351話:プロローグ
クライスクラ、そう呼ばれる世界は、新暦と呼ばれる以前、十四人の聖女により神によっての神託が降ろされて、魔獣、超獣、神獣がいる世界でありながら平和で繁栄をしていた。来るべき終焉まで、その平穏を守ることこそ神の在り方であり、ただ一つの役割である。
誰もがそう思っていた。神さえも。神には名前などなく、その世界の調和を維持する礎、「神」でしかなかった。それでよかった。
きっかけはわずかな時空のひずみ、次元の裂け目。調和のために調査が必要であったために、神は自らそれを調べ、別の世界に降り立った。
自身の築く世界とは全く異なる世界。知性を持った多様な種族がいるわけでもなければ、魔獣や超獣、神獣のような強大な脅威が存在するわけでもなく、同じ種族で逃走するるつぼのような世界。そんな世界の小さな島国で神が出会ったのは、降り積もった初雪のような銀色の髪に澄んだルビーのような赤い瞳をした、神でさえ神々しさを幻視するほどの少女であった。少女は神に問うた。
「あなたはなぁに?」
誰ではなく何かと問う。本能的に人間ではないと悟っているがゆえの質問。それに対して神はそのまま「神」と答えた。
「知らない神様。この世界の神様じゃないの?」
巫女として、陰陽師として、異端とまでされていた才覚を持つ少女は、多くの神と舞事を通じて接していた。だからこそ数多神を知っていた。それを知らない神であったが、事実なのでうなずいた。
「そっか、じゃあ、なんて呼べばいい?」
神は戸惑った。今まで「神」としか呼ばれてこなかったから名前などない。だから、どう名乗ればいいのか分からないのだ。
「名前がないの?」
名無しの神など珍しくはなかった。八百万の神がいるのだ。それらすべてに名があるわけでもない。
「じゃあ、そうね……。わたしの名前を組み替えて、美神。『みのかみ』とか『みかみ』とか、いろいろ読めるけど、『みかん』。美神と書いて『みかん』ね」
初めて与えられた「神」以外の呼び名。名を与えられるという行為は、意味を持たせるという行為でもある。「名は体を表す」というように、名を与えられれば、名に合った形をとることになる。
「美神……。そう、それが、名前」
この瞬間、神は、神から美神へと名前を変えた。その時、世界は変わったのだ。文字通り。
「わたしは柊神美。白美子の巫女、あるいは『白雪の陰陽師』なんて呼ばれているの」
柊神美、後の雪白火菜美とその友人、柊美神の邂逅である。
そう、こうして、クライスクラの主神は「美神」となった。そして、美神は別の世界に興味を持った。柊神美という少女を起点に、その世界の在り方に。神美と共に世界を見て、「楽しい」ということを知った。平穏な世界が停滞であり、つまらないことを感じた。それゆえに、自分の世界の在り方に疑問を抱いた。
広い世界を知り、狭い世界を自覚し、火菜美の最期を看取り、そうして出した彼女の結論は、「自分の世界を破壊すること」であった。
停滞を崩し、新たな世界の道を歩むために、その最初の一歩として彼女は、世界を滅ぼそうというのだ。
その神託を受けた十四人の聖女は共学した。神が世界を滅ぼすなどと言い出したら驚愕するに決まっている。元々、平穏を維持することこそが神の役目であるのだから。だから、世界の破壊を行うということに対して、それを受け入れるものはいなかった。
そして、それを阻むために十四人の聖女の中でも特に力の強い六人、「大聖女」な巷で言われている六人が自らの存在を消し去り、別の存在として世界の各地で「六人の魔女」として、聖女と対立する存在を名乗り現れ、その裏で「八人の聖女」と共に神を封じることにしたのだ。
だが美神もそれに気が付かないわけがない。魔女と聖女、あるいは十四人の聖女の行いを見通し、勇者と魔王という存在を生み出した。それが勇者イスラ・ヒース一行と魔王リリア・ヘカルテという存在たち。
聖女は表向き、美神側に立たなくてはならない。しかし、「八人の聖女」では「六人の大聖女」であった「六人の魔女」には敵わない。その分を補う勢力として、美神には勇者と魔王が必要だったのだ。
そうして、聖女と魔女が協力し、勇者と魔王、諸外国をも巻き込んで、表向きは「魔女を討伐するため」と銘打たれ、本当は「神を封じるため」に行われたのが新暦以前の最後の大戦争であった。
精神と肉体。「六人の魔女」が神の精神を、「八人の聖女」が神の肉体を、それぞれ封印することにした。その大規模な封印術式は魔女と聖女を犠牲に、神を封印する。
