058話:風の行方
京都にある名家、風塵家は、その日、跡形もなく吹き飛んだ。風と炎の衝突が起こした炎の竜巻が全てを焼いて燃やして吹き飛ばしたのである。その跡地に残っていたのは、満身創痍で倒れたユキファナ・エンド唯一人だった。そこに風塵楓和菜の姿はない。文字通り風の様に消えてしまった。僅かばかりの季節はずれな桜吹雪を残して、この日、風塵楓和菜は姿を消した。
彼女は、今、桜美月ビルの屋上に寝転んでいた。爆風で吹き飛んだとかそういうことではない。爆発で炎と風が余剰爆破を引き起こした瞬間に、転移させられたのだ。【桜吹雪の魔女】に。
「あらあらまあまあ、あなたらしくもない見事な負けっぷりですねぇ。ふわなんがこんなんになるとは予想外ですよぉ」
金色の髪をなびかせる彼女。桜吹雪とは無縁な雰囲気を放つ彼女は、それでも【桜吹雪の魔女】の名に恥じないだろう。彼女の家には遺伝的に桜色の髪と金色の髪、どちらかに生まれてくるとされている。桜色の方がそれっぽいという意味では的を射ていたのだろうが、彼女は金髪だった。
「うっさいわよ、モモ。猫かぶりすぎて原型ないし」
楓和菜は八つ当たりするように【桜吹雪の魔女】へという。それをまったく気にした様子もなく、【桜吹雪の魔女】は笑いながら言う。
「猫ってよりも虎をかぶってるわね」
「虎、ねぇ、言い得て妙だわ。それで、潜入捜査とやらはどうなっているのよ」
寝ころんだままで顔だけ向けて、楓和菜は【桜吹雪の魔女】と話を続ける。もはや立つ気力どころか喋っているのでやっとの状態なのだ。いや、しゃべることで気を紛らわせているともいえる。
「二重になったわ。そもそもが、特別顧問とかいう変な名義まで貰って潜入したのに、顧問に潜入捜査頼むってどうなのよ。顧問って言ったら、職権乱用できまくるし仕事しなくていい、みたいなこと思ってたんだけど全然無理無理。演技しながら仕事とかマジでやばいわ」
誰かに聞かれたら困る話を平然とする【桜吹雪の魔女】だが、その実力は高く、話が聞こえる範囲に誰もいないことが分かっているから普通に話しているのだった。
「スパイ、ねぇ。そう言えばなんでそんなことになっているんだっけ?大日本護国組織とか言うのってそんなに脅威かしら?あんたもあたしも一応日本人としての名前を持っているし、敵にはならないんだから」
神代・大日本護国組織の敵はあくまで国外の勢力である。日本や日本に類する場所で生まれた存在は敵には認定されない。また、様々な生まれを持つ「終焉の少女」や「魔城の主」、「無貌の神」、「黒騎士」などもどこで生まれたか、日本人であるか否かも曖昧で、かつ、可能性が大いにある以上、敵としては認識されない。
「そうよ。確かにわたしたちは認識されないでしょうね。ふわふわは完全な日本人だし、わたしも同様にアクスヴァイル……日本に当たる国で生まれているから。でも、他のメンツを思い出してみなさいよ」
そう言われて楓和菜は思い返す。日本人か否かというよりも人かどうかも微妙な面々の顔が頭をよぎり、思わず叫ぶ。
「無理ねッ!」
人かどうかも疑わしいのは数名だが、実際のところ、日本出身のメンバーは、【桜吹雪の魔女】、風塵楓和菜、真白部暁華月、森永東太郎くらいである。
「でしょうね。あかちゃんととうたろー以外は全部敵認定よ、……っと、それでぇ、これからどぉする?」
範囲に人がはいったのを知覚した瞬間、【桜吹雪の魔女】は喋り方を切り替える。その様子は正直、楓和菜には気持ち悪い以外の感想が出てこなかった。
「げぇ、顧問殿、まだいたんですか?」
現れたのは3人の人影。声を発したのは光月龍太郎、そして、その横には日ノ宮鳳奈。最後の一人は明津灘守劔であった。
「げぇって、そんなふぅにいっちゃだめですよぉ?本当に、りゅーたろーくんは変わらないですねぇ」
楓和菜は笑いそうになったので、瞬時に人格を岩波美里亞に切り替えた。美里亞も丁度、龍太郎と鳳奈に用事があるので切り替わるにはいいタイミングだった。
「お久しぶりですね、お二人とも。このような体勢で失礼します。それで、わたくしの目的のものはありましたか?」
美里亞は、居ても立っても居られないという様子で龍太郎と鳳奈に問いかけた。鳳奈は、懐から「七ツ枷ノ扇」を取り出して、美里亞に見せた。それは間違いなく「七ツ枷ノ扇」であった。長い年月の果てにようやく見つけることができたそれを見て、美里亞は喜びの感情が込み上げてきたが、それは一瞬で引っ込んだ。
