314話:陰達の動き・其ノ一
雪姫は、間違いなく観客席にいた水姫の方を見て、敵の目的の1人は「雪白水姫である」と告げた。しかしながら、それには腑に落ちない点がある。雷隠神社の八巫女筆頭であり、高精度の予知や予言を行う似鳥雪姫や雷隠神社を離れたとはいえ当時より実力を認められていた八巫女三席の唄涙鷲美鳥などは、常人や普通の陰陽師の域を超えた存在であるために狙われる理由も分からなくはない。
だが、その2人に比べて、水姫はあまりにも普通過ぎる。確かに人語を介する人型の式神や陰陽師としての資質が高いが、それはあくまで「一般的な陰陽師の中で」という前置きが付いたうえでの評価だ。しいて上げるならば、最年少で「八歌扇」に入る舞扇の実力であるが、それならば水姫以外でも代わりはいくらでもいるのに、わざわざ面倒くさい京都司中八家を敵に回してまで水姫にこだわるのもおかしい。
「なぜ、という部分に関してはわたしも知らないので答えられません。ただ、わたしの知る限りでは、わたしと美鳥さん、そして雪白水姫、この3人が一夏宮家に狙われるということ、そしてそれにレンが関わること、それだけです」
煉夜が「なぜ水姫なのか」を問う前に、先回りするように、あるいは聞かれることを知っていたかのように雪姫はそのように言った。
「一夏宮家……?」
そして煉夜に耳馴染みのない家の名前が出たことで、意識はそちらに回される。陰陽師の家にあまり詳しくないとはいえ、一応、司中八家を中心に主要な陰陽師の家については調べたはずだったのだが、それでも聞き覚えはなかった。
「知らなくても無理はないわ。あの家は少し普通とは違うもの」
そんな風に信姫が肩をすくめる。そういった信姫自身もそこまで詳しく知っているわけではなかった。山梨県を中心に活動する信姫は隣接する都道府県の陰陽師事情をある程度把握していたが、一夏宮家に関しては活動地域が隣接都道府県ではないためであろうか。
「なんていうか、どちらかといえばウチに近いんでしょうね。あなたたちのように稲荷一休を中心に復興した現代陰陽術を使う陰陽師とは違って、古来の固有の術式だけで生き抜いている一族よ」
京都司中八家を中心に、現在の主だった陰陽師が使っている稲荷一休がよみがえらせたり、つくったりした陰陽術とは異なり、一子相伝の固有な術式を使うような陰陽師がわずかに残っている。信姫の式神はそれに近いだろう。
「江戸時代頃までは江戸を中心に活動していたみたいですけれど、明治時代以降は新潟県を中心に活動していますね。そして、その固有の術『花月森』と呼ばれるものがあり、その実態は予言とも心眼とも記憶を読む力ともいわれていますがね」
と、姫毬が補足するように観客席から付け足した。しかし、その聞いた言葉に煉夜は眉を寄せた。そして……
「『花月森』……、一夏宮……、その名前、確か雷司が言っていたような」
微かな記憶を頼りに、雷司が言っていた言葉を思い出す。それは、いつの頃だったか、煉夜と雷司が話していた時のことである。
「煉夜は確か隠形とか纏手とかの類が効かないんだっけか?」
それを日常の会話と言っていいのかは分からないが、放課後の教室で月乃を待っている間の無駄話である。
「ん、ああ、隠ぺいの魔法とか幻覚による牽制混じりの攻撃とかは基本的に無効化するな」
裕華との儀式でもそうであったが、それらや結界などを無意識に無効化する、という話をした後のことであった。なお、雷司は基本的に魔法を織り交ぜた武術を扱うために幻覚魔法とかそういう表現ではなく、あくまで武術の技で話していた。
「微妙に違うんだろうけど、そういう本来は『見えないものを見る』……、つまり真実を見るとでもいうべきか、そういう先天体質が他にもあるんだよ」
煉夜の場合は、「真実を見る」という部分は微妙に近いが、それでも異なる。しかし、そういった力があるのは感覚として理解できるが、実例があるのは聞いたことがなかった。
「一夏宮家っていう新潟を中心に活動する一族なんだけどな、先天体質で『花月森』っていう『見えないものを見抜く力』を持っている……いや、それしか持てないようにされているとでもいうべきか」
見えないものを見抜く力、そのように表現される力。それに対して、与太話を聞いているような、そんな話半分で聞いていたのだが、それでも思ったことを口にする。
「見えないものって具体的にはなんだよ」
確かに「見えないもの」とひとくくりにされても、それが一体何か分からない。
「そらぁ、心、記憶、感情といった人に関するものから、隠形とかの姿を隠すものとか、その人がこれから先に得るであろうものとか、具体的に挙げようにも挙げきれないくらいのいろんなものが見えるんだろうさ」
そんなバカな話があるか、と煉夜は「雷司の冗談は微妙だな」と思っていたのだが、それでも雷司は話をつづけた。
「そもそも『一夏宮』ってのは『五日三夜』、五日間祈り、三夜の間神をもてなしたという伝承から付けられた名前でな、その結果に得たのが『花月森』……『破永晦』っていう力でな」
