364話:スファムルドラの悲劇・其ノ一
クライスクラ新暦1259年。煉夜が「祭乱の宴」で準優勝として、繰り上げ優勝してから半年以上が経過して、年を跨いでいた。煉夜は騎士としての基礎教育を受けながら、メアの騎士として鍛錬に励み、メアとの魔法の授業もきちんと受けていた。そのせいかもあって、天性の魔力も相まってか、煉夜の魔法の腕はメキメキと上がっていったという。
そうした経緯もあって、煉夜は、メアの計らいでこの時、初めて魔導顧問と魔導指導者という2人に合うことになった。
無精ひげを生やした顔の濃い男性が魔導顧問で、白いひげを蓄えた高齢の男性が魔導指導者である。出会った印象としてはその2人の立場は逆じゃないのか、というものだった。
「俺の名前はロップス・タコスジャン。この帝国で魔導顧問をしている。隣の爺さんは先代の魔導顧問で、今はその役を俺に譲って魔導指導者なんていう新しい肩書名乗ってる」
差し出された手を握り返す煉夜。快活で少なくとも悪い印象は受けないさっぱりとした男であると感じた。しかし、目に映る情報と耳で聞いた情報に乖離があった。煉夜には彼の名前がフィリップ・ジョンとしか思えないが、しかし、公の場でロップス・タコスジャンと名乗るからには意味があって偽名を使っているのだろうと思った。
「レンヤ・ユキシロです。よろしくお願いします」
騎士としては入りたてで一番下っ端の煉夜は誰に対しても敬語で話していた。もっとも、この世界の言語的ニュアンスでは丁寧な言葉回しをする程度にしか思われていないが。
「隣の爺さんなどと呼ぶでないわい。わしゃ、アニメス・ロギードというものだ。このふざけた男なんぞに譲ることになるなら魔導顧問を降りるんじゃなかったとつくづく後悔しているがね」
アニメス・ロギード。その名前は煉夜にも聞き覚えがあった。スファムルドラ帝国に来る道中で【創生の魔女】が口にしていた魔導顧問の名だ。現状を考えるならば、【創生の魔女】が来ていない間に、アニメス・ロギードが魔導顧問を引退して、ロップス・タコスジャンがその地位を引き継いだのだろう。
「よろしくお願いします」
この時点で、煉夜が使えるのはメアから教わった「光の魔法」が多く、リズが2人の魔法使い、……魔導顧問と魔導指導者に引き合わせたのは、多くの魔法使いと触れ合い、その毛分を高めてほしかったからであると同時に、今の煉夜のレベルを明確に知ってもらうためでもあった。
それから数ヶ月。魔法の術式的な意味合いで煉夜に教えるのは、ずっとメアの役割であったが、それらを受け、どのくらいの腕前なのかを評価するのはロップス・タコスジャン魔導顧問の仕事となっていた。
彼の性格もあってか、煉夜はロップス・タコスジャンとかなり打ち解けたようで、互いに堅苦しい様子はなく、……もともとロップス・タコスジャンの方に堅苦しさなど微塵もなかったが、……煉夜の敬語もすっかりなくなった頃のこと。
「結局のところ、お前はロップス・タコスジャンなのか、それともフィリップ・ジョンなのかどっちなんだ?」
その問いかけに、ロップス、もといジョンは、煉夜と出会って初めて見せる驚嘆したような呆然としたような間抜けな面をしたのであった。
「流石に驚いたな……。どこで知った、その名前を」
無精ひげを軽く撫でながら、心底驚いたというように、煉夜に問いかける。それに対して、煉夜は聞いてはいけないことだったのか、あるいは知ってはいけないことだったのかと思い、複雑な思いであったが答える。
「なんでか分からないが分かるんだよ。お前の名前がフィリップ・ジョンだって。俺自身にもよく分かってないんだ」
煉夜の言葉を受けて、「もしかして」とジョンは閃いた。人の名前を知ることができる力は実際のところ、いくつもある。魔眼の類や直感、技能、幾多とある手段の中でそれを断定するのは難しい。しかしそれは普通であればのはなしだ。
フィリップ・ジョンは、消失世界の遺産を遣って、自身の名前を偽っている。その名前が自然なものだと思い込ませることができるのだ。だからこそ、その名前に疑問を抱き、真名を看破できる力などそうありはしない。
「もしかするとレンヤは『カーマルの恩恵』を持っているのかもしれないぞ」
聞いたことのない言葉に眉根を寄せる煉夜。しかし、それを気にした様子もなくジョンは言葉を続ける。
「恩恵って言うのは、まあ、いろんな場所にいろんなやつがいるから、誰からの恩恵かは分からないが、持ってるやつは少なくない。『めちゃくちゃ運がいい』とか『なんでか知らないけどめちゃくちゃモテる』とかそんなやつ見たことあるだろ。そんなんでもある種、恩恵の1種だ」
「ある種ってことは、俺のこれとは違うってことか?」
それらが「ある種」の恩恵であるならば、煉夜のは「明確な」恩恵であるということなのだと、今の発言からは読み取れた。
「ああ、お前のそれはおそらく真実の神の恩恵である『真実の瞳』だ。同種の恩恵は26種類」
そう言って、各種恩恵の効果や内容について簡単に解説するジョン。それは26種類の恩恵、すべてを把握しているということであった。しかし、煉夜にとってはそれがどれくらい常識的でどのくらい非常識なのかを知らない。
「ああ、言っておくが、あまりそれを持っていることは吹聴しない方がいいぞ。厄介ごとの種にしかならない。説明するなら魔法の1種とかそんな風に説明するといい。まあ、同じように恩恵を持っているやつには別だがな」
