333話:白い逃亡者・其ノ弐
雷司達は、周月が探知からすり抜けたが、その反応がさっきまであったところにひとまず向かうということで、住宅街の中にある公園に降り立った。
「よお、待ってたぞ雷司、月乃」
そこにいたのは、本を片手に木陰になっているベンチでくつろぐ煉夜の姿であった。事前に来ることを説明していたわけでもないのに、こうなっているというのはある種の出来すぎた偶然だろうか。
「煉夜、お前、何で……。いや、その辺はどうでもいいか。白いチャイナ服の女性に会わなかったか?」
タイミング的には絶対に会っている、あるいは見かけているはずだが、あえてそれを問いかける。対する煉夜は、雷司達が何故彼女を追いかけているのかが見えてこなかったので、
具体的に何を話したかなどはぼかして伝える。
「ああ、会ったがどうかしたのか」
ただ簡潔に、その事実だけを述べる。雷司達は煉夜を巻き込むかどうかを考えていたが「会っている」という事実があるなら話は別だ。
「よし、煉夜。この件、お前も協力してくれ。実はな、その白いチャイナ服の女性は、周月って言って、『千紅の魔女』って異名を持つ魔法使いだ。とある要人暗殺の濡れ衣を着せられて逃亡中でな、俺たちはその保護を依頼されている」
追っているにしてはどこか悠長な様子があるのは、濡れ衣を着せられた人の保護という危険性の低い状況だからだろう。
「なるほどな。別にいいが、俺の知覚域すらもすり抜けられたから相当凄腕だぞ、あの人」
当然ながら、雷司達も探知を外されているので捕捉できていない。追うのは相当大変になるだろう。
「そりゃあな。真っ向勝負で俺が手も足も出ないくらいには強いらしいぜ」
その言葉に煉夜は「ほお」と声を漏らした。もっとも、雷司の父の弁では「戦えば死ぬ」というだけで、手も足も出ないとは言われていないが。
「強いとは思っていたが、そんなに強いとは。まあ、戦いたくないな」
煉夜も明確な強さは推し量れなかったが、それでも感じる重圧とひょうひょうとした雰囲気が、自身の届かない領域にいる存在なのではないか、とそう思わせるだけのオーラを醸し出していた。
「あくまで確保……、保護が目的だからな。まあ、この一件は父さんの知り合い経由で、結構急な依頼だから、保護した後どうなるとか、そもそも濡れ衣着せられて逃げているなら真犯人を捕まえればいいわけだから逃がしたままでもいいんじゃないのか、とか色々分からんことはあるが」
肩をすくめる雷司に対して、月乃が呆れたような顔をしていた。
「まあ、局ってのがどういう組織なのかは知らないけど、警察みたいなもんじゃないの?
真犯人は捕まえても、関係者の事情聴取が必要とか、そういう理由での保護もあるんじゃないの、知らないけど」
確かに、警察のような組織であれば、関係者の保護や事情聴取、事件記録の保持などの観点から供述調書を作り、証人の言葉なども必要になる。裁判にかけるのであれば、なおさら。
「まあ、裏があってもどうにかするだろ、彼女なら。そういえば、あの人、メイドがどうとかで捕捉されたって言ってたが、そのメイドは濡れ衣を着せた側……じゃなくて、お前ら関連だと予想したんだが」
濡れ衣を着せた人間であったり、雷司達以外の追っ手であったりという他の線も考えられたが、彼女の文言通りに捉えるならば、直後に追っ手として現れた雷司達に関連したことなのだろう。
「メイド……、ああ、由梨香さんのことか。父さんのメイドで、婚約者の1人でもある。養子が1人と実子が1人だったかな。だから、俺にとっては血のつながらん母の1人だ。なんでもスーパーメイドの弟子だかなんだかで、メイドとしてめちゃくちゃ優秀な人らしい」
メイドというと煉夜の中ではイルヴァという愉快なメイドが知人にいるせいで、優秀というのがどの程度なのか分からなかったが、それでも雷司の家の関係者で優秀と言われるなら、まず間違いなく優秀なのだろう。
「しっかし、なんだその『スーパーメイド』ってのは。メイドのプロフェッショナルみたいな存在を指す言葉か何かか?」
もちろん、煉夜は冗談のつもりで言っているが、その実、その言葉は的を射ていた。しかし、そのことは雷司もよく知らない。
「さあな。世界的にも有名なメイドらしいけど、俺は知らないしな」
数多世界にたった3人しかいないとされる最上のメイド。中でも雷司の言うメイド、青葉由梨香、旧姓桜麻由梨香の師匠にあたるメイドはその武力を数多世界に知られる「月龍天紅」の異名を持つ「最強のメイド」であるシュピード・オルレアナである。
「まあ、メイド業界に明るいわけでもないからな……、もしかしたらその筋では有名なのかもしれないが」
確かに、3人ともメイドの業界に詳しい知識を持っているわけではないが、何とも言えない表現に月乃は呆れた口調で言う。
「いや、そもそもメイド業界に明るいってどういう状況よ」
使用人専門学校生とかだろうか、と妙な想像を広げる煉夜であったが、特に「メイド業界に明るい状況」というものを特定したところで実のある会話になるとも思えないので、その思考は放棄した。
「それで、お前ら、宿はどうするんだ?
