347話:血色の記憶・其ノ漆
かつて、月たちの世界において、ある事情により月とナキア、羽ゐ奈と祝詞が戦うことになっていた。しかし、羽ゐ奈はその当日、仕事により戦いに遅れている状態で、その場に着いたときにはすでに祝詞は亡くなっていた。
それもナキアに殺されて、である。謳悠祝詞、【詩風の魔女】。羽ゐ奈は今でも、その姿を思い出せる。黒い髪を風になびかせて、祈るように聖歌を歌い、祝うように言葉を紡ぐ。
しかし、それは月やナキアのであった。麗しく、誇り高き、彼女の姿を。悠久に謳われるべきであろう、その雄姿を。
それは昔の話。月、ナキアと祝詞は、遅れている羽ゐ奈を待っていた。それはルールとして2対2による戦いであったからであり、流石に、それを破るほどルール無用で生きていたわけではない。
しかし、そのルールを気にしない無法者たちは一定数いた。魔法使い同士の諍いを管理している協会がまともに機能していない時代であったため、勝負の隙を突くようなハイエナ行為も横行しており、雷導寺凛菜が「銀十字騎士団」を組織するまで、その管理体制は杜撰なままだったという。
そもそもなぜ、この世界で魔法使いがタッグを組んで戦わされていたのか、と言えば、魔法が世界の裏側に押し込められてから、浸透していったことに起因する。
裏の世界のもめごとを魔法使いが解決するようになってからしばらく経ち、魔法使い同士の抗争は過激化の一途をたどる。そうすると出てくるのは、有志たちによる管理機関である。それが欧米の宗教団体を母体として出来上がったのが、魔法協会、あるいは魔法教会と呼ばれた組織。
そして、いつしか世界の裏側は、組織に魔法使いが属するのではなく、魔法使い組織によって管理されるようになっていった。魔法使い組織が権力を強くする中で、その力関係を明確にするために魔法協会が行ったのが、タッグによる魔法使いの争いである。
魔法使いは、魔法使い組織を形成していなくても個人が魔法使い組織であるという判定を受ける。それゆえに、大体の魔法使いは魔法協会によって管理され、戦うことを余儀なくされた。
だからこそ、ハイエナ行為による敵対魔法使いの排除は、自身や組織の地位を上げるのに最も有効であった。
後に、「銀十字騎士団」ができてからは、そうした違反行為や表の世界にはみ出した犯罪行為などが取り締まられていったが、月やナキアがいた時代は、そうしたこともなく、【氷の女王】たち華々しく大きな存在がいるのとは裏腹に、荒んだ時代でもある。
ナキア、月、祝詞もまた、そのハイエナ行為を受けて、羽ゐ奈の到着前に魔法使いの襲撃を受けた。【幻霊の魔法使い】クロウド・フェルと【呪念の魔法使い】黄河竜。五龍死霊幻科という裏組織に所属するハイエナ行為をよく行っていた魔法使いである。
呪詛と降霊術を扱う魔法使いが多く所属する五龍死霊幻科の中でも、彼らは、呪歌と霊体操作のプロフェッショナルであると同時に、接近戦の使い手でもある。だからこそのハイエナ行為が成立するのだ。
魔法使い同士が戦って、疲労した隙をつくとはいえ、それだけで簡単に倒せるほどではない。だが、魔力が少ない相手ならば呪いや霊気に対する抵抗力は弱まる。そうなると、さらに弱らせ、そのうえで近接戦に持ち込めば、ほぼ優位を取れる。
月、ナキア、祝詞は戦っていなかったとはいえ、3人しかおらず、それの隙をつこうと襲ったのである。調子に乗っていたというのは間違いない。なぜなら、月もナキアも接近戦ができるタイプの魔法使いであるうえに、【詩風の魔女】は呪いに対抗する祝福の魔法でもある。それを相手に弱ってもない状態に、戦えると思っていた2人は、完全に調子に乗っていた。
その結果がクロウドと竜の死である。当然と言えば当然であるし、ハイエナ行為をしてくるような連中を相手に、命を助けるなどという甘いこともなく、あっさりと殺された。
それはどのみち、失敗が明るみに出れば上に殺されるし、あるいはハイエナ行為されることもあるだろう。そうした理由から生かしておく意味がないと判断したからである。どうしようと結果は変わらないし、自分の手だけは汚したくないなどという綺麗ごとな責任放棄をするつもりも彼女たちには毛頭なかった。
だが、呪いと霊に関する魔法使いを殺すというのはそれだけで、一種の魔法を完成させることもある。死後術、あるいは死後呪、死言呪などと呼ばれる死後に発動する魔法や呪いもあるし、霊体に関する術を扱うものは、魂となった後も魔力などがあれば、少しの間ならば、その魂を操ることができるという魔法もある。
この場合は、その相互だった。死後の呪いと悪霊が合わさり、かなり強い怨霊になってしまう。
謳悠祝詞は呪われ、憑りつかれた。いくら祝福の風であっても、2人分の怨念からは逃れられない。
そうして、呪われた彼女は暴走し、ナキアによって殺されたのだった。
