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白雪の陰陽師  作者: 桃姫
白雪魔女編
345/370

345話:血色の記憶・其ノ伍

「水銀……。だからどうしたという話ですね。操っているのが血から水銀に変わっただけではありませんか」


 一見するとやっていることは変わらないように見える。だが、血液から水銀に変わったことは大きな意味を秘めていた。


「なるほどな」


 雷司は、水銀を操る様子を見て、何か分かったようにうなずいた。その意味を悟ったのだろう。だが羽ゐ奈は、もはや、気にもしていなかった。操れる金属が鉄だけではないからなんだ、という思考なのだ。



「――境界を分かて、

 ――大気と地平を分かつ線をなぞれ、

 ――廻れ、四方へ、

 ――回れ、天へ、

 ――隣接する垣根を開け。

 ――廻隣門・円出」



 羽ゐ奈は、素早く手を動かしながら呪文を唱え、地面に手を当てる。その途端、月の足元に円形の軌跡が出現し、そこから無数の刃が飛び出した。


「わおっ、曲芸の類?」


 などとおどけて言う月だったが、まともにくらっていたらかなり危なかった一撃であった。この魔法もまた、「隣境」の魔法の一種。羽ゐ奈が身を潜めていたのと同様に、地面と空気の境界をズラし、あらかじめ仕込んでいた刃を放出したのだ。


「でもって、遅いわ」


 そうまともにくらっていたら、という話であり、月はくらうことなく、その攻撃をしのいだ。それも反撃も同時に行って。

 水銀の刃が羽ゐ奈の背後を捕らえていた。地面に手をついた関係上、羽ゐ奈はかがんでいるため、それを覆うように水銀の鎌が伸びていた。


(早いっ……)


 自身が予想していたよりもずっと早い速度で背後を取った刃に驚きながらも、自身と空気の間に境界をズラし、その攻撃を凌ぐ。ただ、それにより真空の中に放り出されたような状態の羽ゐ奈は多少ダメージを負ったが。


「血液を操るというのは、血中の鉄分を操作していたということ。血中の他の成分との干渉を考えたらそこまで自由に動かせない。それに血液は相手や自分自身にあることで持ち運びが容易あるいは敵が持ってきてくれるという利点がある」


 月は一応、自身のチャイナドレスに血液パックを仕込んでいるが、自分自身にも血液は流れているし、相手が生物である限り相手にも血液が流れている。それはあらかじめ自分で用意することなく、武器が用意されるということである。


「だが、いくら血液が容易とはいえ、他の成分が邪魔をする。十全に扱うのは難しいだろう。だからこそ、純粋な金属を流体として扱うことができたならば、血液よりも十全の操作が可能になるはずだ」


 その雷司の言葉を補足するように煉夜が、言葉を繋げた。金属を流体として扱うということに関して、である。


「鉄自体を流体として扱うには、鉄の融点である1538度以上に温度を上げないといけない。いくら炎熱系の魔法使いとはいえ、鉄をそこまで温度を上げるのには時間がかかるし、常にその状態を保つのは非効率的だ」


 個体が液体に変化する温度、融点。鉄の融点は1538度、金でも1064度、銀でも962度である。炎熱系の魔法使いであっても、それほどの高温を出すのには魔力をかなり消費するし、それを保つならばなおさら魔力がかかる。


「しかし、常温で流体である金属がある。それが水銀。金属元素を操る月にとって、流体として常温で扱える水銀は、十全に形を変形させられる金属の1つなんだろう」


 それゆえに、もしもの時に備えて、月は水銀をパック状に詰めて、血液とは別に携帯していたのだ。もっとも、気化する可能性があるので、パックのようなものに水銀を詰めるのは保管として好ましくないだろうが。月は水銀も常にコントロールしていたので気化や漏れだすようなことはなかった。


「だけど、炎熱系との相性は最悪よね、水銀って」


 月乃が眉を寄せていった。炎熱系との相性が最悪、というのは、水銀と熱の問題になる。


「ああ、常温でも容易に気化する上に、肺から吸収すると毒だからな。温度上げたら気化して毒を撒くようなものだ。あるいは、毒として使う手はあるんだろうがな」


 水銀は毒性を持つ。通常の温度計等に使われている水銀そのものを呑み込んでも、昇華されずにほとんど害はなく、そのまま排出するといわれているが、気化した水銀の場合は別だ。


「まあ、逆に、常温で気化しないように炎熱系の魔法を使っているっぽいし、毒としては使ってないんじゃないか?」


 温度維持のために魔法を使うというのも炎熱系の一種である。


「使っていないというより、使わせなかったの。大気の汚染とかも考慮してね。まあ、いざとなれば気化した水銀自体も操作できるんだとは思うけど、空気中に溶け込んだそれにどこまで有効なのかも分からなかったから」


 ナキアが苦笑しながら言った。全ての金属元素を操ることができるし、それが個体液体問わないのであればおそらく気体の状態も操作できるはずだ。しかし、空気中に混じった状態で、どの範囲まで及ぶのかが分からない。


