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白雪の陰陽師  作者: 桃姫
白雪陰陽編
366/370

366話:スファムルドラの悲劇・其ノ参

 クライスクラ新暦1264年。煉夜は武功が認められて、晴れて聖騎士への内定が決まった。武功と言っても、結局は、街道に出た魔獣の討伐が主で、結局はそれの積み重ねの様なものであったが。


 煉夜とディナイアスは夜に祝杯をあげた。訓練の後、静かに。当時、煉夜は、実年齢で言えば成人していたが、基本的に飲まないと決めていたので、酒ではないが、訓練後の一杯として、乾杯して飲んだという。


 2人だけの祝杯。本当はメアもそこに加えたかったのが2人の本心であったが、同盟国との会合やら税率の取り決めやらで忙しそうで、とてもではないが誘えなかった。

 スファムルドラ帝国とその同盟国では、入国、出国に関する税や商品の持ち込み持ち出しに関する税などは同盟国間で話し合って決めている。特に、スファムルドラ帝国では「祭乱の宴(ユーレンファーレ)」の時の税をどうするかなどの議題が毎年上がっている。


 だが、メアは、その合間を縫って、煉夜とディナイアスに会おうと、訓練場を訪れ、自分抜きで楽しそうに祝杯をあげる2人を目撃してしまう。

 時が止まるようだった。心臓が誰かに握られたかのようにメアは息苦しくなった。その感情は、メアが初めて抱いた類のものであり、同時に、いつも、皇帝として、あるいは皇族として、心の奥底に押し込めている「メアという少女」の感情であった。


――嫉妬。


 嫉妬心。妬み、嫉み。皇族の彼女からは縁遠いものであった。欲しいものは手に入る、それもその才知により、生まれてからこれまで人の上に立ってきた。それはそうあろうとしたとか、他者を見下していたとか、そんなことでもなく、自ずとそうなった。

 そして、それらの感情、例えば嫉妬、例えば怠惰、七つの大罪……というわけではないが、それらの感情は、ともすれば弱みである。戦争で感じた恐怖、苦しみ、そういったものも含めて。

 だからこそ、皇族として、皇帝として、彼女は、それを心の奥に押し込め続けた。「感情で国を動かしてはならない」。だから、感情に蓋をした。

 無論、無感情というわけではない。煉夜を騎士にした時だって、彼女は彼女の感情に従っていた。ただし、そこに皇族としての打算や今後の計算が加わり、そちらが上回ったからこそ実行したのだが。




 人の世とはいつもすれ違うもの。煉夜とディナイアスはメアを想い、互いに研鑽をしていたが、メアはそれに嫉妬を覚えた。互いの思いはすれ違い、不和を生む。





 ゴミ箱もいつかはあふれてしまうように、メアの心の奥に押し込めた感情はいつの日にかあふれ出した。押し込まれた感情たちは、蟲毒のようにごちゃまぜになり、元の感情が何だったのかも分からないくらいの「狂気」となった。


 枷が外れた理由など分からない。何がきっかけか、その蓋は突然取っ払われて、「狂気」だけが表にあふれ出した。


 煉夜とディナイアスが訓練中に、公務中のはずのメアが現れた。メアが公務をすっぽかすような人間ではないことをよく知っている煉夜とディナイアスは疑問に思ったものの、快く微笑みかけ、そして、――ディナイアスは腹部をメアに刺された。


「メ、ア……?」


 何が起きたのか全く分からなかった。いや分かりたくなかったのだろう。煉夜が呆然とし、ディナイアスが倒れこむ中で、メアは狂気に笑う。


「ふふっ、ふふふ、ふふふふふ」


 ディナイアスは、もはや感覚すらなくなりつつある手で、腹部を押さえるが、その出血が止まらないことを理解する。この剣の道を歩むのに大けがも幾度かした。しかし、それらとは違う。体が、傷が、こんなにも痛くて熱いのに、体中から熱が奪われていくような喪失感。

