037話:戦いの幕開け
京都の山付近にある大きな公園は、近年の少子化のあおりを受け利用者激減より閉鎖されていた。今回の戦場は、その公園である。信姫があらかじめ探しておいた絶好の決闘場であり、山間にあるので人が来ることもなく、また、公園として広い敷地があるので戦いやすい環境と言えるだろう。そして、信姫は、ベンチに座って煉夜と姫毬が来るのをジッと待っていた。静かに待っていた。
そして、その陰が見えた時、スッと立ち上がり、2人の元へと寄っていく。手には刀を持ち、いつでも戦えるといった準備万端の様子である。一方、煉夜もまた、布で巻いていた聖剣アストルティをいつでも使えるような状態にしていた。そして、布を取り払う。美しい装丁の柄から抜かれた剣もまた美しかった。
武器としての美しさもありながら、それでもなお、装飾やその他諸々から美しく飾られた儀式などにも用いられた剣であることが分かる。聖剣アストルティ、スファムルドラの聖剣とも呼ばれるそれを目にした信姫は感嘆と驚喜の声を漏らす。
「へぇ、綺麗な剣ね。でも綺麗な剣ほど切れなさそうじゃない?」
そんな風に言う信姫に対して、煉夜は苦笑を浮かべながら言う。本来は試しに何かを切ってから言いたいところだが、広い公園はそれだけ障害物が少なく試し切りする物すらなかった。
「大丈夫、切れ味は保証するさ。人だろうが獣だろうが……、幻獣だろうが超獣だろうが神獣だろうが斬り裂けるぜ」
その顔に見られる自信は実感のこもったもので、つまりは煉夜がそれだけその剣で切ってきたことを証明している。でなければ得物を信じることなどできない。料理人が手に馴染んだ包丁を信じるのと同じで、使い続けたものは感覚も確かで、そして何より信頼できるのだ。だからこそ、煉夜は聖剣アストルティをずっと使っていることが顔から分かる。
「どうにもそのようね」
若干頼りなさげに手の刀を見る信姫。そう、使い続けている物を信じるということは使い慣れない物は信じにくいということである。そして、信姫の持つ刀は愛刀というわけではない。鈍でもないが、その重みにも慣れない普段と違う得物である。
「そういうそっちも随分と普通の刀のようじゃないか」
煉夜はそう言ったが、実際のところ、煉夜には刀の良し悪しなど分からないし、普通の刀じゃない刀がどんな刀かもわからないところであるが、戦いの前の舌戦ということで、とりあえず売り言葉には買い言葉を返しておくことにしたのだ。
「ええ、いつものやつは実家に置いてきちゃってね。持ってくるのも一苦労だから仕方がないことだけれど」
そんな風に飄々と言う信姫。内心では、いつもの愛刀を欲していた。だが、持ってこなかったのは自分で、そして決闘を挑んだのも自分、こうなった以上、自業自得というほかないだろう。
「それじゃあ、始めましょうか、戦いを」
刀を抜き身のまま腰に差す形で構える。まるで、抜き身なのに抜刀するかのような構えだった。対する煉夜は、上段の構えを取りながら信姫に問いかける。
「式神は使わなくていいのか?お前にずっと張り付いているあいつらとかを」
その言葉で一瞬、信姫の構えが揺らぐ。しかしすぐに構えを整えた。まだ予想の範疇だった。煉夜が「彼」を感知していることも道理だろうと思っている。それゆえに動揺も僅かったのが幸いしたのだろう。
「生憎、あの方をそうほいほい呼び出したりはしないわよ。勝手に出てくるときは別だけれどね。それに使うだなんてことはないわ。あくまで力を貸してもらっているだけ」
そう一族に置いて力を貸してもらっているだけである。代々、彼に……あの方に。だが、それと同時に、彼もまた悲願の達成を願っているのだから無償で力を貸しているわけでもなかった。
「ほう、となると、お前の一族か、そのさらに前に関係している誰かってことか。驚いた。生きていた人を式にするなんていうことが可能なのか?」
式神として人となっている者、例えば雪白家の《雅》や《曲》、また水姫の式となった《落葉》などは、式神召喚の儀で契約を交わした「人」と呼ばれる何かである。それゆえに、一般人ではないし、そもそもこの世界に存在する人間ではない。
「……貴方は本当に何者なのよ。ええ、確かにあの方は貴方の予想通りの血の御方よ。でも、故人を式神にするなどということが可能かと言われたら、まあ、知らないけどおそらく無理よ。ワタシの使っているこれも人を式として呼んでいるわけではないしね」
今度こそ構えを崩されてしまった信姫はため息を吐きながら煉夜にそう説明した。その説明にどこか残念そうな表情をした煉夜を見て、姫毬は言葉を付け足した。
「死人を式として使役するなどということは、もしできたとしても禁忌として認定されるでしょう。何せ、死者を契約が解けない限り、この世界に永遠に縛り続けられるのですから。