そのはずだった。しかし、結果として神の精神は「六人の魔女」が眠りにつくことで封印を果たしたのだが、肉体は封じきることができず、聖女は目覚めたままであった。美神はそうしたときのために異界にわずかばかりながら精神を分割しておいた。そのわずかばかりの精神は神の肉体を「過去を司る左手」、「未来を司る右手」、「精神を司る頭脳」、「行動を司る半身」、「生命を司る心臓」の5つに分割して、世界に散らばらせた。
わずかばかりの精神が異界に合った影響以か、その内の3つは別の世界に落ちた。【無貌の魔女】ステラ=カナートに導かれた青年・三縞六二三、スファムルドラ最後の聖騎士レンヤ・ユキシロ、遥かなる過去を見通す雪白の末裔・雪白水姫。そして、元の世界に残留した2つ。誉れ高き最強の騎士バンズ・エル・ゴーマ、宿業を身にまとう名も無き少女の残骸。
バンズ・エル・ゴーマを動かし、聖女たちを眠りにつかせ、同時に神の肉体が封印されたことで、神の封印はなされる。しかし、その前に神はある仕掛けをしていた。
新暦666年に魔女の解放者が現れるように、異界とのひずみを生じさせるという仕掛けを。それにより、三縞六二三がクライスクラに召喚され、神のわずかばかりの精神を宿した名も無き少女の残骸と共に魔女を解放する。
それと同時に美神の精神は解き放たれて、完全状態で名も無き少女の残骸に入った。散らばった肉体たちのいくつかは、まだ発芽を迎える前だったからだ。
だから美神は、「ちょっと異世界にでも行ってみようかしら」などと言い、魔女たちの前から姿を消した。
そんな彼女は、本当に異世界に渡った。かつて火菜美がいた世界。そこに足を運び、夕暮れの住宅街で一人の少年と出会う。それこそが幼き日の雪白煉夜その人である。
そして煉夜は偶然か必然か、それとも捻じ曲げられた運命か、クライスクラという世界に落ちた。煉夜はそこで【創生の魔女】と出会い、世界をまたにかけた冒険の中で、スファムルドラの守護騎士であったり、獣狩りであったり、様々な称号と力をつけていった。それは美神の予想通りのこと。しかし、予想にそぐわない部分もあった。幻想武装。彼の持つ素質そのものについては、美神も理解していたし、あの部位が入ったからこそ、あるいは資質があるからこそその部位が入ったのか、その因果関係は分からないが、幻想武装に対して高い順応性があるであろうとも思っていた。
しかし、あのような使い方をして、その身に六人もの魂を収めるとは思ってもいなかった。さらに、その性質上、今までに解放された[結晶氷龍]、[炎々赤館]、[黄金財宝]、[煌輝皇女]、[痛傷柳木]の5つの幻想武装については、美神ですら解放されるまで、どういったものなのかを知らなかった。
つまり、効果を知っているのは煉夜とその内に秘められた魂だけ。神であってもそれが発揮されるまで、その効力を知らなかった。
通常の幻想武装はそんなことが起こらない。なぜならば、武器という存在する物質を魂に格納するだけであるから。しかし、煉夜の場合は、「魂」という見えないものを武器として格納するがゆえに起こる異質な状況。それは美神の範疇を越えていた。
そして、煉夜は長き旅の果てに、元の世界に戻った。戻りたくて戻ったというわけではなかったが、また、旅を終えたわけでもなく旅の途中であったが。
元の世界に戻った煉夜は、青葉雷司と九鬼月乃という2人の希望に出会い、別の世界にのみ広がっていた煉夜の世界は、元の世界にも広がっていく。
転機として、京都へ移り、世界はさらに広がりを見せる。焔藤雪枝、初芝小柴との出会い、入神沙友里との再会、望月姫毬、武田信姫との戦い、エリザベス・■■■■・ローズ、ユキファナ・エンド、アーサー・ペンドラゴン、唄涙鷲美鳥との国を跨ぐ出会い、稲荷九十九との騒動、真田郁の計画、大森檀、西園寺宮、北大路夜宵たちの事件と皐月鷹雄という強大な太陽との出会い、紅条千奈の覚醒、仏国の華であるルアンヌ・シャロンとの出会い、出雲という神の地での柊沙津姫、椿菜守、駿部四姫琳、春谷伊花との縁、一夏宮の一件で結ばれた似鳥雪姫、忍足静萌との関係、そして――、ついに訪れた雪白水姫の覚醒、過去からの縁がつなぐ雪白火邑の覚醒と周月との出会い。
紡がれてきたすべての事象は、煉夜の中に刻まれてきた世界の広がりで、向こうの世界での経験にも届くような日々となっていく。
雪白煉夜と雪白水姫、2人の覚醒した存在。それは美神の身体として摘まれる時が来たということでもある。
全ての準備は整った。いよいよ始まるのだ。――柊美神と雪白煉夜、雪白水姫の戦いが。美神は己の身体を取り戻すべく、煉夜と水姫は己を守るべく、それらは決して相いれない意思であり、戦いは始まろうとしていた。
「白雪の陰陽師」の親友と「白雪の陰陽師」の末裔の戦いが――。




