360話:神に抗う者・其ノ陸
南西、東本願寺方面。この方面を担当しているのは雪白火邑と周月の2人だった。魔獣や幻獣退治は本分ではないものの、それこそ、経験上どうとでもできるであろう戦闘力を持った2人だけに普通の魔獣、幻獣程度なら問題ないだろう。
「それにしても、あの『神』、かなりの……」
月が、ふと、美神が出現したときの気配を思い出してつぶやいた。それに対して火邑、というよりもナキアは、肩を竦める。
「そりゃあ、どこぞの主神クラスだからね。そこいらにいるような木っ端な神とは違うわよ。普通の人間にしてみれば、まともに戦うのが馬鹿らしくなるようなそういう存在だしね。普通じゃない人間にしたって、まあ、まともに戦いたいなんて人はちょっとどうかしてると思うし」
古今東西、神と戦うものはいた。蛮勇かはたまた英雄か、それはその時々であるが、それらは神に対抗する力があるがゆえになしえたことであり、そして、そうであっても戦いを挑むというのは、文字通り次元の異なる存在、上位の存在と渡り合わなくてはならない。
神と戦うことを運命づけられていようが、神を殺すための武具を持っていようが、あるいはそれらもなしに戦おうが、それが「まとも」であるとはとても言えない。
「ナキアは勝てると思ってる?」
その問いかけに、酷く微妙な顔をしていた。正直、勝機はないと思えるほどの状況だ。ナキア自身、煉夜の実力の全てを知っているわけではないが、それこそ過去に知る「例外」たちと比べれば、煉夜のそれは【氷の女王】やその周囲の魔法使いたちのようなレベルには達していない。
「普通なら無理ね。『神』に有効な手札がないから。今、発動している『神の権能』級の力もあくまで『神と同じ土俵に立ってる』ってだけで、神に勝っているわけじゃないし、この呪符とやらが何をするものなのか分からないけど、そんな陰陽術1つで『神』に勝てたら世話ないわ」
そう、煉夜の使う「権能」はあくまで「神の権能」の代理行使やそれに類する力。それはすなわち神の扱う権能を代理的に行使できるというだけであって、神の力を越える要素はどこにもない。
いくら疑似限定結界のような力であってもそれはあくまで、神に並びこそすれ、神を越えることはできない。ましてや呪符で作り上げた陰陽術とはいえ、その程度で勝てるならば、幾度も神は滅んでいるだろう。
「じゃあ、どうすれば勝てる?」
聞き方を変える月。あるいは、月の中でもすでにナキアと同じ結論は出ているのだろう。それでもあえて、月はナキアに問いかけている。
「さあね、それこそ、奇跡でも起きない限り無理なんじゃない。それもただの奇跡程度ではなく、神の運命力をも上回る本当の奇跡ってやつ」
奇跡、それも神の奇跡を越えるようなとびっきりの奇跡というやつでも起きない限りは勝つのは不可能だろう、そうナキアは思う。
「それでも彼が全く勝機のない戦いに挑むとは思えないのよね。それこそ、彼はいろんな手を使えばどうとでも今回の件を避けられたようにも思うし」
いろんな手、それこそ神代・大日本護国組織や《チーム三鷹丘》などコネクションのある団体はいくらでもあって、それらに助力を請えばいくらでも回避する手段があったはずだ。なのに、それらを一切せずに戦おうとするには、何らかの対抗手段を持っているのではないか、と月は考えていた。
「それは違うわね。今回は、明確に『自分が狙われている』って分かっているから、彼は……、お兄ちゃんは逃げない。お兄ちゃんは、自分に起きることは全て受け入れて進んでいくから。例え、ここで死ぬんだとしてもね」
対抗手段があるのか否かは分からなかった。でも、それでも、手練手管を使って戦闘を回避したところで、それは問題の先送りにしかならない。だからこそ、今ここで、受け入れて戦って、前へ進んでいく。
「ナキアはそれでいいの?
