049話:その頃の彼女達其ノ一(水姫・裕華)
夜が更けても煉夜が戻ってこないことは雪白家でちょっとした問題になっていた。本来、煉夜には常に監視用の式を木連がつけていたのだが、今回、煉夜が、風塵家について調べていたのは聞いていたので、周辺に聞きこむということは、風塵家のテリトリーに手を出すということである。煉夜個人が手を出す程度なら、風塵家も何も関与してこないだろう。しかし、それに傍聴用の式がいたら別だろう。そうなれば、危険であると判断し、今日に限り、煉夜の式を外していた。
その判断は正しかったのかもしれないが、現在、煉夜がどこにいるのかが全く分からないという事態を招いてしまった。もっとも、ついていたからといって、おそらく煉夜と信姫との戦いによって消し飛ぶか凍り付くか、どちらかだろうから、あまり関係ないのだが、それは雪白家一同の知る由もないことである。
煉夜の妹である火邑が寝ている中、木連、美夏、水姫、煉夜の両親が集まっていた。もちろん心配しているのは、煉夜当人に対してではなく、煉夜が何かをやらかしているのではないか、ということである。
「しかし、まさか帰ってこないとは……。何があった?」
木連は理由が分からず唸る。一応、煉夜が行きそうな場所には偵察の式を出したが、反応が無い。それはそうだろう。流石の木連も山梨にいると判断して式を飛ばすことが出来るはずがなかった。
「逃亡、というわけではないと思いますよ。しかし事件に巻き込まれるということもないでしょうから、友人や恋人の類ではありませんか?」
そう言ったのは美夏だった。妙に煉夜に寛容な気がした木連は違和感を覚え、美夏に問う。まあ、いつもきつめのことを言う美夏にしては本当に寛容である。
「珍しく彼を擁護するじゃないか。どうかしたのか、美夏」
木連の言葉に意外そうに首を傾げた美夏。美夏としては別段煉夜を擁護しているつもりはなかったのだ。
「いえ別に。そも、彼が逃亡する要因がなさすぎますし、どうにも監視の記録を見ていると、仲良くしている女性も多いようですからね。別にそのことは否定しませんよ。分家とはいえ、雪白の血が残ることになるのは変わりないのですから」
その言葉で僅かに水姫の肩が揺れた。水姫にも思い当たる節はあった。確かに煉夜の周りには多くの女性がいたからだ。沙友里などを筆頭に、そこそこの人数の女性と煉夜が関わっているのを校内外問わず見かけていた。
「まあ、モテるのはいいことだが、ここは京都だ。雪白の名に引っかかってくる馬鹿な女じゃなければいいのだがな」
木連の言葉に、煉夜の両親は何とも言えない気分になった。煉夜の生活ぶりを見ていた両親としては、あまりモテるようには思えていなかったからである。
「水姫殿、煉夜は学校ではどうなのですか?」
煉夜の父が恐る恐る水姫に問いかける。水姫は、少し考えながら煉夜の交友関係を考える。学校でほとんど一緒にいないため、詳しくは把握していないが、煉夜よりも前から学校にいた生徒は把握しているので、よく見かけるのをピックアップする。
「1年の初芝小柴さん、あの初芝重工の御令嬢とはよくいるのを見かけますね。あとは、2年の紅条千奈さん、他はアルバイト先の入神沙友里さん。最近だと、編入生の百地姫毬さんでしょうか」
目下のものには敬語を使わないたちの水姫だが、この場合は両親も含めた相手に話しているので敬語を使っていた。なお、裕華はあまり会わないため、水姫も目撃回数が少なく、挙げられていない。そして、煉夜の両親には引っかかる名前があった。
「紅条千奈……ですか」
そう、煉夜の両親には聞きなじみのある名前だったのだ。それもそのはずで、昔、千葉に居た頃に交流のあった家の娘である。煉夜や火邑と年が近くよく遊んでいた印象があるので、親しくしているのだったら納得だった。
「なんだ、知り合いか?」
木連の言葉に頷いたところで、一度会話が止まる。そう、煉夜の交友関係をいくら聞いたところで、現状、煉夜がどこにいるかもわからないのだから。
「初芝重工にいるならば向こうが連絡の一つもよこすだろう。他の家はどうか知らんが、アルバイト先なら式で見ているからいないだろう。ふむ、困ったな」
そんな沈黙が続く中、水姫は思う。この夜に煉夜は何をしているのか、と。どこで、誰と何をしているのか。
(恋愛沙汰も何故かイラっとくるけれど、それよりも……)
そう、水姫はなんとなく、煉夜が恋愛を遠ざけているような気がしていたので、色恋沙汰で行方不明などということはないと思っていた。それよりも、煉夜が危ないことに首を突っ込んでいるのではないか、という心配の方が強かった。
(あの化け物の事件の時だって、結局、地下には来なかったと教師が言っていたし、彼も彼で、雪白家の人間として、何か危ないことに……)
別に煉夜が行動しているのは雪白家の人間としてどうとかではないのだが、その辺は水姫自身も「煉夜を心配する言い訳」として「雪白家の人間として彼が動こうとするから」ということにしているだけだった。
