043話:決闘――激戦
煉夜と信姫、向かい合うように互いに構える。信姫の手には童子切安綱が、煉夜の手には何もない。ただ、何も使わないわけではないのだ。煉夜は、自身の胸に手を添え、自らに課した誓いを破ることを決意する。この世界にこれだけの相手がいることを祝して、枷を一つ、外すのだった。
「生じよ、[結晶氷龍]」
幻想武装。煉夜が魂に持つ愛なる力。そこより生じた美しい氷の刃を持つ剣。かつて、それを持っていた女性は、苛烈で猛烈で、氷のように冷たく、それでいて炎の様に熱い女だった。
「冷たい……」
信姫の燃え滾る思いを冷やすかのように、その剣は猛烈な冷気を放っていた。刀身の透き通るような美しさは、思わず目を奪われるほどだろう。間違いなく、これは煉夜の本気の一端である。
「それが、貴方の本気……」
信姫は笑う。そして、その名を高らかに呼ぶ。誓いの言葉を高らかに叫ぶ。信姫もまた、本気を出そうとしていた。
「ワタシは……、そう、ワタシは武田信姫!甲斐源氏が嫡流、武田家が末裔なり。――『御旗楯無もご照覧あれ』!」
武田。武は「ぶ」とも読める。「ぶ」が変化し「無」。田は「でん」とも読める。「でん」が変化し「伝」。それゆえに「無伝」。真名隠し。古くから伝わるある種のまじないである。本当の名を隠すために、自らの名とは真逆のものを付けたり、読み方を変えたりする。例えば炎魔は艶魔。このように、象徴を隠すことで、分からなくするまじないのようなものである。
煉夜は、しかして、煉夜は、結界やまじないをすり抜ける。人払いが効かないのと同様に、煉夜には真名隠しも効かないのである。だからこそ、他の誰もが気づかなかった無伝の本当の名にいち早く届いたのである。
「御旗楯無……。清和源氏の鎧、楯無か」
清和源氏に伝わる鎧、楯無。それは古くから源氏に伝わり、脈々と受け継がれてきたもの。その鎧には、清和源氏の武士たちの魂が今もなお息づいているのである。それゆえに、源頼光が存在する。そう、死人を式神にしたのではない。鎧を式神としたら、その中に魂もついてきただけなのである。
「この名も、この鎧も、全てはかの神羅三朗義光公より頂いたもの。そして、この魂もまた、全てはここにある」
すなわち、信姫もまた、死すれば楯無と共にある。それこそが、無伝の武田の習わしであり、役目であり、義務である。
「そうか、……鎧に封じ込められた魂ってわけか……」
煉夜は悲し気な顔をしていた。まるで、何かを共感するように、楯無を感じる。その様子に信姫は思わず問いかける
「どうしたの?そんなに不思議に思うことかしら」
不思議に思っているのではなかった。煉夜はその死者を冒涜するかのような行動を非難したいだけである。しかし、非難など煉夜にはできなかったし、自身の魂をどうしようと、それは個々人の勝手である。煉夜がとやかく言う資格もないだろう。
「なぁ、信姫。もし、死者をそうやってものに封じ込めて、永遠に一緒に居られるとしたら、そんな風に考えて、もしそれが実現したら、どう思う?」
煉夜も考えたことであった。今目の前で死ぬ、死んだ、大事な人と永遠に一緒にいることが出来る。それがどんなに素晴らしいことか。
「最高じゃないの。何か問題でもある?ずっと一緒に居られるのよ?」
そうずっと一緒だった。だが、それは人を縛り付けているだけである。死者への冒涜である。煉夜はある人にそれを言われ、絶望した。
「相手の思いが自分と同じとは限らない。もしもその死者が、実際は自分のことを嫌っていたらどうだ。なぜ生き返らせたのか、なぜ死ねないのか、と責められたらどうだ」
「いいのよ、そんなのは。こっちは勝手にその魂を縛り付ける。人ってのは元来、独りよがりなものなのだから」
信姫と煉夜、決してその意見は交わらない。だからこそ、煉夜は、その声に耳を傾ける。魂の奥底から聞こえてくる氷の様な冷たい声で炎の様に熱いことを言う彼女の声に。
「レンヤ、貴方は考えすぎなのですよ。私も、そして誰も、貴方を責めたりなどしない」
