302話:見確めの儀・其ノ零「前哨」
信姫もそこまで興味があって問うているわけではないし、家の事情や気密などに関わるのならば言えないことも多いだろう。そういう意味で「言えないのなら構わない」と付け加えたし、煉夜としても信姫が雪白家の内情に探りを入れてきているとは考えていない。本当に世間話の延長のようなものである。
「こっちも特にはないな。まあ、家同士の関係性を考えて、少しでも上の順位を取った方がいいとは考えているけど……」
そこで言いよどんだのには理由がある。そもそも雪白家は、既にどこかの家から何かを要求される前提で考えている。それは優勝できないから、というものではないし、木連や美夏、煉夜の両親をしても水姫と煉夜はそこそこ高順位に入るだろうと考えている。だが、雪白家には「雪白火邑」という煉夜の妹がいる。
彼女は煉夜よりも前から陰陽師修行というか知識を教えられる程度であるが、学んでいたにも関わらず、その才はあまり伸びていない。
煉夜の行方不明の件がなかったならば、それでよかったのかもしれないが、既に陰陽師としての修行を積んでいる以上、「一般世間」に逃げるのはもう少し先になり、今は陰陽師としての修行を全うしなければならない。
「そんなにまずいの?」
内情までは知らないにしても、煉夜が何を思っているのかは大体予想が付く信姫はそのように問う。
「正直、同世代の他家の陰陽師がどの程度なのか測りかねているから何とも言えないが、もしかすると一番下かもしれない。少なくとも稲荷家の七雲よりは才能も実力も下だ」
最年少の七雲よりも実力が下と断言されてしまうのはあまりにも悲しいが、煉夜の目で見た限りでは事実である。
年齢的に言えば、この年に13歳になる七雲が最年少の中学1年生、次点で15歳になる中学3年生の月姫、裕華、群介、火邑が同い年で高校2年生、水姫と八千代が同い年の高校3年生で、九十九と煉夜がその1つ上、さらにもう1つ上が姫丹である。ただし、姫丹と違い、九十九はすでに天姫谷の2人や具紋と共に「召喚の儀」と「見確めの儀」を終わらせているために今回の「見確めの儀」には不参加である。
「でも、あなたがそれだけ異質なんだから、妹さんも同様に陰陽師じゃないにせよ何かを秘めてはいそうだけどね」
雪白家のことはよく知らずとも、煉夜の実力とそして、柊神美のことは知っている信姫はそんなことを思う。確かに、火邑には舞の才能も幼くして六歌扇に選ばれた水姫とは異なり乏しく、陰陽術の才能も並以下となれば、何か別のそれ以外の力を秘めているのではないか、などという妄想じみたことを考えてもおかしくはないだろう。
「さてな、火邑のことは正直、俺もよく分からん」
これははぐらかしなどではなくて、本当に分からないという意味での言葉である。正直、火邑には何かがあるのではないか、というような感覚を煉夜自身も時々抱いていた。偶にどこかここではないどこか、あるいは誰かを見ているようなそのような目をしているときがあり、それが何なのか分からず、何かあるのかぼーっとしているだけなのか、というのが正直見抜けずにいた。
「ないと断言しないってことは、可能性はあるってことなの?」
その辺は煉夜にもよく分からないとしか言えない。あるとも言えたし、ないとも言えた。煉夜の恩恵を持ってしても、未だ有していないものは見通せない。だから、もし、火邑が何らかの力に覚醒したのであれば分かるだろうが、現段階では何も言えなかった。
「何とも言えん。それにあの性格の火邑が何らかの力を手にしたところで扱えるのか、っていう疑問もあるけどな」
よく「秘めた力に目覚めて」などというものがあるが、火邑はその力に目覚めたところで大それたことはできないのではないか、という思いがある。
「さあ、それこそ大きな力に目覚めたあまりに性格が豹変する、なんてのは映画なんかでもよくある話じゃないの」
しかしながら、煉夜にはいまいちピンとこない話であった。魔女の眷属になった当初ですら魔法もろくに使えず修行の末に今の力を持っているゆえに、大きな力に目覚めるということはなく、修行と経験の末にあるのが今の煉夜である。
「お前はそうだったのか?
