319話:既定された再会
唄涙鷲美鳥が雷隠神社を去ってからそれなりに時間が経っているが、それでも彼女は、目の前にいる似鳥雪姫という存在のことを今でも尊敬していた。当時から筆頭である雪姫は、八巫女の中でも実力、礼節、信頼のどれもを兼ね備え、まさに巫女の中の巫女として美鳥をはじめとした多くの巫女から尊敬と憧れの念を抱かれていたのだ。
巫女を辞し、渡英した美鳥であったが、それまで抱いていたような雷隠神社への妄信的な感情は落ち着いても、雪姫への尊敬の念は変わらなかった。そして、尊敬の念を抱くと同時に、辞めたことへの申し訳なさや指導中にトラウマじみた恐怖を植え付けらえた実習で「出来れば会いたくない」という思いも強く抱いている。
「お、お久しぶりです、雪姫様。不肖、元八巫女三席、唄涙鷲美鳥、お恥ずかしながら筆頭の前に顔を出すことになりました……」
消え入りそうな声で、恐る恐る言った美鳥に対して、苦笑気味の雪姫。怯えられているというか、申し訳なく思われているのだということは理解しているために、そのままを受け入れる。
「一応、席は残っているので『元』とつけなくていい、とはいうものの、『元』とあえて付けているのはあなたなりのけじめなのですね、美鳥さん。梨音さんは、あなたのことを随分と心配していたので、いつか機会があれば顔だけでも見せてあげてくださいね」
八巫女の中には、突然巫女を辞すと言い出した美鳥を心配するものも多かった。中でも美鳥を妹のように可愛がっていた梨音は特に心配して、矩晃に何度も相談に行くくらいだったので、落ち着かせるのに時間がかかったことを雪姫は今でも覚えている。
「うっ……はい、今度、時間できたら顔を見せに行きます……」
肩身狭く、申し訳なさそうにするが、そこには、「申し訳ない」という気持ちだけで、あの頃に合った「雷隠神社のために」という妄信的なまでの意思は感じられなくなっていた。
「でも、ずいぶんと落ち着いたようで安心しましたよ。あの頃の美鳥さんは『巫女らしく』を心掛けすぎるがあまり、傍から見ても心配なぐらいでしたからね。今は、憑き物も落ちて、ずいぶんと柔らかくなったように感じます」
柔らかくなったというよりは砕けたというべきだろうか。四角四面、どこを取っても角ばかりの彼女が、神獣と出会い、世界の広さを知り、己の在り方への疑問、そうしたことで、「巫女としての美鳥」が砕け、本来の人間性が浮き上がったのだろう。
「あ、あはは……、あの頃は何というか、その黒歴史と言いますか……」
おそらく恥ずべきではないのだろうが、それでも思い出したくはない過去というか、努力の方向性を間違えて突っ走っていた苦い思い出というか、あまり触れられたくはないものだった。
「今は英国にいるというのは前にレンにあった時に聞いていましたが、王立魔法学校とは随分とまあ、面白いところに入ったのですね。美鳥さんの『神格付与術式・改』は一応、秘匿術式なんですけれどね」
美鳥の使う術式は、正確に言うならば「神格付与術式」ではなく「神格付与術式・改」であり、こちらの方は秘匿術式として雷隠神社が厳重に情報管理しているものである。
「美鳥さんがお世話になっているようですね。わたしは美鳥さんの同僚だった似鳥雪姫というものです。雷隠神社で八巫女筆頭を務めています」
外国人に八巫女筆頭なる概念が伝わるかどうかは微妙なところであったが、美鳥が「神遣者の長みたいなものかな」と補足していた。
「わたくしは、エリザベス・■■■■・ローズ。英国王室に血を連ねる者です。まあ、お忍びですからあまり大げさに扱わないでいただけると助かりますが」
と、リズが挨拶したのに次ぐように、MTRS側の面々が挨拶を始める。最初に挨拶をしたのはユキファナである。
「ユキファナ・エンド……、日本人には焔藤雪花と名乗った方が、通りがいいかしら。まあ捨てた名だからあまり使いたくはないのだけどね」
この場ではさして重要ではないので、あくまで通りの良さを優先して「焔藤雪花」の名前を名乗ったが、彼女からすればすでにユキファナ・エンドという存在で通しているから積極的に名乗りたい名前ではなかった。
「美鳥さんと同じ研究室のアレクサンドラ・椎名・ドルワです。サーシャと呼んでください」
「アン・クローベル、アニーで構いません」
サーシャはともかくとして、アニーが「アン」ではなく通称のアニーで呼ぶように言うのは、アンという名前が一般的で、ありふれているための差別化のようなものである。
「英国組は道中での襲撃とかもあって疲れているだろうし、もし必要だったらここじゃなくて、もっと休めるような部屋を用意するが?」
正直、英国組で話が必要なのは美鳥ぐらいで、後は保護責任でリズがいれば最低限の体裁は整うので、残りのユキファナ、サーシャ、アニー、特に後者2人は襲われた時の情報確認を後でするくらいで、話の場にいる必要はないだろう。
「そうですね、わたくしやユキファナは問題ないでしょうが、サーシャやアニーは疲れているでしょうし、申し訳ありませんが用意していただけますか?」
