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白雪の陰陽師  作者: 桃姫
白雪陰陽編
352/370

352話:顕現せし神・其ノ一

 京都市上空、黒い淀みのようなものが発生していた。淀み、あるいは歪みと定義されるようなそれは、暗澹と世界を覆うように広がりを見せていた。それが何か分からずとも、普通のものではないということは誰の目にも明らかであり、京都司中八家の内、五家の合意の元、京都府全域に避難勧告が出された。


 表向きは異常気象による警戒のためだが、そんなことではないということは府民の皆が分かっていることである。それでも避難したのは防衛本能ゆえか。


 その淀みはかつて、幻獣緑猛弩亀(ガベルドーバ)が召喚された魔法陣と同じ位置、魔力の歪みが生じていたという意味では、具合のいい場所であることは間違いない。


 一度、孔が空いた場所というのは、塞いでも空きやすくなっている場所である。


 そして煉夜は悟る。近々起こると言われていたのはこれのことであろうと。京都に越してきてから丁度1年が過ぎようとしていた夏の日、暑い夏の一日。





 照りつけるような日差しを隠す暗澹とした淀みは、瞬く間に人々に認知され、話題を呼んだ。黒い雲にしては、あまりにも黒すぎるそれを人々はどう呼ぶかなどと盛り上がっていた。しかし、見るものが見れば、それはあまりにも異常だった。


 魔力が、霊力が、まるで渦のように集まり、凝縮された謎の塊。下手に触れない方がいいだろうと誰もが思うほどのものであった。何より、予兆なしに、それが現れたという事実が異常性を示している。

 徐々に蓄積されたのならば、まだ分かる。しかし、それはあまりにも突然現れた。誰もが分からないほど突然に。


「召喚陣の類でもない。本当に歪み、あるいは淀みだ」


 煉夜はそれを見て、そう評した。ただの召喚陣、召喚魔法の類であるならば、「流転の氷龍」により無効化できるはずだが、そうではない以上、そういうこともできない。


「世界同士の境界を歪めているのよ。あの手の類の自然現象はそれこそ『神』の類でもなければ容易には起こせないわ」


 それこそ、先日の「隣境の魔女」吟河(ぎんが)羽ゐ奈(ういな)のような特異な魔法使いでもない限りは、と雪白(ゆきしろ)火邑(ほむら)の中にあるナキア・ハード・モアの部分がそういった。


「神の類か、いよいよもってその時が来たってことかよ」


 今まで、煉夜は幾度となく神獣や神と呼ばれるものと相対してきた。そして、生き残っているという結果はある。だが、今までのそれとは違うような、そんな予感が煉夜の中でどうにも染みついている。だからこそ、今日という日まで二重三重に計画は練っていた。

 それもどこまで見抜かれているかは全く分からない中で、無に帰するかもしれない計画をひたすらに。


「あなたは、あれと関係している。それに、もしかしたら私も関係しているかもしれない。そう考えているのでしょう?」


 静かな声音で煉夜に対して鋭く雪白(ゆきしろ)水姫(みずき)は問いかける。そう考えていることは、それこそ「お見通し」なのだろう。過去を見通す瞳、アニタの恩恵によって、【緑園の魔女】との密談も全て見通しているであろうからには。


「ええ、まあ。それこそ今後の人生全てにおいての重大局面ってやつなんでしょう」


 自身の全身に感じる悪寒が、滅多に立たない鳥肌を立たせていた。そして、今日は珍しく、彼の格好は異国めいていた。それこそ準備であるのだろう。一番戦いなれた格好で、かつ、陰陽師・雪白煉夜ではなく、獣狩りのレンヤである、そのいで立ち。スファムルドラの聖剣アストルティを提げ、魔女と揃いのローブを羽織る。


「あら様になっているじゃない」


 火邑の横に立っていた(しゅ)(ゆえ)がその格好を見て、やや驚きながらそのように言った。それに対して煉夜は馴染ませるように軽く体を動かしながら言葉を返す。


「そりゃ、この姿で戦ってきた期間の方がずっと長いからな。陰陽師よりも、騎士よりも、執事よりもな」


 どの期間よりも長く、一番闘争をしていた時期に着ていたのがこの格好である。戦いなれている格好、その格好でないといけない、そんな予感がしていた。


「しかし、まあ、神様相手にケンカ売るような人種は……、あー、そこそこ見てきたけど、身内から出るとは思ってなかったわ」


 感慨深そうに火邑……ナキアがそういった。「神」に喧嘩を売る。つまり、神と戦う、そうした行動をとる人間を、ナキアは今までに幾度か見てきた。ある意味では【氷の女王】も神の一種であったし、長いこと生きていたら、それこそ世界の終焉には幾度か立ち会う機会もあった。


「ケンカを売るんじゃなくて、どちらかといえば買ってる側だけどな」


 事の発端にしても神が聖女たちに喧嘩を売ったのだし、今の状況にしても神が命を取りに来るから対応するという状況ならば、煉夜たちは喧嘩を買っている側なのだろう。


「どっちもさして変わんないわよ。そして、総じて神と戦うような連中はどうにかしているものよ。能力も頭もね」


 月が肩を竦めながら言った。それは自分たちにも返ってくる言葉であるのだが、気にした様子はない。まあ、そんなことを気にするくらいならば発言などしていないだろうが。


「まあ、まともな神経してたら神を敵に回すなんてことしないでしょうしね。いえ、それ以前に神の存在を疑問視するパターンの方が多いかしら」


「その辺は世界にもよるんじゃない。神が当たり前の世界もあるでしょうし、そういう世界で神に立ち向かうのも王道といえば王道だからね」


 月とナキアはそんな神に立ち向かうものに対する会話をしながら笑っていた。よくこの状況で笑い話ができるものだ、とその人生経験の違いを実感しながら煉夜は、その他、一式、この日のために準備してきた道具を装備する。装備といっても腰に結わえたり、手首に仕込んだりする程度だが。ファーグナスの結晶を始め、煉夜がこの世界に持ち込んでしまったいくつかの道具。それらを一応であるが準備していた。もっともその程度の策ぐらいはお見通しであろうことは煉夜にも察しがついていたが。


