312話:見確めの儀・其ノ拾「本戦決勝」
決勝、雪白煉夜と市原裕華の儀式であるが、これはくじ運によるものという部分が大きいだろう。本戦第二戦で煉夜と裕華が当たっていた可能性も十分にはあったし、信姫と煉夜が当たっていた可能性もあった。結果によっては、ここにいたのは煉夜ではなかったかもしれないのだ。
そして、決勝ということもあって、煉夜はかなり難しい顔をしていた。なぜならば、普通に考えたら勝ち筋が見えないからだ。月姫や信姫相手ならばいくらか対処法を導ける煉夜であったが、裕華相手だとそうもいかないようだ。
月姫ならば無力化系の使い手に対する経験が、信姫ならば近接戦闘系の使い手に対する経験がそれぞれ生きるのだが、正直、裕華相手には生半可な知識や経験が通じる相手ではない。だからこそ、いくつかここまで隠してきた切り札はあるが、それも、先ほどの「聳狐」のような大規模な術式をいくつか使えるであろうことを考えるとどこまで通じるか微妙な線であった。
「それでは、『見確めの儀』本戦決勝戦、雪白煉夜と市原裕華の儀式を始めるにゃ。両者、全力を尽くし、術を磨き合うように」
とは言ったものの「猫又弥勒」の心情としては「全力を尽くされるとどうにゃるか分からにゃい」といったものであるが。
初手は互いに基礎の術式である「《火》」と「《水》」をぶつけ合うことになったが、水塊が蒸発して水蒸気で視界が悪くなる。その隙を突くように先に動いたのは煉夜であった。
呪符で陣を形成し、術を強化する儀式型強化を応用した《火》の術式である。
「《火龍炎迅》」
炎の塊が龍のような形を成して水蒸気を切り裂くように裕華の位置へと向かっていく。巨大な炎の塊が、陣と龍という姿、意味を与えられ、かつスファムルドラの文字で炎を意味する形状で陣をつくったことで、呪符、文字、陣、姿により、3枚の呪符で7枚の術とほぼ同等の陰陽術を形成する。これは、第一戦の八千代の術を見て思いついた応用である。
「ったく、こういう手の込んだ性格の悪い攻撃はどうなのよ」
そもそも、巨大な攻撃も避ければ意味がない。だが、煉夜がそんな隙を許すはずもない。裕華はまず間違いなくその炎の塊を避けることができる。ならば、炎の軌道を限定して、避け道に自身とパスをつないだ札を、炎の龍に仕込んで撒いておいたのだ。
「どうもこうもないだろ。それに、お前には効かないだろ」
その罠も裕華ならば、潰して動けるだろう。だが、行動に制限が付くのは間違いない。要するに時間稼ぎである。だが、それを裕華が気づかないはずがない。
「面倒くさいわね…、《月牙》!」
ここまで出さなかった式札を使って黒霧虎が姿を現す。黒い霧の幻覚によって姿を偽る虎が、獰猛な気配と共に炎を蹴散らした。
そもそも黒霧虎はおとなしい性格をしているものが多く、「黒霧の幻惑」という幻覚作用のある黒い霧を出して姿を偽り、外敵からの攻撃を避け逃げ隠れる。そのため、本来は攻撃的ではないが、しかし、それは攻撃ができないという意味ではない。
「黒霧虎……、成体になると流石に剣なしではきついな」
思わず持ってもいない剣へと手を伸ばし掛けて、そのように言った。だからこそ、煉夜もまた、ここで初めて式神を使う。
「来てくれ、《八雲》!」
第二戦以降、それも出来れば裕華と信姫相手以外には使うまいと自粛していた式神を召喚する。現れるのは九尾の狐、本来の姿ではなく力を抑えた姿であるが。
煉夜が《八雲》を召喚したのにはいくつか理由がある。まず、2対1という不利をイーブンに戻すため、それに、敵は幻覚を持つ獣であるが《八雲》も実は幻覚を司っている。それゆえに幻覚への耐性ある。さらに、「神獣」という格の高さがあり、強い力が煉夜と裕華の差を埋めることができる要素になるからである。
「幻覚獣の類ですか。なるほど」
九つある尾の1つが大きく揺れた。九尾の狐には九つの力が備わっている。それを九尾自身は「何本目」という表現で表すが、それは尾に相当しているとされるが故である。九尾の尾は、重ねた年数とも転生した数とも蓄えた力の数とも様々な言い伝えがあるが、それだけに尾に神性が宿りやすい。
1本目は「攻撃」、つまり「力」を表す。2本目は「防御」、つまり「守護」を表す。3本目は「追跡」、つまり「心眼」を表す。4本目は「■■」、つまり「■」を表す。5本目は「変身」、つまり「神通力」を表す。6本目は「分身」、つまり「顕現」を表す。7本目は「幻覚」、つまり「天罰」を表す。8本目は「人化」、つまり「身近」を表す。9本目は「神化」、つまり「到達」を表す。
「神獣の相手とか滅多とない最悪の事態よね」
などといいながら呪符を用意する裕華。それに対して、煉夜も呪符を用意しながら答える。
「そうかもしれんが、俺でも数度と乗り越えたことだ」
先に術の準備を終わらせたのは裕華であった。とっておきであり、第二戦では使うつもりがなかったと言っていた八枚札の術式。しかし、それはあくまで「煉夜以外に」という前置きのつく「使うつもりがなかった」である。そう、煉夜相手に温存できると思っていなかった。だから、神獣が出たこともあり、その枷を外した。
「《火》の捌、――炎駒」
