330話:雪白水姫の覚醒
それは突然のことであった。天遥を捕らえ、周囲の「陰」の者たちも含め全員の捕縛が終わったくらいのタイミングであっただろうか。水姫の視界がブレた。揺れるのでも暗くなるのでもなく、ブレた。
一瞬、眩暈かと思って、軽く目を瞑り、再び開くと、見えたのは巨大な炎の幻影。それと人の影。いよいよ本格的に疲れが出たのか、と思い額に手を当て、一息ついて皆の方を見た瞬間、猛烈な映像、そう、記憶の奔流のようなものに呑まれ、意識を持っていかれたのであった。
水姫が倒れたのは、唐突であり、その場にいた全員が驚いたものの、最初は緊張の糸がほどけたからであろう、と思った。しかし、ただ1人、それが異なる理由であることを理解していたものがいる。
「ついに来たのか。いよいよもって、我々はどうしようもなくなったわけだな」
そう、天遥は呟いた。耳ざとく反応した裕華は、それをどういう意味かと視線で聞く。それに対して、やれやれと言いたげに答えが返ってきた。
「目覚めたのだよ、彼女は。未来視、付与に次いで、我々が欲していた力、過去視に」
ずっと、未来の予言、神格付与と来て、水姫を狙う理由としてそれこそ「過去視」くらいしから欲する理由がないが、水姫はそれを持っていないと言われていた。しかし、天遥は「目覚めた」と言ったのである。
「これは……、アニタの恩恵か!」
急いで「カーマルの恩恵」を使って水姫を調べた煉夜は、今までなかった水姫の力、「アニタの恩恵」に気が付く。「軌跡の神」の恩恵、「追憶の瞳」。人、物、空間などを媒体に、その記憶から過去を読み解くものである。
これが記憶を見通すのと根本的に異なる点は、単に記憶を映像として見るのではなく、その世界の記録に接続して、その事象そのものを再現するため、記憶による曖昧な部分や補正された部分がないことであろう。
「そうか、俺の『カーマルの恩恵』では、今在る事象は読み解けても、これから先に覚醒する『恩恵』を知ることはできない。だから分からなかったのか」
煉夜の持つ「カーマルの恩恵」、「真実の瞳」はあくまで現在を見抜くものであり、過去に持っていた、あるいは未来にこれから持つものは、原則的に今とつながっていない限りは見ることができない。
「だが、どうして倒れた。俺の知る限り、『アニタの恩恵』は、過去を見ることはできるが、その間に気を失うなど聞いたことがないぞ」
一応、簡単に知っている情報だけでも、そのような情報はなかった。そうであるならば別の要因があるはずだが。
「見てしまったのだろう。本来、人の過去を見通すうえでかかる時間はそう長くない。だが、それはあくまで普通に特定時間の過去を見通した場合だ。彼女は目覚めたて、その制御ができない状態で、誰かを見て、その人生を振り返るように体験しているのかもしれない。だから、早くて数分、遅ければ数日か、すぐにでも目を覚ますだろう」
しかし、この場において、もっとも重要なのは、「水姫が誰を見たのか」であった。この中で人生を追体験するとして最も短いのが美鳥、次いで天遥と「陰」の面々、裕華、煉夜、やぶめであろうか。静萌は水姫には見えていないため、それが起こりようもないので除外されている。
もし、見られたのが美鳥であればすぐにでも目を覚ますだろうが、煉夜ややぶめであったら、最悪、数日は目を覚まさないことは間違いない。それほどの時を生きてきているのだから当然と言えば当然であるが。
水姫は、夕暮れの街中を俯瞰で見ていた。ぼーっと、それが日本のどこかであろうことは理解できたが、いつのどこであるかまでは分からない。そして、あり得ないことが起こる。突然、メイド服を着た女性が住宅街に現れた。幸い人通りもなかったようで、誰も見ておらず、誰にも何も言われなく歩き出した女性は、自身の格好を見て、何か思うところがあったのか、周辺を見回し、干してあった洗濯物の衣服そっくりの服を身にまとう。ラフな格好であるが、女性の容姿も相まって絵になる姿であった。
そんな折、1人の少年が公園の方から歩いてくる。小学校の高学年くらいの容姿の少年は、どこかつまらなさそうに歩いていた。
――そして、少年と女性が出会ったのである。
「あら?」
その少年を見た女性は、そのような間抜けな声をあげた。少年はといえば、きょとんと女性を見て、いぶかし気な顔をした。
「ねえ、君、ちょっといいかな」
そう声をかけられて、少年は逃げるかどうか、一瞬悩んだ。知らない人にはついていくな、知らない人に声をかけられたら逃げろ、そう教え込まれるご時世である。だが、少年は結局逃げなかった。
「まあ、いいよ。千奈が引っ越して遊ぶやつがいなくなって暇だし」
どこかつまらなさそうにしていたのは、幼馴染の少女が引っ越したからであり、遊び相手がいなくなった彼は暇を持て余していた。
「迷子になってしまったみたいで、ちょっと知っているところに出るまで案内をしてくれないかしら」
女性はそういいながら、少年の手を握った。触れた瞬間、心臓の当たりがきゅっとするような感覚があったが、すぐに治まったので、不思議そうな顔をしながら、女性の方を見上げる。
「そう、やっぱりこの子が私の■■なのね。それも、この感じ……カナミの」
女性は、何か思うところありげに、少年の手を引きながら歩いていく。それに対して、少年はちょっと焦ったように言った。
「ちょ、ちょっと!