「まあ、水銀の流体操作で十分だな」


 煉夜はそういいながら月と羽ゐ奈の様子を見る。攻防しながらも優位なのは常に月の方であった。


「流体操作だから、実際に固体化しているわけじゃないんだろ?」


 水銀を固形にしているのではなく、流体操作と圧力で形状変形させているだけである。刃を形成するのは、水圧カッターと同じ理屈だ。


「ええ、あくまで流動体のまま動かしているはずよ。合金としてアマルガムとかにしていたら別だけど、合金にすることはできても、そこから戻すことが容易にできるとは思えないし」


 アマルガムは水銀に銀と錫の合金と銅や亜鉛の粉末を加えたもの。歯の治療などで使われていた合金であるが、水銀の害から使われなくなった。しかし、アマルガムも水銀の割合が多いと液状であるため、アマルガムとして個体にする場合は、相当量の他金属が必要になってしまう。


「元素構成を弄るとかで分離できる、みたいな超技術はないのか」


「さあ?

 そもそも金属元素使いメタルエレメントプレイヤー自体、月以外に知らないくらい珍しい存在だから合金に対してどう作用するとかは全然知らないし」


 元素使い(エレメントプレイヤー)自体は、四姫琳の物言いからすれば、1つの元素につき1人確認されいているようであるが、その上位存在にあたるような金属元素使いメタルエレメントプレイヤーは、そもそも存在自体知らないようであった。




 そんな話をしている間に、月と羽ゐ奈の2人にも動きが見えた。



「――二点を繋ぐ境界、

 ――廻境(かいきょう)隣唱(りんしょう)方差(ほうさ)

 ――天と地、空と海、

 ――日沈むとき生じる境界、

 ――月(いず)るとき生じる境界、

 ――水平線という境界に間隙(かんげき)を生む。

 ――廻隣門(かいりんもん)世間廻(よまわり)



 羽ゐ奈が手をパンと勢いよく合わせながら唱えた呪文。その手と手の境界を起点に発動する魔法。自身の手と手が密着した部分にズレを生じさせ、そのズレを、手を広げながら拡大していく魔法である。

 そして、そこに仕込んでいたものが様々飛び出す。「廻隣門(かいりんもん)円出(えんしゅつ)」は場所を限定して、あらかじめ置いておいたものが飛び出す魔法であるのに対して、こちらは場所を選ばず行えるのが強みであるが、この魔法の場合は、ズラした先を既定の場所にしないといけない点で魔力の消費が大きい。

 それを水銀で全て防ぎきる月。羽ゐ奈は悔し気に顔をゆがませる。


「水銀ごときが……」


 水銀ごとき、というが、この場合は水銀という要素はほとんど関係ない。水銀自体であれば、羽ゐ奈の魔法による攻撃で貫けるだろうが、月が操作しているからこそ壁になっている。そうでなければ水銀はただの流体だ。

 この場合は水でも似たような防ぎ方ができるだろう。水圧カッターで切るのが攻撃であるならば、それを盾にもできる。水銀だからではない。


「水銀に気を取られすぎよ」


 気が付けば、羽ゐ奈の足元には血だまりができていた。羽ゐ奈の血ではない。水銀で攻防をしている隙に、月が足元を伝わせていたものだ。

 最初の攻撃で背後からの奇襲的攻撃を選んだのには、「水銀を印象付ける」、「背後や上方面を警戒させる」、「かがむのはまずいと思わせる」というようないくつかの心理的誘導が作用していた。



「――滾れ灼銅(しゃくどう)

 ――燃えろ(あかがね)

 ――融けろ煮鉄(しゃってつ)

 ――弾けろ(くろがね)

 ――地獄の釜すら燃え融ける業熱(ごうねつ)が、

 ――天地を焦がす。

 ――赫熱灼花(かくねつしゃっか)



 血だまりの温度が急上昇し蒸発するほど高温に上がり、その蒸気が羽ゐ奈の視界を一瞬にして奪った。高温の蒸気が上がってきたら反射的に目を瞑るのは当たり前だ。

 その瞬間に、高温になって残った鉄を槍として撃ち放つ。足元からの攻撃なうえ、視界がない。

 境界というのは、認識が合って初めて成立するものである。どこからどこまでが接していて、どこからどこまでが接していないのか。「ここまでが自分の国」という認識がなければ、確認ができなければ「国境」が存在しないように、自身の身体のどこからどこまでが空気に、そしてこの高温の蒸気に触れているかを認識しなくては「隣境」という魔法は使えない。

 もっとも、月が明確にそう意図して攻撃したわけではなく、ただ単なる隙を突いたというだけの話なのだが。



「チッ、

 ――二線の狭間、

 ――越境の使徒、

 ――山茶花の香り、

 ――幽境を唱う。

 ――廻隣門(かいりんもん)遠廻(えんかい)



 下からの攻撃というのは本能的に悟った羽ゐ奈は、下方にズレを生じさせて、空間を捻じ曲げた。しかも、伸ばした手のひらの表面と空気の間のズレである。盾と呼べるものの面積は広げたその小さな手、2つ分だけ。境界と呼ぶには慎ましやかなそれで、視界の無い中、羽ゐ奈はその攻撃を逸らしたのだ。

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