315話:陰達の動き・其ノ弐
新潟県岩船郡、と便宜上定義されている粟島付近の海上に忍術で隠蔽されたその孤島はあった。本土からは隔絶され、偶然たどり着くようなことでもない限り見つかることはないとされる。定期便などもなく、完全に個人が所有している船、あるいは海上を歩き渡るほかの交通手段はない。
その孤島にたたずむ家こそが、一夏宮家の根城であり、そして、その島の地下にある施設が、忍者結社「陰」の本拠地である。
忍者結社あるいは忍者集団「陰」は、大きく6種類の忍者がいることになる。もっとも、いくつかは被っているので明確にその6種類が全て異なるとも言えないのだが。
1つは元江戸城御庭番、江戸時代において将軍および江戸城の警備諜報を務めた忍び衆で服部や間宮などが該当する。2つは忍足家で埼玉県を根城とする忍び衆であり、服部家の大元の家である。3つから5つはそれぞれ、伊賀抜け忍衆、甲賀抜け忍衆、戸隠抜け忍衆。6つはそれ以外の忍。
それらが共同するのではなく、それぞれ組織内で独立しているが、形式上面倒なので、それらを総括して「陰」という組織として存在している。なぜならば、忍びの技術というのは、流派ごとに非常に多岐に渡り、かつ、それが生命線である。それを教えるということは、自分の命を絶っているのと同じであるから、けっしてそれらを教えるようなことはしない。
「やはり服部の小僧は失敗したか」
館の奥に座る男は、何があったでもなく、ふと口にするようにつぶやいた。それに対して、通常は認識外にあるはずの女性が隠形を解くでもなく、そのまま言葉を返す。
「分かっていて行かせたのでしょう。あなたなら、それが分からないはずがないのだから」
墨で塗りつぶしたかのような黒い髪に、色素の薄い鳶色の瞳。自身の縁者が失敗し、敵に捕らわれた、あるいは殺されたかもしれないというこの状況で、酷く冷静な女性。
「分かっていた。しかし分かっていなかった、などといってもお前には分かるまい。ただ、1つ言えるのは、服部の小僧は生きているということぐらいか」
その情報に毛ほどの興味もなさそうに、冷めた目をしていた。そこに何の感情もないといったような無感情な瞳だった。
「どうでもいい、といった面持ちだな。まあ、それもそうか。忍足家の当主、忍足やぶめともなると、分家だろうが本家だろうが関係なく、仕事の出来しか見ないか」
忍足家現当主、忍足やぶめ。その出生は服部二蔵とは違い、完全に不明という異質な存在。年齢も、その血筋すら定かではない。そんな謎に包まれた彼女でありながら、「忍足家当主」という座についているのは、その実力が認められたからに他ならない。
実際の出自を知るのは、やぶめ本人だけである。「見えないものを見抜く」一夏宮家ですら、その過去を見通すことはできないのだ。なぜなら、「過去」とは「見えないもの」ではなく「見えていた軌跡」あるいは「見えているもの」であるからだ。
記憶という不確かな「見えないもの」を見ることはできても、「過去」という実際に起きた「見えているもの」は見えない。
「二蔵の坊やなんてどうでもいいもの。それに彼はあくまで元江戸城御庭番との繋ぎ役みたいなものだったし。それよりも引っかかるのは、『分かっているけれども分かっていない』というその矛盾。それは、あなたでも見通せない何かがあった、ということ?」
外見上、二蔵とさして変わらない彼女が「坊や」と表現したのは、技術の差ゆえか、分家と本家の確執か、それともそれ以外の事情があるのか。
「ああ、見通せない何かがある。雪白水姫も見通すのが難しかったが、見通せなかったわけではない。だが、それに関しては一切見通せない。何も見えないのだ。徹底的に隠匿されているかのような」
その言葉に対して、やぶめは微妙な顔をした。それは、男の言葉に引っかかる部分があったからである。
「隠匿『されている』ということは、見通せない何か自身が、ではなく何かに隠されている、と?」
徹底的に隠匿「している」かのような、ではなく「されている」かのようなという表現はまるで、その対象自身がしているのではなく、されているような言い回しである。