迷子になってるあんたが先に歩いてどうすんの!ていうかどこに案内すればいいのさ!」
もっともな話である。まあ、実際のところ、迷子になっているわけでも目的地があるわけでもないのだが。
「あ、うん、そうだったそうだった。それにしても、……君、名前は?」
そう問われて、そのまま少年は何の考えなしに口にする。
「煉夜。雪白煉夜……って、あ!」
見ず知らずの人間に何の考えなしに名乗ったことを、遅まきながらに「やってしまった」と思ったが、もう名乗ってしまったものはしょうがない。
「なるほど、ユキシロ、レンヤ、ユキシロレンヤ、雪白煉夜、か。間違いないみたい」
何度か煉夜の名前を口に出して、何かを確認して頷く女性。それに対して、少年、……煉夜は、女性を見上げながら言う。
「俺だけ答えるなんて不公平だ!あんたも名前を教えろ!」
礼儀などなっていない子供だけに口調は乱暴であるが、向こうの世界で長く生きる前まではそこまで頭がよくなかったと煉夜自身が言っていた通りなのだろう。
「私?
私は、そうね……、柊、柊美神、とでも名乗っておきましょうか」
今の煉夜が聞いたならば、「名乗っておきましょうか」とか偽名なのがバレバレじゃねぇか、とでも思うだろうが、少年であった煉夜はそれをあっさり納得した。
「ここまででいいわ。もう満足したから」
そう言って手を放し、煉夜の頭を数度撫で、彼女は優しい笑みを浮かべたまま、どこかに歩いて行ってしまった。煉夜は名残惜しそうに、先ほどまで握られていた手を見ていた。
時が流れ、見ている水姫も移動する。見たこともない草原。高校生くらいの煉夜が驚き戸惑っていた。そこにローブで顔を隠し、逃げている人物とそれを追う馬に乗った複数の男たちが現れる。そして、ローブの人物は巨大な魔法で男たちを追い払う。
【創生の魔女】とその眷属が初めて出会った瞬間のことである。
移ろうように場面は変わり、大きな城を中心とした屋外戦闘と逃げ惑う煉夜、そして騎士となり力を磨く姿、新たな出会いと、そして別れ。
そうした出会いと別れは幾度となく続いた。氷の騎士との出会いと神獣、そして別れ。黄金の商人との出会いと病、そして別れ。【緑園の魔女】との出会いと幻獣、そして別れ。赤い館の主とメイドとの出会いと暴動、そして別れ。原罪の聖女との出会いと宗教紛争、そして別れ。繰り返される「愛した者」との別れ。
いつの日か、ミランダ・ヘンミーに「煉夜と恋人なのか」と問われた沙友里が言っていた「そんなわけないのよさ。何より、今ここにこうして生きているのがその証拠なのよ」という言葉。そして、それに対するミランダの「その言い方だと、彼の恋人は皆死ぬ、と言っているように聞こえるけど?」という問いかけ。それらは全て事実である。ゆえに、彼の魂に共にある彼女らは、皆、煉夜が愛した人間であり、煉夜を愛した人間である。その愛や恋の形はそれぞれ違えども、それは間違いなく。
そして、世界は最悪な形で煉夜に試練を与え、それを乗り越えた煉夜は、最後の幻想武装を……愛した者を魂に収めた後、マシュタロスの外法により現代日本に戻るのであった。
そこからは水姫も知っている光景、知らない光景、様々なことが流れていく。しかし、何より、それらの光景を見たことでより分かるのは、それまでの現実離れしたありえない光景の数々が現実であったということ。それと同時に、あれだけの出会いと別れを繰り返したという事実が水姫の胸をえぐる。
優しい幸せな時間と絶望を幾度となく叩きつけられて、それでもなお、煉夜は前を向いて歩く。全てを背負って、その道を歩む。だが、それが水姫には理解できない。
狂ってもおかしくない、折れてもおかしくない、心を失ってもおかしくない。そんな呪いにも似た運命を押し付けられたにも関わらず、それでもなお真っすぐに、全てを背負って。
「目が覚めましたか、水姫様」
その声が聞こえた瞬間に、水姫の頬を涙が伝う。そして、泣き顔を隠すように煉夜の胸に顔をうずめながら、何日も寝たきりで水分も足りていないであろう枯れた声で言う。
