368話:白雪の陰陽師
8ヶ所各地から上がった魔法や陰陽術は、呪符を貼り終えたことに対する合図だった。それに合わせてすかさず煉夜が呪符を取り出すが、それよりも先に、美神がフィンガースナップを鳴らす。パチンという乾いた音と共に、その8ヶ所に赤い光の柱が立った。まるで封印するかのように。
「残念ね。霊脈の位置から、どこに呪符が貼られるかというのは予想がついていたわ。なら、それを封印することくらい、容易にできるのよ」
煉夜は「賭け」と言っていた。ならば、その賭けは、煉夜のボロ負けだろう。そう美神は思った。そして、水姫も小柴もリズもここから先、どうするのかは聞いていない。あくまで8ヶ所に呪符を貼ることと、それで陰陽術を発動させること、それが「切り札」であること、それだけしか聞いていないのだ。
煉夜は、苦々し気に顔を歪め、胸元の宝石を握りしめる。そして、小さくつぶやくように言葉を発した。
「終わったか……」
諦めのように聞こえる言葉に、美神は笑みを浮かべる。そして、煉夜に向かって言い放つ。声高々に勝利宣言のように。
「ええ、あなたの負けで、ね」
だが、それに重なるように、別の声が煉夜の耳に聞こえる。他の誰にも聞こえないのに、煉夜の耳には間違いなく。
「ええ。というか吾だけ1人で8ヶ所というのは明らかに負担が他の人に比べて大きすぎる気がするのですが……」
それは、この場にいる誰にも、美神にも聞こえないし、見えない存在。現在を見通すことのできる「真実の瞳」を持った煉夜にのみ感じられる「寂寞の心」を持つ存在。忍足静萌。
そして、握りしめた宝石から、黄金の光が放たれる。何事か、と思うが、すぐに煉夜の幻想武装であることは分かった。
「自暴自棄にでもなったのかしら。それとも最後まで希望は捨てないってやつかしら」
そう嗤う美神に対して、煉夜は笑う。そして、発動するのは[煌輝皇女]だった。煉夜の姿が鎧に包まれて、スファムルドラの聖槍エル・ロンドが手に現れる。
「聖槍、権能解禁。『我が祖国はここにあり』」
聖槍の権能で、一定の範囲がスファムルドラ帝国に置換される。その範囲に煉夜は集中力を割いていたのだが……。京都市全域をスファムルドラ帝国に置換する。
その狙いが美神には分からなかった。だが、それは明確に意味を持った行動。スファムルドラ帝国に置換されたことで霊脈がスファムルドラに置き換わる。その際に起きるズレ。それにより、呪符を発動するための霊脈の適正位置は変化する。
「悪いな、こちらが一枚上回ったようだ」
煉夜は呪符を発動した。その瞬間、美神を包むように、その周囲ごと白い光に包まれた。
最初から煉夜は、封印や無効などで、呪符を潰されることを予想していた。だからこそ、保険をかけていたのだ。8ヶ所に向かわせた友人知人が囮だったわけではない。ただ、8ヶ所に呪符を仕掛けるであろうことは美神も読んでいるだろうし、こちらの霊脈を考えればどこに仕掛けるのかも分かるだろう。
だから保険として賭けたのだ。忍足静萌の「寂寞の心」が、美神の力を上回っていることを。水姫が煉夜に対して、神にその作戦は読まれているだろうけどどうするのか、と問いかけられたことで、煉夜はその時、静萌の「寂寞の心」の効果が、相性によっては過去を見ようと通じないことが分かった。あるいは、水姫の場合は練度の問題もあったのかもしれないが。それでも、そこに賭けるだけの価値はあった。
だから、8ヶ所とは別に、スファムルドラ帝国に置換されたときに霊脈のポイントとなる8ヶ所に呪符を置きに行ってもらったのだ。当然ながら、静萌は、魔獣や幻獣を完全にスルー出来る。だからこそ、1人で8ヶ所を回らされたのだが、戦いのあった他の場所と同じくらいのタイミングでどうにかし終えたのである。
世界が、――白く塗りつぶされていく。まるで現実を侵食するかのように、呑み込み、変えていく。
そう、これは何人も、神であろうと、自由に手にすることはできない魔術の最奥。人智を越えた奇跡。持つ者は生まれ持って育ち、持たざる者は永劫に手に入れることはない、その力。
気が付くと、そこは一面の銀世界であった。雪が積もり、足跡1つない雪原は神秘のようなものを感じるには十分なまでの美しさ。それを見た美神は、かつての友であった柊神美……雪白火菜美の髪色を思い出した。
こんな風なまるで積もる雪のようにきらめいた綺麗な銀色の髪だった、と。そして、ひらりぽたりと上から静かに雪が舞い落ちてくる。それにつられて思わず上を見上げた。
ぼた雪の様に落ちてくるそれはとても綺麗で、思わず目を奪われる。そして、それが手のひらに落ちた。解けて水と化す雪と共に、自分の中の何かも融けて流れているような、そんな感覚に陥る。
白い世界。白銀の世界。その世界のことを美神は知っていた。あるいは、聞かされていたというべきか。
雪白火菜美が生まれ持った奇跡。持つべくものが持ってして生まれる魔法の最奥。――限定結界。使えるとは聞いていた。使えることは知っていた。使った様子も1度か2度見たことがある。
