334話:白い逃亡者・其ノ参
帰路にて、煉夜は見知った人物を見かける。彼女も煉夜に気づいたようで、微笑み小さく手を振った。その女性は、駿部四姫琳と名乗っていた神代・大日本護国組織の第二師団氷点姫龍に所属する今川氏鬼里だ。
「お久しぶりですね」
四姫琳にそのように話しかけられたので、煉夜は小さく会釈をしてから挨拶を返す。
「久しぶり、というほど時間が経っているようにも思わないが、久しぶり。しかし、出雲から京都に来ているとは、何かあったのか?」
彼女と煉夜があったのは修学旅行で出雲に行った時であり、まだ2ヶ月も過ぎていない頃だ。それを「久しぶり」と表現するかどうかは普段会う頻度や人の感覚によって異なるので何とも言えない。
「ウチはあくまで外様の人間。別に出雲を拠点に活動しているわけではないのでどこにいてもおかしくないと思いますが。それに、あまり言いたくはないのですが、京都に来たのは仕事ですよ、仕事」
仕事であるとは言うが、それを「言いたくはない」と表現したことに煉夜は違和感を覚える。言いたくないのなら言わなければいいだけの話だ。
「仕事、それも俺がらみの、ということか」
だからこそ、そのような推理が成り立った。それに対して、四姫琳は隠すでもなく、そのまま言葉を返す。
「ええ、正確には、『雪白煉夜と雪白水姫の監視』という酷く気が進まない仕事ですが。どうにも、もうじき、あなたには最大級の厄介事が舞い込むようですよ。あなたの全てに関わるほどの厄介事が」
監視と言ってもそこまで大仰なものではないのだろう、だからこそ、煉夜に隠すことなく彼女は伝えたのだ。
「監視……、監視ね。まあ、いいが俺以外には気づかれないように……、って言うまでもないか」
四姫琳が本気で監視に徹したときに、それに気が付けるのは、煉夜の周囲にいる人間で、現在京都にいる中では、裕華と今日京都にやってきた雷司、雷隠神社の一件から延ばし延ばし留まり続けているリズ、ユキファナくらいだろう。
「気を付けますよ。それから、この京都に妙な気配を感じるんですが、何か心当たりありますか?
ウチの言っていた件にしては動きが早すぎるし、どこか違う気がするので、何か起きているのかと思ったのですが」
その心当たりは当然あったし、そして、四姫琳ですら、明確につかめないほどの存在であるということを煉夜は再確認した。
「ああ、周月という魔法使いが来ていてな。どこかにいるその気配を掴んでいるんだろう」
名前を聞いた四姫琳は、眼を見開き驚いた。そのような大物の名前が飛び出してくるとは流石に予想していなかったのだ。
「周月って、あの『千紅の魔女』のことですか!
なんだってあのような存在がこんなところに……。いえ、確か、傍流だけれど山香寺家の血を継ぐどこかの要人が暗殺されて、その容疑者に彼女の名前が挙がっていたような……」
四姫琳たち神代・大日本護国組織は日本人が絡んでいる事件に関して、耳の早さで言うならば、どこよりも早いだろう。
「山香寺……?」
知らぬ名前が出てきて煉夜は内心で首を傾げた。
「ああ、いえ、暗殺された要人はもうほとんど血のつながりのない、本当に遠縁の人間と言うだけですよ。山香寺家の本家はすでに潰えて『総太郎』の継承もすでに絶えて久しいですから」
そこが聞きたいわけではない、という顔をする煉夜に対して、四姫琳は何を説明するべきか少し考えていた。
「剣天蒼という人間が起こした流派に『剣天蒼流』という総合武術流派がありまして、天蒼の死後、その流派は9人の弟子たちに継承されて、それが1から9までの名前を冠した一乃牧、二刃原、三光寺、四牙渕、五命戦、六櫓石、七菜伊、八刀森、九遠寺という家になったのです。後にそれらの家の名前が転じ、三光寺は山香寺と名を変えたのです」
それぞれが市乃牧、双葉原、山香寺、志賀渕、後明川、室櫓石、菜々伊、矢東森、久遠寺と転じている。
「先ほど話した『総太郎』というのはそれぞれの家の当主のことで、一乃牧から順に、総一郎、総次郎、総太郎、総修郎、総久郎、総重郎、総天郎、総栄郎、総史郎の名前を当主が継ぐことになっているのですが、久遠寺以外の家は全ての家が断絶、『剣天蒼流』の流れを汲まない傍流だけが生きていることはあっても、流派は完全と言っていいまでに潰えてしまっています。最後の久遠寺もすでに当主の剣聖であった久遠寺総史郎氏は亡くなっていて、残ったのは浅人という孫と槍術を中心に教わったイリュカ・フアナ・ドーラ姫だけのはずですけれど」
四姫琳は知らない。最後の希望、久遠寺浅人は祖父である剣聖の久遠寺総史郎だけではなく、もう1人の剣聖の出雲リンカ、世界に3人と決められた剣聖の内の2人に鍛え上げられた稀代の器であることを。
「しかし、剣天蒼で『つるぎあまそら』という名前は本名か?
