321話:偽装された聖地
雷隠神社とは、そもそも、長野県北部にある火加立雷隠神社のことであり、系列の神社が全国にある。そして、そこで祀られている主神は火加立神という火の神だ。御神体は、本殿奥に絶えず灯されている炎であり、由来は美鳥が述べた通りである。
「御神体にまつわる伝承自体は事実ですよ。ただ、『御柱の聖地』でそれが起きたということが間違っているだけで」
では、なぜ「御柱の聖地」が聖地とされるようになったのか、という話であるが、それは実に簡単な話である。
「元々、『御柱の聖地』というのは、『視柱の地』であり、『聖地を見るための櫓があった地』なのです。そもそも、絶えず火がともる場所を聖地としても、そこに人が容易に立ち入るのは難しいでしょう。それに山中です。燃え広がらないとも限らない。なので『聖地』の周囲に『聖地を見守る場所』を作り、それらの中心にある『聖地』を見守ってきた、というわけです」
それゆえに燃え広がらぬように木々も伐採され、平らで広い土地になっているのだ。森とも聖地とも隔絶された櫓しかない土地、それが『御柱の聖地』であった。
「しかし、その絶えず燃えた炎を空間ごと御神体として本殿の奥に移設したために、『視柱の地』には何もなくなり、『聖地』を見るための櫓も必要なくなったので解体され、残ったのは、『かつて中心に聖地のあった広大な土地』だけでした」
空間ごと移動させるということが可能なのか、という話は置いておいて、そうなれば、なぜ、その「何もなくなった広大な土地」を「聖地」と呼ぶようになったのか、という疑問が残るのは当然のことだろう。
「そうして残った、ただの広大な土地を『聖地』と呼んだのには理由があります。空間ごと御神体を移動させた影響で地脈が歪み、定期的な祈祷が必要となりますが『空間ごと移動させる』などという奇跡の御業のような出来事を末代まで信用させることは難しいために、『聖地』として残して、定期的な祈りによって土地の安定ができるように図ったのです」
確かに、空間ごと移動させたという話を聞いて、それをすぐに信用するのは難しいことであろう。
「だが、そんな大魔法でも難しい暗転魔法の類を使える人間が雷隠神社にいたとはな」
暗転魔法、空間魔法や結界魔法の類を総称してそのように言うことがあるが、確かに空間を切り取り、別の場所に貼り付けるなどという芸当は時空間を操る魔法で、かなり難しいだろう。煉夜も「空間を創生する」という埒外の芸当は可能だが、空間を移動させるということはできるかどうか怪しい。
「ええ、英国でもそういった魔法が行える人間は確認されていませんし、かなり希少な才能だと思いますよ」
王立魔法学校という魔法に関する歴史と知識量ではこの世界で一番とも目される研究機関ですら確認できていないほどの大業。
「それを行ったのは、先代の筆頭巫女、色詠雨貴乃様です」
その名前に聞き覚えがあったのは、信姫と裕華であった。無論、それぞれ知っている理由は異なるが、驚いているのに相違なかった。
「色詠雨貴乃って、あの色詠家の賢人って言われていたっていう……、雷隠神社の筆頭巫女もやっていたのね」
信姫の知る限りでは長野県の南部にある大屋敷、俳家の色詠家に現れた賢人という触れ込み程度のものだった。もちろん、その俳家がただの俳句の名家というわけではないことは信姫も理解していたからこそ調査していたのだが。
「あら、まあ、納得はできなくもないけど、色詠家って俳人の家系として伝わっているのね。傍から見ればそう見えるし、実際、俳句の才ある家なんでしょうけど」
裕華の知る色詠家は、信姫の知るところの色詠家とは違った見え方をしたものであり、そしてある意味では、信姫の見え方も正しい。
「色詠というのは『色を詠む』とも『四季を詠む』とも『式を詠む』ともとれる一族で、その他にも『死期読み』、『死気黄泉』、『四鬼黄泉』とか様々な由来があるって言われていてね、まあ、実際本人たちに確認したところ半分くらいはでたらめらしいけど」
諱隠しや真名隠しと呼ばれるものは古来より、その性質を隠すために多くの陰陽師や魔法使いが行ってきたものである。その多くが、読み方を転じさせたものが多く、そこに複数の意味が込められることは少なくない。「しきよみ」という姓も多くの意味を持ち、それゆえに、多くの力を隠している。
「ま、『詠む』ということは当然、四季を詠む俳句や景色を詠む俳句なども得意なわけで、その中でも賢人、雨貴乃は、『祠』と『氣』を詠むことにかけては天才的でね、祠……祠と氣……力場や龍脈、地脈」
祠というものは神を祀る場所のことであり、「氣」は気、すなわち力場や龍脈、地脈のようなものを示す。彼女はその力により、「聖地」を空間ごと祀る場所……、すなわち祠へと切り取ったのである。
「日本のそういった風習、名前隠しの類は聞いていましたが、本当に多岐に渡るのですね。わたくしたちにも似たような風習、スペルを1字変えたり、単語を2つくっつけたりすることはありますが、『読み』と『当て字』、『意味の重ね合わせ』という点において、日本語というものほど複雑なものはありませんね」