その後、羽ゐ奈が到着し、祝詞の死により、羽ゐ奈が激昂、それ以来、月、ナキアと羽ゐ奈はことあるごとに争い続けていた。
ある時、ある1人の魔女が世界そのものを壊す術式を起動させようとした。人工的終焉を人工的に再現する、偽物の偽物みたいな存在。そうであっても、その力は本物であった。当時、【氷の女王】を始め、多くの有力な魔法使いたちが日本を離れているタイミングでそれが行われた。まあ、それらの存在であればすぐに戻ってくることができるはずだったのだが、様々な事情によりかみ合わなかった。
だから、それを止めに入ったのは、ナキア・ハード・モアであった。しかして、雪の魔法、人とつながるその力は、始祖に近しい力であり、普通ならば負けることはなかった。
それを妨害したのが羽ゐ奈である。
疑似終焉の魔法を使った魔法使い【黒獄の魔女】火野原・艶蜜・樒御。【獄炎の魔女】を自称し、月に魔法を教えた人物でもあった。
彼女自体は倒したナキアであったが、彼女の残した最後の魔法が世界に残存し、世界ごと焼き尽くそうとしていた。それをナキアが止めようとしたところに羽ゐ奈が【隣境】の魔法で隔離し、他人と隔絶されたナキアは自らの命と夢を魔力に還元して、その魔法を消し去り死んだのである。
それゆえに、月は祝詞の死について何か言いたげで、かつ、羽ゐ奈がナキアを殺したという風に言ったのである。
「吟河羽ゐ奈、分かっているんでしょう。どれだけそうしても、謳悠祝詞の弔いにはならないって」
地に這いつくばり、息も絶え絶えの羽ゐ奈に向かって、月が静かな声音でそういった。それに対して、羽ゐ奈は苛立つように童顔を歪める。
「うるさい……、ですよ……っ。あなたに、何が……、何が、分かると……」
振り絞るような声で、月に向かい怒声を放つ。月は分かっていた。羽ゐ奈はもう引き返せなくなっているのだと。帰還不能地点はとっくの昔に通り過ぎているのだと。
「分からないし分かるつもりはないわ。それに、ナキアが祝詞を殺したという事実があるように、あなたがナキアを殺したという事実もまた変わらなく存在するのよ。それこそ、あなたに何が分かるのって話よ」
その言葉に何かを返すことはなく、羽ゐ奈は意識を失った。月は一瞬、殺すかどうか迷って、その手を止めた。
「止め、刺さなくていいの?」
ナキアの意地悪な質問に、月はしばし黙してから、「ええ」と答えた。それに対してナキアは満足そうにうなずいた。
「そう、あなたがそれでいいなら何も言わないわよ。それに、ウィーナを捕らえるためにこっちに向かってる存在があるみたいだし」
それはあくまでナキアの魔法性質による感知。煉夜や雷司の知覚にはまだ何も感じられない。されど、すぐにその知覚域に、それを感じた。
そして、まばゆい銀朱の光と共に、1人の女性が現れる。
「秋世さんか」
雷司が呟いた。それと同時に煉夜は、かつてアーサーが言っていた「先代の友人が銀朱の光と共にオレをここに運んでくれました」という言葉を思い出す。
「あら、雷司君。あー、やっぱり終わっちゃってたわね。世界の境界のズレを直すのに時間食っちゃってたから間に合わなかったか……」
頭を掻く彼女ではあるが、この短時間で世界のズレた位相を戻すなどという人間離れしたことを即興でやってのけるのは流石というかなんというか。
「それで君が、彼が言っていた雪白煉夜君かな。確かに、うん、あの人たちにも似た気風すら感じる」
どこか懐かしむようにつぶやいた。そして、雷司が煉夜に秋世のことを紹介する。
「この人は天龍寺秋世さん。俺の父さんの婚約者の1人で、時空間魔術のプロフェッショナルなんだよ」
正確にはかつて時空間魔術のプロフェッショナルだった人物の転生体である。それに対して、煉夜は「なるほど」と言った。
「前にアーサーのやつが言っていた『先代の友人』はあなたのことですね。初めまして、雪白煉夜です」
一応、友人の父親の婚約者の1人である以上、敬うべきかと敬語で話す煉夜。それに対して「別にそんなに畏まらなくていいわよ」と言いながら、何かを考えて思い出すように言う。
「ああ、アーサーってこの世界にいる今代の子ね。そういえば前に東京から京都まで運んであげたことがあったわね。あれにも関わってたんだ。なるほど、やっぱり普通じゃないわけね」
聖王教会のアーサーは雷司の父の祖父の代から《チーム三鷹丘》と関係を持った存在で、秋世もその頃から《チーム三鷹丘》の面々とは関わっていた。だからアーサーと聞いてまず思い浮かべたのはそのアーサーの方であった。
そして、「普通じゃない」というのは、アーサーのような特殊な存在に関わるような立場になるのは普通の人間じゃないという意味だ。
「そんじゃ、まあ、仕事といきましょうか」
秋世はため息を吐きながら、転がっている羽ゐ奈やそのほかの魔法使いたちを見ながらそのように言い放った。




