356話:神に抗う者・其ノ弐
京都市北東、慈照寺方面。担当しているのは武田信姫と望月姫毬。魔獣や幻獣と戦うという意味では若干の戦力不足なのでは、と思うが、信姫の「御旗楯無」があれば、かつてこの世界にいた幻獣や超獣の類である鵺退治や鬼退治、土蜘蛛退治などをしてきた武将たちを顕現できる。
そういう意味では、魔獣や幻獣退治程度ならば、彼女たちで不足はないだろう。ただ、それが普通の魔獣や幻獣ならば、であるが。
「しっかし、まあ、対幻獣用装備一式持ってきておいてよかったわ」
信姫の帯びている刀は、対幻獣用に清められた妖刀、膝丸。源氏に伝わる刀の中の1振りである。幻獣用という意味では、酒呑童子を切った逸話を持つ支蔵家から奪い返した童子切安綱も含まれるのであろうが、かの刀は「童子切」である。酒呑童子、石熊童子など「鬼退治」専門。
西洋で言うところの悪魔退治の聖剣である。悪魔退治の聖剣と龍退治の聖剣が別であるように、幻獣退治の刀と鬼退治の刀は別である。この「膝丸」は源頼光が「土蜘蛛」を退治した「蜘蛛切丸」だ。
「三ツ者からの報告で一応準備をしておいてよかったですね」
三ツ者、武田家が保有する諜報組織の1つだ。姫毬が率いる「歩き巫女」と並び情報を集めることを得意とする「三ツ者」。本来はここに「吾妻衆」があったが、武田家が崩れた時点で真田家に移っているので現在の武田家は保有していない。
「今回の件、写真の女がまさか異世界の神様だったとはね。そりゃあ、歩き巫女でどれだけ情報を集めさせても、明確な情報が集まってこないはずよ」
三ツ者からの情報で、煉夜が幼少期に出会った謎の女性が、雪白火菜美と共に写った写真もあったということを知ってから、信姫は歩き巫女を総動員させて調べ続けていたが、まったくもって成果が上がっていなかった。
それもそのはずであろう。異世界の神がこの世界にやってきていたなどとは思わないのだから。
もっとも正確に言えば、「写真に写っていた人物」と「煉夜に会った人物」は「中身」は一緒でも「外見」は別なのであるが。
美神が初めてこの世界に来ていた時期は、本物の美神の神としての肉体であるが、煉夜に会った時は「名もの無き少女の残骸」に「神の精神」を移した存在であったのだから。しかし、それが写真の人物と監視カメラの映像で同一人物として判断されたのには理由がある。
現在の美神の肉体である「名も無き少女の残骸」。【魔女】たちも目覚めてから、メイド服姿の彼女に出会った時に驚愕していた。それは美神の姿をしていたからである。
それは美神の「半身」に選ばれたから美神そっくりの姿であったのか、あるいは美神そっくりだったから「半身」に選ばれたのか、その因果関係は不明だが、「名も無き少女の残骸」は美神と写し鏡のような姿であった。
「でも、結局、三ツ者を動かした人物が誰なのか分かりませんでしたね。信姫様以外で動かせる人間など限られているはずなんですが……」
信姫が依頼するとか以前に、三ツ者は「煉夜と美神」についての情報を持ってきていた。それが誰の指示によるものなのかは歩き巫女も調査をしたが結局、誰が指示したのかは分からなかった。少なくとも自発的な調査でないことは間違いなかったが。
「そこが問題なのよね。後、ワタシ以外に、三ツ者を動かすって言うのはまあ分からなくもないんだけど、それが彼について、というのも問題なのよね」
別に動かそうと思えば、それこそ武田家の上層部ならある程度は歩き巫女も三ツ者も動かすことはできただろう。だが、それを誰にも気づかせずに動かしたことがまず1つ目の問題点。もう1つの問題点は、それがどこかの誰かについてではなく「雪白煉夜と美神について」であったこと。
「厄介事を押し付けられた上に、謎が残りまくってスッキリしないのよね」
厄介事とはもちろん、呪符を指定の場所に貼るということである。魔獣や幻獣を相手にしながら、というオマケ付きで。そのうえ、いろんな疑問が残っているのでいまいちスッキリしないままに流されているようで信姫にはフラストレーションがたまる一方であった。
「その件ですが、ようやく調べがつきましたので拙が説明につかまったのですが」
ふいに現れた気配、それは佐野紅晴もとい佐野紅階のものであった。どうやら「その件」というのは「三ツ者」の一件のことであるようだ。
「分かったのね、それで誰だったの?」
もう紅階が突如あらわれることくらいでは驚きもしないので、そのまま問いかけた。それに対して、紅階はメモのようなものに書いている名前をそのまま読み上げた。
「『武藤幸』を名乗る人物を筆頭に、馬場様、山県様、内藤様、高坂様の5人の連名となっていました。しかし、後ろ4家に確認を取っても『知らない』とのことでしたが」
