053話:紅階と龍太郎
神代・大日本護国組織。古来より……遥か、九世界より代々日本と呼ばれる地を守るもの。倭国、邪馬台国、大和、扶桑、日本、日ノ本、如何な呼び名でありしとも、この日本という土地を外敵から守るために第七神話世界より誕生した太古の遺産。いくつもの師団に分かれ、それぞれの役割を分担している。例えば、第一師団なら諜報、第四師団なら交渉、第六師団なら監査というように。そして、役割にはそれにあった人間が付かなくてはならない。
幾星霜の隔たりもなく、彼らはそうして、あらゆる世界における日本たる場所を守護し続けていた。そのためだけに存在する組織だから。日本国内での動乱には手を出さず、そして、日本が消えない限りの争いにも手を出さず、しかし、ひとたび日本の危機とあらば、それを守護すべく立ち上がる。
そういった主旨の説明を龍太郎は披露した。無論、これは、煉夜をいわば例外と認めたからこそのことである。普通の人間に説明したところで信じるものはいない。だが、煉夜ならば分かる、そう信じて龍太郎は言うのだった。
そして、当の例外の男はというと、その事実を受け入れていた。驚くほどスムーズに、その事実を飲み込んだのだ。
「なるほどな。日本を古くから守る集団、そんなものがあったのか」
その割には、第二次世界大戦や多くの戦争で犠牲を出しているような、と思ったが、そこから復興して今があるということは消えない限りの争いの扱いだったのだろうと納得した。戦国時代の様な日本国内の動乱にも手を出していない。
「拙が裏切者だという前提で話を進めるのはいかがなものだろうかな」
その突如生じた気配に、龍太郎も鳳奈も警戒をするが、目的の人物であることに気付き、警戒の方向性を変えた。一方、煉夜は、その気配が生じる前から彼女の接近に気付いていた。なぜなら煉夜は、そういった類の……結界や気配遮断などが通じない。もっとも、それが魔法や陰陽術による場合であれば、だが。例えば姫毬の様に、経験などで気配を薄める場合は、気づくことが出来るかは分からない。少なくともそこそこにしか分からなくなるのは確かであろう。
「佐野紅階……、あんた、のこのこと顔を出して!」
鳳奈の怒りをあらわにした言葉もどこ吹く風の紅階。まさに飄々とした忍びらしいという様子でもあり、逆に、忍びらしくない柔らかさとも言えた。
「……拙が裏切った、という話から拙を粛正しにきたのでござりましょうが、それはお門違いというものでしょうな。ちなみに参考までに聞きまするが、拙の責任者の守劔殿は何と申しておりましたか?」
明津灘守剱。旧姓、烏ヶ崎守剱。佐野紅階の上司に当たる彼女が、龍太郎と鳳奈に対してなんと言ったのか、2人はすぐに思い出すことが出来た。
「なんてって、別に、あなた方にお任せします、とだけだけど?何、擁護してもらえているとでも思ったの?」
鳳奈の言葉に、紅階は苦笑した。「あのお方らしい」と。果たして、それがどういう意味であるのか、2人は紅階に問い返そうとした。
「しかし、龍太郎君も鳳奈殿も勉強不足ですな」
という紅階の嘲笑がなければ問い返していたのだろう。怒りをぶつけようとして、鳳奈は気づく。なぜか龍太郎に対してだけ敬称が異なったことに。
「待ちなさい、何よ龍太郎君って」
その質問は紅階にではなく龍太郎に向けたものだった。龍太郎は慌てて顔を逸らし、吹けもしない口笛を「ひゅ~」と鳴らす。怪しいにもほどがあった。
「ちょっと、龍太郎?!」
怪しんだ鳳奈は龍太郎の襟首をつかみ、強引に自分の方を向かせた。動揺して泳ぎまくる龍太郎の目を見ながら、鳳奈は揺さぶった。
「べ、べ、べべ、別に、なんでも、ねぇよ」
そのようすを見れば、何か隠したいことがあるのは明白だろう。鳳奈は、2人の関係を訝しんだが、それは2人が恋愛関係にあるのではないか、というものである。かつて、これほどまでに龍太郎が動揺したのは見たことが無いので、もしや、という思いだった。
「……?ああ、気づかれていないのですな、鳳奈殿は。光月が光月ではなく光月であることを考えれば分かると思ったのですが」
光月ではなく光月、そこに大きな意味がある、と言われ、鳳奈はキョトンとした。さきほどまでの考えは見当違いであることくらいしか、鳳奈には分からなかった。すっかり蚊帳の外となった煉夜達もその意味が分からずにいる。
「お、おい、別に説明しなくても……」
そんなことを言う龍太郎に対して、首をかしげる紅階。紅階としては別に説明してもしなくてもいいし、鳳奈が知りたいというのなら教えればいいだけではないか、と思っている。
「拙としては、身内の龍太郎君より、他人の鳳奈殿の意思を尊重しただけ」
紅階の発言に、鳳奈、姫毬、信姫が驚いた。煉夜はどうでもよさそうだ、と興味のない態度を取っている。龍太郎は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「ま、まって、龍太郎とあんたが親戚ってどういうことよ!」
