034話:無伝の姫君其ノ一
姫毬は、振り返って、そのまま吹きだした。うどんを口に入れてなくてよかった、と心底思ったという。危うく鼻からうどんが飛び出るところだった。そう思いながら、呼吸を落ち着けて、もう一度、目の前の彼女を直視した。
「何をしていらっしゃるんですか、信姫様!」
姫毬はいるはずのない人の登場に、思わず声を荒げてしまったが、当の本人は、とても微妙な顔をしていた。
「それよりも、貴方のさっきの吹きだした理由と真意を聞かせて貰えないかしら?」
機嫌悪そうに信姫と呼ばれた女性は、足を鳴らした。制服を着た女性は、20歳かそこらに見えて、どうも制服が似合っているという雰囲気ではない。
「いえ、信姫様、流石に年齢を考えてください。なぜ制服を着ているんですか。信姫様が無理だからと、こちらに戻ってきてこの学校に編入した自分の意義がなくなるじゃないですか。そして、やっぱり年齢を考えてください!」
信姫は頬をひきつらせて、どのように部下を怒るかを考えているようだった。そして、とりあえず一番に言わなくてはならないことを口にする。
「ワタシはまだ19よ」
その視線だけで人を殺せるのではないかと言わんばかりの殺気のこもった鋭い眼で姫毬を見る。姫毬は「ひぃっ」とおびえるように視線を正面に戻した。信姫はなおも「貴方も人のことを言えないじゃない」という視線と「なぜそんなに似合っているの」という視線をごちゃまぜにした表現できない感情をぶつけていた。
「それで、おそらく無伝、だろうが。無伝信姫さんは、何だってこんなところに?」
煉夜は、ニッと笑みを浮かべて問いかける。煉夜が彼女の正体に気付いたのは至極簡単な理由で、木連と父が無伝家の信姫の話をしていたからである。姫毬の苗字が百地であったことに違和感は感じるものの間違いないと断言できる。
「……魔女のお弟子さんは、心を読めるのかしら?」
信姫は、流石に、顔を見せて名前を呼ばれただけで正体が看破されるとは思っていなかったので、かなり警戒心を強めた。雪白煉夜という人間について、姫毬を含めて調べていたが、あまりにも情報が得られなかった。これだけで警戒に値するのにも関わらず、油断ならないのがよくわかり、さらに警戒を強めたのだ。
「いや、ただ、聞き覚えがあっただけだ。それで、司中八家に伝わる宝を探しているのなら、司中八家に忍び込めばいいだろう?こんなところで俺に釘を刺しにくる必要もないだろ?」
特に雪白家と稲荷家にないと分かり、天城寺家もつぶれたいじょう、残りは5つだけ。難しいにしても、高校に遊びに来ている場合ではないだろう。
「あの宝はそうそう見つかるものじゃないのよ。だからこそ、ワタシが直々に来て、調査を始めたんじゃない。そんな忍び込んで探すなんていうリスクの高いことをするわけないでしょ」
そうそう見つかるはずのない宝、煉夜はなんとなくそれに目星をつけていた。そして、雪白家にはない、それにはルーツも関係しているのだろう、と思った。
「一番怪しいのは明津灘家ってところか?」
煉夜がつけた目星通りのものなら、そう判断するだろうと、煉夜は鎌をかけてみた。そしてその動揺は非常に大きかった。
「宝の目星がついたってことは、もしかして……」
信姫は煉夜を驚きの顔で見た。煉夜からしてみれば気づかない方がどうかと思う、ということだが、これは煉夜の体質が関係しているので、他人が気づかなかったのも無理はない。
「まあ、その話はいいだろう。それで、俺も何を探しているのかまでは分かったが、どれを探しているかまでは分かっていない。どっちかだろうとは思っているがな」
煉夜の言葉に、もはや驚きを通り越して笑うしかないような状況の信姫と姫毬。煉夜が自分たちの想像をはるかに超えていたことに、素直に驚くしかなかった。
「貴方の予想通りだとして、貴方は、ワタシたちに協力してくれるの?」
信姫は、煉夜にそう聞いた。無論良い答えを期待していたわけではない。むしろ協力する理由が無いと断られるのが当然だと考えていた。
「いや、する気はない。だが、おそらく明津灘家にはないと思うぞ。俺は支蔵家にあると踏んでいる」
煉夜の言葉に信姫たちは首を傾げた。「なぜ支蔵家なのか」という疑問に対する答えは、煉夜がすぐにくれた。
「いや、別に難しい話じゃない。【日舞】こと舞が発祥の雪白家や【仏光】や【天狐】といった信仰が発祥の天城寺家、稲荷家はまず除外できる。そして、京都発祥の【退魔】の市原家もない。【古武術】、【我流】といった武道系と【殲滅】、【呪憑き】といったよくわからない家が残る。特に【古武術】の明津灘は家としても個人としても収集しているようだから可能性が高いのは分かるが、【我流】の支蔵家の元の家がどこにあったか知っているか?」
姫毬は自分の調べた情報を洗いなおす。信姫も姫毬の集めてきた情報には目を通していたので、それを思い出していた。そして、しばらく考えて、姫毬が言う。