蒼で『そら』と読むなんて最近の子供じゃあるまいし」
蒼の本来の読みは、あおやそうである。もっとも、連想当て字のように、最近では「蒼」に青空を当てはめ「そら」と読むようなこともなくはない。
「いえ、元々は本名が別にあり、当時の恩師3人の名前をそれぞれもらい、語呂よくするために読みを整えて剣天蒼と名乗ったみたいですね」
師の名をもらい、新たな流派を打ち立てる。珍しい話ではない。ただし、剣天蒼流と流派名はさらに整えているが。
「まあ、もはや途絶えたも同然なので、あなたが剣天蒼流を相手にすることはないと思いますし、それよりも周月の方が目下の重要な問題なのではないでしょうか」
確かに、目の前にいない山香寺家の話よりも、近くにいる周月の話の方が重要であろう。
「周月は、その出自の正確なところは知りませんが、中国の北部出身で、幼い頃にその体質を忌避されて追いやられたそうです。そうして中国と蒙国の境目ぐらいで、とある魔法使いに拾われ、日本に渡り生活するようになりました。もっとも当時の日本と言えば、【氷の女王】と【雷帝】の夫妻とか【爆炎火災】のような群雄割拠の【氷の世代】ですから、その知名度は低かったようですが」
周月の過去、その中で、1つ引っかかりを覚えたのは「体質」という部分であった。魔法使いが魔法によって忌避されることは珍しくないが、その場合は「体質」という表現はされないだろう。
「体質ということは、魔法とは別に何か特異体質を持っていたのか、彼女は」
恩恵で覗き見ていれば分かったのだろうが、そうでないために、そういった体質があることを煉夜は知らない。
「周月は、鉄分の操作……正確には違うらしいですが、血流を操作したり、砂鉄を操ったりすることができるようです。炎熱系の魔法を持つ彼女は血流を瞬時に沸騰させて人間を体内から爆発させる体質と魔法を組み合わせた戦法を取ったとされて、全身にその返り血を浴び、白い衣服を血に染めたことから『千紅の魔女』の異名を取ったそうですよ」
彼女の白いチャイナドレスは、業を明確化するためのものであり、日本に来る前は白い民族衣装を着ていたが、それも同様の理由だった。血を操作する彼女は、必然的に返り血を浴びるので、それをより鮮明にするもの。
「鉄を操る体質……、元素使いの1人に目されていますが、鉄の元素使いは管理局のフェリン・エグリムが判明していますから近しい能力の一種かもしれません」
四姫琳からすれば、鉄分を操る能力というのは珍しいものではないが、それが体質となるといくつか思い当たる程度である。
「確かに、陰陽術や魔法にも特定の鉱物や元素を操るものは存在している。もっとも、元素に関しては、その存在が認識されるようになってからの魔法が少ないせいか、そんなにないらしいがな」
煉夜たちが使う陰陽術で、地中の鉱物を扱う「土」の陰陽術は確かに存在するし、リズに聞く限りでは元素を媒介とした魔法も存在するらしい。ただ、やはり陰陽術が五行論に依存するように、魔法もまた五大元素に由来するものが多く、近代の魔法はあまり発達していないらしい。MTRSでも近代文化による魔法を研究しているものがいないでもないが、やはり米国などには劣り、近代魔法と定義するかどうかはともかく、近代に発展した魔法は古来より研究が続く英国よりも新しい文化を伴って変化した米国の方が進んでいる。
「科学と魔法が共存する世界も存在していますし、そういった世界では元素を扱う魔法は珍しいものではありません。それでも、『体質』ともなると話は別です。生まれながらに持った特質であり、そして、そこには魔力や霊力が介在しないのですから」
そう、体質である以上、魔法などとは異なり、それゆえに魔力の消費がない、あるいは、魔力の消費が魔法に比べて著しく少ないはずである。
「しかし、魔力などが介在しない以上、別の代償が必要になるはずだろう?」
等価交換とまでは言わないが、いくら体質であっても、相応の消費がないと成立しない。それは誰もが知る常識である。
「ええ、彼女の場合は体力や自身の血中の鉄分などだと予想されています。なので食事はかなりの量を食べるらしいですね。主に肉や魚などを」
だからこそ、彼女にとって食料は死活問題なのである。それも、逃走に体質から来る能力を使った以上、余計に。
「それにしても、周月がいるとは本当に珍しいですね。彼女は、師であり親友であった魔女が亡くなって以来、あまり表に出てくるようなことがなかったので。そういえば、その魔女の名前を考えると、あなたと会ったのは面白い偶然かもしれませんね」
「面白い偶然……?」
煉夜は、そういえば「あの人のための苗字の様だ」と言っていたことを思い出す。周月も「面白い苗字」と評した、その理由。
「その魔女は『白雪の魔女』という異名を持っていたんですよ。名前は確か、ナキア、ナキア・ハード・モアという名前だったと思います。ただ、その能力は不明な点が多く、ごく僅かな魔力で大規模な魔法を扱う氷雪系統の魔法使いだったということしかウチも知らないですけど」
その異名、その能力、それを聞いた途端に、煉夜の中で閃く1つの妄想が広がった。普通に考えればそのような偶然はあり得ない。だが、絶対にないなどと断定することはできなかった。