そんな幻聴に耳を貸す。だが、それは幻聴でもなんでもない。そう、信姫は、目を見開いた。煉夜の背後に誰かがいた。透き通るような、そう、煉夜が手に持つ剣の刀身と同じ、透き通るような青い髪、全てを凍てつかせるような紫の瞳、全身を鎧に包んでいても、なお、その美しさは伝わってくる。
だが、それは儚い幻想であるかのように、薄ら揺れているものであった。まるで幽霊、いや、幻覚であるかのように。
「貴方は、……一体」
その瞬間だった。まるですべてを氷結させるかのような吹雪が吹き荒れたのは。信姫は慌てて後方へ引く。気づけば公園の一部が氷林と化していた。
「この剣は全てを閉ざす終焉の氷を生み出すものだ。水のアーク、流転の氷龍。かつて敵対した、ある女が持っていた武器でな、戦いの最中に乱入してきた神獣アルべードにより命を落とし、俺はこれを使って、神獣アルべードを周囲一帯ごと凍結させた」
それは煉夜が【緑園の魔女】に会う前の話であった。砂漠の環境を一変、氷林と化した事象には煉夜が関わっていた、というよりも煉夜が犯人であった。
「まさしく本気ってわけね、いいわ」
本気、なのだろうか。そんなことを煉夜は考えてしまう。本当に本気を出し切っているのかは、本人にも分かっていなかった。だが、煉夜は、手を抜いているわけではない。
「ならばこちらも、行かせてもらうわよ!」
そして、信姫は、その言葉を高らかに詠う。これは正真正銘、武田の名を持つ者に許される式。支蔵との戦いで解放した方の式である。
「――其の疾きこと風の如し、」
「――其の徐かなること林の如し、」
「――其の侵掠すること火の如し、」
「――其の知りがたきこと陰の如し、」
「――其の動かざること山の如し、」
「――其の動くこと雷霆の如し、」
「――故に風林火陰山雷……『風林火山』」
孫子の兵法、その中でも軍の進退に関する言葉を引用したものであり、大抵の人が武田信玄で思い浮かぶ言葉であろう。ただし、こと、信姫において、これはただの軍の進退の言葉ではない。式なのであるから。
武田家にある全てとも言える、それが詰まった技である。そして、全てを凍てつかせる氷と、風林火山が真っ向から勝負しようとしていた。ぶつかったら周囲はただでは済まないだろう。山が崩壊することもある。それでも2人は止まらない。全てを飲み込む勢いで2人は激突する。
否、激突するはずだった。全てをかけた戦いに割り込んだのは、1人の女性。2人もよく知っている女性だった。そう、百地姫毬……否、望月姫毬である。百地もまた望月を隠す名前だった。甲賀と伊賀、逆の意味であり、また語感も近い。だからこそ、姫毬の先祖はそう名乗るようにしたのである。「ももじ」ではなく「ももち」と。
「姫毬、この期に及んで、この瞬間を邪魔するっていうの?!」
信姫は叫んだ。だが、姫毬の表情は、この戦いを止めに来た、という堂々たる表情ではなかった。何かがあった、それを察した。
「信姫、中断だ」
そう言って、煉夜は幻想武装を消した。信姫は渋々、式を札に戻し、童子切安綱を鞘に納めた。
「それで姫毬、一体何があったのよ。こんないいところを邪魔するなんてよほどの用でもなければ……」
その言葉を姫毬は遮った。そんな問答をしている場合ではない、とでも言わんばかりに、そして、姫毬は言葉を何とか紡ぎ出す。
「つ、……躑躅ヶ崎館が陥落しました。それに、信雪様が人質に……!」
信姫の表情が変わる。顔は真っ青に。躑躅ヶ崎館。聞いたことがある人も多いだろう。武田信玄、戦国時代の有名な戦国大名の1人である。彼は城を建てることはなかった。
――人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり
武田信玄の言葉である。自分の家臣、自分の土地に住む者、それらが城であり石垣であり堀である。それゆえに城は必要ない、と先代が建てた躑躅ヶ崎館を改築して使っていたのである。
その躑躅ヶ崎館が陥落した、それは信姫を青ざめさせるだけの情報である。
「『月日の盗賊』と名乗る謎の2人がたった数十分で、全てを」
そして、姫毬の補足は煉夜を驚かせるだけのものだった。