ここで名前に美鳥を上げなかったのは、「休めるような部屋」に行ける対象に入っていないことが明白だったからだ。そして、襲撃などに対する精神的な疲労も慣れの問題から少ないリズやユキファナは疲労困憊という様子ではなく、本当に多少疲れているという様子であるが、サーシャやアニーは気を張っているものの、それが途絶えたら倒れてしまいそうなくらいには疲れているように見えた。
「分かった、手配しておこう」
煉夜はそういいながら、襲撃者の束の件と含めて木連に連絡する。すると、部屋が必要になることはあらかじめ予想されていたのか、すぐに九十九が案内しにやってきた。
「ユキファナ、あなたはこの子たちの方をお願いします。わたくしの護衛は煉夜様がいれば問題ないでしょう?」
と、言うのは名目上のことで、実際には暗にユキファナにも休みをあたえようというリズの心遣いであることは明らかだった。少なくとも、護衛役のアーサーが来ていないので、護衛任務はユキファナが請け負っている。だから、通常よりも気を張っていることをリズは知っていた。だからこそ、煉夜がいる今だから休めという思いで言ったのだった。
「分かったわ」
そういいながら、ユキファナは煉夜に目配せをした。そこには「リズのことを頼んだわよ」と言われているのだとはっきりわかるくらいの意思が込められていた。分かっていると言わんばかりに頷き返しながら、ついでにと思い、九十九の方に話しかけた。
「九十九、彼女が居長孝佳さんを治した件の死神だ」
そう、九十九とユキファナには間接的にだが縁があった。彼女の後輩で、呪いの鏡によって魂を半分奪われ、半身不随となった女生徒を治したのがユキファナ・エンドである。一応、そのことを覚えていた煉夜は、話すかどうか迷いはしたが、これといって言ってはダメな理由もなかったし、後は個人で解決するレベルだろうと判断した。
「ああ、孝佳の!
その節はうちの後輩の魂を治していただきありがとうございました」
ユキファナは、一瞬何のことか分からないと言った顔をしてから、記憶の中に思い当たるものがあって「ああ」と何かを思い出したような声をあげた。
「あの時の子の知り合いなのね。呪いの鏡に魂を半分持っていかれた子。元気にやっているかしら。順調に言っていれば、もう普通に歩けるぐらいには回復している頃でしょう?」
ユキファナの言葉通り、直った当初は車いすで、リハビリを続けて歩行補助機、松葉杖と経て、ようやく多少の不自由は残るものの普通に歩けるくらいには回復していた。
「ええ、そうなんですよ」
そのような会話をしながら、ユキファナはサーシャとアニーを連れて、九十九の案内の元、別室に移動するのであった。
「そういえば、本当にどうでもいいが1つ気になっていたことがあったのを思い出した」
九十九たちの背中を見送りながら煉夜は、あることを思いだした。それに対して皆が、何だろうと首をかしげるが、そのまま煉夜は続けた。
「雷隠神社と雪白家って結構関係が深いんだよな。でも、美鳥は『ユキシロ』って姓に対して、特になんか引っかかっていたような素振りはなかったんだが、美鳥は雷隠神社と雪白家の関係を知らなかったのか?」
初めて英国で会った時も、神獣白猛幽狐から「獣狩りのレンヤ・ユキシロ」という名前を聞いたときにも特に「雪白」という姓に反応したという部分はなかった。だが、雷隠神社はこうして「見確めの儀」を見に来るぐらいには懇意な仲である。八巫女三席の美鳥がそこに気が付かないのは、煉夜としては違和感があった。
「え、アタシ、まったく知らないけど?」
と、美鳥はあっけらかんと答えた。そう、美鳥は雪白家と雷隠神社のつながりについてほとんど知らない。
「それに関してはわたしが説明します。美鳥さんは四大天、中でも咎人悪煮の瑠原矩晃様と関わりが深かったので、陰陽師関係とはほとんど縁がなかったのでしょう。特に雪白家は空前様と親しいですから」
雷隠神社における実質的な活動をしているのは四大天であり、その下に八巫女がついている形になる。そのため、八人の巫女を四大天それぞれが、得意分野ごとに預かっている。雪姫はどの分野にも突出した才能を持っているため例外的にどの四大天とも交流があるが、基本的には自身の上役の四大天以外とは仕事の上で連絡を受けることはあっても、交流などはほとんどない。
美鳥の上役は瑠原矩晃で、春休みに雪姫と共に来ていた八席の近衛環文は空前末由が上役である。
「そういうものなのか。普通は巫女同士で情報の交流とかするものだと思っていたが」
煉夜があったことがあるのは、巫女は雪姫と美鳥だけであるし、四大天は伊沼藤吉郎だけであるため、その辺の事情も詳しくは知らないし、聞く機会もなかった。
「そりゃ、簡単な情報共有くらいはするけど、四大天の方々がどことつながりを持っていて、みたいな話は流石に個人情報というか、あまりペラペラしゃべる話じゃないしね」
どこでどのような仕事をしたという話ならばともかく、そこまで踏み込むのは流石に自分たちの領分を越えていると、巫女たちでも詳しく話すことはない。もしどこかから情報が漏れれば信用問題にもつながるというのも大きいのだろう。話さなければ、少なくとも自分たちから漏れる事はないし、よほど重要なことならば四大天から報告があるはずだ。
「なるほどな、同じ八巫女でも持っている情報は結構違うものなんだな。まあ、いいが。
さて、変な話で時間を取っちまったが、そろそろ本題の方へ移るとするか」




