342話:血色の記憶・其ノ弐
それはあっけないものだった。月、火邑、小柴、それぞれが相手をした魔法使いはあっけなく地面に伏す。実力も、戦闘経験も、圧倒的な差があったのだから当然とも言えよう。
月はともかく、他はまだ若いように見えるが、どちらも相当な年数を生きた猛者たちであった。そう、「あった」という過去形であるように、現在は「若い」のだろう。小柴も火邑も生まれた年数は同じだ。
「レンヤ君たちが大半を片付けたみたいですね。まあ、あの程度では相手にもならないでしょうし」
小柴は、「廃退の魔法使い」、ネイヴ=ノーベンタスを植物で縛り、身動きを封じながらそのように言葉を漏らした。
「まっ、お兄ちゃんに、雷司兄が入ればそりゃそうだろうね。月乃姉も魔法を使えるみたいだし、危険指定されるような魔法使いでもなきゃ相手にすらならないと思うよ」
火邑の口調でナキアはあっけらかんと笑いながら言う。その足元には「赤砂の魔法使い」、佐賀三毘史の魔力と意識を奪い、昏倒させていた。
「ばっ、バカな、聞いてない。聞いてないぞ」
歩羽太は、血の槍で地面に縫い付けられながら、うろたえた口調で叫ぶ。そこに煉夜、雷司、月乃も合流する。状況は一目で察したようで、あえて3人は言葉を挟まなかった。
「周月1人だから楽だって!
力も消耗していて、きっと異界に逃げる手段も使えないって!
そう言ってたじゃないか!!」
怒鳴り散らすように叫ぶが、それに対しての答えは返ってこない。代わりに、月が質問をする。
「言ってたって誰が?」
血の槍を歩羽太の首に突きつけながら、脅すように……、いや脅して答えを聞き出す。だが、答える気はないようで、口を閉ざした。
「どうせウィーナよ。恨んじゃいないけど、あの子もしつこいわね」
ナキアの肩を竦めた答えに歩羽太の目が見開いたことで、それが事実と分かった瞬間、月は腹に蹴りを叩き込み気絶させた。
「ウィーナってのは?」
煉夜がナキアに問いかける。それに対して答えたのはナキアではなく、月の方だった。それも苦々し気に。
「ウィーナって言うのはナキアがつけた俗称。本名は吟河羽ゐ奈。『隣境の魔女』の異名を持つ魔女よ」
その名前に眉根を寄せたのは小柴である。「吟河」という姓には覚えがあるようで、怪訝な顔をして月の方を見た。
「『吟河』というと、『吟河リゾート』の?」
吟河リゾートとは、日本内外に展開する大規模な宿泊業を営む会社であり、世界を回ることが多い小柴にとってはなじみ深い会社だ。
「そうそう、その『吟河』。もっとも世界は違うけどね。こっちでも風水系の才と境界を司る力でリゾート開発をして大成功しているけど、向こうの世界でも同じだね。『吟河うゐな』の名義で『可愛すぎるアイドル社長』なんて呼ばれてたはず」
風水というのは運気や地脈に直結するものであり、それに長ければ成功するのは自明の理だ。
「吟河羽ゐ奈はナキアを殺した女よ」
さめざめとした態度で月はぼそりとそういった。ナキアを殺した、いや、正確に言えばナキアは寿命を……、自らの夢を削った捨て身の魔力放出で亡くなったので、誰かに殺されたわけではないのだが。
「だーから恨んじゃいないって言ったじゃない。まっ、間接的な死因を作ったのはウィーナだけど、結局は自分で選んだことで死んでるんだから気にするだけ野暮ってもんだと思ってよ」
ナキアは、「人の生き死に」も「恨みつらみ」も慣れている。あるいは「達観している」とでも表現すべきだろうか。「自身の死」というものにさえも、どこか軽い感情を抱いていた。それは生まれ変わったから、というものではなく、「雪」という天性の才に関わる「自身と他人の境界線があいまいになる」性質と「全てを塗りつぶすまでの白色の幻想」という2つの要素から来る希薄性ゆえだろう。
「でも、あの時、あいつがあんなことをしなければ、普通にナキアは死なずに済んだはずよ」
奥歯をかみしめ、恨めしいかの如く、月は言った。だが、それに対して、ナキアはあっけらかんと笑う。
「じゃあ、そんなことをあの子がしてしまったのは何故?
ノリトを殺したからでしょ?
