032話:歩き巫女其ノ一
煉夜が思い出した魔力の正体、それは、煉夜が初めて陰陽師の修行として、雪白家の庭で《水》の式札を使った時に感じた魔力であったことだ。あの日、煉夜の修行を覗き見に来ていたのは、支蔵具紋、冥院寺月姫、市原結太、そして逃亡した1人。その逃亡した1人の魔力が、彼女の魔力と同じだったことを思いだしたのだ。
一方、千奈は千奈で、編入生の彼女に気付いたことがあった。彼女のおさげ、真面目な雰囲気の象徴ともいえるそれを見た千奈は、それが偽物であることに気付いた。あまりにも自然に、精巧に作られていたが、間違いなく付け毛である。つまり、真面目を装っている、そんな風に千奈は感じた。
「質問、質問が有ります!!彼氏とかいるんですかっ!」
大きな声で男子生徒の1人が叫んだ。その質問は定番過ぎたのか、編入慣れしている彼女は淡々と用意していた答えを答える。
「いえ、転校が多いので作らないようにしています」
にこやかに答えるその様子は、いかにも真面目なように見えた。だが、煉夜はそれがどことなく嘘のように見える。取り繕った、猫を被ったように。別段煉夜は嘘を見抜くのが得意なわけでも、人の心意に敏感なわけでもない。ただ、キャラクター性の濃い人間たちと触れ合ったことで、その人物のキャラクター性をなんとなく感じられるようになっているのだ。無論、人生経験という意味では、普通の人より、嘘を見抜くのも、心意に対しても十分に敏感ではあるが。
尤も、彼女の彼氏がいないという発言が嘘かどうか、ということに関しては本当なのだろう。彼氏はいない。だからと言って恋人がいないかは不明だが、煉夜もそこまで見通せるわけではない。
「親の都合で転校が多いって大変だね。どんなお仕事なの?」
クラスの女生徒が呑気にそんなことを聞く。姫毬は「普通、そんな込み入ったことまで聞く?」と内心で思いながらも、あらかじめ用意していた答えを返す。
「父は週刊誌の記者なんです。もっとも、いまだに雑誌に記事が載らないような三流ライターですけど。母が銀行員を務めていまして、転勤も多く、父は母の転勤に合わせて雑誌社の各地方の支部に異動して仕事をしていますね」
記事が載らない三流ライターと言えば、どんな雑誌をあさられてもそんな父親がいないことは明らかにはならないし、銀行員という人の金に関わる仕事をしている母親に関しては軽く問い合わせても個人情報漏洩防止等の理由でそんな人物がいるかどうかも教えてもらえないだろう。実によく考えられている。もっとも、考えたのは姫毬ではなく、彼女の一族代々ということになるのだが。
そして、彼女は、一々質問に答えるのが面倒だというように、皆を一瞥してキリッとした表情で自身を語る。
「今までの経験から、聞かれそうなことは先に教えます。食べ物の好き嫌いはありません。好きなものは本、それから建築物。好きな建築物はル・コルビュジェのサヴォア邸。得意科目は国語、電気基礎、建築環境工学。苦手な科目は英語、物理、建築法規」
彼女の自己紹介には、本当に様々な編入を繰り返したのだろうということがよくわかる豊かな自己紹介だった。特に、好きな建築物や建築環境工学、建築法規などは建築系の工業高校、電気基礎などは電気系の工業高校にでも行かなければ身につかないものである。
姫毬は、今までの編入により、その多くの知識を得なければならなかった。例え、一時的な編入であろうと、そこでの授業についていくためには、その前の過程を知らなくてはならない。いわゆる基礎である。
工業高校ならば一概に全てが同じではないことは、当然であろう。普通高校に普通科や特進科があるように、工業高校にも工業科や化学科、電気科、情報科、機械科、建築科など様々な学科が設けられている。それらの授業をどの科に入っても受けられる、というわけではない。電気科に入ったら建築科の授業とはほとんど無縁になることもあるだろう。もっとも、全てが全て無縁というわけでもない。例えば、建築科の中にも電気を扱うところはあるだろう。電気科にも情報を扱うこともあるだろう。情報科が電気や建築を扱うこともあるだろう。工業科が機械を扱うこともある。
ただし、姫毬の場合は、電気系の工業高校と建築系の工業高校、それぞれで建築と電気、そして情報を学んだ。もっともこの場合の情報というのは情報収集という意味での情報ではない。分かりやすいように要約するならばコンピュータ技術だろうか。建築ならば、手で図面を引くなどという前時代的なことではなく、コンピュータソフトを使うだろう。
「建築?そのえと、サボアてーっていうのはなんなの?」
建築に興味のない人や普通高校の生徒にとってはそんなものかもしれない、と姫毬は少し悲しい気持ちになりつつ、日本人建築家の名前を出した方が分かりやすかったか、と見当違いなことを思った。
「サヴォア邸はパリにある建築物だな。近代の三代巨匠と呼ばれる建築家の1人、ル・コルビュジェの建築物で、特徴的なのは近代建築の五原則が全て用いられていることだ」
煉夜が美少女ゲームで手にした知識を、さも博識であるかのように語る。ただし、煉夜が持っている知識は本当にこれだけである。
