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白雪の陰陽師  作者: 桃姫
陰陽大動編
317/370

317話:存在しない存在

 煉夜はその場をすくりと立ち上がる。何人かがその視線を煉夜に向けるが、煉夜はそれに対して微妙な顔をして言う。


「悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ」


「いちいち言わんでいいわよ」


 裕華にはリズの気配を感じられるし、それが近づいているとはいえ、迎えに行くようなタイミングではないことも分かっている。だから、本当にトイレに行くのか、それとも別に何かあるのかは分からなかったが、とりあえず行かせることを選んだ。




 部屋を出た煉夜は、その足でトイレではなく別の場所へと向かった。府営施設の裏手には雑木林が広がる。その奥から気配を消して忍び寄る「それ」に向かって声をかけた。


「これ以上、踏み込むなら切り伏せるぞ」


 一瞬、驚いたような気配があったが、すぐに鎌かけか、もしくは勘で言っているのではないか、と意識を切り替え、位置を変え、煉夜の出方を待つ形に移行した。だが、それを感じ取った煉夜は、その方向へと向けて言う。


「やり過ごす気か、それとも、ハッタリと思ったか。悪いが我慢比べにつき合う気はないぞ」


 この反応は正直、予想外であった。なぜならば、誰一人として、その存在に気づくはずがないのだから。少なくとも、今、この瞬間まではそう信じていた。


「しかしなるほど、技能や道具かとも思ったが、通りで裕華も気づけないわけだ。だが、驚いた。こいつは……」


 後天的に見つけた技術や魔道具の類で気配を消しているのかと煉夜は思っていた。特に後者ならば、煉夜だけが気づいた理由にも納得がいくからだ。だが、ここまで近づいて、ようやくそれが何かに気づいた。


「タナティスの恩恵持ちか」


 煉夜の「カーマルの恩恵」や九十九の「サルティバの恩恵」といった恩恵と同じ「タナティス」の恩恵。それを持っているがゆえに、煉夜以外には気づかれなかったのだと。これに関しては、相性の問題というか、「恩恵を持っているから」ではなく「カーマルの恩恵を持っているから」気づけたのであろう。

 そもそも「恩恵」とは何か。諸説あるが、煉夜が知る限りでは「神から与えられた先天的技能」というものである。もっとも、「悪魔から与えられた」という話や「奇跡によって目覚める」など伝えられ方は様々であった。

 それに、クライスクラに何の関係もない九十九が持っているように、この「恩恵」とは向こうの世界のものでもこの世界のものでもなく、普遍的に誰もが持つ可能性のあった力である。


 煉夜の持つ「カーマルの恩恵」とは「誠実の神(カーマル)」から与えられた「真実の瞳」のことである。同様に九十九の「サルティバの恩恵」とは「縁繋の神(サルティバ)」から与えられた「境界の瞳」。そして、「タナティスの恩恵」とは「静寂の神(タナティス)」から与えられた「寂寞の心」だ。


「なるほど、これは驚きました。(わたし)の存在に気が付くことのできる存在がいるとは思っていませんでした。あの一夏宮の頭目すらも見通すことのできなかった、この吾を」


 全てを見通すとされる一夏宮の「花月森」でも見通せない存在。しかし、ある種当然ともいえる。雷司の言っていたことが正しいのであるならば、一夏宮家の力は、遥か昔に神から授かったものである。それに対して、恩恵というのも神から授けられたとされるものである。

 で、あるならば、その差は、「一夏宮家」という一族に与えられたものか、一個人に与えられたものかという違いである。一族に与えられるということは、その力が血で薄まったり、素質によって発現の仕方が変わったり、そういった能力の幅が生まれる。だが、個人においてはそういった幅が必要なく、その人物に合った最優の力が与えられる。

 その差が「一夏宮家の頭目でも見抜けない」という現状を生んだ。


「つまりお前は、『陰』の切り札とでもいうべき存在ということか」


 一夏宮家と「陰」という忍者集団の関係がどのようなものなのか煉夜には分からなかったが、「見通されてしまうがゆえに手を組んだ」のではないか、と信姫は予想していた。だが、「見通されない存在」がいるのであれば話は別だ。


「吾の場合は、『陰』でも知る者はいませんがね。知っているのは忍足家の当主のみ。その当主も吾から声をかけない限りは気づけませんが」


 つまり彼女は忍足家ゆかりの人間である可能性が高く、その忍足家の当主を持ってしても認識することが難しいとされる。


「なるほど、すまないが少し視させてもらった。忍足(おしたり)静萌(しずめ)というのか。忍足の縁者だとは思ったが直系なのか」


 ビクリと彼女は肩を震わせた。まさか、そこまで視られるとは思っていなかったからである。そしてその時点で、ようやく彼女は煉夜がどうして自身のことを認識することができ、視ることができるのかまで理解する。


「カーマルの恩恵持ち、というわけですか。その通り、吾は忍足静萌。忍足家現当主の血に連なる、などという言い方をすれば分家の二蔵さんもそうですが、いわば本家の直系の血筋に当たります。もっとも、その存在を知られていないので本家も分家も関係はありませんが」


 生まれだけ見るならば、次の当主などとして扱われてもおかしくないような生まれであるが、彼女の場合は恩恵持ち以前に、そもそも当主になることは絶対にないとされている。


「そんな状態で、次の当主とかはどうなるんだ?