行く当てがないなら……、って、明津灘家があるからそんなことはないだろうが、ウチに泊まりに来るか?」
雷司の母親は明津灘家出身であるため、泊まる場所となれば明津灘家があるので宿に困るというようなことはないだろう。
「ああ、既に明津灘の家の方が泊まる準備もしてくれているからな、せっかく誘ってもらったのに悪いな」
月乃個人的には、煉夜の誘いに乗っても良かったが、既に自身の準備もされているだろうから、世話になっている明津灘家を無下にはできなかった。
「気にするな、分かっていて聞いたことだからな」
煉夜も断られるだろうと思って聞いていたので、特段断られたことに対して思うところはなかった。
「おう。まあ、これが終わったらしばらくはこっちにいると思うから久々にゆっくりしようぜ。お前ももう夏休みだろう?」
夏休みというものに特に大した感慨もなく、結局は陰陽師修行をすることになるだろうと思っていた煉夜は、ある種楽しみを見いだせたので、ありがたいことであった。
「あれ、雷司もこっちに残るの?」
最初から、今回の件が終わったら、ようやく念願の京都……というより煉夜の傍に拠点を構えるつもりであった月乃はともかくとして、千葉の三鷹丘市に拠点を置く雷司は向こうに戻るものだとばかり思っていたので、月乃としては意外だった。
「俺も最初は戻るつもりだったんだが、京都行きを母さんに話したら、極伝の継承は本家の道場を使った方がやりやすいからそっちに行く、って言われてな。おそらく、数ヶ月はこっちで修行だろうぜ」
げんなりした顔で雷司はそういった。千葉の家にも道場はあるが、そちらは狭く、十分な修行はできない。本格的に行うならば、こちらに元からある本家の道場を使った方がいいのは当たり前だろう。
「しかし、まあ、後のことより、今は対象の保護だな。正直、俺も月乃もそういった保護向きの能力ではないんだけどな」
雷司の主体は武道による近接格闘であり、月乃は魔法を使うが基本的に攻撃力重視で確保等には向かない。
「俺も保護とかそういうのは苦手なんだがな。手立てはないでもないが」
煉夜も本来の気質や戦い方であれば、保護や捕縛といったものは得意ではないが、先日のように【創生の魔法】を使えば、そういったことも可能である。
「一番は、戦わずに、無理矢理でもなく、話し合いで説得することなんじゃないの?
そうすれば魔法とか使わないでも済むでしょ」
無論、理想的にはそうであるが、雷司自身、父の言葉がなければ想定もしないが、戦闘になり得る可能性があるのだ。それも雷司達自身によるものではなく、向こうからの意思で。
「話が通じないような人ではなさそうだったが、その真意もつかめなさそうなひょうひょうとした人だったからな……」
確かに話は通じたが、読めない人であることには間違いなかった。突然襲い掛かられても煉夜はおかしいと思うことはないだろう。
「さて、話は尽きないだろうが、ひとまずはこれからのことを考えて、一旦、明津灘の家の方に行くわ。何か情報が入ったら連絡する」
これから活動していくのなら、時間はいくらでも取れるだろうと考えて、久々の再会でありながらも、区切りをつける。
「ああ、こっちも探りは入れてみるさ」
雷司と月乃が去った後、煉夜は小さく声をかける。
「それでどうだった、俺の親友たちは」
隣のベンチにずっと座っていたにも関わらず、周月も雷司、月乃も気が付かなかったその存在、忍足静萌が。
「そうですね、吾には気づいていなかったようですが、かなり鋭いみたいで、時折、こちらを見ていましたね」
認識はできないが、それでもどこかある違和感に対して無意識に反応している。雷司のように周囲に特に鋭敏な知覚域を持っているならなおさらである。雷司の知覚域は、煉夜のそれとは異なり、元々、武道のために磨かれているため、広い範囲を見ることもできるが拳の届く範囲の知覚が本域である。
だからこそ、気が付いていないにもかかわらず、何かがおかしいと思ってしまうのは無理もない。
「さて、俺たちも帰るか。結局厄介ごとに巻き込まれてしまったからな」
そう言って本を片手に公園を後にする煉夜とそれに続く静萌。静萌は会話できるというのが楽しいのか、煉夜の周りをうろうろしているし、ほとんど、煉夜にしか見えていない守護霊のような状態になっている。水姫も煉夜の過去を見通してしまった際にその存在は知っているが知覚できないために、彼女が雪白家へ勝手に居候していることは煉夜以外知らない。もっとも、食事等は自力でどうにかしているらしく、バレないからと言って勝手に食べているぬらりひょんのような真似はしていないらしい。




