365話:スファムルドラの悲劇・其ノ弐
ディナイアス・フォートラスは、生来、魔力というものを持たなかった。しかし、それでもメアを守りたいと思い、剣の道を歩む。強さに性別は関係ないとはいえ、女だてら騎士を目指すことは簡単ではなかった。しかし、その壁を乗り越えて、彼女は今、メアの傍に立っている。
ディナイアスの実力は、煉夜の想像を絶していた。その多くが試合形式であり、剣と槍を持った状態の煉夜を相手に、軽々と立ち回るのだからその実力の差は歴然だろう。もっとも、剣と槍を同時に持ち、使う練習をこれまでしていなかったということもあるし、武器を2つ持つ煉夜の方が重くて動きが鈍るのは当たり前である。
「筋は悪くありません。反応も上々。後は体がしっかりして、武器をもっと自由に扱えるようにすること。そうすれば、距離を詰められたときに槍で防ぐか、剣で攻めるか、思考の取捨選択も自ずと磨く必要が出てきますが……、まあ、そこは経験で磨かれる部分が大きいでしょうし」
この場合の身体がしっかりというのは、根本的な筋力等だけの話ではなく、剣と槍を持った時にそれをきちんと維持できる体幹や体力なども含まれている。もっとも、それらは普段の基礎訓練を重ねていけば自ずとしっかりしていくであろう。
そこがしっかりすれば、行動に余力が出るようになる。今の煉夜では、距離を詰められた時に、敵が攻めてくる方に持つ武器で対応するということしかできていないが、体幹や体力が増せば、そこの切り替えがもっとスムーズにいく。そうしたときに、剣と槍、どちらを使った方がいいかという思考の取捨選択が生まれるようになる。
思考の取捨選択は、結局のところ経験で学んでいくしかない。一定のパターン、こういう時はこうするのがいいというものは存在するが、それは人によって異なってくるし、何事にも例外はある。そうしたときに対応するための方法を考えるとなると、結局は実戦経験が物を言うということだ。
「どうでしたか、レンヤ様。ディーナと訓練をしてみて」
地面にへたり込む煉夜を覗きこむ形でメアが微笑みながら問いかける。顔が近く、ドキリとする内心をどうにか隠しながら答えた。
「手も足も出なかった。相当強いな」
そんな風に言う煉夜に対して、メアは苦笑する。正直なところ、先ほどまでの訓練はとても見ていられるものではなかった。煉夜が苦戦するのも無理はない。
「レンヤ様が苦戦しているのは身体の基礎ができていないのもありますが、魔力の方も、ですね。魔法を扱うようになって制御ができるようになってきてはいますが、元々、聖剣と聖槍に分配するように魔力のコントロールを調整してしまったこともあってか、練習用の剣と槍では、魔力を込めすぎたり、引っ込めたりとそちらに思考を割かれている部分がありますから」
ディナイアスは魔力に関して門外漢であるため、その辺りの指摘はメアにしかできなかっただろう。
「加減をしようとするから難しくなるのです。実際に聖剣と聖槍で戦うときには手加減などいりませんから、練習用のものでも同じように魔力を込めて構いません。壊れたときはその時ですよ」
この「壊れたときはその時」というのは、別に壊してしまっても仕方がないという意味だけではなく、壊れた時の経験を積めるだろうという意味合いも含まれている。実際、戦場で武器を落としたり、弾かれたりと失ってしまう状況が全くないわけではない。そうしたときのための対応は、それはそれで経験しておかなくてはならないことでもある。
「加減をしなくていい、か、やってみよう」
それからは、騎士たちと基礎訓練を積み、メアから魔法を教わり、ジョンと魔法の訓練をして、ディナイアスと剣の訓練をすることが日課となっていった。日々が過ぎるのは早く、あっという間に3年が過ぎた。
クライスクラ新暦1262年。煉夜がスファムルドラ帝国に1258年から数えれば4年目となる頃。この頃には、既に【創生の魔女】も煉夜の様子を見にスファムルドラに訪れるなど、大きな出来事がいくつか起こっていたが、それらもすべてが落ち着いた頃に、ある大きな事件が起こる。
いや、事件と称すべきではないのだろう。――戦争だ。「祭乱の宴」で煉夜がメアの騎士に選ばれたときに反論して、そこから兵力偽装や特使会とのつながりなどを暴かれ、連行された皇族、アゴイヌスは国外追放の処分を受けたのだったが、その後、隣国であるフィストレスト帝国に入り、フィストレスト皇帝に取り入り、スファムルドラ帝国への戦争を幇助し、結果として戦争が起こってしまった。
国力差を考えれば当然のことながら、スファムルドラ帝国には同盟国も複数存在し、フィストレスト帝国を挟撃するように動くことも容易なのだから、大勢はすぐに決まる。結果はスファムルドラ帝国の圧勝である。
