054話:死神の正体
「焔藤雪花。これが本当のお名前なのでしょう?」
ユキファナは苦々し気な顔をして、岩波美里亞を見る。焔藤雪花。かつて、ユキファナ・エンドはその様な名前だった。そう、焔藤雪枝の姉である。……一見似ても似つかないが、紛うことなく、姉妹である。
「今は、ユキファナ・エンド。ただの死神でしかないわ」
改めて鎌を構えなおすユキファナ。イガネアの死神。それを顕現させる一族。イガネアの八姉妹の次女たる存在。
「ただの、というには少々大きい存在の様な気もしますがね」
美里亞は知っている。イガネアの死神、八姉妹を。否、美里亞は知らない。だが、彼女は知っていた。
イガネアの八姉妹、それは、遥か昔、大覇無王と呼ばれた王が支配する世界に存在した最強の死神の姉妹であった。その世界の表の象徴が大覇無王だとするなら、裏の象徴はイガネアの八姉妹かヴィルフェナンドであろう。
第六十八管理世界。通称、サンガネルの砂漠。大覇無王とは、その砂漠……フョルド、ルイヘンバー、ムッドルス、ハリンフミラという四大砂漠、通称サンガネルの砂漠を制し、さらに、存在すら危ぶまれていた地下大空洞、イーミスプロテアを制した覇王に与えられた称号である。また、海の無い世界に、砂漠で得た秘宝と大空洞を利用し、海……正確には湖だが、を作ったことによる功績もある。
そんな輝かしい世界の奥の奥、大空洞よりももっと地下、煉獄の先にある死神の世界。死神のトップたる存在、不滅死王が消滅したことより全ては始まった。不滅のはずの王が消滅したのはヴィルフェナンド、後の紅天の死神が葬ったからとされているが詳細は不明であった。
こうして、表ではさらなる冒険に旅立つ大覇無王の偉大な冒険譚が紡がれる中、死神たちは次の王位を取るべく争いを始める。王位に一番近いのが、不滅死王を討ち取った紅天の死神であったが、彼自身は、争う意思はなかった。そんな混乱極まる死神の世で、華々しく誕生した八人の姉妹がいた。
死神として持つべき全ての力を持って生まれた長女、次女、四女。死神としては例外的だが圧倒的な力を持って生まれた五女、六女、八女。死神の一族に生まれながら死神ではない別の力を持って生まれた七女。死神でありながら愛と願いを抱えたことで力を使わなかった最弱の三女。
彼女たちはその持てる力を使って死神の世界を席巻していった。その強さはとどまるところを知らず、果ては異世界にまで彼女たちの強さが伝わっていった。
中でも、五女だけは、異常なほど強く、世界一つを圧倒した記録も残っているほどである。それほどまでの強さを持つ死神たちはある時を境に姿を見せなくなる。そして、次に姿を現したのは、焔藤家の家系としてだった。正確には、焔藤家に呼び出されてではあるのだが、もはや家系と一体になっていると言っても過言ではないだろう。
焔藤雪薔薇。風塵家や相花本家などとも交流が深かった彼女は、その身に死神を宿し、人のみのまま神になることに成功した。しかし、それは、彼女の存在自体を歪めたも同然なので、彼女の子供たちもまた、全て、それが遺伝してしまった。それゆえに、焔藤家では羽化と呼ばれる事象により、死神の力を手にするようになった。しかし、死神の力を手に入れた故に、その一族は死に近すぎる存在となり、徐々に死に呑まれていったため、焔藤雪蕾を最後に、一族が途絶えたものだと思われていた。
だが、まだ3人、残っている。ユキファナ・エンドこと焔藤雪花、焔藤雪枝、焔藤雪葉。そして、その一族の特性上、「死に好かれている者」を愛する定めにある。例えば、死神として665億9999万9999個もの魂を集めるほど、死を見てきた者。例えば、永遠に死に続ける運命を与えられた者。そして、……。
風塵楓和菜は知っている。イガネアの死神の正体と、その強さを。長女、蕾の死神と次女、花の死神に植え付けられた恐怖を覚えている。
そして、岩波美里亞の復讐も、焔藤とは関係があることである。本人たちに自覚がなかろうと、これは運命だったのかもしれない。岩波美里亞と焔藤雪花。会うべくして会ったともいえる。どこかの神が仕組んだのか、運命だとしたら、相当に面倒なものだが。
「死神さん、貴方は、『七ツ枷ノ扇』を知っていますか?」
岩波美里亞が月日の盗賊に、躑躅ヶ崎館にて取ってくるように頼んだもの、それが『七ツ枷ノ扇』。なぜそれが躑躅ヶ崎館にあったのか、それは、過去、戦国時代と呼ばれる時代にさかのぼる。この戦国時代というのも、曖昧な区分ではあるものの、この場合は、武田信玄の様な戦国武将と世に呼ばれる者たちが生きていた時代ということにする。
武田信玄の父、武田信虎は、駿府館の今川氏などと同盟を結んでいた。その関係もあり、武田信玄は、今川家とも仲が良かった。後には甲相駿(甲斐、相模、駿河)三国同盟を結んでいるほどである。
