327話:襲い来る陰たち
さほど大きくない、されど確実に気配が動いたのを感じて、煉夜は敵襲を予感した。雪姫、尚右染の2人があらかじめ一夏宮家が攻めてくるであろうタイミングを予知していたが、はっきりとはつかめずにいた。もうじき動くと言われたのが昨日の午後で、そして、ようやく動いた形である。
突拍子もない移動手段を使わない限りは、まだしばらく余裕があるが、それでも参拝客や若手の巫女を守るために、煉夜、水姫、雪姫、美鳥、裕華、静萌の6人は「御柱の聖地」に移動する。
「御柱の聖地」は、聞いていた通りかなり広大なうえに遮蔽物の無い空間であった。そのうえ、周囲とは隔離されるように高台になっている。よほど端にいない限りは、奇襲を受けるような事態は避けられる。しかして、それは逆に言うならば逃げ場がないということに他ならない。数が勝る向こうは、囲うように展開することが目に見えている。であるならば、必然的に自ら追いつめられているという形になっている。
それでもこの場所を選んだのは、相手が正面からの戦いを強いられる環境だからである。もちろん、相手がそうであるように煉夜たちも正面から戦うことになるのだが、そうである以上、捕捉も対処のしやすさも非常に容易になり煉夜たちが優位になる。
動き出した「陰」。その総数、およそ600。対する煉夜たちは6人。その差、およそ100倍。雷隠神社を含めても戦闘に参加できる人数はおよそ30。差は20倍。普通に見れば圧倒的な差というべき数字の差である。そうあくまで「数字上」の話。数の暴力という言葉もあるが、一騎当千という言葉もある。
それに、その数の差というものを、一気に減らすだけの策を、術を、煉夜はすでに用意している。
天遥たちが「御柱の聖地」の周辺に到着したのは、煉夜たちが察知して「御柱の聖地」に移動してから約6時間後の午後3時頃のことだった。約600人いる「陰」たちは、「御柱の聖地」を囲むように展開され、煉夜の感知域を所狭しと潜んでいるのが感じ取れる。
そのような中、堂々と「御柱の聖地」に入ってきたのは一夏宮天遥と忍足やぶめ、それに引き連れられた忍足家の忍たちであった。
「しかし、我々を迎え撃つのにたったの5人とはなめられたものだ」
静萌の姿は見えていないためにカウントされていない。つまり、5人で、しかもその内3人は標的、圧倒的な戦力差。それを考えればなめているとしか思えないようなものである。そして、天遥の視線は、唯一見通せない……正確には静萌も見通せないので唯一ではないのだが、目に入る範囲で唯一見通せない、煉夜に向けられていた。
「この目で直接見ても見通せぬか。まるで何かに阻害されているように。『自分のものを覗こうなどとおこがましい』といわんばかりの意思を感じるかのように」
煉夜を見通そうとした人間は何も天遥が初めてではない。春休みに出会った灰野鳥尾という男がいる。彼もまた煉夜を覗こうとして、それを「柊美神」と名乗る何かに阻害された。彼もまた、今似たような状態になっているのだろう。
「そうか?
俺の方は色々と見通せたがな、一夏宮天遥」
見通せないという天遥に対して、煉夜は「カーマルの恩恵」で得たものを口にしながら、「こちらに優位があるぞ」、と牽制する。
「持っているということか、同種の力を。いや、その程度ならば捕らえた者たちから聞くこともできる情報だ。証明にもならない」
その言葉を聞いた時点で、煉夜は、彼の「見通せない」という発言がブラフではなく、本当のことであるのだと確信を持つ。
「まあ、信じる信じないは自由だ。それに、俺の恩恵はお前の力ほど便利ではないからな」
この発言自体は純然たる事実である。煉夜の恩恵は、「花月森」よりも不便でできることも少ない。
「そもそも、いくら同種の力を持っていようとも関係ない。この圧倒的戦力差がある以上、我々の優位は変わらないからな」
それは慢心であろうが、それでも現に100倍の人数差である。静萌が見えていないからにはもっと差があるように見えているだろう。それで慢心しない方が無理というものだ。
「裕華、周りの雑魚は任せたぞ」
天遥の言葉に答えるでもなく、煉夜は視線も向けずに裕華に言葉を投げた。それに対して、やれやれと肩をすくめながら、煉夜に渡された鎖をジャラジャラと鳴らしつつうなずいた。
そして、その次の瞬間には、黄金の鎖が天を舞い、それに連動するかのように何もない空間から黄金の鎖が現れて周辺に潜んでいる「陰」たちを次々に拘束していく。それはまるで夢でも見ているかのような現実味の無い光景だった。驚いているのは当然天遥ややぶめだけではなく、水姫や美鳥もである。
「なんだあれは!