 かすれる視界で、その瞳にメアの狂気にくぐもった眼を見た。それが自身の知るメア・エリアナ・スファムルドラのものとはかけ離れた別の存在ともいえるほどに狂気に冒されていることに気が付いた。

 だから、そこにある感情は恨みや怒りではなかった。薄れゆく意識の中で、呆然と立ちすくむ煉夜に向かって、彼女は震える声で、気力を全て使いつくすかのように言う。


「メアを……、救って、あげて……。狂気から、重圧から。それが……、せい、きしの……」


 彼女の言葉はそこで途絶えた。だが、その思いは、……意思は間違いなく煉夜に伝わった。その最後の言葉が煉夜を現実に引き戻したのだから。


「メア、どうしてしまったんだ……!」


 この場合、問うべきはそのような抽象的なことではなかったのだろう。しかし、具体的なことを問うていたとして、それがまともに通じたかは怪しいところだが。


「ふふふっ、おかしなことを言いますね、レンヤ様。わたくしはどうもしておりませんわ」


 言葉としてはまともであった。しかし、状況が状況だけに狂っているとしか思えない。その目は狂気に歪み、くぐもっていた。


「何のためにこんなことを……」


「何のため?」


 煉夜の問いかけに、メアは笑った。狂ったように声を上げて笑ったのだ。上品な笑みなどでは決してない、狂った笑い。


「わたくしのため、ですよ」


 シンプルな答えだった。あるいは、全てを押し込めてきたがゆえの反動という意味では正しい解答なのだろう。


「ですから、レンヤ様も、わたくしの刃を受け入れてくださいますよね?」


 次の瞬間には、間合いを詰めたメアが迫っていた。ディナイアスが腹部を刺されていたこともあり、刺される場所の予想ができたためか、煉夜は致命傷を寸でのところで避けることに成功する。

 そして、剣を取った。訓練用の雑多な剣ではない。スファムルドラの聖剣アストルティを。ディナイアスという共通の師の元、剣術を研鑽したメアと煉夜であるが、メアはすでに剣はそれこそ普段の公務の間に練習する程度で、現役からは遠い。

 一方、煉夜は今さっきまでディナイアスと訓練をしていたほどには現役だ。だが、訓練してきた期間は煉夜の方が圧倒的に短い。

 経験か現役か。どちらに軍配が上がるのかは分からなかった、この戦いにおいて、大勢を傾けたのはその部分ではなかった。


 意識の問題である。メアは完全に煉夜を殺す気でいるし、煉夜はメアを傷つけないつもりでいる。その意識の差がある限り、煉夜に勝ち目はなかった。


「なぜ躱すのですか?

 なぜ避けるのですか?」


 笑みを浮かべ、襲い来るメアは完全に正気ではなかった。狂気に呑まれていた。逆に煉夜がその狂気に呑まれそうになるくらいには……。


「メア、正気に戻れ!」


「正気?

 わたくしは正気ですよ、ふふっ、おかしなことを言いますね」


 正気な人間は短剣を振り回しながらそんなことは言わないだろう。煉夜はどうにか彼女を元に戻す方法がないのか、そう考える。

 だが、魔法も、言葉も、彼女には届かない。あるいは、魔女の魔法ならばどうにかする手立てがあったのかもしれないが、あいにく煉夜は、魔女の魔法をこの時点では習得していなかった。