だが、それを直接としてくらい、その効果を知ったことは今まで一度もなかった。
容姿が降り積もった雪原のような白銀の髪と血よりも透き通る綺麗な赤い瞳だったという理由だけでは「白雪の陰陽師」と呼ばれる理由には薄い。彼女はこの力を持っていたからこそ「白雪」と呼ばれた。そして、恐れられたがゆえに、後世にそれはぼかされてしか伝わらなかった。
降り積もる雪が全てを覆い隠していく。視界も、自身も。まるですべてを埋め尽くすような真っ白な世界。全てが覆い隠されて、そして、雪解けは来る。
まるで何もかもが解け出るかのように、雪も魔力も神の力も、美神にあったすべての力があるべき根源へと、無へと還っていく。
――ああ、これは、そう、彼女の……
美神はここまでくれば全てを悟っていた。この力が如何にして、今、再びこの世で再現されたのかについて。
――あの呪符は、美神の創った陰陽術
そう、柊家に没収され、出雲大社の一件の後、煉夜に託された雪白火菜美が研究していたという陰陽術である。
――そう、まさか、そんなことがあり得るなんてね
これは、人智を越えた奇跡を越えた天才のなせる所業。魔術の最奥、誰にも選び取ることができず、誰に得られるか分からないその力をよもや「再現してしまう」などという常識外れにもほどがある神を越えた奇跡を起こしてしまったのだから笑うしかない。
限定結界の再現、それは未だかつて、誰にもなしえなかった奇跡の中の奇跡。それを陰陽術として再現してしまうのだから「ありえない」なんて言ってしまうのも無理はない。
――本当に、そう……
――本当にあなたこそ、まさしく「白雪の陰陽師」と名乗るにふさわしいわ、火菜美……
薄れゆく意識の中で、雪と共に身体すらもすべてが解けて無に還りそうなそんな状況で、美神はそんな風に思うのだった。――限定結界、「白銀雪夢」。それを再現した天才を讃えて、本当にそのように思うのだ。
白い光の柱は融け行くように消え去った。残されたのは地に伏す美神だけ。魔力も神の力も何もかもを失った。そんな彼女に成すすべはない。そう思われたが……。
「甘く、見ないことね。まだ、切り札はあるわ……」
食いしばるように、地面を握りしめ、ふらふらの状態でありながらも、その扉を開いた。魔獣や幻獣がこの世界に送られて来た召喚魔法。こちらから召喚する魔法を使うのではなく、向こうに開いて、向こうからこちらに召喚するという、煉夜の「流転の氷龍」への対策を施された召喚方法で再び、配下を召喚するようだ。
その魔法陣は大きく、緑猛弩亀が出現するときのものに匹敵するほどだろう。そこから出てくる存在が通常の魔獣や幻獣程度ではないことは予想ができた。
そして、現れたそれを見て、煉夜は絶句した。いや、恐らく見ているであろうものたちは皆、一様に絶句しただろう。
魔法陣を通り現れる巨大な頭は、まるで物語に登場する巨大な竜そのもので、見るだけで恐ろしいと思うほどの迫力があった。頭から首へとかけて魔法陣から現れて、そして、そのまま、ずるりと滑り落ちるように、その首は地面に落ちた。
まるで刃物で切断されたような切り口のまま家や地面を巻き込み、落ちた首。それに続くように、翼、右腕、左腕、右足、左足、そして3分割された胴と尻尾。それらが地面に次々と落ちていく。
まるで召喚される前から誰かに切り刻まれていたかのような、竜の死骸。その上にたたずむ少女の姿があった。
燃ゆる炎の熱さを示すかのようなオレンジ色の髪に、麗しいほどの碧眼。手に持つその身の丈に似つかわしくないほど大きな大太刀。その少女の名を煉夜は知っていた。
「キッカ……!」
かつて、緑猛弩亀を共に倒した戦友、キッカ・ラ・ヴァスティオン。雷司も「オレンジ色の、そんな予感が」と言っていたように、その存在が来ることを予感していた。
「久しいな、獣狩り、それに【緑園の魔女】。こうして再び巡り合えるとは正直、思っていなかったがな」
そんな風に竜の残骸の上で笑う彼女。それはまさに「龍殺しのヴァスティオン」という異名に恥じないものであった。
「オレンジの髪、青い目……!
そうか、ヴァスティオン……!
異界の『龍殺し』の血脈ごときがっ!」
美神は這いつくばりながらも、召喚に失敗した竜のその原因を見て、そして、にらみつけた。そのオレンジ色の髪も青い瞳もどちらも「ラ・ヴァスティオン」の血統に……、「龍殺し」の血統に現れやすい遺伝形質だった。だからすぐにその正体も分かる。
「さあ、これでお前の『切り札』とやらも潰れた。大人しく負けを認めるんだな」
煉夜は、美神の手を予想し、そして、それを越えるであろう可能性がある部分に賭けて、そして、神の思考すらも上回り、裏をかいて、神を無力にして地面に伏せさせたのだ。
神を地に堕とした。まぎれもない、人に成し得ない奇跡の1つを起こしたのだった。
――そこに、一陣の黒い風が吹く。




