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白雪の陰陽師  作者: 桃姫
白雪魔女編
332/370

332話:白い逃亡者・其ノ一

 煉夜はもう夏に入り始めた7月の日差しの中、公園で読書をしていた。先月の一件以降、水姫が、何やら声をかけたそうにして、しかし、やめるというのを繰り返しているが、強く言うこともできないために、妙な居心地の悪さから逃げるため、仕方なく公園にいたのだ。

 昨今では、防犯意識の高まりからか、男が1人で公園にいるというだけで通報されかねない時勢だが、幸いなことに人気のない公園においてそんなことが起こるはずもなく、のんびりと本を読むことができた。


「ん……?」


 そんなとき、ふと知覚域の中で大きな動きを感じて、そちらに意識をやる。何かが近づいてきているのは分かるが、そこに妙な圧迫感を覚える。目をやると、ちょうどそこに1人の女性が降り立った。

 白いチャイナドレスとそのスリットから覗く白い素肌、手は腕全体を覆うように白いシルクの手袋をし、まるで全身に白をまとっているようだった。そのため、燃えるように赤い瞳と鉄錆のような赤茶けた錆色の髪は非常に目立った。


「あら、読書の邪魔をしてしまったかしら?」


 何事もなかったかのように平然と彼女は言ってのけた。明らかに目立つ彼女が、何でもないように、そんな風に。


「いや、それは構わないが、この御時勢にコスプレ会場以外でそんな恰好をしている人間などそうはいないが、コスプレイヤーってわけでもなさそうだな」


 チャイナドレス、特に白色の、ともなれば、そうそう見かける機会はない。特に住宅街の中にある公園の中では。


「コス……、ああ、コスチュームプレイってやつね。昔、どっかの阿呆がそんなことを行っていたような気もするけど、残念ながら違うわ」


 もっとも、彼女がこの服と初めて出会ったのは、日本のそういった服を扱う専門店であったが。


「この服は連れが見繕ってくれたものと同じデザインのものを、馴染みの仕立屋に頼んで作ってもらって、破れたり解れたりしないように、そこらの鎧よりも厳重な素材と防護魔法を組み込んだ一品よ」


 まあ、そこには彼女の言う「連れ」の悪ふざけがふんだんに盛り込まれているのだが、彼女からすれば、親友でもあり、世界に羽ばたくきっかけを作った彼女に選んでもらったものなので大切にしたいという思いが詰まっていた。


「なるほど。しかし、なぜわざわざ白に。まあ、それだけの魔法を組み込んでいるなら、汚れないようにする魔法ぐらいついているんだろうが……」


 白とは目立つ色だ。もっとも、チャイナドレスの時点で相当目立つのだが。そのうえ、汚れなどが付きやすく、正直、戦う人間の服としては適さない色。


「いえ、落ちやすくはしているけれど、けっして汚れないわけではないわ。そもそも、この白というのも汚れをより明確に見えるようにするために好んで着ている色だから」


 汚れをより明確に、という部分は何かを濁しているように煉夜には聞こえた。そして、似たような手合いの人間を彼は知っていた。だからこそ、その真意は容易に導き出せる。


「返り血か……。罪の明確化、視覚化ともいえるか。自分が相手に傷を与えた、殺した、という意識を明確に持つためにあえて血の色が分かりやすい白い服を着ているっていうわけか。まあ、そういう手合いは間々いるし、その逆もしかりだな」


 白で見えやすいというのならば、赤や黒は見えにくい。煉夜が出会ったとある暗殺者は黒い服を着ていたが、それは闇夜に紛れるというだけではなく、返り血を隠すという意味を持っていた。それは他人から隠すという意味でもあり、自分から見ても隠すということである。暗殺という仕事において、個人の感情を持ち込むのはタブーとされる。であるならば、できる限り罪の意識というものを感じず、無情で暗殺しなくてはならない。だからこそ、罪の意識を軽減するための血をできる限り見えなくする黒の衣服。


「罪というより、業ね。罪は罰されるものだけれど、業は雪ぐもの。誰とも知れぬ存在の規定で罰されるつもりはないわ、例え神でもね。だからこそ、業は背負うし、それを自分で雪いでいくつもりよ」


 それは煉夜の考え方とどこか似ている考え方であった。業を背負い生きていくと、その覚悟を決めた人生の歩み方は。


「って、自己紹介もせずに長々と失礼したわ。(しゅ)(ゆえ)よ。日本語だと(あまね)(つき)ね。あなたは?」


 どことも知れぬ異邦人に名乗る義理もないのだが、しかし、煉夜はどこか似た考え方を聞いたゆえか、妙な親近感もあり、一瞬悩みこそすれど、素直に名乗ることにした。


「雪白煉夜だ。空から降ってくる雪に、白色の白、煉獄の煉に昼夜の夜と書いて雪白煉夜」


 普段ならば、そこまで分かりやすく名乗ることはないのだが、相手が自分に伝わるように分かりやすく名乗った上に、異邦人であることを考慮して、そのように字面まで含めて名乗る。