かつて、愛するものを失って、死者をよみがえらそうとした愚かな陰陽師がいました。その中に魂を定着させるという手段が有りましたが、実際問題、定着させられるだけの器が用意できなければそれは不可能です。物質には魂が無いので不可能ですし、結局どうすることもできなかったと言いますがね」
かつて、とある司中八家にいた男の話だった。煉夜はその話を聞いて苦笑した。その笑みの心意は分からなかったものの、信姫は沙友里から聞いた話を思い出した。
「貴方にも死んでしまった大事な人とか、いるのかしら」
そう問われて煉夜の頭に甦るのは愛する……いや愛した彼女の姿だった。悲劇の末、すれ違いの末、死別した女性だった。
「ああ。まあ、な」
苦笑いが苦々し気な顔に変貌した。あまり思い出したくないのも当然だろう。だからこそ、信姫はあえて追及する。
「赤い館、そんな話を今日、友人になった女の子から聞いたんだけど」
煉夜が先ほどまで浮かべていたのとは違う、真っ赤な光景がフラッシュバックした。そして、その話をこの世界において知っているのは入神沙友里唯一人である。煉夜はどこから情報という水が漏れているのかが分かった。
「女の子って年かよ」
とりあえず情報漏洩の腹いせに、年齢にたいして見合っていない呼称をいじる。自分よりは年下だが、それでも遥かに女の子という呼称が似合う年齢ではない沙友里に対して愚痴る。その様子は煉夜をかなり揺さぶっているということが分かり、信姫は内心半信半疑だった友人のことを信じることが出来た。
「サユリが何を漏らしたか知らないが、あいつらとは別に恋人とかそういう仲じゃなかったぞ。まあ、恋していたか、していなかったか、ということだったら間違いなく恋をしていたってことになるんだろうがな」
少し懐かしむようにそんな風に言った煉夜の顔には、大きな陰りが見えて、姫毬と信姫の心を大きくえぐる。これは聞いてはいけないことだ、と頭の中で最大限に警報がなる。心臓がバクバクと音を立てていた。だから姫毬は無理に話題を転換する。
「そんなことよりも、信姫様に友人、ですか。信じられないのですが」
信姫は心の中で「ナイス!」と思うと同時に「信じられないってどういう意味よ」と非常に微妙な感情のせめぎ合いが起こっていたが、このまま決闘に入って、煉夜の気分があんな感じのままという一番嫌な状況よりはマシだと思い、仕方なしにその話を続けることにした。
「何が信じられないのよ。ワタシにも友人の1人や2人いてもおかしくないでしょう」
煉夜は「その発言がもはや友達いないやつのそれだな」と思ったが口にはしなかった。姫毬は盛大にため息を吐きながら言う。
「では信姫様、お聞きしますがご友人は何人程いらっしゃいますか?」
言われて、頭の中で「沙友里、晶子、澄江、環……」と指折り数え、堂々とドヤ顔で折った指を見せながら姫毬に言う。
「8人よ!どう!」
誇らしげに言う信姫に、姫毬と煉夜が可哀想なものを見る目で信姫を見た。正直に言えば煉夜も人のことを言えないのだが、流石にここまで酷くない。
「もはや何人とか数えて言える時点で友達がいないやつそのものじゃないか」
煉夜の心からの呟きに、耳聡く反応した信姫は、若干キレ気味に煉夜に向かって吠えるように問いかける。
「じゃあ貴方は友達何人くらいいるのよ!」
その問いかけに、煉夜はパッと思い浮かべる友人の数々。雷司や月乃はもとより、飲み仲間、仕事仲間、様々な友人が思い浮かんでいく。
「ん~、数えきれないな。流石にこっちの友人は少ないが」
煉夜の言う「こっち」とはこの世界のことではあるが、信姫たちは勝手に「京都」のことと判断する。そして、姫毬は当然と言った顔で頷いた。
「まあ、転校してきたばかりですから仕方ありませんよ。地元に19年もいて友達が8人しかいない人もいますし」
若干からかい交じりにそんな風に言う姫毬に、信姫は切りかかろうかと真剣に思ったという。そして再び刀を腰に差すように構える。
「さて、と無駄話はこの辺にして、そろそろ始めましょうか」
その言葉に、煉夜もまた、上段の構えを取り、再び向かい合う2人。戦いの火ぶたが切られようとしていた。
「では、審判を務めさせていただきます。戦いと言ってもあくまで殺し合いではなく果し合いです。いえ、果し合いも命を懸けているのですが。まあ、試合と言い換えましょう。貴方方はこのようなところで命を落としていい人間ではありませんので殺しはなしです。そして、万が一の時は、死ぬ気で止めに入りますので」
あくまで試合。殺し合いではない。それを前提として2人は戦う。しかし、両者共に本気を全く出していない。煉夜は誓い、信姫は私情のため力を借りられないから。
そして、姫毬は戦いの開始を告げるのだった。