「ふふっ、レンヤ様を殺して、わたくしも死にます。そうすれば、ずっと一緒ですよ。公務もディーナも邪魔なんて一切なくて、ずっと、ずっと、ずっと」


 この時、煉夜に余裕があったなら「どこの昼ドラだよ!」などと叫んでいただろうが、精神的にも状況的にも余裕がない状況でそんなことを言うことはできなかった。

 煉夜の頭の中にあるのはディナイアスから頼まれた最後の言葉。「メアを救う」ということだけだった。


「……救うには、もう、これしかないのかっ」


 歯が欠けるほどに食いしばる煉夜。己の無力さに、どうすることもできないという憤りに、悔しさをにじませるように。


「受け入れてくれる気になりましたか?」


 なおもメアの狂気の刃は迫る。それを躱しながら煉夜は、スファムルドラの聖剣アストルティに魔力を込める。まばゆい黄金の光には、メアも一瞬、目がくらんだ。


 その隙を突くように、煉夜はメアを黄金の光で切り裂いた。


 床に崩れ落ちるメア。まるで糸が切れた人形のようにパタリ、と。魂ごと切り裂いたのだ。


「メア……」


 煉夜がこの世界に来てから初めての明確な殺人。戦争も基本的には捕虜にしていた。死体はいくつも見たが、明確に手をかけたのはこれが初めてのことである。


「レンヤ様……。わた、くし」


 焦点の合わない瞳で、煉夜を呼ぶ。煉夜はその手を取った。愛する女性の手を。メアは無意識に煉夜に寄りすがる。煉夜は祈る。「ああ、どうにかなるのならば、奇跡を」と。それは神が与えた奇跡、……ではないのだろう。神も予想していなかった奇跡。

 聖剣と共に授けられた空の幻想武装の宝玉にメアの魂が刻まれた。まるで、煉夜の中に入り込むように、するりと。聖剣で魂ごと切り裂いたからであろうか。

 4分割されたメアの魂の内、「皇帝メア」と「メアという少女」に分かたれ、「皇帝メア」の半分が煉夜の中に入り[煌輝皇女(ピュアメア)]に、「メアという少女」の半分が煉夜の中に入り[惨殺皇女(ナイトメア)]に、「皇帝メア」のもう半分は異界に転生しエリザベス・■■■■(エリアナ)・ローズになったのだ。

 それゆえに、リズには4分の1しかメアの魂が入っていない。






 この後、現れた【創生の魔女】が、全ての事情を察し、煉夜を連れて逃亡。煉夜と【創生の魔女】は三方の辺境、ミーティムに身を寄せることになる。


 一方、スファムルドラ帝国は大混乱を極めた。死亡したディナイアスの刺された位置や使用された短剣から犯人はメアであると推測されたし、そのディナイアスを殺害したであろうメアはすでに死んでいた。そうなると、この場にいない煉夜が怪しまれるのは当然であった。


 そうして、煉夜は魔女の次に賞金の高い「王族殺し」あるいは「皇族殺し」の罪で賞金首になったのであった。





 こうして、煉夜とディナイアス、メアの3人の悲劇は終わりを告げた。すれ違い、嫉妬、狂気、ありふれた悲劇。メアの狂気の蓋がどうして開かれてしまったのか、それは誰も知らない。メア自身にも分からないのかもしれない。だが、ともすれば運命というものである。美神という神にかけられた呪いともいうべき寵愛、「愛する人が必ず死ぬ」という煉夜の運命……。


 だが、メアと煉夜の物語は、これで終わりではなかった。ロップス・タコスジャンことジョンが不在の間に、アニメスの推薦で帝国に入った魔法使いルクス・ドネッサが、特使会の道具……、つまり【虹色の魔女】ノーラ・ナナートの道具を使って、メアを不死としてよみがえらせた。ただし、魂はすでに散っている。残された「メアという少女」の魂の4分の1以外。

 よみがえったメアは「皇帝」ではなかった。そのため、メアは事情により皇帝を辞したということになり、退位した前皇帝であるメアの父が復帰、メアが生きているのに「メアを殺害した」として賞金首にするわけにもいかなくなり、結果、なぜか高額の賞金首という事実だけが残り、その罪の内容が周囲に広がることはなかったという。

 そうして帝国は傾き、ロップス・タコスジャンことジョンも帝国を去ったためスファムルドラという国は滅びに向かっていったのだった。

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