鳳奈の言葉に、「まだわかっていないのですか」と言った様な顔をする紅階。正直、紅階としては自分の家のことと龍太郎のことを知っていれば分かると思っていたのだ。
「そのままですな。光月は光鶴から派生した家であり、その本流は朱光鶴に起因しますので。拙の家、佐野も大元を辿れば同じく朱光鶴の本家、朱野宮家の分家に相当するのであって、つまり親戚でしょう」
なるほど、と納得すると同時に鳳奈は、龍太郎が「親戚」という事実だけでなぜあんなにも動揺し、説明を拒絶したのかが分からなかった。
「そもそも、龍太郎君のことだから、なんやかんやと拙に便宜を図るつもりでいたのでしょうが、それもお門違いでありますな。拙は、そもそも、……、まあ、それはよいですな」
図星を突かれた龍太郎は「あちゃー」と頭を押さえる。こうなってしまっては計画が丸つぶれである。
「ちょっと、龍太郎!そんなんで便宜を図っていたら監査の意味がなくなるでしょう!」
鳳奈が龍太郎に怒鳴る。しかし、鳳奈は龍太郎らしい、と心の中で納得していた。普段はやる気のない龍太郎が珍しく風塵邸でやる気を見せていたのはこういうことだったのか、と。しかし、少し思うところもあった。
「それにしても、龍太郎が神の家系ね。確かに朧神の系列の龍王ではあっても、三神の家系だとは思っていなかったわよ」
朧神の系列の龍王ならさほど特別ではない。だから、そんなにも気にしていなかった鳳奈だが、神代・大日本護国組織の副リーダーと同じ家系の人間であるというのは意外なところだった。
「別に、一応、朱光鶴の家系ではあっても、朱光鶴の力は引き継いじゃいないからな。朱野宮家とか姫野家とか佐野家とは違って、力が無い。朱の力を持たないから光鶴、転じて光月ってわけだよ」
龍太郎はそんな風に言った。「だから俺の髪は赤系統じゃないだろ?」とも。赤、という言葉で煉夜は若干顔をゆがめたが、それを気にする人は誰もいなかった。
「へぇ、でも朱天様、あんたのこと歯牙にもかけてなかったけど、え、もしかしてハブられてる?」
「ちげぇよ。あの人は……まあ、なんていうか、その……、あれなんだよ。き、気にすんな」
若干震える龍太郎の声に、鳳奈は本格的に龍太郎が家でいじめられているのではないかと不安になる。が、紅階が言葉をつないだ。
「龍太郎君は朱天さんから非常に可愛がられておるのです。それこそ……あ~、いえ、拙が口を出すことではないとは思いますが、この歳でも時々、風呂や閨を共にするのはどうかと……」
紅階が非常に言いづらそうに言う。鳳奈は龍太郎を、犯罪者を見るような目で見たが、龍太郎は講義するように怒鳴る。
「あの人にとっちゃ、孫とか曾孫とかの扱いなんだよ!仕事場でこっちを気にしないのは、そうしないと怒るって言った結果だ。これでもだいぶ譲歩したんだぞ!最初はもう普通に大人として扱ってくれって頼んだのに、結果変わらないし、可愛がるのをやめてくれって言ったら泣きそうになるから、せめて仕事場ではってことになったんだ。気にしないのは、意識するとどうにも無理だから、仕事の俺と家の俺は別人だと自己暗示をかけてるんだとよ」
龍太郎の声は徐々に悲し気な声になっていく。それほどまでに嫌な思いをしているのだろう。見た目は若くとも、龍太郎と朱天は、孫と祖母どころか、遥かに血が離れている。それでも愛情を注いでいることから、煉夜には1つ疑問が生じた。それだけ身内を愛しているのに、なぜ身内はより厳しく処罰を加えるのか。
「紅階も一族なんだろ?だったら、紅階にも愛情を注いでいたんじゃないのか?」
鳳奈もそこが気になったのか、龍太郎と紅階に目を向けて、その答えを待った。龍太郎は黙して答えず、紅階が答える。
「拙は、少し厄介でしてな。本当の名をはく奪された身。故に、罰も致し方なし、何かあった時は、拙を斬るように、と前もって伝えておきました故」
本当の名をはく奪された。そう言われて、信姫の言っていた、佐野紅晴が本名であるという話を煉夜は思い出していた。
「名をはく奪された。ということは、その名前を認識できないんだよ。だから、紅階姉ちゃんに紅晴といっても、その部分だけ聞き取れないってわけさ」
それは聴覚だけではなく視覚も、触覚も、いかなる方法でも紅階は「佐野紅晴」を認識できないのである。信姫がそう呼んでも反応しないのは当然のことである。紅階にとっては何かを呼んでいるとしか思えないのだから。
「しかし、本名をはく奪されるって何をしたらそうなるのよ」
訝し気な顔で信姫がそう言った。何か失態をした、にしては酷すぎる処罰ではないか、と信姫は思ったのである。
「……それは、日輪月光の創設前まで遡る話になるな」
龍太郎が悲し気な顔でそう呟いた。