「おっ、月乃が来たな。帰ろうぜ」
「おい、これからが肝心の部分なのに」
そんな風な話をしていたことを記憶の片隅から何とか思い出す。当時は、雷司の法螺話とばかり思っていたが、こうして実際に名前が挙がったことで事実だったことを理解した。
「思い出した、『見えないものを見抜く』っていう一族か。五日間祈って、三夜の間神をもてなしたから『五日三夜』で転じて『一夏宮』とか、『破永晦』が転じて『花月森』になったっていう」
むろん、それは雷司に聞いたことを繰り返しただけであるし、ここにいるほとんどがその話は知らないので何とも返せないのだが。
「しかしなるほど、ってことは、『陰』だかなんだか知らないが、忍者集団がそいつらに協力しているのは分かりやすいな。単純に雇っているとかだけではなくて、どれだけ潜んでも見抜かれる以上、協力関係になるのが一番賢いというだけだろう」
煉夜の発言に信姫が納得したようにうなずいた。「陰」という組織について詳しいのは彼女だろう。
「そういうことね。『陰』って忍足家はともかく、伊賀や甲賀、戸隠のはみ出しものとかも参加していたのよ。一夏宮の能力が『見えないものを見抜く』っていうのが本当なら、そいつらは『里』を出し抜けるし、組むのは分からなくもないわね」
里、あるいは衆ともいうべきか。風魔から南十字家という「里」を「家」にして世襲制とした風魔忍軍はともかくとして、伊賀や甲賀、戸隠といった里は、多くの家が入り乱れ、それらが分裂等を繰り返しながら一つの「里」として現存している。だが、そうした分裂や跡目争いから「里」を追い出された者たちがおり、そうした者たちの一部は『陰』という組織を結成していた。
「『見えないものを見抜く』ということは、なるほど、それでわたしと美鳥さんを……」
一方、雪姫は別のことを納得していた。なぜ、自身が狙われるのか、そして美鳥が狙われるのか、という部分。
「見えないもの、というのは、恐らく万物を見通せるのでしょう。そして、恐らく人の心やその人物に『確定的にこれから起こること』……『確定未来』は見ることが可能なはずです。そうであるのならば、『不確定未来』を予言できるわたしとその力を付与することができる美鳥さんがいれば、世界を牛耳れる、かもしれません」
確定未来と不確定未来。悠久聖典に基づきあらかじめ決められた事象である確定未来、それ以外の変動する事象を不確定未来に分けられる。
未来予知、予言、そういった類で知ることのできる「未来」というものは大抵、上記のどちらかに分かれ、それにより精度が異なる。
なぜならば、「確定未来」は、ほぼ確定している事象であるがゆえに詳細かつ確実な予知が可能であり、精度が高い。「不確定未来」は、変動する事象であるがゆえに無数に分岐し、その道筋が幾重にもなり、不確実で曖昧な予知となり精度は低くなる。
雪姫は「確定未来」も「不確定未来」もどちらも予言することが可能なハイブリット型である。
「いわゆる『未来視』の種類ね。うちの伯母さんの知り合いにも精度の高い『未来視』の能力者がいるけど、まあ、未来視は確実性を置いておいて、為政において大きな意味を持つ力だもののね。世界を牛耳れるというのはあながち間違いじゃないわ」
裕華は一度会ったことのある小柄なメイド服を着た未来視を持つ女性のことを思い出しながらそう言った。
「なるほどな、見ないものを見抜くことで、それに関する未来を見て、それ以外の起こり得る事象をも知ることができれば確かに権力を持つことができるだろうな」
要するに、その人物が怪我をするという「確定未来」があったとして、その怪我の経緯は「不確定未来」であるとすれば一夏宮家の「花月森」では分からないのだ。そこで、雪姫の予知で、怪我をするまでのいくつもの分岐を知ることができる。
「何月何日に腕を折る」という「確定未来」と、「転んで」、「突き飛ばされて」、「階段から落ちて」といういくつにもわたる「不確定未来」から最少の被害で治まるものを選ぶことができるのだ。
「だが、言ってしまっては何だが、そこまでして権力を持つことに一夏宮家としての理由はあるのか?
いや、家の力を誇示したいとか、今まで虐げられてきたから、とかそういったありきたりな理由があるのかもしれないが、それにしては危険が大きすぎると思わないか?」
政治に関わろうにも、現状、他の陰陽師が大きく政治に関わっているために、それらを排斥することはできないし、逆に危険視されてより排除傾向が強まる危険性の方が大きいことは明らかだ。それに、未来を見える者にしか分からない未来のことを取引材料にしても信じてもらえるかは微妙であろう。
「ですから、その鍵を握るのが……」
雪姫は、観客席を再び見上げながらそういった。つまり、その視線の先、雪姫と美鳥の他に狙われているという雪白水姫が、その鍵を握っているのではないか、というのである。