「それで、これからどうするの?」


 月の質問に、煉夜は黒い歪みを見上げる。相変わらず重苦しくそこに存在するそれを見上げながら、煉夜は眉を寄せる。


「あそこから神が降りてくる。とはいえ、身体は不完全なはずだ。肉体は五分割され、それ以外は聖女が封印した。そうなるとあっても身体は一部。だからこそ、【緑園の魔女】から聞く限りでは少女の身体にその精神を移しているはずだ」


 そうである以上、神に「神としての肉体」は存在しないことになる。だからこそ、出雲大社の時の人造「神殺しの神」とは異なり、「人としての器」に入っている以上、攻撃は届くはずなのだ。


「つまり戦うってことね。そりゃ大変なことで。手を貸した方がいいのかしら?」


 婉曲な表現を避けて、あえて直接的な言葉で月は煉夜に問いかけた。それに対する煉夜の答えは、酷く微妙なものである。


「戦いには手を貸さなくていい」


 戦いに「は」、である。つまり何らかしらに手を貸せと言う意味だ。煉夜がそのように言うのは珍しいと思い、火邑も思わず目を見開いたほど。


「流石にアレを相手にするのに、俺一人というのは難しい。無論、狙われている水姫様を一人にするわけにもいかないし、英国からの賓客であるリズも守らなきゃならない。そして、この状況で唯一、アレと長い付き合いの【緑園の魔女】にも手を貸してもらう必要がある」


 神という存在を相手に、煉夜だけで戦うのは無謀である。それも水姫を守りながら。さらに、リズの安全確保はほぼ必須なので、リズとそれについてくるであろうユキファナは近くに置かなくてはならない。何より、神と最も長い付き合いともいえる【緑園の魔女】の力を借りるのは煉夜にとって必須ともいえる。


「それで、その状況でこっちに任せたいことって何?」


 月ではなくナキアがそう問いかけた。雪白家の人間でありながら、狙われる側に入っていないナキアは、煉夜に何かを任されるのだと直感していた。だからこそ、そう問いかける。


「切り札だ。すでに何人かには頼んでいる。これを指定の場所に貼ってほしい」


 そう言って煉夜がナキアに渡したのは1枚の呪符であった。陰陽術の呪符、魔法主体で陰陽術がそこまで得意ではないであろう煉夜が今更そんなものを持ち出してどうしようというのか、そう思わずにはいられなかったが、それでもナキアはその呪符を受け取った。


「指定の場所に貼るっていうことは、それで陣を描くってことよね。お兄ちゃんが決勝で炎の龍を出した時みたいに」


 正確には八千代が先にやった術であったし、見確めの儀の決勝の時には、火邑は気絶していたはずなのだが、ナキアがどうして知っているのか、その辺りの疑問はあったが、煉夜は頷いた。


「これが(かなめ)になる」


 戦いを組み立てるうえで最も重要な部分になるのが、この陰陽術だと煉夜は断言した。自身の中に切り札はいくつかあるが、それらが効かなかったときに正真正銘切り札となるのが、この呪符であろうと思っていた。


「しかし、その呪符を使うことは『アレ』も読んでいると言っていませんでしたか?」


 【緑園の魔女】との密談を聞いていた水姫がそのように問いかける。確かに、煉夜も読まれていると思っていた。そして、水姫がそう問いかけたことで、煉夜の中に1つの確信が生まれる。


「水姫様がそう問いかけるということはやはり相性というのは重要になるのでしょうね。読まれているとは思っていますし、それに対策を講じられていた場合はみんな頼みになりますが、俺は信じていますからね」


 みんなというのは、この呪符を託した面々である。煉夜がこちらの世界で出会い、触れてきた仲間たち。それらに呪符は託した。だからこそ、煉夜は全力を持って神と戦えるというものだ。


「つまり、対策はされていると判断していいのよね」


 月が煉夜の言い分にそのように笑った。苦笑の類であろう。そして、ナキアも同様に笑う。ナキアと月に渡したのは1枚の呪符。つまり、ナキアと月のペアで1ヶ所に貼れと言うことだ。この2人ならばそれぞれ単騎でも十分にやれそうなのに、あえてそうしたということは、それだけ困難な対策がされているということに他ならない。


「さてな、後は神様とやらがどれだけ力を持っているかにもよるだろう。大して力を持っていないなら対策に割いてる余力などないだろうが」


「馬鹿ね、主神クラスの神がたかが人間相手に困るわきゃないでしょ」


 分かって言っている煉夜の言葉に、分かって言っていることを分かっている月があえて言葉でそう返した。


「おっと、来たぞ……」


 煉夜が何かを感じた瞬間、淀みが深く広がった。世界に孔が穿たれたようなそんなおぞましい気配と共に、神々しいそれが現れる。

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