あの時、殺すしかなかったかって言われたらそうじゃない。でもそれを選んだ。そうした因果が巡りに巡ってそうなっただけ。ちっとも恨んじゃいないわよ」
謳悠祝詞、「詩風の魔女」という風塵家の門下として風魔法の訓練を受けていた魔女。そして、彼女を殺したのはまぎれもなくナキア・ハード・モアであった。
「でも、あれは……」
それでもまだ、納得がいかないのは、そうやすやすと感情を割り切れないからだろう。むしろ、ナキアの方が異常というくらいだ。
「『でも』も何もないわ。あなたが『襲われるように仕組まれた』ということに対して怒る分には正当な怒りだと思うし、どうとでもすればいいいけど、あの時のことを引きずるのは全く違うわよ」
そう月が怒るべきは、「自分自身が襲われたこと」であってしかるべきである。それでもかたくなに、ナキアの死について言うのは、負い目からだろうか。
月が2つ、星の無い夜空、奇怪な紋様が天と地をあまねく照らす奇妙な世界の片隅で女性が、赤く輝く「煌き」としか表現できないような何かを使って、異世界の誰かと連絡を取っていた。
「逃げられたわ。っていうか、あれは相性が悪すぎる。《銀朱の時》……というか、次元干渉系の能力は通じないというかズラされる」
通信相手に文句を言うように、女性は頬を膨らませながらそういった。天龍寺秋世。《チーム三鷹丘》において、一列の龍神とは別種の異界に渡る力を持つ特異な存在。転移や召喚のスペシャリストである。
「【隣境の魔女】……だったか?
正直、資料がないからどういう能力か、こっちも判断しかねるんだよな。ああもう、姉さんがいればまだ何か分かったかもしれないけど。
まあいい、向かった先は分かっている。雷司たちの方へ合流してくれ」
通信相手である雷司の父は、ため息を吐きながら秋世にそのように指示を出した。秋世は申し訳なさそうに顔をゆがめる。
「合流したいのはやまやまなんだけど、境目をズラされちゃったから、この世界が崩壊しないように調整しきゃ。雷司君たちがそれまで持てばいいんだけど……」
奇怪な紋様をにらみつける。その天と地をあまねく照らす紋様は、元々、大地と天空、2つに存在したものが境界を無くされ、1つになってしまっているものである。世界の理が歪めば、世界そのものが破綻する。それは秋世よりも、雷司の父の方がよく知っていた。
「まあ、大丈夫だろう。あの世界には裕華もいるし、それに彼がいる」
軽い気持ちで言っているようなその言葉であるが、どこかに確信があるような物言いで、かつて門前で話していた時のような気分にもなった。
「彼、というと?」
前に秋世が、あの世界を訪れたときは、当代のアーサーに会ったくらいで、特にこれと言った覚えがないので、そう問いかけた。
「あの世界には、雪白煉夜君がいる。彼がいるなら、まあ大抵のことはどうにかなるだろう」
その姓を聞いて、秋世は眉根を寄せる。当然ながら彼女にもその姓の聞き覚えはある。
「雪白って言うと『日舞』の雪白家のこと?
京都司中八家の」
天龍寺家もまた「夜空」という称号と共に、かつては京都司中八家の一角を担っていた。そのため、雪白家がどのような家かくらいは知っている。
「そうだ、その雪白家の分家長男だったかな」
雪白家と言えば「日舞」の家系。特に女人が強く台頭する印象のあるその家で、分家の長男の名前が出てくるとは思わなかった。
「あなたが言うんだからそこに間違いはないと思うけど、本当に大丈夫なの?」
司中八家からは稀に、異質な力を秘めた存在や始祖も生まれることは知っているが、それでも雪白家の分家長男がそのような異質性を秘めることは信じられなかった。
「まあ、生まれ持っての才は、先祖返りの魔力量だけだろうな。後はずば抜けた魂量数値か」
雪白家は、魔力を持って生まれる人間が少ないが、その最初である柊神美は強大な魔力を持っていたとされる。それの先祖返りとして、異常な魔力を持って生まれるのはあり得ない話ではない。
「魔力だけ?
あなたにしては随分と乏しい理由ね」
魔力が多いというだけならば、その辺にごまんといるだろう。だから、それだけではないことは明らかであった。
「ある意味では神に好かれたゆえか、ある意味では運命にがんじがらめにされたゆえか、彼は数百年という時間の研鑽と、それこそ天才と呼ばれる存在たちによって影響を受けた結果、その領域にたどり着いた存在だ」
そうは言われても、そのバックボーンに関しては秋世の知る所ではないので、具体的なことまでは分からない。
「まあ、今なら裕華はともかく、雷司よりも実力は上だろうな」
雷司の才が劣るということではなく、雷司はまだ「無派」の奧伝を継承していない。一方の裕華は、陰陽師としては一種の完成形の域まで達しており、他の部分を伸ばしているような状態にある。まだ、武闘家として完成形に達していない雷司では、獣狩りとして、そして騎士として一種の完成形まで持っていった煉夜には追い付けていないというだけの話。
「雷司君なら伸びしろがあるし、それに、キッカ・ラ・ヴァスティオンの件だってあるでしょう。だとすると、ただ力をつけるというだけではないかもしれないわ」
ホド、セフィロトの樹における8番、色はオレンジで、司るは「栄光」。それを冠しているのがキッカ・ラ・ヴァスティオンである。
「雷司の司る20番目の大アルカナは審判。それがどういう形であいつに発現するかは、俺にも分からない」
ホドとマルクトを接続するとされる経路。それに対応する大アルカナ。雷司の運命ともいえる力の1つ。
「とりあえず秋世はとっととその世界の異常を直して、雷司たちとの合流を急げよ」
「はいはい、人遣いが荒いんだから」