その名前に信姫は眉根を寄せる。あまりうれしくはない名前だったからだ。後ろ4つの家名にしても、よく知っている。しかし、それにしても「武藤」と来たのだから険しい顔をするのも当然か。
「どういうつもりかしら。洒落?」
信姫の脳裏に浮かぶ、「武藤」と「幸」の名前で連想されるのは、ある人物である。そうであるならば、「三ツ者」を使う理由はともかく、伝手があるのは分からないでもない。
「『武藤』に『幸』とくれば……。信姫様。しかし長野のあの家がそんな凝ったことするとは思えませんけど」
姫毬も同じ名前が浮かんだのだろう。そこから連想される家名を持つ人物のことは調べて知っているが、そんな遠回りなことをして、わざわざ武田家にちょっかいをかけてくるとは思えない。
「でしょうね。そもそも長野に今いる『真田家』は純然たる建設業界の人間で、雷隠神社とつながりを持って、多少は裏にも精通しているけど、うちに関わってくるような繋がりはないわよ」
信姫の言う「真田家」とはアイドルである真田郁の実家の真田家のことを指している。
なぜ「武藤」と「幸」で「真田家」を連想したかと言えば、真田幸村の名前で広く知られる真田信繁の父、真田昌幸が一時的に「武藤氏」を継ぎ名乗りしていた。そして、「昌幸」、「幸村」などから「幸」の字の連想。それゆえに「真田家」につながっているというわけだ。
「ですが、『真田家』ではないなら、誰がそのような名前を騙って、四天王も含めて連名で『三ツ者』に指示を出せるのですか?」
四天王というのは、武田四天王の馬場信房、山県昌景、内藤昌秀、高坂昌信の4人のことを指し、転じて、現武田家では、その家々を四天王と称していた。
無伝時代は、信姫たちからは距離を取っていたし、一度は見捨てたようなものであるが、「午葉」、「山形」、「内藤」、「上坂」をそれぞれ名乗っていた。無伝が武田に改められた機に、それぞれが元の姓に戻して、武田家に帰属した。そのためあまり信姫はその4つの家にいい印象は持っていない。
「そりゃ、山本の大爺しかいないでしょうよ」
山本という姓。一般的な姓だが、こと「武田家」、「真田家」と名前が挙がっているときに出てくると1人の人物が浮かぶ。「山本勘助」。軍師として名を知られている。
彼は川中島の戦いで亡くなっているはずなので、ここで出てきた山本とは「山本勘助」の流れを汲むもの……ではない。
「あの隠居爺……もとい、山本勘助殿ですか」
姫毬すら口悪く言いかけた、というよりも言ってから別の名前を挙げたが、武田家にいる「山本勘助」なのだ。
「あいつの『目』は普通じゃないし、『三ツ者』を動かせる上に、ワタシの動向や煉夜に興味を持ってもおかしくはないしね。世の中を引っ掻き回すのが大好きなやつだし」
信姫にとっては「自称、山本勘助の爺さん」という印象でしかないが、幼いころからの付き合いであるし、その人となりも知っていた。そもそも信姫にとって彼が「本物の山本勘助であるか否か」というのは重要な要素でも何でもないため、特に気にしていなかった。
「しかし、あの人が出てくるとなると、本当に彼、大変な人生になるんじゃないでしょうか」
「あの大爺は『人の生は波乱があるほど見てて飽きない』って言う質だからね。多分、大変になるんじゃなくて、既に大変なまま来てるのよ」
そんなやり取りを交わしながら、進んでいく。魔獣を数匹倒した程度で、特に妨害がなく油断していたが、そのタイミングで信姫の脳裏に声が響く。
「――来るぞ」
信姫の式である「御旗楯無」に宿る源氏の魂が、それの接近を警告した。同時に、紅階の知覚にもそれが入る。
「大型の幻獣がこちらに向かってきていますな。まあ、大型と言えど、この辺で無理なく暴れられる大きさですが」
煉夜からすればまだまだ小型に分類されるくらいの大きさの幻獣白猛吼魚が信姫へ向かって突っ込んでくる。
「さっきまでのとは質が違うわね」
とっさに姫毬が、自分たちとの間に《土》で壁を作るが、それすらも貫く勢いで到来する。瞬間、信姫に武田晴信が憑依して、一刀のもと白猛吼魚を断ち切った。
「この程度ならば、まだ容易だ」
膝丸の効力もあるのだろうが、一撃で両断したその技は見事なものであった。だが、この幻獣は普通ではない。「再生術式」によって再生が始まる。
「む、戻るとは面妖な。いや、元から面妖ではあるが。しかし、これはただ断つだけでは殺しきれんな」
それが神の手先となった魔獣、幻獣の厄介なところであった。そうしたものが仕込まれていない魔獣程度ならば信姫でも簡単に屠れるのだが……。
「面白い」
晴信は笑い、白猛吼魚に向かって勝負を挑む。
「あの……、呪符を貼りに行かないといけないので、ほどほどにお願いしますね」
あれは楽しむ気満々だな、と不安になる姫毬。不安なのは、勝てるかどうかではなく、手早く倒してくれるかどうか、という点であるが。




