338話:紫色の幻想・其ノ一
紫色の髪の毛が青空に映える。京都府のとあるビルの上、前に、キッカ・ラ・ヴァスティオンや蒼刃陽光、桜木迪佳がいたビルと同じビルである。どこか特異点になっているというわけではなく、京都府中でも有数の高さで、かつ他に人がやってくることが少ないため、降り立ち見渡すにはちょうどいいというだけである。
濃い紫色の瞳は、どこかを見通すように一点を見つめていた。その目に映るはずのない……距離的にも、物理的な壁があるという意味でも見えないはずの光景を見る。
映るのは3人。雪白火邑、周月、雪白煉夜。
意味ありげにほほ笑んだ彼女は、その髪を揺らし、一切の気配を感じさせずに、たった1歩踏み込んだだけで、その場所に移動した。
煉夜、火邑……ナキア、月が、否、この京都にいる雷司や月乃、裕華ですら彼女には気が付くことはできなかっただろう。しかしながら、彼女は静萌のような恩恵を持っているわけではない。
天性の才能で、そのような恩恵紛いの気配隠蔽をやってのけているのだ。まさに天才と呼ぶにふさわしい、いや、そんな言葉では言い表せない存在。
だから、その存在が現れたことに気が付いたものは誰もいなかった。だが、ただならぬ悪寒と長年の獣狩りとしての勘が煉夜の直感を働かせる。
その一撃を「流転の氷龍」で受けたのは偶然に過ぎなかった。部屋に置いているアストルティを取る時間がなく、間合い的にも槍よりも短い方がやりやすいという直感で[結晶氷龍]を呼び覚ましただけ。
冷気と冷気がぶつかり合い、瞬間的に部屋の気温が下がる。衝突の余波で思わず後ろに倒れそうになるほどの衝撃。
かつて、煉夜がこの「流転の氷龍」の氷を用いたとき、鷹雄は「【氷の女王】もかくやと言わんばかりの氷の山だね」と言った。
そして、今、その煉夜が「流転の氷龍」で一撃を受け止めた相手こそは……、
「へえ、この世界にもこれを受け止められるくらいのはいるのね。
てっきり、向こうの2人のどちらかが受け止めると思っていたんだけど」
そういうが、彼女は初めから煉夜を狙っていたかのように攻撃を振り下ろしている。端から煉夜が受け止められると分かっていたかのように。
(明らかに手を抜いていて、それであの威力……。不意打ちだったとはいえ、受け止めるので精いっぱいだった。それに、……絶対に勝てない。神獣とかそういうレベルを超えた何か)
幻想武装とは煉夜の本気である。それを使ってもなお、絶対に勝てないと、そう思わされるほどの強さを彼女は持っていた。それは圧倒的な気配を放っているとか、そういうことではなく、端から次元が違うのだと思わせるだけの凄みを持っている。
「こっ……、【氷の女王】?!」
ナキアは驚嘆の声を出す。生きている……正確には異なる表現なのかもしれないが、存在しているとは思っていた。だが、こうして目の前に、今このタイミングで現れるとは思ってもみなかった。
いつか会えるだろう、そんな漠然とした考えしか持っていなかったのだ。
「ええ、久しぶり。言っていた通り、ただでは死ななかった結果、こうして今もここにいるわ、ナキア、周月」
ただでは死ななかった、つまり、死んでいる。だが、こうしてここに存在している。矛盾はしていない。「ただでは死ななかった」という部分があるからだ。元来「ただでは死ななかった」という場合は、殺された人間が、殺した相手に一矢報いていた時などの言葉として使われることが多いが、この場合は、本当に「ただ死んだだけ」ではなかったということだ。
――人工神造人形計画第一段階。
かつて、雷司の父が局と呼んでいた組織である時空間統括管理局では人工的に様々な存在を生み出す計画を企てていた。
人工数列種計画という数列種……、第五鬼人種などのような亜人とも称されることのある数列種を人工的に生み出す計画として始動した。
この計画は、第一人種、第二魚人種、第三精人種、第四翼人種、第五鬼人種、第六龍人種を対象に人工的な数列種を生み出すことで戦力増強につなげようとしていたものである。同時期に葉桜・ハーヴェイ・陽葵発案、アーカブ・ロップステン主導の第一期人造魔導士計画が動いていたこともあり、局での戦力増強路線がうかがえる。
結果的に数列種においては、第一から第五までのクローンが誕生した。この時生まれた第五鬼人種のクローンが【氷の女王】のクローンであり、後に娘として迎え入れられた希咲瑠璃だ。
その後、唯一の失敗に終わった第六龍人種だけ別に計画が始動し、それが人工第六龍人種計画。第六龍人種は各々の中に別に「龍」という存在があることが確認されており、肉体のクローンを作っただけでは、その裡にある「龍」は宿らない。そのため、生まれたのが龍を封じ込めた二冊の書物、「黒龍の書」と「白龍の書」だ。この2冊は、後に「悪魔でも魔女」と「天使でも魔法使い」の2人の手に渡り、2名の人工後天性第六龍人種の存在が確認されている。
成功続きだった計画だが、人工精霊種計画という神醒存在を人工的に生み出すというような神の領域……これは、それぞれの世界の神ではなく「彼の物」と呼ばれる正真正銘の神の領域に足を踏み入れるような計画であり、失敗に終わる。