水姫は未だに気付いていない。煉夜に対する呼称が「あの男」から「彼」に変化してしまったことに。雪白煉夜という男に、呑まれようとしていることに。
一方、場所は変わり市原家。市原裕華は外の煩わしい【力場】の衝突に頭を悩ませていた。裕太、結衣、結太は呑気に寝ているものの、母、華音は裕華同様に外の戦いに気付いているようで、起きていた。元々、これといって特異な能力を持ち合わせなかった裕太、結衣、華音だが、華音は夫と過ごすうちに徐々に、その身に秘めた大いなる魔力の使い方の片鱗を見せていた。
「桃色の覇王」の娘たるにふさわしい、母の魔力を受け継いだ華音の娘である裕華もまたその魔力は受け継いでいる。もっとも裕華は父から受け継いだ力の方が強いのだが。
「母さん、何が起こってるの?」
裕華は華音に問いかけた。華音は外をチラリと見て、……ここから風塵家の戦いを見ることなどできないのだが……肩を竦めた。
「さぁね、一つ言えるのは関わらない方がいいってことよ。あんたは、あいつと同じでこういうのに首を突っ込んでいきそうなタイプだから前もって言っておくけれど、無謀もほどほどにしないと本当に死ぬわよ」
心配という感情がこもった目で見つめられた裕華は、苦笑した。そして、その感情の意味も理解できていた裕華は呆れるように母に返した。
「父さんが心配なら、父さんに直接言ってあげればいいのに。天邪鬼なんだから」
その言葉に頬を染めて慌てる華音。「わっかりやすいな~」と裕華は心の中で思っていた。両親の夫婦仲はいい方なのだろう。惚気たりはしないが、その雰囲気は裕華にはひしひしと伝わっていた。
「それにしても、結構遠いけど、向こうの方でも戦ってるっぽいわね。どこかしら。地理的には日本国内だとは思うけれど」
裕華はそこに見知った気配を感じ取っていた。思わずスマートフォンを握りしめている。裕華の胸中は微妙なものだった。
「ふぅん……、そっか、あっちのはあの子か。なに裕華、どうして自分を誘ってくれなかったのか、とか、また危ないことに首を突っ込んでとか思ってるくち?」
母に心を見透かされたような気分になって、恥ずかしさが込み上げてきたが、それを顔に出さないようにしながら裕華は言う。
「あら、それは母さんが父さんに対して思っていたことじゃないの?」
図星な華音は何も言えなかった。そこで、ふと、華音は、話題を変える話を思い出した。裕華が興味を引くであろう話題である。
「そう言えば、あいつが言ってたけど、近いうちにシイ姉と雷司、ユノ姉と裕司がうちに来るそうよ。司中八家組で集まるって言ってたけど、残念ながら律姫と聖姫、静姫は都合がつかなかったらしくて、来られないけど」
そんな風にほいほいという華音に、裕華が眉根を寄せた。雷司のことは長く聞いているので知っていたが、初耳の名前が3つほどでてきたのだ。
「裕司に聖姫に静姫?」
話のニュアンスからして、裕音の息子が裕司で、律姫の子供が聖姫と静姫であるのは裕華も分かったのだが、
「ありゃ、あんたにゃ話してなかったっけ?」
キョトンとした華音は、そう言えば娘に何も話していなかったな、とどうしたものかと微妙な気持ちになった。
「ん~、なんていうか、あれよ。あんたの……異母兄弟姉妹?あたしも総勢何人か把握してないくらいいるんだけど、まあ、あれよ。そんな感じの一部」
さすがの裕華も絶句した。総勢何人か把握していないと平然と言ってのける母親は、実は心がとんでもなく広いのではないかと錯覚しそうなほどだった。
「あんた、引いてるみたいだけど、あの子も同類だと思うわよ。あっちこちに手を出しそうなタイプ」
そう言われて、姫毬と一緒にいたことなどを考えると否定できない気がする裕華。何人か誑かしていると言われたら信じてしまいそうだ。
「ま、人に首輪をつけるなんて土台無理な話でしょうし、そんときゃそん時なんじゃないの」
割り切ったというか、自棄になったというか、そんな気分の裕華は、胸の蒼さをどこかにぶつけたくなったが、それを何とか抑える。
「それにしても、あいつも大概だけど、あの子も大概よね。この感じ……」
何やら不思議な雰囲気を感じ取っていた華音だが、そこに突如無機質なコール音が鳴り響く。
「電話?はい、もしもし、ってあんたね、こんな時間に何よ」
どうやら華音にかかってきた電話は夫からだったようだ。裕華は自分に関係のない話が始まると思って退散の体勢に入っていた。
「え、スファムルドラの聖剣……、雪白煉夜って、あの子のことよね。ええ、会ったことはあるけど、ええ、それで……?ちょっと、え、イギリス?ちょっと、ねぇ、あ、切った、切ったわね、アホー!」
裕華は自分に関係そうな話題にも関わらず華音がこのありさまなために、当分話を聞くのは無理だろうと思った。しかし、華音の立ち直りは意外と早く、そして、裕華に向かって意外な言葉をかける。
「裕華、何かイギリス行ってこいって」
「はぁ?」
裕華は言葉の意味が理解できなかった。