「なぜ、あなたは折れないの。なぜ、あなたは……。愛した人間が死ぬということを幾度となく繰り返して、なぜあなたはそれを背負って生きていけるのよ……」
「やはり、見たのは俺の過去でしたか」
水姫が倒れてから2日。流石に長いとなると、煉夜かやぶめのどちらか。位置的に可能性が高かったのは煉夜のほうであった。
「なぜ、といわれても……、決めたから、でしょうかね。流石に、リタが金持ち病で亡くなった頃は絶望もしました。それに何度失っても、その絶望は決して褪せることはないでしょう。でも、だからこそ、自分の業は自分で背負わなくてはならないと、そう覚悟を決めた」
「……っ。覚悟を決めるなど、普通はできないと言っているのよ。背負えば、それは自分のせいだと認めたことになるのよ。普通ならば、偶然だとも、あるいは自分が不運なのだとも逃避することはできる。でも、あなたはなぜ、それを自分のせいだと受け止めて、背負うことができるのよ」
それは水姫には決して分からない考えだった。自分がその立場ならば、恐らくきっと「運命のせい」ということにしていただろう、と思う。
水姫は決して煉夜の考えを、生き方を理解はできない。だが、この世界において、唯一、煉夜の生きてきたすべてを水姫は知っている。【創生の魔女】ですらリタのことなど、知らないことは間々あるのにも関わらず、雪白水姫はあまねく世界において、誰よりも煉夜のことを知り、同時に誰よりも煉夜のことが理解できない存在となったのであった。
「それは、まあ、逃げたこともありますよ。俺が悪いのではない、と。でも、結果は変わらない。あの人が……、クラリスが……、リタが……、イルヴァが……、アンリエットお嬢様が……、イスカが……、【緑園の魔女】が……、そして……。みんなが死んだという事実は誰に押し付けようと変わらないものなんですよ。だったら背負っていくしかないじゃないですか。忘れる事なんてできないんだから。運命のせいにして、神のせいにして、世界のせいにして、そんなことで忘れられるはずがない。だから、俺は、それを受け入れることを選んだんです。理解されなくてもいい、それが俺の生き方ですから」
理解はできなかった。何をどう言われようと、その考えは決して分からない。だが、それでも、水姫は彼の胸の中で言う。
「ならば、その業を私も背負うわ。見てしまったから、知ってしまったから、そして、忘れることなどできないから。背負って歩くというのなら、私にもその道の行く末を見せて。そうでなくては、きっと、私は……。私は、あなたの在り方に納得ができないから。いつまでも、なぜ、どうして、そんな風に考えてしまうから。だから、私にあなたの道の行く先を。私が私として納得するために」
ある意味では告白と取れなくもない言葉。まあ、そのような意図は一切ないし、それを煉夜も理解しているが。それに対して、煉夜は頷いた。知られてしまったから、見られてしまったから。そうであるならば、そして、その生き方に納得してもらう必要などないのにも関わらず、それでも、納得してほしいと思ったから。だから煉夜は頷いたのだ。
クライスクラの天の上、神と呼ばれるものが住まう空間で、彼女は笑う。
「ようやく私の■手が目覚めた。これで全てが目覚めたわ。ようやく始まる。ようやく始められる。だから、もう少し待っていて、煉夜」
その姿は、ある夕暮れに、少年であった煉夜に対して「柊美神」と名乗った女性の姿であり、灰野鳥尾の目の前に現れた「柊美神」を名乗る存在と同じ姿であり、柊家でもらった柊神美の写真に写っていた友人の姿であった。
次章予告
公園で読書をしていた煉夜の前に現れた白いチャイナドレスの女性。
異質なその女性は煉夜を知り合いに似ていると評し、そして追われていた女性は逃げるように去っていった。
そしてそれを追っていたのは親友の雷司と月乃であった。
とある暗殺事件での重要参考人になっている女性は、自身の親友とは全く違うのにも関わらず、その面影を持つ少女と出会い……、そして。
――第十幕 二十二章 白雪魔女編




