046話:プロローグ
夜の星が美しく輝く中で、武田信姫と望月姫毬は目の前の星に参っていた。あまりにも急に、何の覚悟もなく絶叫マシーンに乗せられた気分の様な状態の2人は、その原因を作った張本人である雪白煉夜に怒る気力すらも失っていた。当の煉夜はと言えば、あれこれ計画を練っているようで、2人の方を見ることもなく、何かを考えているようだった。
山梨県甲府市。そこに躑躅ヶ崎館はある。甲斐源氏武田家の本拠地とも言える場所であり、武田信玄の先代、武田信虎が築城した者である。信玄は、その躑躅ヶ崎館を増築し、使っていた。そして、館という名が示すように、城ではない。しかし、それはあくまで本来は、という言葉が必要になる。
武田氏滅亡後、……信姫等がいるので、厳密に言えば滅亡はしていないのだが、滅亡後ということにしておく。その滅亡後に、何やかんやあり、徳川家康が躑躅ヶ崎館に甲府城を築いたのである。この何やかんやの部分について詳しく説明すると長くなるので割愛する。
要するに、本来、武田家が持っていた躑躅ヶ崎館というのはもはやない、ともいえるが、武田……無伝家は結局にして、明治以後、取り戻すことに成功している。それゆえに、信姫等は躑躅ヶ崎館を拠点に活動をしていた。
その躑躅ヶ崎館を攻め落とした2人組、「月日の盗賊」。いくら滅びかけた武田家とはいえ、現状で、当主不在なだけで攻め落とされるはずがない。ならば、何故、それが可能だったのか。不意打ち、それでもたった2人なのを考えると、結局2人が強いという結論にいたる。だが、煉夜が彼らに会った印象でも、そんなに強いとは思っていなかった。つまり、煉夜が感じ取れない強さを持っていることになる。それが何なのか、煉夜は考えていたのだ。
「……ん?」
その時、ふと、京都の方で揺らぐ力を感じた煉夜。力場の揺らぎ、それを直感できるだけの時間を煉夜は向こうで過ごしていた。
「こっちが揺動……だとは思えないんだが、何か想定外のことが起きているって考えた方がよさそうだな」
自分達が山梨におびき寄せられた、とも考えたが、それにしては京都での揺らぎは数が少なかった。せいぜい1対1程度の数。だからこそ、何かが介入していると考えた。煉夜は死神なるものを知らないので、当然何が介入しているのかもわからない。
「龍太郎と鳳奈がどれだけ強いのかは分からないし、なんで奴らから強さを感じ取れなかったのかも気になるからな」
光月龍太郎と日之宮鳳奈。月と太陽、それらを背負う大いなる存在。その正体を知る者は、おそらくこの世の中に僅か一握りだろう。
「それで……どうするのよ。ここまで来たのはいいけれど、相手の情報が無いんじゃ、どうすることもできないわよ。たったの2人で躑躅ヶ崎館を落とすだけの強さを持っているのだから」
確かに情報というのは大事なものである。特に、得体のしれない相手に対しては、情報収集も大きな意味を持つだろう。
「せめて、攻め落とした時に、どんな力を使ったかだけでも分かればいいんだがな。躑躅ヶ崎館に傷っていうか破壊された跡があるか見てみるか。なけりゃ、そんな破壊力の高い技ってわけでもない……とは断定できないが、少なくとも館をむやみに傷つけないってことだけは分かるだろうし」
ただ制圧するのなら館ごと潰せばいい。それをしないにはしないだけの理由がある。彼らには躑躅ヶ崎館を破壊しない理由が明確に存在する。煉夜はある程度それも考えていた。例えば、躑躅ヶ崎館を破壊すると不都合が生じる、もしくは躑躅ヶ崎館自体が狙いである。前者の場合、例えば、騒ぎになるのを避けるため。破壊されていれば、一般人でさえ、何かがあったことを悟るのは容易だろう。後者の場合、戦闘になった際にむやみに大きな攻撃をしてくることは考えづらくなる。
「おそらく躑躅ヶ崎館に傷は無いでしょう。囚われているウチの人間も傷つけられる等のことはないと思います。こちらに陥落の情報を伝えた紅階によると、正体不明の力が作用していること、脱出後、陥落したことを伝えるために電話をしてきたが、追手の気配はなかったとのことです。ここはまず、紅階と合流するのが最善ではないでしょうか」
姫毬の言葉にとりあえず煉夜と信姫は頷いた。本来、ファーグナスの結晶がなければ来るのはもっと時間がかかっていたことを考えると結果的にはいい方向に動いている、と姫毬は考えることにした。
敵は信姫と姫毬が京都にいることを知っていた。ならば、来るのはどんなに早くても、次の日の朝から昼となる。用意の時間も含めればもっと遅いと考えても無理はない。だからこそ、こうなった以上、速く動いて奇襲をしかけるのが一番相手にとって驚きを与えるに違いない。
「紅階、ねぇ……、ワタシ、あいつ苦手なのよね」