そうして、行われたのが人工神造人形計画第一段階。希咲雪美のクローン兼人工神造人形として火野海里主導の元、行われた計画。そして、成功したがゆえにこうしてここに彼女は存在している。
死ぬ前に、火野海里に頼んでいたから。運命を覆す、この一手を。それゆえに「ただでは死ななかった」ということだ。
後にこの人工神造人形計画は第二段階として、雪美よりも力を落とした存在として数多のメイドが生まれることになる。篠宮彗のメイドとしても起用されたそのメイドたちは多大なる活躍を見せることになることをまだ誰も知らない。
「流石に驚いたわ。それで、わざわざ会いに来てくれた、というわけではないんでしょう?」
ナキアは、彼女の様子をうかがいながら問いかける。わざわざ、再会の為だけにこのような辺境までくる理由はない。何かのついでのようなものだろう、と判断するのは当然だ。
「まあね、少し気になる存在があったから……」
その視線はわずかに煉夜に向けられていたような気もしたが、どうにも煉夜自身に向けられたものではないようにも思えた。
「あなたが気にするような存在となると、それは大物なんでしょうね」
ちょっとふざけた調子の言葉に、【氷の女王】は薄ら笑う。あるいは鼻で笑ったのかもしれない。
「いえ、とてもじゃないけどね。ただの小物よ。心の小さい、ね」
まるでそこにいる誰かに言っているように彼女は小さくそういった。
「その小物も、あまりにも手に余るようなら、手を貸そうかと思っていたけど無用な心配だったみたい。流石は『白雪の陰陽師』とその子孫ね。いつの日か、その光と闇が世界に届く、そんな気がするわ。だから、いずれまた会いましょう。最後のスファムルドラの聖騎士レンヤ・ユキシロ、遥かなる過去を見通す雪白水姫、そして、誰にも見えない幻想の子忍足静萌」
二ッと笑う彼女の瞳は煉夜と水姫、静萌をしっかりと射抜いていた。そう、誰にも見えないはずの静萌すらも、である。
「ナキア……いえ、火南美、それとも火邑と呼ぶべきかしら。あなたと周月にもまたいずれ会えるでしょう。まあ、それがいつになるかは分からないけれど」
そういいながら天井を、いや天を見上げるというべきか。まるで遥か先を見通しているように彼女は笑う。
「翔希と出会い、根源魔力……アカシックレコードが消失するその時まで、遥かで気軽な散歩をせいぜい楽しむとするわ」
そういうと彼女の姿は掻き消えた。まるで忍者の様だと静萌は思っていたが、忍者の末裔であり、誰にも認知できない彼女に言われたくはないだろう。もっとも、忍術を使うという意味では雪美流忍術という独自流派を形成している彼女も忍者であることは間違いないのだが。
「世界は広いな。今までも雷刃美月さんとか、けた外れに強いって感じの人には何人か会ったが、あれはそういう次元を超えている。どれだけ足掻いても届かない領域の存在だ」
どれだけ手を伸ばしても、恐らく絶対に到達し得ない境地、足元すら見えない、足を踏み入れる事すら敵わない領域。文字通り、次元が違う。位相が違う。そんな存在。
人であれば神、蟻と象、すっぽんと月、対比させられる時点で、それらは「比較し得る存在」である時点で、大きな差であっても絶対的な差ではないのだ。
その比較すらし得ない絶対的な差こそが、文字通り位相や次元の違うということ。
「まあ、あれは正真正銘の化け物……、いえ、神なんだけれどもね」
三神の一柱、二代目天辰流篠之宮神として知られている後天性の神の系譜を継ぐものであり、かつ、人工的な神造人形。それこそ、そこいらの木っ端世界の神を小物と称するくらいには超常の存在。
「希咲と言えば希咲泪を始め、多くの氷結系の血統だし、中でも【氷の女王】は別格、その息子と共に全世界で五指に数えられるくらいの存在だから」
正確に言えば、五指に入るかどうかは微妙なラインであるが、知られていないような存在を除いて、知名度がある存在であれば確実に五指に入るのが【氷の女王】と息子の【血塗れ太陽】、「終焉の少女」、聖騎士、武神である。もっとも、その前の時代、【氷の女王】やその息子が生まれる前ならば「局の門番」や「No.5」が入っていたり、これから先、「不在のNo.10」の出現や【氷の女王の再来】と恐れられる桜吹冬華であったり、いくらでも覆る余地がある。この中のほとんどと交流がある人物がいる点では「チーム三鷹丘」の異常さを物語っているだろう。
「まあ、ああいう手合いは世界にごまんといるわ。それこそ表に出てこないだけで、実際に力を顕わにしたら世界群ごと滅ぼすような存在とかもきっといるでしょうね」
ナキアも月も、未だ、そういう存在と出会った経験はなかったが、それでもいると信じるだけの根拠は互いに別のところで持っていた。月はナキア亡き後の世界放浪で、ナキアは多くの夢と触れ合う中で、それぞれそうした存在に確信を持つにいたる。
「昨日、この地にやってきた追っ手の子たち、あれも、いずれそうした手合いにぶつかる運命を持つ子たちよ。あなたがそれを助けたいと願うのであれば、その境地に挑む覚悟だけはしておいた方がいいかもしれないわ」
雷司と月乃。すでに異世界をまたにかけて広く活動するようになった彼らは、そういう次元に突入している。もっとも、煉夜に関しても、世界をまたにかけていないだけで、向こうの方からそういう存在がやってきているのだが……。