今川氏というとまず思い浮かぶのが桶狭間の戦いで討たれた今川義元であろう。今川氏というのは清和源氏の一つ、河内源氏の血筋であり、室町幕府の足利家の親戚である吉良家の分家に当たる。そのことから「御所が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ」という言葉、つまり、御所……将軍足利家が絶えれば、吉良家が将軍を継ぎ、吉良家が絶えれば、今川家が将軍を継ぐと言われるほどの血筋だったのである。
そのことから今川家は将軍家とのかかわりも深く、今川義元の息子である今川氏真は、あの塚原卜伝から鹿島新当流を学んでいるが、同じ弟子として足利義輝や細川幽斎がいることなどからも将軍家との関係が分かるだろう。
京の二条城に居を構える足利将軍家は、戦国時代末期にはその権力も衰え、京の街が荒れるほどではあるが、それでも将軍家である。それなりに力は持っているし、それこそ、逸品と呼ばれるものも多くあった。しかし、財政も苦しい足利将軍家としては、徐々にそれらも手放さざるを得なくなる。そんな中、どうしても手放したくないということで、足利家は親戚筋である今川家に逸品のいくつかを預けた。その中の1つこそが、「七ツ枷ノ扇」である。
今川家に渡った「七ツ枷ノ扇」であったが、それが武田家に渡ったのはある経緯がある。桶狭間の戦いにおいて、今川義元が織田信長の家臣、毛利新介……後の毛利良勝に討ち取られたことで、今川家家臣らには離反の傾向がみられる。息子、今川氏真は、このままでは、将軍家より預けられた逸品も、離反の際に誰かが持ち去ることを危惧した。母である定恵院の弟……つまり叔父である武田信玄にその逸品を預けることにしたのだ。後に、戦国大名としての今川家を潰す際に、徳川家康と武田信玄が駿河侵攻を行ったのは、この逸品を他家に触れさせぬように、隠す目論見があったためであり、氏真と信玄が互いに了承して行ったものである。
そうして、躑躅ヶ崎館に移った「七ツ枷ノ扇」ではあるが、知っての通り、武田家も後に滅ぶことになる。そののちに、徳川家康は、躑躅ヶ崎館に甲府城を建てる。その理由は「七ツ枷ノ扇」を探すためである。武田信玄が今川氏真を討った理由を知った徳川家康が、逸品を探すために築城したのであった。しかし、徳川家康は、結局「七ツ枷ノ扇」を見つけることが出来ず、この度、龍太郎と鳳奈が見つけるまで保管されていたのだ。
「……知らないわね」
ユキファナはそう答えた。「七ツ枷ノ扇」などというものは知らない、と。しかし、真実は違う。ユキファナは知っていた。母から、雪蕾から聞かされていたのである。
「いいえ、知っているはずですよ。あれは元々、風塵家と焔藤家と相花本家が共同で作ったもの。そのことは雪蕾も貴方に伝えていたはずですよ。焔藤家の大罪を」
焔藤家の大罪。その言葉は的を射ていると、ユキファナは思った。そして、母から聞いたその話を思い出す。
遥か昔。この世界における戦国よりも昔。鎌倉時代の京都。風塵家は当主、風塵風光は、友人である相花本家の相花輝綱と焔藤桐雪とともに七つの掟、……枷を作った。そして、それを奥義に込める陰陽術とした。それはある物の怪を封印するためである。その物の怪の名を、ミリア・サン・ストーンウェブ。イギリス人である。その髪色や瞳の色は物の怪とされてもおかしくはないだろう。
もっとも、風塵家当主である風光はこの時代においても、何故かイギリス人を……外国人を認識できていたので、彼は、来るべき時が……つまり、外国人というものを日本人が知り、貿易を始められる時代が来たら、こっそりとそこで解放しようとしていたのだが、残りの2人は知る由もなかった。そして、7つの枷により、彼女が封印されて年が流れる。しばらくの年が流れた後に、焔藤家は、「七ツ枷ノ扇」を逸品として足利将軍家に売りつけたのである。これこそが、焔藤家の大罪。
「そして、大罪の前に、死神さんも知らない話があるのですよ。あの扇に封印されたのが何か、そして、何故、焔藤家はそれを売ったのか。それらが全て分かる話が」
ユキファナは目を見開いた。そんな話は、母から聞いていなかったからだ。なぜ大罪を犯したのか。それはユキファナも聞かされたときに子供ながらに感じていた疑問であった。金が欲しかったならば、身近にあった風塵家を頼ればよかったはずだ。なのになぜ、と。
「不思議に思いませんでしたか、死神さん。なぜそんな大罪を犯した焔藤家と裏切られた風塵家や相花本家が、焔藤雪薔薇やそれ以後の代も縁を持っていたのか。普通は、裏切りを受けたら、切り捨てるでしょう?」
そう、切り捨てられていて当然のはずだった。なのに、縁が続く理由、それはユキファナには分からなかった。
「あの扇に封じられているのは、ミリア・サン・ストーンウェブだけではないのですよ」
その言葉に、ユキファナは眉根を寄せた。