信姫がそんな風に言う。煉夜は、その紅階なる人物がどのような人物なのか想像するが、これから会うのだから考えるだけ無駄だと思い、とりあえず姫毬に従って合流できる場所まで移動することになった。
紅階なる人物と合流するために、歩くことしばらく。まず現状、自分たちがどこにいるかを把握する必要があった。姫毬は周囲を見回しながら、本当に近くまで来ていることに驚いていた。山梨県甲府市内であることが分かってしまったからである。
あのようなむちゃくちゃな方法で、どうしてこんなにも正確につくのか、本当に疑問だったが、姫毬はもはや煉夜に理屈を求めるのは間違っているのだ、と再度認識した。
「……そこか」
ふと、煉夜が呟いて視線をやる。そこには、何もなかった。否、何もなかったように見えた。信姫と姫毬は、まさか、と思う。
「……よもや、拙の隠形を見破るとは。主殿と歩き巫女筆頭殿が連れてきた人物というだけのことはありますな。この短時間で京都から甲斐まで移動してきたのも御仁の力でございますかな?」
いかにも忍者、というような恰好の10歳かそこらの少女だった。それにしては随分と滑らかな口調だったが、どうにも見た目と年齢の相違は感じられなかった。
「久方ぶりね、紅階。貴方が居ながら館が落とされるとは、思いもよらなかったわ」
信姫の言葉に、紅階は膝をついて申し訳なさそうな顔をする。そして、襲撃の時を語りだした。
「すみませぬ。拙も丁度戻ったところでして。流石に対応できかねたので。情報を残すべきと考え、歩き巫女筆頭殿に連絡をしました。拙の見立てですと、奇怪な力は重力の様なものと思いまするが、それでは説明できぬ不可解なこともございますな」
曰く、攻撃が届く寸前に全て下へと落ちる。剣でも矢でも、全て。その様は、敵を恐れ、攻撃そのものが避けているかのようにも見えた。
「申し遅れましたな。拙は、佐野紅階と申します」
そう名乗った紅階が頭を下げると、信姫が煉夜に耳打ちする。紅階に聞こえない声で、微妙な顔をしながら。
「あの子は変わっているのよね。本名は佐野紅晴というのだけれど、どういうわけか、紅階って名乗ってるのよ。てか、紅階って呼ばないと反応しないし」
だから苦手なのだ、と信姫は苦笑する。紅階は、何故そう名乗っているのか、そう問われても答えることはないし、そもそも言葉の意味が分からないという反応をする。紅階の中では、自分は紅階であり、紅晴という名前は知らない、とでも言いたげである。
「それで、紅階、帰ってきたばかりということですけれど、貴方には躑躅ヶ崎館の警備を任せていたはずですよね。どこへ行っていたのですか?」
そう、基本的に歩き巫女が情報収集に行くのであって、例外的に忍として存在している紅階は躑躅ヶ崎館に来る敵の忍などの相手を任せていたのである。その彼女が持ち場を離れているというのが気になった。
「忍足家が間諜を放っていたので、その対処に……。かなりの数でしたので連絡をする間もなく対処に追われました。さほど時間はかからなかったのでございまするが、流石に間が悪すぎた、としか言えませぬな。もしくは、忍足家も向こうの罠という可能性がござらんでもないが」
違うだろうというのが紅階の見解である。その見解が間違っているとも思えない信姫と姫毬は、本当にタイミングが悪い、と思った。
「それにしても攻撃が避ける、か……。確かに重力とも思えるが、違うだろうな。魔法か、スキルか、いずれにしろ攻撃を当てるにはそれなりに大きな攻撃をぶつけて、余波で攻撃するしかないか」
そう言う煉夜に対して、紅階は首を横に振った。そして、申し訳なさそうに言葉にする。
「余波や規模の大きい攻撃すらも避けられますな……。全てが相手に届かない、いや、届こうとしないというべきですかな?」
そうなると攻撃手段など無いも等しい。どうするべきか、煉夜は思考を巡らせる。どの程度の攻撃までが当たらないのか。基準はあるのか。敵が意識的にそうしているのか、無意識的に常にそうなるようになっているのか。
「とにかく戦ってみないとわからない、か……」
ただ突っ込むだけの無謀な行動は本来避けるべきである。しかし、この場合は、そうするほかなかった。煉夜は何より自分の力を過信していない。だが、与えられた知識、魔法、能力は、全てがどんな困難をも解消するに違いないと信じている。
「よし、正面から突っ込んでみようぜ」
煉夜の提案に、流石の信姫も言葉に詰まった。姫毬は思わず頭を押さえるほどである。相手は2人だけならば、忍び込んだ方が安全なはずだ。それを正面から入るなどと言う煉夜に、紅階は面白そうなものを見る目に変わる。
「ちょっと、馬鹿なの?真正面から入ったらやられに行くようなもんじゃない」
その言葉に煉夜は「う~ん」と軽く唸ってから、明るく言う。
「いや、だって、お前らの家なんだろ?なんか自分ちに忍び込むって嫌かな~って」