「そうですね。近代建築の五原則。今までの建築とは違う試み。ピロティ……、2階建て以上の建物で1階部分が柱などで支え、駐車場などの外部的空間になっていること。それには独立した柱が必要となるのです。水平連続窓……従来の建築では壁や柱で建築を支える関係上、壁を大きく削る横に長い窓というのは不可能でした。それを自由な平面と自由な立面、つまり床と柱で建築を構成させて壁をなくし自由な形にすることで、壁が支えるわけではないので横に長く削ることも可能にしました。そして、屋上庭園。つまりピロティ、水平連続窓、自由な平面、自由な立面、屋上庭園という近代建築における新しい要因、原則を全て使っている建築です」
早口にやや興奮して捲し立てるように言う姫毬。それは若干周囲が引くレベルだったのだが、本人にその自覚はないようだ。建築物が好き、と言うだけあって、有名な建築物にはそれなりの知識を持っているようだ。
「へぇ、わたし、建築物とか分からないですからねぇ」
そんな風な感想を抱いて、口にした雪枝に対して、姫毬は、いささか文句のありそうな微妙な顔をした。それは紛うこと無き本心の顔であると、煉夜は断言で来た。つまり、姫毬の建築物好きという情報に関しては間違いなく事実なのであろう。
「建築物という意味ならば、この学校を含め、様々なものは建築物ですよ。この地上で、人間が生活する基礎や基盤は建築と土木と電気で成り立っているのですから」
彼女は「もっとも、一番は土木ですが」とどこか拗ねるように言った。目に見えるもの、という意味で、人間が日常的に見ているものは、基本的に自然、人工に二分される。その人工物の中でも、建築物というものは人間が自分のために、或いは人のために「建ててもらった」ものである。一方、土木と呼ばれる分野はそれこそ建築物以上に人間の目に触れられているにも関わらず評価されづらいものだ。道路、上下水道、電気、ガス、人間の生活に必要なほとんどが土木である。
「人に理解されずともなくてはならない日陰者。だから、土木は嫌いなんです」
と、彼女は言った。おそらく「同族嫌悪」なのだろう、という自覚はあった。いや、むしろ、嫉妬だろうか。自分よりも当たり前にあり、自分よりも馴染んでいる。その凄さに嫉妬しているのかも知れない、と彼女は思う。
「他にご質問はありますか?」
彼女ば気持ちを切り替えて、それまでの流れを断ち切って、そう言った。手は挙がらなかった。流石にこの雰囲気で別の質問をするほどに空気の読めない生徒はこのクラスにはいなかった。火邑がこのクラスに居たら話は別だったのかもしれないと煉夜は思ったが。しかし、それは火邑が空気を読めないと暗に言っているわけではないだろう、きっと。
「あ、では、百地さんは、あの空いている席に座ってください」
煉夜とは少し離れた位置にある空席に、姫毬は少し不満そうだった。そして、若干申し訳なさそうに雪枝にこういった。
「すみません、あまり視力が芳しくないので、できれば前の方の席にしてもらえるとありがたいのですが」
赤縁の眼鏡を触りながら発せられた言葉に、雪枝は配慮が足りてなかったと悔いるが、千奈はやはり違和感を覚えた。そして、それは煉夜もだった。
眼鏡越しに見える彼女の顔には違和感がない。つまり、レンズには度が入っていないか、もしくは限りなく度無しに近いということである。つまりは伊達メガネかそれに近いのに、前の方がいいと主張しているのである。
「じゃあ、この列の前から一つずつずれて行って、百地さんは先頭ですね」
雪枝がそういって、生徒たちが動く。煉夜はこの行動に対して、彼女に何の得があるのかが分からなかった。前回同様、煉夜の監視や調査に来たのなら煉夜よりも後ろの席の方が、煉夜を見ることが出来て都合がいいだろう。だが、彼女は一番前に行った。それも自ら、である。
そんな疑問を残して、授業が始まった。姫毬は、初めて受けるであろう授業もほとんど気にせず、ついていけていないというようなことはなかった。むしろ、煉夜と同様に、分かるがゆえに暇という様子。他の学校の授業が進んでいたのだろうか。煉夜は彼女を観察しながら、ぼーっと1限目を過ごすのだった。
1限が終わると早速、他のクラスから姫毬を一目見ようと多くの生徒が集まってきていた。姫毬は、慣れたものと無視を決め込んでいる。煉夜の時には流石になかったが、始業式などの関係もあったためだ。実際、煉夜を陰から見ていた女子はそれなりにいた。もっとも男子はこうして覗きにくるが、女子としては堂々と覗きに行くというのは中々難しいので、廊下ですれ違う時などに煉夜を見る。煉夜は、見られているのも、まだ見慣れない生徒扱いだからだろうと勝手に納得している。
そして、そんな休み時間が続く中、昼休みになったとたん、姫毬は立ち上がり、煉夜の席の前に立った。
「食堂の場所を教えてほしいんですが」
なぜ自分に、と煉夜は聞こうと思ったが、ここはいろいろ確認するチャンスかもしれない、と思い直した。
「分かった、案内しよう」