巨大な炎が生じ、儀式の場全体を包み込むように炎の壁ができ、その中を炎の柱と炎塊が飛び交う炎地獄と化す空間。
「なるほど、角端に炎駒……麒麟か。要するに五行が司る五麟に合わせて術を形成しているわけか。《八雲》、力を貸してくれ」
五麟、木の聳狐、火の炎駒、土の麒麟、金の索冥、水の角端というそれぞれ麒麟の種類が当てはめられる。その意味を併せ持たせることでより強力な術としての格を形成しているのだ。そして、煉夜がそれを単独で打ち破るのは不可能であった。
「分かりました、あれですね」
すでに、煉夜と《八雲》はいくつかの攻撃パターンを用意していた。その中でも、この状況に対応できるのは1つだけだった。
「《水》」
煉夜の陰陽術を起点に、それを《八雲》が巨大な術へと昇華する。ただでさえ膨大な霊力が練りこまれた煉夜の術を、《八雲》の神気と霊力で八枚の呪符を使ったのと同等にまで強めたのだ。
しかし、根本的に術を強めた八枚構成の「炎駒」は、ただ強化しただけの基礎術式では破れない。だから一部を貫くように破壊することで潜り抜ける。
そんな状況の《八雲》の目に入ったのは、既にまた八枚の札で術式を構成している裕華の姿であった。だから、思わず煉夜に言葉を飛ばそうとして、その前に煉夜に制される。
「《火》」
そして、それとはまったく別の方向へと基礎術式を放った。それを同じ基礎術式が打ち消す。正確には先に放たれていた基礎術式を、煉夜が後から放った基礎術式で打ち消したのだが。
「悪いなぁ、先天的に俺にはその手の幻覚は自動で無効化されるもんでな」
《八雲》にいくら幻覚への耐性があるとはいえ、煉夜の術の強化などに意識を回しきった後でそこまで意識がいかなくなるのは仕方がない。だが、煉夜の場合は、意識するしない以前に、効かないのである。だからこそ、《八雲》の視線でその幻覚を悟った煉夜は、隙ではない隙を突くように放つ裕華の攻撃を打ち消しただけである。
「そういうのって反則だと思うんだけど!」
さすがに、煉夜の幻覚耐性に関しては、裕華の想定外である。そうなると、裕華の手数がそれなりに減る。それに八枚構成の術式も《八雲》とセットなら破ることが可能であると今証明されたばかりである。
で、あるならば、正真正銘、切り札を切るしか裕華の勝ち筋が見えないようになってきたのである。本当は使う気がなかった、というのは、こちらに関しては煉夜にすら使う気はなかった。だが、試してみたいという感情も含めて、今、ここで煉夜に使うことを決意する。
「本当は、あくまでこの世界で使う気はなかったんだけれどね」
そういいながらも、手に持っている呪符は《火》、《水》、《木》、《土》、《金》の五行全ての符である。確かに、五行の循環をもってすれば、1をより大きな力にし続けていくことはできるだろう。そして、それは全ての属性に適性を持つ裕華だからできることでもある。だが、そのような単純なことをしてくるはずがない、と煉夜は思う。
実際、裕華が行おうとしていたのは、そのような単純なものではなかった。
「《闇》の陸、――饕餮」
放たれたのは――黒。まるで光全てを呑み込むかのような黒色。裕華は《闇》と定義づけた「それ」が何か煉夜には分からなかった。
《光》が《金》に分類されるのは、五行の中の八卦によるものである。《木》に《風》や《雷》が分類されるのは「木」という行の八卦に「雷・風」という性質があるからである。それと同じように、「金」には「沢・天」という性質がある。この「天」という性質を広く捉えて「光」も含むということになっている。
だが、それらの中に「闇」に該当するものはない。イメージという漠然としたもので言うのならば、「黒」が対応する「水」であるが、あまりにも抽象的過ぎる。「光」と「闇」という属性を陰陽術の中で使うものが少ないというのにはそういった部分も絡む。
だが、裕華が使ったそれは、まぎれもなく《闇》と定義された陰陽術なのであった。
「五行全て、……なるほど、五行の成り立ち、すなわち『混沌』か」
だから、煉夜は思考を巡らせた結果に、そこにたどり着いた。
――五行とは、混沌より太極を経て生み出された。そうであれば、裕華はその逆、全ての五行の要素を混じり合わせ、「混沌」、すなわち「闇」に戻したのだ。
「正解。よくもまあ、見ただけで理解できるもんだわ」
と、いうものの、煉夜ならば見破れるであろうと裕華は思っていた。だからこそ、その一撃を放った。それを煉夜は、全力で受け止めるしかできない。
「《水》」
《八雲》の協力を経て、大きな力へと変換したそれは「饕餮」と名付けられたその一撃とぶつかった。強大な2つの術の激突で、儀式を行っている場所を中心に世界を揺らさんばかりに衝撃が響いた。
霊脈から吸い上げられた強大な力同士がぶつかり合うために、まるで歪が生じるように、だが、それでも片方の力が上回る。それは、裕華の《闇》の力であった。
「そこまでにゃ!!」
慌てて「猫又弥勒」がそのように叫ぶと同時に、「饕餮」は掻き消える。そして、いつものように「猫又弥勒」がその結果を言おうとした瞬間、煉夜と裕華の知覚域に異常が検知された。
「――生じよ、[結晶氷龍]!」
「――闇暗化!」
会場を一瞬の闇と冷気が包んだ。