海外においても、諱隠しや真名隠しに近い概念は存在しており、スペルを弄って本当の意味を隠したり、別の単語同士をくっつけて1つの単語として名前に上書いたりというものはあるが、日本のように「字面」、「読み」、「意味」など複数のものを重ね合わせてがんじがらめにするように重ねることはできない。
「まあ、『名は体を表す』というように、日本においては『名前』がその存在の『体』、つまり本質や見た目に作用するという概念があるくらいだからな。特に『名前』というものに魂とのつながりがあると考え、意味や性質、概念に因み名前を与えるというのは陰陽師に限らず一般に浸透しているからな」
この場合の意味や性質、概念に因むというのは、「優しい人になってほしい」という意味で「優人」と名付けたり、「勉学や仕事に勤しむ人になってほしい」と「勤」という名前を付けたり、「広い心を持って大きな人になってほしい」と「広大」という名前を付けたり、という一般的に行われている名づけの手法の1つのことを指している。無論、「長男だから一郎」、「次男だから小太郎」のような名づけも「性質」にかかると言えばかかる。
「そう言ったものは、どこの国も変わらないでしょう。英国に限らず、偉人や聖人の方に倣った名前を付けることは多いですし」
含まれる意味合いの量はともかくとして、海外でも特に「聖書」という概念に由来する名前は多い。ヨハネに起因するジョンやゲオルギウスに由来するジョージ、マルスに由来するマルコなどの人名由来であったり、ミカエルに由来するマイケルのような天使由来であったりするものもあり、多くはその人のような立派な人になってほしいなどの思いが込められたものである。
「まあ、確かに、有名人にあやかった名前付けなどもやっぱり多いからな」
日本においても、その年に生まれた子供の名前とその近辺での有名人の名前で一致するものは多くあると統計でも出ている。
煉夜はフィリップ・ジョンというフィリポとヨハネ、どちらも聖書由来の名前を持つ知人のことを思い浮かべながら微妙な顔をしたが。
「おっと、話がだいぶ逸れたな。まあ、つまり、実施あのところ『御柱の聖地』という場所は、今は、その昔に延焼防止のために広げた影響で遮蔽物は何もなく、そして、龍脈の乱れこそ多少はあれど、『聖地』は別の場所に空間ごと移動したから聖地でも何でもない土地となっているため戦うのは問題ない、ということでいいか?」
軌道修正しつつ確認をする煉夜。それに対して、雪姫は頷いた。しかしながら、そうなると問題もいくつか残る。
「迎え撃つには水姫様も連れて行かないといけないか。俺、美鳥、スゥ、水姫様、静萌は確定として、裕華はどうする?」
美鳥、雪姫、水姫の3人は狙われている当人なので確定で、それを守るために煉夜、後は監視の意味で静萌。
「そうね、ここまで来たらつき合ってあげるけど、知っての通り幻術併用タイプだから一夏宮なにがしが噂通りの能力なら戦いたくないわよ」
見確めの儀で戦ったから知っているが、裕華は幻術も交えた戦いをする。無論、一切使わないでも戦えるが、万全ではないというのは正直なところ避けたい。
「まあ、護衛とかそういった面でいてくれたらありがたい」
そのような会話をする煉夜を拗ねたような顔で見るリズ。それは連れていけという意味であることを煉夜は理解していたが、そういうわけにはいかない。
「リズは留守番だ」
子供のように口をとがらせるリズ、もっとも年齢で言えば子供なので年相応と言えば年相応だが。
「わたくしは頼りになりませんか?」
肩をすくめて煉夜はため息を吐いた。そして、かがんでリズに視線を合わせて目と目を合わせて話す。
「分かっていて言っているだろう?
俺はお前を頼りにしているし、その実力もキッチリ分かっている。それに英国王室云々関係なく、それ以前にお前のことを大事に思っている。だからこそ、連れて行きたくないんだよ」
これに関しては事実、煉夜の本心である。そして、そのうえで英国の王室に名を連ねているという煉夜の意思に関係しない国家間の問題としての重要性もかかってくる。
「ふふ、ちょっと意地悪をしすぎましたか、レンヤ様。さて、わたくしはユキファナの元にでも向かいます。彼女と一緒なら問題ないでしょう。さ、煉夜様」
イタズラをしたような微笑みはリズのものというよりは、その奥にいる別の誰かを思い起こさせたが、すぐにその気配は引っ込んでしまう。そして、まるでエスコートを要求するように手を差し出した。
煉夜はその手を軽く取り、笑いかける。
「それにしてもこの件がどう転んでも、美鳥はしばらく帰れそうにありませんね」
煉夜に誘導されながら、何か思惑ありげにそのように言う。実際、美鳥が一夏宮の手中に落ちようが落ちまいが、事後処理としてしばらくの滞在は予期される。
「一応、監督責任として、美鳥の滞在中は、わたくしも帰るわけにはいきませんから、しばらくお世話になりますよ」
監督責任というのは方便であろう。確かにMTRSでの立場としてはそうだが、それよりも優先される王室としての立場で言えば、美鳥の滞在に関係なく帰るべきと言われることは間違いない。
「建前の使い分けが上手いことで」
「政治には必要なことですからね」