「……詳しいことは分からないが、しかし、本人が隠匿しているならば、『花月森』で見えないはずがない。つまり、それとは別の『花月森』よりも上位の何かによって隠匿されているのだろう」
その言い分は、まるで、人ではない何かがそれを行っているかのようであった。
「だが、計画は変えない。今、この時しか好機はないのだから」
二方のいずこかにて、【四罪の魔女】と呼ばれた女、ニア・アスベルは空を見上げていた。正確には、位相的には空の奥にあるとされる神の領域を、であるが。
新暦以前の戦いで、神と戦った彼女ら六人の魔女は、クライスクラ新暦666年までとある事情により封印されていた。聖女も眠りに付いた。だが、それらには事情がある。本来なら、魔女も聖女も同時に目覚めることのない永遠の眠りにつくはずだったのだ。それが微妙に失敗したことで、「魔女が眠り、聖女が起きる」、「聖女が眠り、魔女が起きる」という奇妙な現象が起こってしまった。
【四罪の魔女】はその原因をずっと調査していた。小柴の言っていた「アレについて調べていた」というのはその話である。
「おとぼけのあなたが呼び出すからには、何か分かったからなんでしょうね」
フードを深くかぶり、七色の尾を持つキツネを抱えた女性、【創生の魔女】が、そんな【四罪の魔女】に向かって、あまり機嫌よくなさそうに言った。
「うん、まあね。あなたにも、あなたの眷属にも関係してることだからねぇ」
ピクリと眉が動いたのが、フードで陰になっていても分かった。それほどまでに大きな動揺が彼女に見えたのだ。
「何か知っているの?」
珍しい反応に【四罪の魔女】は、にんまりと笑いたい気分になったが、何か妙な言いがかりをつけられて、話が進まないような予感がしたので笑いは堪えた。
「どこにいるとか、何をしているとか、そういったことは全然知らないけどね。ただ、1つ、分かったことがあるの」
肝心な【創生の魔女】が求めている情報は何もなかったことが分かったが、それとは別に、煉夜に関係している情報というものが気になった。
「わたしたち六人とあの子たち八人、六と八によって本来起こることと、今、起きてることが違う。その謎をずっと調べてたんだけどねぇ、どうにも、あの子たち側は半分成功、半分失敗みたいな状態だったみたい」
それは【創生の魔女】も予想していた部分であった。そうでなければ、こうはなっていないだろう、と。
「そして、あの子たちが眠る際に、いくつか仕掛けをしていて、その後に、わたし達が起きたことで、あの子たちが眠っていながら、アレが動き出したの」
その具体的な内容は分からずとも、狡猾に仕掛けをしていたのは想像できた。だが、それに煉夜が関わっているというのがどうにも解せなかった。
「肉体と精神、そういう組み分けだったのは覚えてる?」
「ええ、当たり前でしょう。それが?」
当たり前のことの確認に少し苛立ちながら、それでも話の続きを促した。
「肉体の重要な要素を5分割して、それをバラバラに託したの。頭脳、■■、左手、右手、半身の5つに」
明らかに半身だけ比重がおかしいような気もするが、【創生の魔女】はそこに何かを言うことはなかった。それに、何を言いたいのかが何となくわかったというのもある。
「その内のね、4人には当たりが付いたの。1人は、わたし達が目覚めたときにメイド服を着ていたアイツ、あれが多分、『半身』。そしてあの子たちを眠りに導いた老騎士バンズ君、わたし達を起こしたステラの眷属、それから……」
「なるほど、レンヤもその1人、だと」
「たぶんね。だから仙人さんのところとか含めてあちこちで伝言を頼んではおいたけど、届くかどうか……」
一方、リズ達を待っている間に、伝言の内容を聞いた煉夜であったが、伝言の意味はほとんど分からず、後で小柴とじっくり話そうと決めるのであった。
次章予告
似鳥雪姫、唄涙鷲美鳥、雪白水姫を狙う一夏宮家の策略。
水姫が狙われるその理由とは……?
襲い来る「陰」に、全てを見通す「一夏宮家」、それでも見通せない者。
陰陽師たちの戦いの後に起きた大事件により、水姫は大きな境地に立たされる。
――第九幕 二十一章 陰陽大動編