見通せないということは、市原裕華のものではない。つまり、お前が手配したものか!」
裕華の持ち物や作ったもの、技であれば、それの効果などは見通せている。だが、それができていないということは、煉夜に関するものであるということに他ならない。
「御名答、『陰』という組織に所属しているという認識を要にした束縛する鎖を【創生】する魔法でつくった道具だ」
水姫の目がある範囲であるが、このような状況で陰陽術だけで対処しろというのはつまり水姫たちを見捨てろと言うことと同義であるため、魔法を使うことも解禁している。
「そのような制約の多い複雑な魔道具を襲撃のあった日からの数日間でつくれるはずがない!」
普通ならばその通りだろう。魔道具を作るには材料なども必要だし、そろっていたとしても、これほどのものともなれば年単位での作成期間になってもおかしくない。
「悪いな、その出来るはずがないことをやってのけてしまう魔法の使い手なものでな」
おおよそ、煉夜の知るところの【魔女】と呼ばれる存在が使う魔法は「普通は出来るはずがないことを可能にする魔法」である。もっとも、逆に言うならば、そのような魔法が使えるからこそ【魔女】と呼ばれているのだが。
「やはり、お前こそが予定を狂わせるイレギュラーだ。ふっ、普段は見通せるからこのようなことはないのだがな、名前を聞こう。人に名前を尋ねるなど初めての経験だ」
生来持って生まれた「花月森」によって、人の名前が分からないということなどなかった。特に、高い適性を持って生まれた天遥は、広くその力を使いこなしていたから特にだろう。
「雪白煉夜。雪白家分家筆頭だ」
あえて、獣狩りでも聖騎士でも魔女の眷属でもなく、「雪白家の雪白煉夜」として名乗ったのは、彼らの狙いが「雪白水姫」であるから、その関係性をはっきりさせるためである。
「雪白煉夜……。確か、九尾の狐を召喚したというあの……」
情報収集で知っていたのであろうやぶめがつぶやいた。それを耳ざとく聞いていた煉夜は立ち位置的にもその彼女が「忍足やぶめ」であろうことは予想できた。
「あんたが忍足家当主の忍足やぶめか。しかし、やはり予想通りというか、忍足家は『陰』ではなく『忍足家』という認識の方が強いようだな」
裕華の使った鎖の影響を受けている忍足家の忍者は1人たりともいなかった。これは、他が伊賀や甲賀からの抜け忍であるのに対して、忍足家は忍足家として「陰」に属しているためであろう。里を追い出された者たちとは根底が異なる。
「……。アレの相手はこちらで受け持つわ。うちのを何人か連れて行きなさい。『見通せない』アレの相手をあなたにさせるわけにはいかないもの」
やぶめは何かを決めたように天遥に言う。煉夜をあえて「彼」でも「煉夜」でもなく「アレ」と呼んだのは敵であると同時に目標達成のための障害であると認識したからだ。
「分かった。なかなかに厄介そうな相手だが大丈夫か?」
見通せないがゆえに「厄介そう」と断定しない形の表現を遣っている。それに対して笑いながら天遥を見返す。言葉はなかった。その答えは見通すまでもなく、眼を見れば分かる。
「まあ、そういう分担で来るだろうな。本当なら、一夏宮の人間とは俺がやり合いたいところだが、スゥ、美鳥、水姫様」
天遥を相手取ることになるであろう3人に対して呼びかける。「大丈夫か?」と続けるまでもなかった。すでに戦うために各々が準備している。なお、そこにいる静萌に呼びかけなかったのは、相手がいると知らないであろうその存在を隠すためである。
「それじゃ、そこらにいる狩りそこねた連中は潰しておくわ」
そういいながら裕華が森の中へと消えていった。茂みの多い空間で水姫たち3人を守りながら戦うのは難しくても、ただ単に森の中で大人数相手に戦うのであれば、煉夜や裕華であればどうにかなるだろう。特に、森という暗がりの中では裕華の幻術、幻覚は十全に発揮される。天遥や煉夜のようにそれが効かない相手というわけでもなければ、すぐに制圧できるであろう。
「まったく……、ただの陰陽師相手という感じではないわ。昔会ったとある妖術師を思い出すほどだ」
妖術師、陰陽師でも魔術師でもなく「妖術師」と彼女は言った。その定義などにはばらつきがあるものの、おおよその意味としては「妖ものの術を使うもの」あるいは「妖ものを従える術を持つもの」であろうか。もっとも、やぶめの出会ったそれは両方を含むものであったが。
「そういう手合いと一緒にされるのは業腹だがな。それにあんたもあんたで俺なんかよりも特異な『人間』じゃねぇか」
煉夜は彼女のことをあえて「人間」と称した。確かに彼の知る中にも人の身でありながらその外見や意識が変質していないような存在はいるし、彼自身もそのうちの1人である。だが、目の前の忍足やぶめ、あるいは夜巫女と呼ばれる存在は、それともまた異なる奇妙な存在。
「『人間』というあたり、あの人ほどではないけど『見通す力』があるのは本当のようね」
あるいは、本当にただの人間と評しているだけという可能性もあるが、それにしてはあえて「人間」と強調する理由がない。ゆえに、分かっているからこその発言であることは明白であった。