死なんて見飽きてるのかもしれないけど、それでも血のつながった兄でしょう?」
ナキアは静かに目を瞑る。思い出すのは、かつて、煉夜が行方不明になった時期のこと。3ヶ月、過ぎてみればあっという間であるが、それでも雪白火邑という少女にとって、その3ヶ月は長かった。もしかしたら、兄にはもう会えないのかも、そう思うと以前の態度に後悔もした。
「よくない。けど、お兄ちゃんが決めた以上、しょうがないよ。決めたことは曲げないし、それにね、こうして火邑を含め、みんなを頼っている。今まで1人でどうにかしようとしていた、それらとは違う。なら、奇跡だって起こるかもしれないじゃない」
煉夜が自分のことに他人を巻き込んでまで、前に進もうとしている。だとすれば、奇跡の1つや2つ起きてもおかしくない。そう思うのは、そうであってほしいという願望だろうか。
「奇跡……ね。起きればいいんだけどね」
奇跡などそうそう起こるものではない。それを月もナキアもよく知っている。だからこそ、それが希望的観測でしかないことはよく分かっていた。その僅かな可能性にかけたくなる気持ちは月も抱いたことがある。だが、現実は非情だ。
「っと、こちらにも幻獣が迫ってくるようね。どれだけ召喚しているんだか」
「厄介なのが中に後付けされた『復元術式』と『自爆術式』ってやつでしょうね。お兄ちゃんいわく、『復元術式』は頭とかを吹っ飛ばしても意味がないらしいし」
ようは一瞬で全てを消し飛ばすか、「復元術式」そのものを無効化するかのどちらかの手段を取る必要があるということだ。
「体内から爆発四散させようにも、身体の破片が残ったら『復元術式』とやらが働くでしょうし、最悪『自爆術式』も作用するでしょうし、どうすればいいかしら」
月の攻撃手段はいくつかあるが、そのどれもが、人間やただの魔獣、幻獣を倒すのには不足ないだけの威力を持つが、こと「復元術式」を持つ今回の幻獣、魔獣たちとの相性は悪い。なぜならば、その身体ごと全てを吹き飛ばすような高火力の術がないし、かといって、それらの術式の発動を阻害するような特殊な能力もないからだ。
「どうやら、幻獣の他にも魔獣まで来たみたい。わらわらと集まっているみたいだけど、幻獣と魔獣が群れを成すなんて聞いたことがないね」
魔獣、幻獣、超獣、神獣の類の境は人がつけたようなものだが、それでも、一応、基準があって分けられたものである。そうして、その基準の垣根を越えて群れを成すなど聞いたことがない話だ。
「群れというよりは、あくまで共生なんじゃないかしら。従えているとか、群れを成しているとかそういうわけでもなく、あくまで共に暮らしているだけみたいな」
「ありえない話ではないけど、この魔獣の方は、どうにも後付けされたような感じはしないし。じゃあ、まあ、適材適所ってことで、月には魔獣たちの方を頼むとしましょうか」
つまり、幻獣の方をナキアが受け持つということになる。だが、ナキアもまた月同様に、高火力な魔法が使えないはずだ、と月は思った。
「ナキアの魔法で、どうにかできるの……?」
ナキアが持つ魔力変換資質「雪」から使われる魔法は、夢の力を集積することで、本人の魔力が少なくとも強い力が使えるようになる、というのは知っているが、それらで使える雪の魔法で幻獣を倒すことはできても、「復元術式」や「自爆術式」を防ぐ手立てがないのではないのだろうか。
「あら、月は見たことがなかったっけ。まあ、そうよね。そうそう使う機会のあるものではなかったし、あの子の力に比べたら、比べ物にならないくらい弱い力だから」
それが誰のことを指しているのかは、月には分からなかったが、ナキアと同系統の魔法使いは少ない。
「月は心配しなくていいから、ちゃっちゃと周囲の魔獣たちをやっつけちゃって」
そういいながら、魔力を……、夢を集積し始める。大丈夫というからには大丈夫なのだろう、と月は血液パックから血を流し、武器を形成する。そして、魔獣を狩るため一気に距離を詰めた。
そこにいた魔獣は茶色の毛に獰猛な目をした軽自動車くらいの大きさをした魔獣茶猛吐熊が群れとなって巨大な幻獣を取り巻いていた。その幻獣赤猛炎虎は、茶猛吐熊を率いているというよりは、茶猛吐熊が赤猛炎虎に勝手についていっているだけのようであった。
「――滾り狂う灼熱、
――燃ゆるは大地、
――蒸発する河川、
――灼火の契りが大気を熱す、
――赫灼一花!」
煮えたぎる血を槍にしたものを魔獣たちに向かって降らせる。そして、突き刺さった瞬間に、さらに温度を上げて爆発四散させた。全てを倒せたわけではなかったが、ほぼその一撃で茶猛吐熊は倒れた。倒しきれなかった一部も、ほとんど動けるような状態ではなくなっている。
そこにナキアが静かな魔法を使う。派手な攻撃であった月の魔法とは対極の音もない、静かな魔法。
気が付いたときには、「復元術式」も「自爆術式」も発動することなく、赤猛炎虎は死んでいた。
「雪の白は『すべてに染まる色』だけど、『すべてを奪う色』でもあるの。それが魔力や術式や命であろうとも。奪い、無に還す力。もっとも、こんな使い方はほとんどしないし、消費する魔力もかなり大きいから普通はできないんだけどね」
その普通はできないことをやってのける辺り、ナキアの実力が高いのだろうというのは分かる。しかして、そんな普通ではできない力であっても「弱い力」と言わしめるほどに、同種の強い力をナキアは知っている。
「雪の魔法って使用者が少ないから当然だけど、知らない要素がいっぱいあるものね」
「そうだね、でも根底は一緒。『夢』とつながるのが『儚く融け消える』ように、『雪』が命や体温を奪い、無に還すように。『奪う力』というよりは、『無に還す力』。全部、雪が持つ特性と重ね合わせているだけ」
その言いざまは、どこか儚げで、何かを憂うようでもあり、物悲しい気分になるような語り口調であった。
「さあ、行きましょうか。お兄ちゃんに任された仕事くらいはきっちり果たさないと」
気分を変えるように、あえて明るい口調でナキアはそういった。月は頷き、歩き出すのだった。