 それを聞いた彼女は、少し驚いたような顔をして、それから笑った。何か面白いことでも聞いたかのように、ただ笑う。


「雪白……、雪が白い。まさにあの人のためみたいな苗字ね。生きていたらあなたと結婚をさせて、その姓を名乗らせていたかもしれないくらい面白い苗字だわ」


 もちろんジョークの類なのだろうが、ジョークにしては何とも反応しづらいもので、煉夜は苦笑するしかなかった。


「それにしても、煉獄の夜とはまた何とも言えない名前。でも、魂の拠り所としてはふさわしい名前なのかもしれないわね」


 教派によっては認められていないが煉獄とは天国と地獄の中間地。天国が「神との一致」であり、地獄が「神との別離」であるならば、煉獄とは「神と一致するために違う部分を清める場所」である。神の教えを説く、人の導き手であり、奇跡の体現者である「聖人」のような存在を除いて、人は多かれ少なかれ、神の教えとは異なる道を歩む。しかして、天国とは神に導かれた先、神の教えそのものであり、つまりは神である。であるならば、異なった道を歩んだ部分は清めて、神の教えに限りなく近づけることでようやく天国に行けるという考えだ。

 よって、多くの魂は煉獄に導かれ、そして天国に行く前に清められる。そういった意味では、魂の行き着く場所、拠り所あるいは寄る所という表現は間違っていないのかもしれない。


「そういうあんたは(あまね)く全てを照らす月か。(しゅう)には、あまねという読みもあるし、意味合いとしては広く行きわたらせるとかだからな」


「似合わない名前でしょう?

 でも気に入っているのよ。あの人が特に好いていてくれた名前だから。いつも『後は花が揃えば雪月花ね』なんて言っていたのもいい思い出だわ」


 自然の美しい景色である雪と月と花を示す言葉、「雪月花」。似たような意味合いの言葉に「花鳥風月」がある。もっとも、前者は、雪、月、花というそのものを指す意味合いを持つが、後者は「自然の美しい風景」全般のことを指す場合もある。


「そうか?

 『雪月花』に倣う美しい風景という意味では、よく似合った名前だと思うがな。少なくとも周囲から際立った美しさではある」


 美醜の感性は人に寄りけりであれど、多くの人の目を引くという意味では、夜空の月と遜色のない美貌であった。特に、その全身に白色をまとっているかのような白さは、まるで月明かりで周囲を照らしているようにも見える。


「あら、口が上手いのね。そういう手合いとはあまり喋らないのが信条なんだけど、あなたは、どこかあの人に似ているし、つい口が回ってしまうのね」


 煉夜自身としては、別段、思ったことを言ったまでで、口が上手いという意識はない。ただ、誰かに似ていると言われ、そのことが引っかかった。


「さっきから口にしている『あの人』って言うのは、全部一人を指しているのか?」


 それに対して、彼女は目を伏し、あまり言いたくないような素振りを見せる。その暗い陰りは、何があったかを感じ取るのに十分だった。


「ええ、そうよ。小さい頃に、外の大きな世界に連れ出してくれた人。親代わりであり、親友であり、軽口をたたき合うような、そんな仲。もう随分昔に死んじゃったけれどね」


 懐かしむような、悲しいような、そんな声で彼女は言う。大切な人だったことが、煉夜には痛いほどわかった。それは、彼自身が愛した人のことを口にする時と同じ顔だったからだろうか。


「あら、これは……。どうにも次の追っ手が来たみたいね。仕方ないわ。まあ、あのメイドに捕捉されていたのは気づいていたし、ちょっと遅いくらいかしら。でも、これは厄介そうな手合いの気配ね。実力どうこうじゃなくて、それとは別の」


 彼女は知っていた。実力では勝っていても、その道理を覆す厄介な手合いを。いずれは実力でも上回ってきそうな面倒くさいタイプの相手。長く生きているだけに、相手の性質を推しはかる技術は必然的に磨かれた。


「それじゃあ、またいつか会いましょう。しばらくはこの辺にいると思うから。もっとも、いついなくなるか分からないけど」


 そういいながら彼女は姿を消した。煉夜は、それを感知で追おうとしたが、上手いこと潜り抜けられてしまい、あきらめた。その代わり、それとは別方向に見知った気配を感じる。自身の親友たちの気配を。


「あいつらの関係だったのか。面倒くさそうなのを相手にしてるんだな、くわばらくわばら」


 自身に厄介事が降りかからぬよう、そのように言うが、時すでに遅し、というよりは、この厄介事は煉夜が生まれて数年ですでに始まっていたのかもしれない。あるいは、もっとずっと前から。









「さてと、撹乱はできただろうけど、これからどうしようかしら。日銭稼ごうにも、現代社会ほど魔法使いが稼ぎにくいしね」


 何かと目が……、人の目と機械の目が充実している現代社会では魔法を使って稼ごうとすると、すぐにでも知れ渡り、大事に発展してしまう。


「お姉さん、なんか困ってる?

 よく分からないけど、そんな顔してたよ」


 かけられた声に振り向いた。その少女の容貌は、自身の思い浮かんだ人物とは全く異なったが、それなのにどこか似ている。まるで、頼ってしまいたくなるような、そんな。


「まあ、ちょっと、行く当てがなくてね。お金もないから食事もままならないのよ」


 だからだろう、つい口をついて、本当のことを話してしまったのは。


「そっか、じゃあ、ウチでご飯食べる?

 多分頼めば大丈夫だと思うよ?」


「でも……」


「火邑は、雪白火邑。お姉さんは?」


 雪白、その姓は先ほど聞いたばかりだった。雪白煉夜と雪白火邑。この兄妹が周月に会ったのは偶然か、それとも運命か。

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