『楯無』を受け継いだ時には、そうした性格の変化ってのがあったのか?」
大きな力に目覚めた、というわけではないが、信姫の「楯無」を受け継ぐというのもまた大きな力を手にすることに該当するだろう。だから、そのような経験をした信姫に対してそう聞いたのだが、答えたのは先ほどまで必死に笑いを堪えていた姫毬である。
「いえ、今も昔も信姫様は変わりませんよ。友達も相変わらず少ないですし」
「友達は関係ないでしょうが!」
吠えた信姫に対して苦笑いの煉夜。しかしながら、信姫は信姫で、その力を受け継ぐことを知っていたし、先祖たちもいるので全能感に浸ったり、性格を豹変させたりというようなことはなかった。
「まあ、いざというときは何とかなるだろ」
全くもっていい加減な言い方であるが、しかしながらそうとしか言いようがない。分からないことを考え続けても杞憂に終わる可能性の方が高いし、そのように言うしかなかった。
「何とかなるで思い出したが、お前はどうやって『楯無』はともかくとして、符刀とかで戦うんだよな。それで何とかなるのか?」
信姫の持つ力である御旗楯無こと式神「楯無」は、大元は源氏に伝わる鎧であるが、鎧にかつての源氏の武士たちの魂が宿っている。その御名を呼び、力を宿すのが「楯無」であるが、そうである以上、その力を使うのに武器がいるわけである。
しかしながら、「古めかしい」と揶揄される陰陽術のしきたり上、あくまで陰陽術とは術の撃ち合いであり、それ以外の身体能力の強化のような肉体技術は嫌われる傾向にある。それゆえに、あくまで「陰陽術の発展」という意味で直接戦闘に関してはほとんど禁じられている。というよりもそうでなければ、煉夜、裕華、信姫が頭抜けて実力があるというのは変わらないが、しかして他との差が天地ほど広がってしまう。
そうした中での直接戦闘の例外が「符術」の類であり、例えば、手に電撃をまとわせるとか、符を刀として見立て力をまとわせるとか、そういったものである。傍目に見てただ殴っている、切っていると見られなければいい、という何とも曖昧な決まりであるが、それも「公平公正な審判」とやらがしっかりと確認しているらしい。
「得意ではないけどできないわけではないしね。そういうあなたは使わないの?」
どちらかといえば剣術のような接近戦闘を主流とする煉夜であるし、符刀を使わないのかというまっとうな疑問を抱いた信姫。おそらくそうすれば信姫とも互角以上に戦えるはずである。
「いや、俺は使わない、ってより使えないが正解だが」
そういって肩をすくめる煉夜。その理由をすぐに続けて答える。
「俺は魔力も霊力も操作というか加減が苦手でな。自身の内在魔力ですらまともに制御できないのに、外の分もぶんどる霊力はことさら苦手でハゲにもよく文句を言われたっけか」
もっとも、煉夜が「ハゲ」と呼ぶ稲荷一休に指導を受けていた時は、霊力ではなく「仙力」という呼称を用いていたが、この場合の霊力と仙力は同一のものである。
「なるほど、流し込む霊力に耐えきれる符がないのね」
煉夜が扱える力の量は膨大であり、元々に主武器として使ってきた2つの武装がそれに耐えうるものであったこと、そして、それに注ぎ込むことを最初に習ってしまったがゆえに上限が小さいものにどれだけ流し込めばいいのかという物差しが完全に失われてしまったがゆえに、ただ術を使うだけならばともかく、それを形にして何かをまとわせるとなると強すぎる霊力によって符自体が自壊してしまう。
「そういうことだ、それなら使い捨て覚悟でできるただの術の撃ち合いの方がよっぽど戦えるものでな」
そもそも呪符を使った戦闘というのにはそれそれで使い方しだいでは利点がある。設置型の魔法発射装置のような使い方も札から自身まで見えない霊力の回路を繋げればできなくはない。もっとも、煉夜の場合は遅延魔法や広範囲索敵と無詠唱の魔法の組み合わせなどでいくらでも同じことができるが。
「おっと、それよりもそろそろホームルームの時間だ。色々と厄介ごとになる前に帰った方がいいぞ」
もっとも雪枝相手ならばいくらでも丸め込めるだろうが、と思いながらも、そこを越えに出さなかったのは、煉夜のせめてもの善意なのだろうか。
「へいへい、ワタシは退散しますよっと、あ、あと、姫毬、笑ってた件は家でゆっくり言い訳と一緒に説明を聞かせてもらうから」
そういって立ち上がり出ていく信姫と入れ違いに教室に入ってくる千奈。それはちょうどそのタイミングになった、というよりは信姫が出ていくのを待っていたかのような様子であった。
「彼女、とても多くの魂とつながりを持っているからどうにも近寄りがたくって」
と、言いながら席に着く。ネフェルタリという存在と同一化している千奈は、その転生を冥界の神に行われた影響か、魂の動きをわずかにならば察せるようにはなっていた。そもそも埃国は魂などの考えがあるように、古くから人の生死と深い関係を築いた国である。元の性質からして魂というものとの関係性は強いのだろう。
「ああ、あれはそういう役目を代々受け継ぐ家だからな」
武田家とはいうものの、彼ら彼女らにとって、武田家とはあくまで「甲斐源氏武田家」であるのだろう。そう、あくまで源氏という家の流れを汲んだ一族であるのだと。そこは、「御旗楯無」を継承していく以上、不変の認識であろう。なぜならば、最初から源氏の意思を受け継ぎ、その魂とともにあるのだから。
「あれは魂だけではなく、何より精神が息づいている。彼女や彼女の受け継ぐもの自体に楽園が形成されているような、そんな状態。レンちゃんのそれとはまた違う、それそのものが1つの世界になっているのかもね」
精神、それは意思や活力そのものであり、「源氏の意思」や「源氏の誇り」そのものなのだろう。そして魂と精神が結びついて生きている場所、それこそが「第二の生」のある場所、楽園アアルなのだろう、と千奈は、あるいは、彼女の中のネフェルタリはいうのだ。