「……ない」
思わず口からこぼれる言葉。そう、なかった。だからこぼれてしまったのだ。何が無いか、それは……
「封じられていたものが、全て、ない。そんな……そんなはずは、何故、いえ、何が……」
美里亞が封じられていたのは、この世界において、そう昔のことではない。むしろ、楓和菜が生まれてからなので、少なくとも100年以内、どころか60年から70年程度のはずである。そこまでは、確実に、美里亞と輝近が確かに封じられていたのだ。そこから、美里亞の魂だけが抜けている。
「ふわふわ……じゃなくてみりあんと同様にもう1人も魂が転生したんじゃないのぉ?」
【桜吹雪の魔女】の言葉に美里亞は首を横に振る。そうだとしてもありえないことがあるからだ。美里亞は「七ツ枷ノ扇」を注視する。しかし、何度見ても、その中は空でかつ、封印が解かれた様子はなかった。
「ありえません。もし、魂が転生したとしても、体は残るはずです。ミリア・サン・ストーンウェブと相花輝近の身体はどこに行ったというのですか?」
そう、「七ツ枷ノ扇」で封印したのは魂だけではない。身体も含めて封印したはずなのである。にも関わらす、全て空というのはおかしな話である。それも封印が解かれた痕跡もない。
「俺たちは、言われたままにそのまま持ってきましたけど、特には変なものもありませんでしたよ?」
龍太郎がそう言った。それは嘘ではない、とすぐに分かったので、余計に謎が深まる一方であった。
「しかし、まあ、こんなことのために、家も破壊するし、他家巻き込むし、結構まずいんじゃないですかね、岩波さん」
守劔がそんな風に美里亞に言う。それは忠告も含めた、叱るような物言いだった。京都司中八家に名を連ねている以上、京都で何か起こると、それに対処することになるのがどれだけ大変かがよくわかっているからだ。文句の一つや二つ言う権利があるだろう。美里亞の行動で、守劔の夫がまた忙しくなるのだから。
「烏ヶ崎……いえ、明津灘さん。久々に顔を見せて言うのがそんなことですか。それに司中八家の心労を減らすためでしたら、貴方ももっと頻繁に帰ってくることをお勧めしますよ。貴方の義妹2人も、片方は帰ってきていますし、もう片方はもうじき帰ってくるそうですよ、王子様を連れて」
明津灘守劔は、旧姓を烏ヶ崎守劔といい、明津灘大地と結婚して明津灘家に入った人間である。そのため、偉鶴や紫炎は義妹に当たる。
「帰ってくる、あの子が、ですか?」
守劔が疑問に思ったのは紫炎の方だった。紫炎が帰ってくることはあまりない。それも夫を連れて帰ってくるのは、ほとんどないはずである。なぜなら、紫炎は完全に明津灘家から出ていき青葉家の人間になっているし、その夫の方は忙しくてあちこちに動き回っている。子供3人の世話を1人でしている紫炎に帰ってくる余裕はあまりなさそうであった。だからこそ、その忙しい夫を連れて帰ってくることが意外で仕方がないのだ。
「ええ、王子様は、他の市原家と冥院寺家の妻と子供も連れて、ですけど。司中八家関係の家族を一度会わせておくつもりなのでしょう。こちらには裕華さんもいらっしゃいますしね」
改めてその話を傍で聞くと、凄い家族構成だ、と若干引く守劔。噂には聞いていた青葉の弟の方の話を聞いた【桜吹雪の魔女】。龍太郎は「やっぱすげぇな!」といい、鳳奈は「男ってこれだから」と呆れていた。
「それにしてもぉ、青葉の弟の方、かぁ……。モモも一回会ってみたいなぁ。……でも、姉の方がもっと会いたいけれどね」
【桜吹雪の魔女】は聞こえないくらいの小さな声でそんなふうに呟いた。美里亞は何とか起き上がり、体についた煤と土を払う。
「さて、と、それじゃあ、任務は一応、達成したんで、俺たちはこれで帰ります。顧問殿も行きますよ」
龍太郎、鳳奈、守劔、【桜吹雪の魔女】は姿を消す。一人残された美里亞は、夜明け前の透き通るような濃紺の空を見てから、呟く。
「火傷も切り傷も完治していますね」
ユキファナの炎による火傷と、自分の……楓和菜の風による切り傷、それらが全部治ったことを確認した美里亞はボサついた髪を風になびかせながら言う。
「さて、わたくしは、消えた中身を探す旅にでも出るとしましょう。この謎をどうにかして解いて、わたくしは……」
「七ツ枷ノ扇」、そのなぞは未だ残ったままである。岩波美里亞は、風の様に、或いは火が消えるように姿を消した。その風の行方は、――誰も知らない。




