煉夜は京都駅から逃げるように走ってきた金髪の少女とぶつかった。どうにも追われているらしい少女。煉夜は襲ってきた謎の男を返り討ちにする。
煉夜に懐いた少女は「リズ」と名乗った。リズを彼女が持つ写真の女性の元へと案内する煉夜。そこで、アーサー、ユキファナと合流したが、突如襲い来る謎の男達が魔法を使って暴れまわる。
この男たちは何者で、何が狙いなのか、そしてリズの正体とは……!全てが明かされたとき、舞台は日本の古の都京都から英国、霧の都「倫敦」へと移る。
――第五章、英国到来編