 いや、まあ、俺が口を出すような話ではないんだが」


 だからこそ浮かんだ疑問を素直にぶつけたときの彼女の反応は微妙なものであった。何とも言い難いというような、そんな顔。


「いえ、恐らく当主について問題になることはこの先、少なくとも吾が生きている間には……いえ、吾が死んだとてないと思いますよ。


 なぜならば、忍足家の当主は家ができてからずっと同じ人物ですから」

 その時に煉夜の頭の中に浮かんだのは、服部家が忍足家に変わったタイミングについてである。少なくとも江戸時代に御庭番がいたころまでは服部家であったはずであり、明治以降と考えても、かなりの時間が経っていることは間違いない。


「それは、少なくとも200年とか、そのくらいの間、同じ人間が当主を務めているということか?」


 世襲制とか、同名の人間というわけではなく、あの言い方であるなら、同じ人物がずっと当主を続けているということである。


「もっと、ですよ。服部家ができる前、千賀地にいた頃からの当主が彼女、忍足やぶめ……、いえ、夜巫女(やぶめ)だと言われています」


 千賀地(ちがち)というのは、服部家の始まりの地とされる現在の三重県伊賀市に位置する地名である。千賀地谷に集った人間たちが服部家の発足に至ったとされる。静萌の言っていることが事実であるならば、その頃から当主は変わっていない。それがどれだけ昔のことなのかは煉夜にも分からないが、少なくとも数百年は当主が変わっていないことになる。


「なるほど、そういう化け物が上に立っているとは、まあ、忍者の一族、分からん話でもないか」


 古くから忍者には鬼であったり妖術師であったり、人ならざる力を持つとされ描かれることも多かった。そういう意味では納得できなくもないのかもしれない。


「だが、それにしてもそんなにもペラペラと内情を喋っていいのか?

 それとも俺を始末するか?」


 いくら聞いたからとはいえ、静萌は簡単に説明しすぎだ。嘘という可能性もあるが、カーマルの恩恵を持っていることを分かってもなお、嘘を吐くとは思えなかった。であるならば、簡単に情報を話すというのは、いささか忍者として、あるいは、忍足という家に生まれた人間として、おかしい。


「まさか、そんなはずないですよ。そもそも、吾は殺しの技量は決して高くないですし。あくまで誰からも認識されないがゆえに簡単に成功しているだけで、技能面で言えば二蔵さんの方が上なくらいです」


 能力に胡坐をかいているというわけではないが、技能を磨こうにも、相手が認識できないのに、認識されないように行動する技術を磨くことはできない。なぜならば、どう動いたらバレる、どう誘導すれば隙を作れる、そういった諸々のことを試そうにも、どれだけ雑に動こうがバレないし、誘導する以前に隙など見つけ放題である。

 気づかれないということは、どこまでがよくてどこまでがダメという境界が分からないということ。そのような状態では技能を磨くことはできない。


「ようするに、『陰』に対する一夏宮と同じで、吾に対する唯一の絶対に勝てない相手というのがあなたというわけです」


 この場合、煉夜はまさしく静萌の天敵ともいえる存在であった。そうであるがゆえに、彼女は降参するほかない。だが、それを信用できるかどうかはまた別の話である。


「厄介な。俺しか見えず、俺しか警戒できない、いつ何をしでかすか分からない相手が近くにいるというのは、ことのほか面倒だな」


 しかし、この状況でずっと見張っているというわけにもいかない。そもそも、彼女がいる状態で人のいるところに行くというのは、すなわち人質を取られているということに他ならない。


「別に反抗の意思はないのですから安心してほしい、と言っても無理な話ですよね。常に視界に映り続けていましょうか?」


「それはそれでうっとうしいからやめてくれ」


 静萌は反抗の意思がないというが、それを確かめる術はない。そうである以上、警戒を解くわけにはないかない。


「そもそも、天敵だからと言って家の情報を渡すような人間を信用しろというのが土台無理な話だ。恩義とか忠節とかないのか」


 それに対しての静萌の反応は何とも言い難いものであった。きょとんとしたような、意表を突かれたようなそんな顔であった。


「恩義や忠節ってそんなもの吾にあるわけないじゃないですか。そもそも家で吾のことを知っている人間が1人しかいなくて、その1人が吾を便利な道具として扱っているんですよ。それに恩義や忠節を抱けという方が無理だと思いませんか?」


 家に対するというのもそもそもにして家から認知されなければ何も生まれない、忠節を尽くそうにも、その相手は体のいい道具として自分を扱う。そうであればそこに恩義も忠節もない。


「そして、そんな中で、ただ1人、吾を認識して、人間として扱う人に出会ったのです。だとすれば、それだけで十分に今までを捨てる理由になると思いませんか。

 こんな風に、人と会話が長く成立したのも初めてです。当主には吾から話しかけないと認識してもらえず、そして、会話の内容も指示が一言二言だけでしたから」


 静萌がまともに話をすることができるのは、恐らく世界に数人だけ。完全に認識して会話をすることができるとなると煉夜だけであろう。


「まあいい。とりあえず、軽い行動封じの魔法はかけさせてもらうぞ。保険程度だがな。とりあえずついてこい」


 そういいながら煉夜はフィンガースナップを鳴らした。行動封じと言っても本当に軽いもので、暗示の一種のようなものだ。強制するほどの力はないし、洗脳の類でもない。


「了解しました」


 それでも彼女は、煉夜の後をあっさりとついていく。本当に反抗の気がないように。

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