「岡山県……だった気がします」
岡山県、桃太郎の伝承で知られる土地。姫毬はそれがどうかしたのだろうか、と考えるが、信姫はそれで思い至った。
「そうか、岡山県!そういうことだったのね。それで可能性が高いのは支蔵家と。納得したわ。でも、貴方はよく支蔵家の発祥が岡山県だと知っていたわね」
信姫の発言の意味が分からず姫毬は何を言っているんだろう、という顔をしていたが、それを置いてけぼりに話はすすんだ。
「まあ、一応調べたからな。天城寺家の一件の後、司中八家は一通り調べさせてもらった」
むろん、煉夜が出来る範囲の調査なのでそこまで精密なものではない。だが、それでもどういう経緯で司中八家に入ったかくらいは頭に入った。
「あの、岡山県だからってどういうことなんですか?」
いまだに話に置いてけぼりな姫毬は、おずおずとした態度で2人に問いかけた。それに対して、煉夜は肩を竦め、信姫は呆れた様な顔をした。
「岡山よ岡山。津山藩があったところ。これでも分からないなら、貴方は何を探しにここまできたのよ」
津山藩、と言われて、そこでようやく姫毬は彼女達が言わんとしていることが分かった。そして、うどんの汁を飲み切り、姫毬は言った。
「なるほど、そうでしたね。あれは、津山藩の家宝にされていたのでしたね」
津山藩、廃藩置県後は津山県、そして北条県となり岡山県となった。津山松平家には3振りの家宝があったとされている。
「ああ、だから俺は支蔵家が怪しいと思うぜ」
そう言いきった。その顔はどこか何かを企んでいるようにも見え、なんとなく信用ならない様な気がした。信姫はため息を吐きながら言う。
「それにしても、いつ分かったのよ。ワタシたちの探している宝があれだと」
そこで煉夜は若干、苦笑いする。どう答えたものか、と答えを模索するが素直に言う方がいいと思い、あっけらかんと言った。
「ゲームで見たときから何となく、な。あの家の直系なら、あれを欲するんじゃなかろうか」
そんな風に考えたのだ、と煉夜は苦笑いする。ゲーム。それも煉夜の好むアドベンチャーゲームによるものだ。西洋ファンタジー風のゲームを主にやっていた煉夜だが、最近ではかなり手広になっていて、その中でも三国志の英雄を女体化させたものや戦国時代の英雄を女体化させたものなどにも手を出していた。それがヒントになった。
「ゲームって貴方ね……。まあ、本当のことを言いたくないならいいわ」
信姫は煉夜が本当のことを言っていないのだろうと勝手に判断したが、煉夜としては本当のことをきちんと話しただけである。食べ終わった弁当を綺麗にしまい、片付けながら「ゲームは意外と勉強になる」とぶつぶつと喋っていた。
――ガッ!
一瞬、短刀が煉夜の目前に迫った。煉夜は軽々と人差し指と中指で挟んで止めた。躱さなかったのは、他の生徒に当たる危険を恐れてのことである。
「んで、何だコレ?力試し的なアレ?」
煉夜は短刀を即座に信姫に返した。この程度の殺人未遂、煉夜にとっては日常茶飯事、一々気にしていられない。盗賊や強盗などは当たり前の世界にいたからだろう。比較的治安のいい王都に居た頃でさえ、その手の警戒は必要だった。
「この距離での不意打ちをどうしてそう簡単に止められるのよ。貴方、やっぱりどうかしてるわね。試しに戦ってみようかとも思ったけれど、少し準備が入りそうね」
何故戦う必要があるのか、と問いたくなった煉夜だが、それに関しては問う前に姫毬が答えてくれた。
「信姫様、バトルホリックもほどほどにお願いしますね。あくまで目的は宝を取り返すことなんですから」
バトルホリック、戦闘狂。ホリックは中毒、狂という意味を持つ。ワーカーホリック、仕事中毒。この場合のバトルホリックもまたしかり。信姫は戦うことに快楽を覚えるバトルホリックである。特に、強い者を倒すことを喜びと、あるいは悦びと感じる異常者。彼女の一族で無伝の血を色濃く受け継ぐ者は、基本的にこのバトルホリックであることが多い。
「戦いたきゃ、挑戦状でも果たし状でも持ってこい。適当にのってやるから」
あくまで本気を出さない煉夜ではあるが、戦いを挑まれて逃げるようなことはしない。戦うことが好きか嫌いかで言えば嫌いな煉夜であっても、力を持つ者として逃げていいことと悪いことの分別はつく。
「そう、じゃあ、はい」
信姫が手渡した封筒。綺麗な字で「果たし状」と書かれていた。煉夜は思わず額を手で押さえる。まさかもう用意してあるとは。
「いや~、あらかじめ戦いやすい場所探しておいてよかったわ」
満足げに笑いながらスカートのすそをひるがえして去っていく信姫。片手を上げて、さようならの挨拶ついでに彼女は呟いた。
「じゃ、放課後、そこに載っている場所で戦いましょう。姫毬、彼が逃げるなんてことはないでしょうけど、エスコートをよろしくね」
姫毬はその言葉に溜息を吐くしかなかった。一方の煉夜は、対応を間違えたことを後悔しながら、席を立った。