当時の煉夜は、それが嫉妬や忌避の観念から来る心配の言葉だと思っていたが、後になって考えるとよく分かる言葉であった。このクライスクラという世界において唯一存在する神は「美神」という皆が「神」と称する存在だけだった。つまり「真実の神」などという存在はあまり公に認知されていないのだ。だからこそ、吹聴するものではないと遠回しに警告してくれていたのだ。
「そうなのか……。しかし、真実の瞳という割に見えるのは名前だけだぞ?」
「それはお前が使いこなせていないからだ。半覚醒状態とでもいうべきかな。まあその内慣れるにつれて使い方も分かってくるだろうよ」
そんな風にして、煉夜は、スファムルドラ帝国の中枢にいるところの魔導顧問とも仲を深めていったのである。
「レンヤ様。どうですか、ロップス魔導顧問との鍛錬の様子は」
メアの自室……、自室と言ってもいわゆるホテルのスウィートルームのように複数部屋で構成されていて、ただの1部屋というわけではないが、その中の1室で煉夜とメアは向かい合って座っていた。
「楽しんでいるさ。気さくで話しやすくて、その上強い。あの男がいるうちはこの国の魔法は安泰だな」
煉夜は敬語ではなく、普通にメアと話していた。それはこの世界の言語的な意味合いもあるが、公の場ならばともかく、普段は普通に話してほしいとメアから頼まれたからというのが大きい。流石に公の場でもこのような言葉遣いをするほど人間ができていないわけではないので、本当にプライベートな空間でしかしないが。
「アニメス魔導指導者も、現役を退いたとはいえ、魔法研究、魔法指導においてはまだまだ現役同然。この国の魔法が絶えることはないでしょうね」
「これからの魔法を担っていくメアもいるからな」
スファムルドラ帝国の魔法の未来は明るい、そのように言う一方で懸念していることも当然あった。
「逆に、騎士は未来が見えていません。停滞をしているのが現状です。だからこそ、わたくしはレンヤ様を騎士に選んだという部分もあるのですよ」
騎士、中でも守護騎士は同盟国の認可を得て就任する。その関係上、どうしても、一定のテンプレートのようなものができて、そういった人間が選ばれるのは必然であった。採用者も受験者も基準があった方が助かるというのは分かるが、そうなるとどうしても得意となる分野に偏りが出てしまい、低迷しつつあるのだ。
「風通し役というか、まったく違った方向からの新しい風を俺に望んでいるのか?」
「成れ、と命じているわけではありません。それに言わずとも、自然とそうなるでしょう。わたくしがレンヤ様を自分の騎士に選んだことで、どうにかレンヤ様を出し抜いて聖騎士に選ばれる人材を育成しようとあちらこちらで躍起になっていますし、騎士たちも急に現れたレンヤ様に聖騎士の座を取られてたまるまいと懸命に励んでいますし」
煉夜が来たことで騎士たちには、確かに今までと変わった部分がある。メアの騎士に選ばれたということは、聖騎士になる可能性が最も高い存在である。だが、聖騎士に正式に選ばれたわけではない。
ならば、そうなる前に、煉夜以外にもっと聖騎士にふさわしい存在を擁立してしまえばいいのだ。だからこそ、あちこちで自分の息子やお抱えの騎士を聖騎士にしたい皇族たちは騎士の育成に力を入れるようになったし、騎士たち自身もポッと出の煉夜に聖騎士の座を取られないようにと懸命に努力を重ねていた。
「そして、その状況で聖騎士になるべく、より懸命に励めってことだろう?」
煉夜を起爆剤にして騎士に対する現状を打破するというのはあくまで煉夜を選んだ理由の一部に含まれるというだけの話。
「ええ、わたくしは、あなたがわたくしの騎士……、聖騎士になることを望んでいます。ですから、他の騎士に出し抜かれることのないようにお願いしますね」
あくまでにこやかにそんなことを言ってのけるメアに対して、煉夜の答えは決まっていた。そしてそこに嘘偽りはない。
「仰せのままに」
わざとらしく、それでもそこにこもった気持ちに嘘のないお辞儀。それに満足そうに微笑んだメアは扉の方へと目をやった。
「そろそろ時間ですね」
何の時間だろうか、と煉夜が疑問に思ったが、ノックからの入室のやり取りを経て部屋に現れた女性の出現で、メアに問いかける余裕はなかった。
「ディーナ、頼んでいたことは覚えていますね」
その問いかけに彼女は頷いた。そして、煉夜の方へと向き、さわやかな笑みで煉夜を見る。優しそうな女性に見えたが、同時に高潔さと、信念のようなものを感じ取ったのは半覚醒状態の「カーマルの恩恵」によるものだろうか。
「ディナイアス・フォートラスです。こうして、直接話すのは初めて、でしたよね」
確かに、煉夜も何度かメアの周囲で護衛のように活動している彼女の姿を見たことはあったが、実際に直接会って話すのはこの場が初めてであった。
「レンヤ・ユキシロです。初めまして」
互いに堅い空気で挨拶をするものだから、両方の知人であるメアは小さく、そしてかわいらしく笑っていた。
「レンヤ様も騎士の基礎訓練はだいぶ身についてきたようですから、実践的な訓練に移っていく段階だと思いまして。それならディーナが適任ですからね。今日からは基礎訓練に加えてディーナにも訓練をつけてもらってください」