この戦争で煉夜の周囲に起きた出来事と言えば、戦争への初参加と敵の指揮官を捕虜にして武勲を挙げたこと、そして、この戦争を1つの区切りとして、スファムルドラ皇帝が退位を決め、その席を娘であるメア・エリアナ・スファムルドラに譲ったことであろう。
しかし、メアはこの時点では、聖騎士を正式に任命はしなかった。それには理由がある。煉夜には功績が足りなさ過ぎた。
当初、メアが考えていた煉夜を聖騎士にするまでの道のりには、まだ時間にもう少し余裕があった。しかし、それが思った以上に早まってしまったことで、煉夜には功績が足りないということになってしまったのである。
別に功績があろうがなかろうが、メアが任命すれば聖騎士は任じられるのだが、同盟諸国や臣民、周囲の人間からの評価は悪い。メア個人として評判が悪くなる分には、彼女は気にしないだろう。だが、皇帝という立場、帝国において、その悪評が広まるのは、単純にメア個人の問題とはならない。それゆえに、メアは煉夜の任命を延期したのだ。
だが、嬉しい誤算もあった。フィストレスト帝国との戦争により、メアと煉夜は戦争に参加して、手柄を上げている。その武勲もあって、煉夜は同盟国からの認可を受けて、ようやくなることのできる守護騎士に正式に任命されたのだった。
守護騎士に正式に任命されたということは、手柄を立てる機会も自然に増える。メアが問題視している功績の面は数年も経てば自然と埋まるだろうと考えられた。
戦争などそうそう起きないスファムルドラ帝国において、守護騎士が主に戦う場面は魔獣や幻獣との戦いである。超獣のような存在がうろつくあたりに国は栄えないし、神獣は知能があるので国の栄える地域から離れて暮らしている。結果的に、国の周辺、特に街道の周辺に出現するのは魔獣や幻獣の類であった。それも大抵は魔獣で、幻獣が出るようなときはそれなりの人数で準備を整えてから出撃する。
騎士としての基礎訓練の部分が、守護騎士としての仕事に置き換わり、メアが皇帝に即位したため魔法の勉強の時間は大きく削られ、新体制に伴い、戦争の事後処理なども含めロップス・タコスジャンことフィリップ・ジョンも忙しくなり、結果的に煉夜はディナイアスとの訓練の時間が増えるようになっていった。
ディナイアスと煉夜は、互いに騎士として磨き合い、メアのために帝国に仕えるという共通の目的を持っている同志のような存在であった。共に夢を語らい、武功を喜び、技を磨き、そうして、2人の間にある絆は確かなものへとなっていった。
いつしか煉夜もディアナイアスのことを「ディーナ」と略称で呼び、互いに堅苦しい言葉遣いも無くなり、親友のような存在になっていた。
一方、メアは、若くして皇帝を継いだことにより、最初こそ同盟国や臣民たちからも難色を示されたが、皇帝として先を見通すことや臣下のために動くこと、何より考え方が帝国をよりよくというこれまでの皇帝の意思をしっかりと引き継いだものであったために、しだいに認められていくようになった。
その分、プライベートはほとんどなく、「皇帝メア」としての生活に重きが置かれていくようになってしまう。皇帝としては当然のことであろうし、それはメアにも理解できるものだった。
前皇帝である父が退位して、自身に位を譲ったのも、それらを理解して、こなしていくだけの力があるとみなされたからだと思っているし、事実そうだった。そして、こなして、それを認められるだけの才気が彼女にはあった。
だが、その才は、若くして皇帝という座に自らを縛り付ける鎖となってしまった。メアは、まだ年頃の少女と言っても過言ではない。そんな彼女がプライベートも何もなく、国のためだけに働くというのは苦痛であった。
それが国のためならば、という少女らしからぬ皇帝としての思考を持ち合わせているのも事実。
そうして彼女は、「皇帝であるメア・エリアナ・スファムルドラ」と「若い少女であるメア・エリアナ・スファムルドラ」の2つの面の狭間で揺れ始める。
ある日、メアは公務での移動中に、煉夜とディナイアスが訓練をしているところを目撃する。声をかけようか、そんな思考が一瞬よぎるが、公務に向かうためにその関係者が多くいる中で、一守護騎士や騎士に声をかけるわけにもいかない、と思いとどまった。
煉夜とディアナイアスもメアが通っていることには気が付いていたが、公務中であろうことは明らかであったし、声をかけることはなかった。
懸命に訓練して、笑い合う2人。少し前までは、そこに自分もいたのに、そんな思いと共に、何か言い知れぬ暗い気持ちが自分の中にこみあげてくるようにメアは感じた。
この頃からおそらく兆候はあったのだろう。メアが揺れる2つの側面、煉夜とディアナイアス、そしてメアの間にすれ違いという名の溝が生まれ始めていた。




